好きなものこそリスペクト

(今日のコトバ)

 

好きなものを嫌いにならない幸せを、

大切にして生きていこう。

 

 

 

好きなものを突きつめるがあまり、

だんだんあきてしまって嫌いになってしまう。

あるいは、好きだったのだが、

何かボタンの掛け違いのようなことが起こって

嫌いになってしまう。

かわいさ余って憎さ100倍ではないが、

好きから嫌いを超えて、憎しみに及ぶこともある。

ただ、この嫌いなってしまう気持ちは、正直、もったいない。

好きだったのだから、少なくても自分と波長があったり、

自分の志向にあってる部分があるはずだ。

それらを嫌いになってしまうと、見向きもしなくなる。

避けて生きてしまう。

人生にとっては不愉快な気持ち、不愉快な時間が生まれてしまう。

そう考えると、好きなもの、好きだったものを、

嫌いにならないで生きることが必要だ。

それには、まず、距離が大切になる。

好きだからといって、いつも好きなのものの至近距離にいると、

あきてくることもある。

おいしくても同じものを毎日食べたら、

おいしいとは思わなくなる。

また、好きだからこそ、好きなものに気を遣ってあげる。

好きになると依存がはじまり、

過剰なサービスを要求することがある。

過剰なサービスこそ、好きなものにとっては、

いい迷惑なのだ。

いま、好きなものといい関係にある人は、

好きなものを大切にすることを忘れてはいけない。

忘れたところから嫌いがはじまる。

好きなものこそリスペクトが大切なのだ。

 

弱者のファイティングポーズ

 

(今日のコトバ)

そんなに怖い顔して、弱さを見せるなよ。

 

 

 

強さを誇るために、顔をつくる人がいる。

怖い顔をつくって、相手を威嚇する。

「オレ、あんたより強いんだ」とうそぶくように。

当然、相手は嫌な顔をしたり、

時には怖れることもある。

ただ、このパターンの人を威嚇するために顔をつくる人は、

冷静になって考えてみると、あまり強くない。

あくまでも威嚇だけ、威嚇射撃だけの顔づくり。

それで相手がひるんでくれれば儲けもの。

手っ取り早く怖い顔をつくって強さを誇ろうとしている。

だが、つくった怖い顔を脱ぐと、

とても弱い気持ちが隠れていることが多い。

怖い顔をつくって、なんとか弱い自分を隠しいる。

弱者のファイティングポーズのような気もする。

人生は、勝ち抜き戦の要素がある。

とりあえず目の前の相手を簡単に倒したい。

そう考えると、怖い顔にすがってしまうのだ。

誰もが人に勝ちたい時がある。

誰もが人を押しのけたい時がある。

その時、簡単に怖い顔をつくって相手を威嚇するのは、

勝つ自信がない弱い自分がいるからかもしれない。

本当に強ければ顔などつくらずに自然体でいい。

時々、やたらと怖い顔をつくる人をみると、

弱さを露呈しているようにみえる。

そんな気がするのだ。

 

 

 

光ある場所へ行く

(今日のコトバ)

 

光がある。その場所まで行ってみようと思う。

 

 

目標になるものは輝きがある。

思いをこめて見つめる分、

光を感じる。

光ある場所を見つけると、

目指しやすくなる。

どこから見ても燦然と輝いている。

近づいているか、

近づけてないかもわかる。

人は光ある場所に引きつけられる。

その光は、人によって違う。

ただ、自分の人生の延長線上に必ず輝いている。

それを見つけて、そこに向けて走り出すか、

止まったままでいるか。

人生の差はそこにある。

人生で何度か現れる光ある場所。

その光ある場所へ行ってみる。

その繰り返しが人生の差、

自分の成長につながっていくのだ。

問題を大問題にしない

(今日のコトバ)

 

昨日の荷物を最小限にして、今日を生きる。

 

問題を先送りすると、

あまりいいことはない。

その問題が解決しないうちに

次の問題が発生し、

解決しなければならない問題が、

二倍三倍と増えていってしまう。

二倍三倍となると、

一人の手では収まらなくなり、

問題が爆発しはじめる。

そうなるともう解決というよりは、

鎮まるのを待つより仕方ない状況になる。

ただ、問題には解決する方法がある。

一番は、問題が顕在化した瞬間に手を打つこと。

あらゆる解決法を考えて迅速に動く。

どんな問題もはじめのうちは小さい場合が多い。

小さいうちなら鎮火もしやすい。

はじめに、それこそ問題意識なく問題を解決しないと、

過ごしてしまうと大問題になる。

大問題になってからでは、

簡単に鎮静化することはまず不可能。

だからこそ、常に頭の片隅に問題が起こった時は

迅速に動くことをインプットしておこう。

そうすることによって、

問題は大問題にならずにすむ。

問題意識を持って動くことが、

人生に大問題を起こさないための方法なのだ。

奇跡は努力の延長線上に

(今日のコトバ)

