安らげる時間をつくる

 

(今日のコトバ)

 

行きつけの安らぎがあればいい。

 

 

 

 

 

人は、忙しい時間の中で生きている。

時間を拘束される。

日々、試験を受けるような状況で緊張をしいられる。

理不尽な関係にストレスを溜めてしまう。

真面目に取り組むだけでは、どこかが壊れてしまう。

息を抜く時間がどこかにほしいものだ。

ただ、目の前の状況を考えると、

自分が息を抜く時間がもてなくなることもある。

息を抜く時間も、意識してつくらなければ、

忙殺される状況のままではつくることができない。

だからこそ、息を抜く時間がどうしても必要になるのだ。

どうやりくりしてもいい。

多少、強引にでも自分が心から安らげる時間をつくる。

当然、その安らげる時間には、

安らげる場所、そして、安らげる人の存在が必要だ。

安らげる時間、安らげる場所、安らげる人。

この三つが揃った状況が、

常に自分の生活の中にあるようにしておく。

この世知辛く忙しい世の中で、

自分が自分らしく生きる、

煮詰まらないないで生きるには、

安らぎは必須アイテム。

意識して、安らげる状況をつくることで、

自分のペースがつくられる。

忙しいと忘れがちだが、

安らぎは自分でいちばん簡単につくれるもの。

もし、安らげる環境が自分にない人は、

今日からでいい。

安らげる時間をつくる環境をつくる。

自分のペースで生きるために大切なことだ。

 

 

人生というロングラン興行

 

(今日のコトバ)

 

人間は、人生という名の興行を打つ。

 

 

 

人生は、舞台だと思う。

一歩外へ出れば、本能のままで生きることは難しく、

大なり小なり、芝居をして生きなければならない。

外だけでなく、内なる家族とも、

芝居が必要になることもある。

それも、脚本通りの芝居というよりは、

即興芝居ばかりを要求される。

社会とは、そういうものかもしれない。

だが、この芝居が想定通り、予定通り終わる場合と、

想定外、予定外に終わる場合がある。

細かいことで、想定外、予定外はいいが、

大事なことで、予定外、想定外だと、

人生にかかわる一大事になることもある。

一つの言葉、一つの行動、一つの選択、、、、。

一日という日の中で、

人生を左右することもある。

そう考えると、人生は興行のようでもある。

一日という単発の芝居の連続が、

人生というロングランの興行になる。

いま、人生のメリハリがなく、

なんとなく生きている人も、

日々、何か大切なもののために行動している。

生きるために、気づかぬ間に芝居をしている。

大河ドラマのワンシーンを演じている。

そう思うと、一日は貴重な時間になる。

もちろん、毎日が刺激に満ちていて、

イキイキしている人もいるだろう。

その両者とも、人生という大きな興行を打っている。

そのことを忘れずに生きれば、

この一日が愛しくなる。

もっと、前向きに生きていけるはずだ。

 

 

自分を自衛する

 

(今日のコトバ)

 

終わりなき旅の途中だからこそ、

どこかで腰を下ろして命をいたわることも大切なんだ。

 

 

暑い、熱い日が続いている。

まだ、夏休みにもなっていない人が

たくさんいるだろう。

夏バテの人もいるだろう。

熱中症の注意報も毎日発令されている。

「なるべく家から出ず、水分をこまめに補給し、

体を休めてください」と。

気象予報士の夏のお決まりのセリフのような気もするが、

ほんとうは人生においても、

この言葉がとても大切になる。

「体を大切にして、水をとる」

人生は、人間の体は、どこで、

どうやって休んでいいかは自分しかわからない。

会社の休みが自分にとって足りているとも限らない。

どこまで休めば、どこまで水を補給すれば、

自分がほんとうに英気を養えるのか。

病気になって、入院するまでわからない状態はいけない。

自分の中で、どこが痛んでいて、どこが悲鳴を上げているか。

自問自答してみる。

もし、休ませた方がいいものがあれば、

早めに対処する。

会社を休んで、しっかり治すものなのか。

会社は休まなくても、自分の調整で治せるものなのか。

人それぞれあるだろう。

それらを自分で点検し、

自分で警鐘を鳴らし、自分で守る。

自分にとっての自衛も大切なのだ。

この夏だけではなく、無理して生きているすべての人は、

立ち止まって考えてみるといい。

一度、大きな病気をしてしまうと、

その先の人生がしんどくなる。

一つの疾病をかかえて生きるのは簡単なことではない。

自分を自衛する。

そのことを忘れてはいけない。

感情の信号は言葉に出る

 

(今日のコトバ)

 

人は言葉から壊れていく。

そして、人は言葉から整っていく。

 

 

 

 

