成功は、努力賞

(今日のコトバ)

 

成功は、すべて努力賞である。

 

 

何をもって成功というか難しいけれど、

一つの結果を出したということが

成功というなら、

すべての人は、大なり小なり、

成功を経験してきたはずだ。

自分の人生における目標をたて、

切磋琢磨し達成を目指していく。

そこに困難な課題が立ちふさがり、

挫折する人、乗り越える人がいる。

挫折した人は失敗となり、

乗り越えた人は成功となる。

また、そこには、運の力があり、才能の力もある。

実力以上運が作用して目標を達成する人もいる。

才能があふれていて、

簡単に課題をクリアしてしまう人もある。

ただ、これだけはいえる。

努力をせずに成功することはない、と。

目標に向かって、達成するまでの間の登り道を

登り切らなかった人はいない、と。

当然、目標の大きさによっては、

容易に達成できることもあるだろう。

それでも、努力なくして達成はない。

最近、努力という言葉がはずかしくて

使わないという人が増えているが、

いちばん成功への道にフィットするのは、

努力だと思う。

だからこそ、この言葉、この意識、

この行動を忘れてはいけない。

人生は目標を達成して有意義になる。

そして、その陰には、努力という

人間の頑張りがあるのだ。

 

 

自分は負けていない

(今日のコトバ)

 

世の中、案外、たいしたことのないヤツばかりだ。

 

 

 

 

試験会場や入社式など、

その場にいると、まわりの人間が

賢く、優れて、大きく見える時がある。

とても能力ではかなわないと思う。

このレベルの人間と戦うのしんどそうだと思う。

だが、実際のその人間たちと

コミュニケーションをとるようになると、

案外、たいしたことのない人間が多いことに気づく。

みな緊張して硬い表情をして、あるいは怖い顔をして

威嚇しているから、少しできる人間には見える。

ただ、時間がたつにつれて、いつも通りの人間に戻ると、

なまけ者もいれば、才能を感じられない者もいれば、

やる気がない者もいる。

自分も負けてないと思える瞬間がある。

人に得手不得手があって、

上手に能力を上手に発揮できる分野と

そうでない分野がある。

あるとしたらその差ぐらいだ。

ほんとうの勝負は、

どれぐらいやる気を出して、

どれぐらい頑張れるか、

どれぐらい努力できるかにかかっている。

すべては競い出してからが真価を問われるのだ。

そう考えると、

ファーストインプレッションのできそうな人間は、

それほど心配することはない。

実力以上に優れて見えているだけ。

力さえしっかりつけていけば、

怖れることは何もない。

あせらず、あわてず、まっすぐに、

自分の道を進めばいいのだ。

 

熱量を上げて生きる

(今日のコトバ)

世論に負けない自論を持て。

 

 

とかく流行りに流される。

体制の意見に歩調合せ、

波風立てることを極力嫌う。

ネットの世界以外では、

争い事が少なくなった世の中だ。

マニュアル通りに生き、

コンプライアンスに縛られ、

自分の生き方も、

他の誰かと似ていく。

それでいいと思っている人もいる。

何も罪をおかしているわけではないので、

悪い事と決めつける必要もない。

だが、ちょっとだけ立ち止まって考えてみると、

少々、つまらない世の中になってはいないかと思う。

もっと、主義、主張を強く押し出して、

波紋が起こして争う。

戦争を起こそうというのではない。

ものづくりや仕事の現場で、

自分の思いを込めて行動する。

「憎まれっ子、世にはばかる」でもいい。

何か自分というものを、

どこかに刻む生き方をする。

空気を読みすぎる。

顔色を見すぎる。

結果、自分の色を消してしまう。

そんな人生の時間を過ごしていては、

疲れるし、つまらないと思うのだ。

時代は変わっている。

昔がいい事ばかりではないのはわかっている。

ただ、昔は、もう少し人生を熱くする

争い事があった、また、人も熱かった。

その情熱、その熱量が、

人生そのものを熱くし、おもしろくしたと思う。

だから、もし、

自分のない、無記名な生き方をしているなら、

自分から仕掛けて、

人生の熱量を上げてみる。

それには、まず、自論を懐にいれて、

生きる場所へ参じる。

そこがスタートになるはずだ。

 

 

 

人生、すべて途中経過

(今日のコトバ)

 

戦いは、一瞬じゃない。

一生だ。

 

 

 

 