怒り出すと、言葉から荒れる。

悲しみ出すと、言葉から崩れる。

人は、感情の信号を言葉であらわす生き物だ。

一番わかりやすいのは、怒り出すと、

その人の言葉遣いは別人のようになる。

汚くなくて、まともではないことが良くわかる。

絶対に平常心の時は遣わない言葉を、

感情と共に吐き出してしまう。

そこをコントロールできる人を、

理性のある人というのかもしれないが、

怒ると基本的に言葉は荒れる人が多い。

反対に、怒りがおさまると言葉は整い出す。

人は感情の生き物だから、

感情と共に言葉が変わっても仕方ないのかもしれない。

だが、言葉が感情と共にわかりやすく変わってしまうと、

まわりにいる相手に自分状況を簡単に把握されてしまう。

もちろん、自分の状況を把握してもらいたい時もある。

ただ、戦い場面で、簡単に感情を、

気持ちを、さとられしまっては、

勝負にならない時もある。

自分の感情を知るために、

感情を自分でコントロールできる時は、

その状況を意識して維持すればいい。

自分で感情の状況がわからなくなった時は、

発する言葉で感情の状況を知ればいいのだ。

荒れ始めたら、怒っている。

そこを意識するだけでも、

怒りをコントロールできる。

まずは言葉の乱れに気づくようにしよう。

 

嘘の仮面は剥がされる

 

(今日のコトバ)

 

嘘は瞬発力はあるが、持久力はない。

だんだん化けの皮が剝がれていく。

 

 

 

事実だけで世の中がまわっていくほど、

世の中は甘くない。

時に嘘の情報も、

清濁あわせ飲むように飲みこまなければならない時もある。

ただ、嘘の情報は、最初に速いスピードで伝わることもあるが、

時間とともに、事実に、

仮面を剝がされてしまう。

あたりまえだが、事実は強い。

人生の様々な場面で、事実を伝えてしまっては良くないと判断し、

嘘の情報を流すことはある。

人のためを思って、嘘をつくこともあるはずだ。

だが、この人のためを思った嘘も、

いずれ仮面は剥がれる。

剥がれた時、その嘘が本当に人のためになったかというと、

それほどでもない、もしくは、人のためにならずに、

不快な思いをさせる材料にしかならないこともある。

事実と嘘。難しい問題かもしれない。

その時と場合の問題もある。

その中で嘘の情報は、必ず仮面を剝がされることを、

忘れてはいけない。

最高に幸せな場所

(今日のコトバ)

 

いてもらいたいと言われたら、

どんなに幸せだろう。

 

 

「あなたが必要だ」といわれたら、

どんなに嬉しいだろう。

自分の力を信じてくれている。

自分の能力を高く買ってくれている。

それ以上に自分が信頼されているという気持ちは、

何にも代えがたい最上級の気持ちといっていい。

人生は、信頼関係を築きながら、

自分のフィールドを広げていく。

自分のやりたい方向、自分のやるべき方向を広げるには、

自分がどれだけできるかを証明し、

その結果、信頼を得て道にする。

時間がかかる場合もある。簡単に進まないこともある。

夢が大きければ、困難な状況を進まなければならない。

強い意志も必要になる。

ただ、一つの信頼を築き絆が生まれれば、

アメーバ式に自分の領域が広がることもある。

さらに、信頼の延長戦上で評価を受けると、

指名されることもある。

この指名ほど、人生で強いものはない。

指名されたということは、

自分の方法論を認めてもらったということだ。

自分のやり方で能力を発揮すればいい。

少なくとも、失敗しない限り、誰も文句はいえない。

自分の領域で自由に動ける。

これほど生きていて楽しいものはない。

だから、いま、自分を必要としてくれている環境があるなら

最大限に大切にしよう。

そこが自分のやりたいことができる環境になる。

自由なフィールドにできる。

自分の人生を最高に幸せにできる。

大切にしなければ、いけない環境なのだ。

 

同じ視線と生きる

(今日のコトバ)

 

上から目線でもなく、下から目線でもなく、

同じ目線の人間の言葉に耳を傾けろ。

 

 

 

人の視線は、いろいろな角度から感じる。

時に上から、時に下から感じることがある。

上からの視線には、優越感だったり、圧力だったり、

同じ高さの視線が足りない。

下からの視線には、劣等感だったり、顔色伺いだったり、

同じ高さの視線が足りない。

もちろん、社会の仕組みの中で、上下関係があり、

視線を使い分けなければならない時がある。

だが、上下の視線には、必ず利害関係が発生している。

正しい視線というよりは、

利益の視線、露骨にいえば、自分が得するための視線になっている。

この視線と付き合っていると、自分も利害を考えて生きるようになる。

人は、大なり小なり利害で生きているから仕方ないことでもある。

ただ、この利害ばかりで生きていると、

自分がみすぼらしくなる。ほんとうの自分が見えにくくなる。

その自分の状態を普通に戻すには、

同じ視線の人と時間を共有することが大切だ。

そこに利害関係がなく、なんでも打ち明けられる人と、

様々な話しをする。

内容なんてなくていい。バカ話でいい。

時間を忘れて腹から笑えればなおいい。

この高速社会で失われていく本当の自分を取り戻せる時間をつくる。

それには同じ視線を持っている人が必要なのだ。

いま、生きることが窮屈で、

どうも本当の自分を発揮できていないと思っていたら、

同じ視線で話せる人に会いに行こう。

そこに本当の自分を取り戻すきっかけがある。

自分らしく生きる時間が生まれるはずだ。

 

 

自分を信じるために自分のペースで生きる

 

(今日のコトバ)

 

他人を評価して自分を卑下するなんて、

自分自身への背信行為だ。

 

 

 

 

時々、自信を失ったと思う時がある。

「なんて自分はダメなんだろう」と。

さらには「どうしてアイツは優れているんだろう」と

思ってしまう時もある。

できないことを嘆いている時、

誰かと比較して嘆いていることが多いことに気づく。

「自分ができないことを、アイツは簡単にクリアしている」

才能がないのか。努力が足りないのか。集中力が足りないのか、、、、。

悩んでしまって、煮詰まってしまう。

ただ、本当は他人との比較などいらない。

アイツができようができまいが、

自分のペースで進めばいいのだが、

同じ目的をもっていたり、同じ空間にいたりすると、

どうしても比較してしまう。

人は総合評価だ。一つが優れていても、

別のことがマイナスな人間はいくらでもいる。

他人の優れていない部分を把握したら、

自分のペースを乱さずに生きれるはずだ。

また、悩むことも悪いことではない。

悩むことは、本気で取り組んでいるから、

思考があっちこっちにめぐっている進化の途中。

そう思えば、この先に解決法は必ずある。

何か一筋の光明を見つければ、

自信を復活させることもできるかもしれない。

だから、他人自分を比較して自分を卑下することはない。

自分のペースで、ゆっくりでいから進んでいく。

悩んでも、煮詰まっても、苦しんでもいい。

前進する。

大切になのは、前進することなのだ。

 

 

 

近くにいけば怖くない

(今日のコトバ)

 

見えないものを見たかったら、

もっと近づかなくてはならない。

 

 

 

 

遠くで見るのと、近くで見るのでは、

まったく人の様子はまったく変わる。

特に、人を遠目に見ると、

「大きい、凄い、天才的」と思った人が、

近くで見ると、

「意外に小さい、意外に普通、意外に怠け者」と思える人もいる。

極端な例だが、ここまでにないにしろ、

近くと遠くでは、見え方が変わる。

人は、人と競う時に、相手の大きさ、凄さに圧倒され、

自分を見失う時がある。

だが、しっかり相手を見れば、

近づけば、たいてい何パーセントかOFFになる。

相手の弱みがしっかり目視できるはずだ。

いま、人生で自分より強い、

自分より凄いと思っている相手がいる人は、

近づいていってみよう。

いろいろな粗が見えてくるはずだ。

粗が見えてくれば、自分との差がそれほどでもないことに気づく。

もちろん、近づいて、さらに、圧倒されることもある。

だが、それでもライバルのウィークポイントを知ることはできる。

そこが好機になる。そこが勝機になる。

人生は、様々な課題を乗り越えて成長していくもの。

その課題の解決法として、対人の恐怖から逃れるのは、

相手の近くにいく。

そして、しっかりと相手を見る。

それだけで、解決できることがたくさんある。

相手と戦う前に思い出すべきことだ。

悲しみを居着かせない

(今日のコトバ)

 

悲しみは、ほんとうは人間から

去っていきたがってるんだ。

 

 

 

なぜ悲しみがとどまってしまうのだろう。

できることなら、悲しい状況からはすぐにでも

サヨナラしたい。

いつも通りというか、楽しい状況の自分戻りたい。

ただ、気持ちの整理がつかないと、

いつまでも悲しみは心に居着いてしまう。

では、悲しみはそれほど粘着質なものだろうか。

滞留時間が長いものなのだろうか。

答えは、たぶんNOだ。

悲しみは自分が感じる基準であって、

あえて心に居続けようなどと思っていない。

だが、自分が自分のおかれている状況を嘆いて、

悲しい気持ち、悲しい時間を抱え込んでしまう。

抱えれば、あたりまえだが、悲しみも滞留してしまう。

だから、悲しみを意識から消すために、

悲しい状況から距離おく。忘れようと努力する。

距離をおいて忘れるには、忙しくする、新しいものに挑戦する、

違う話題のものに足を踏み入れる。

方法は、いろいろある。

自分が選択しやすいものを選べばいい。

人は、悲しみとなるべく距離をおきたいもの。

だとしたら、自分から能動的に距離をおくようにする。

悲しみは、いつまでも心に居着きたいと思っていない。

居着かせてるのは自分の選択。

そのことを忘れてはいけない。