人生には、勝ち負けがつきものだ。

勝ちがあったり、負けがあったり、

その瞬間、一喜一憂している。

だが、長い人生を続けていると、

この勝ち負けは、人生の無数にあるうちの

一つの出来事であることに気づく。

ここで勝ったから、一生の勝者ではない。

ここで負けたから、一生の敗者ではない。

時に感動を爆発させる、

時に屈辱的な気持ちを抑える、

そんなことを繰り返しながら、

人生という大河ドラマが勝ち負けをのみこんでいく。

そう考えると、人生は終止符を打つまで途中経過。

一喜一憂するなとはいわないが、

ここでの勝ち、ここでの負けは、

取り返すことも、忘れることもできるチャンスがある。

特に、いま、負けたことで傷ついている人は、

必ず過去の出来事にできることを想像しよう。

そして、なるべく早く復活することを考えよう。

人生は、喜怒哀楽を含んだ出来事を

たくさん用意しているのだから。

 

怪物ではない、人間である

(今日のコトバ)

 

怪物は、間近で見たらオモチャでした。

 

 

遠くにいるから、大物に見える。

近くにいると、それほどでもない人物がいる。

個人的な経験でいえば、

大先生と呼ばれたり、大物と呼ばれたりする人も、

近くで仕事をすると、

ほぼ遠くにいた時よりは、

普通の人に見える。

声が大きかったりして威圧はうまいが、

それほど能力は高くない。

一芸に秀でていると思ったが、

まわりの人間が上手に支えている。

狂人のようにふるまっているが、

実は裏の顔をただの寂しがり屋でしかない等々。

生きていると、

天才、スーパーマンのような人が

あらわれることもある。

だが、懐に入ってしまえば、

ただの一人の人間でしかない。

少し変わっていたり、少し強そうだったりするが、

想定を大きく超えてくることはない。

もちろん、プロアスリートやエリートと呼ばれる人で

怪物と思える人もいるだろう。

ただ、そんな人も近くにいれば、

一人の人間でしかない。

怪物ではない、人間なのだ。

そう思うと、

距離をとって怖れる人がいるなら、

思い切って懐に飛び込んでしまえば、

その怖さから逃れるかもしれない。

高圧的というか、パワハラ的というか、

頭からつぶそうとする人がいるかもしれない。

それでも、その人も一人の人間。

人間である以上、たいしたことない部分はある。

そこを見つけて付き合えば何とかなる。

人間と思えば何とかなる。

怪物と対峙するのではない。

人間と対峙すると思えばいいのだ。

 

 

 

「好き」を大切にする人生

(今日のコトバ)

 

好きの背中を永遠に追いかけろ。

 

 

人は、あきてしまう生きものだ。

好きなものでも、愛しているものでも、

どこかで、あきてしまう。

そこから、進歩もなく、成長もなく、

せっかく自分が好きで能力を発揮できるものを

ひとつの自分の流行で終わらせてしまう。

だが、好きではじめたものは、

少なくても、やる気はあるし、才能も向いている。

本格的に優れているかはわからないが、

自分の得意種目になる可能性はある。

自分の武器になる可能性も大いにある。

「好き」、という気持ち。

最初は簡単な気持ちからかもしれない。

なんとなくかもしれない。

だからこそ、大事にすべき「好き」という気持ち。

生きている中で、

気持ちの最先端で好きになってしまったもの。

それは、人生にとってものすごく大きな要因があるはず。

その要因は短期間ではわからないかもしれない。

あるいは、短期間ではうまくいかないかもしれない。

だが、大切なのは、「好き」になった気持ちがあるのだ。

そのことを忘れてはいけない。

昔から、好きこそものの上手なれという言葉がある。

「好き」は、成長させることができれば、

自分を幸せにする有効な武器になる。

「好き」と出会った人生を、

大切にして生きるのだ。

喜びを共有する選択

 

(今日のコトバ)

 

誰かの求めている誰かになることも、

幸せのひとつだ。

 

 

 

自分の生き方がある。自分の道がある。

そして、その先に自分の夢がある。

自分を中心に、自分のために生きる。

人生のほとんどの部分がそうなっている。

そうでない人もいると思うが、

そう思って生きている人は多いはずだ。

ただ、自分ばかりですべてを埋め尽くしても、

可能性が広がらない場合がある。

あるいは幸せが何かわからない場合もある。

自分だけで完結するものでは限界がある。

そう思うと、自分ではない誰かのために生きてみることも、

一つの選択肢になる。

誰かが困っていることに対して、

自分の力を存分に発揮して助けてみる。

誰かという相手は、感謝してくれる、

喜んでくれる、笑顔になる。

その気持ちが自分も共有できる。

自分が自分のために頑張って生きることとは、

また別の感動がある。

さらにいえば、一人で喜ぶのではない、

誰かと一緒に喜べることは、

倍以上の喜びになる可能性がある。

もちろん、何も関係ない誰かを助けるのではなく、

同じ方向を向いている人や同じ目標を持っている人を

自分の力で助けてみる。

そこに発生する喜びは格別のものがあるはずだ。

人の幸せは、ほぼ人との関係のなかで生まれる。

だとすれば、誰かを助けて、

誰かが喜び、自分も喜べる。

人生には、そんな選択もあっていいはずだ。

 

 

 

心の筋力をつける

 

(今日のコトバ)

 

背負ったものの重さで、心の筋力がついていく。

 

 

 

生きていれば、いろいろなものを背負っていく。

年を重ねるごとに、

社会でのポジションが上がるごとに、

背負うものがある。

目に見えて背負うものもあるが、

大きいのは目に見えないものを背負うこと。

特に、肩書きという呼び名が

変わることによって、背負うものは大きい。

重くなるといってもいい。

その肩書きが、何人も、何十人も、何百人も、

束ねることになる。

簡単に背負うというが、一人の人生でも大変なのに、

何十人、何百人もの人生を背負うのは、

至難の業。

経営者、管理職といわれている人は、

いやがおうでも至難の業を要求される。

それと同時に、

背負うということは人間をタフにする。

いろいろな人の人生を背負うことで、

心の筋肉もつく。

ついた心の筋肉は、生きていく難所で、

大きな力を発揮する。

問題、課題への解決力がつき、

生き抜く策を自ら考えられるようになる。

行動力、発想力、そしてコミュニケーション力も、

知らず知らずについていく。

生きるために、プラスのことが多い。

ただ、あまりにも背負い過ぎると、

心も体も壊れてしまう。

背負うために背中があるように、

心も背負える大きさがある。

そこを忘れてはいけない。

大きいものを背負うなら、

自分の筋力を考えて、

できる限りの大きさを背負う。

さらに大きいものを背負うには、

筋力をつけてからでいい。

自分の背負う力を知りながら生きることが大切だ。

最高の状態まで磨くこと

(今日のコトバ)

 

出会う前に、武器を持て。

 

 

 

準備が大切だ。

その時、

準備不足でチャンスを捉えられなかったら、

まったく意味がない。

その目的にもよるが、

大きければ大きいほど、

準備ができていなければ、

絶対にチャンスは捉えられない。

まぐれもありえないはずだ。

だとしたら、目的という標的をしっかり定めて、

捉える準備をする。

たっぷり時間をかけていい。

自分に捉える能力がなければ、

チャンスはただ通り過ぎるだけ。

準備とは、ものを用意するだけでなく、

持っいてるものを最高の状態にするまで

磨くこと。

磨ききって、自分の武器といえるまでになって、

はじめて準備完了となる。

いま、もし、準備不足だと思うものがあるなら、

まず、目的をはっきりさせて、

それに向けて自分のスキルを磨く。

そのスキルが武器といえるまで磨き続ける。

そして、武器となったら、

チャンスを捉えにいく。

タイミングはあるが、

それからでも決して遅くない。

チャンスは捉えられなければ意味はないのだ。

 

獲り返すという目標

 

(今日のコトバ)

 

忘れものを獲り戻すには、忘れた場所に帰るしかない。

 

 

 

 

「オリンピックの借りは、オリンピックでしか返せない」

オリンピック選手がメダルを逃し、

次のオリンピックへのモチベーションを聞かれた時、

答える言葉がある。

他の大会でいくら金メダルを獲っても気持ちは収まらない。。

オリンピックという同じ大会で頂点に立たなくては、

満足することはできない。

この気持ちは、どんな分野でも同じことがいえる。

何かを獲り返そうと思ったら、

同じ場所で、同じ規模で、

同じ気持ちになれるものだけが、

自分のモチベーションを高めることができる。

目標が明確であればあるほど、

その気持ちは強くなっていく。

特に、リベンジのような状況になれば、

なおのこと、同じ場所で戦いたいと思うはずだ。

いま、自分の人生で目標となるものがないと思っている人は、

何か獲り返したいものはないか考えてみるといい。

どうしても獲り返したいものは、ほんとうにないか。

自分の気持ちが収まらないものはないか。

人生、生きていれば、獲り返したいものの一つや二つあるはずだ。

その獲り返したいものを、自分の目標に設定してみる。

リベンジというのではなく、あくまでも、目標として定めてみる。

自分にとっていい目標になるかもしない、そう思うのだ。