 

努力は、奇跡と出会うための準備である。

 

 

人生において、

奇跡はそうそう起こるものではない。

簡単に起きたら奇跡ではないし、

価値もなくなってしまう。

ただ、奇跡の基準は人によって違う。

例えば、イチロー選手の様々な記録は、

すべて奇跡だが、

本人からすれば

すべて奇跡と思っているかわからない。

普通に考えれば、

甲子園に出場できただけでも奇跡だし、

ホームランを一度打ったことがあることも

奇跡になるかもしれない。

奇跡は、本人がどう思うかで決まる。

もう一ついえることは、

奇跡は努力の延長線上にあるということ。

努力を継続している人は、

奇跡を体験する回数が多い気がする。

何もしていなければ、

何もない、否、良くない方向へ落ちていく。

奇跡を体験するのは、簡単なことではない。

わかっている。

だからこそ、奇跡を夢見るなら

奇跡の基準を自分で明確にもって、

努力を続けなければならないと思う。

勝っても、負けても、反省がある

(今日のコトバ)

 

聞く耳は、勝利の時に、耳をふさぐ。

 

 

小池・都民ファーストの会が圧勝だった。

小池以前の都政批判で、ただでさえも

有利に働くと思われた選挙。

その上に、自民党の自爆ともいうべき失態の数々。

都民の想像以上に小池圧勝、自民歴史的敗北となった。

その記者会見を見て思っことがある。

負けたものは、反省を始めると。

自民党のある幹部が「この結果を厳粛に受け止め、

しっかり分析して、自民党を立て直したい」と発言した。

そうとしか発言できないのかもしれないが、

その言葉にそれほど嘘はなく、

これからいろいろな分析・反省をはじめるだろう。

きっと、何年後に行われる次回選挙で、

反省を生かし、都議会議員の人数を増やしてくるはずだ。

かたや、圧勝の小泉・都民ファーストの会は、

選挙に勝ったものの、小泉百合子以外、

まともな公約すらできない素人も多々見受けられた。

人は成長する生きものだから、

これから勉強して、いい政治家になるかもしれない。

だが、これからでいいのかという疑問があるのと、

それ以上に思うのが、勝ったままで政治家の使命を

終わってしまうのではないかということ。

自民の若手議員のように、

スキャンダルまみれの人物が、

これでもかこれでもかと出てくる。

普通、議員になったのだから政治に邁進し、

日本を良くしようという気持ちで

あふれていてあたりまえだと思うのだが、

当選を果たしたところが頂点で胡坐をかきはじめる。

胡坐どころか堕落もはじまる。

少し長めに政治を引き合いに出したが、

人の気持ちも似たところがある。

勝ってしまうと、勝ってしまったのだから、

反省などしない。

しかも、いろいろな声にも、口あたりのいい声しか

耳に入れず、厳しいことをいう人の声を排除することもある。

気持ちはわかるが、

その勝ったことによるおごりが、

自分に起こることを忘れてはいけない。

おごってしまうと、取り返しのつかないミスをする。

勝っても反省もあれば、精進するべきこともあるはずだ。

そのことを肝に銘じなければならない。

そして、昨日、将棋界で連勝記録が途絶えた藤井君こそ、

プレッシャーから解放されて、

さらに反省の気持ちを持つだろう。

この敗北は、きっと、彼をもっと巨大な怪物にするだろう。

大切なのは、勝っても、負けても、

反省の気持ちをもって全身すること。

そこに人としての進化の秘訣があるのだ。

得手を知れ

(今日のコトバ)

 

みんなどこか欠けて生きてるんだ。

心配するな、胸をはって生きろ。

 

 

完璧な人間なんていない。

どれだけ優れている人間でも、

どこかに平均にも満たない能力しか有しないところがある。

ただ、あまりにも一芸に優れていたり、

人間から注目を集める人気者だったり、

仕事の場面でキレ者だったりする人と

対峙すると、完璧な人間がいるのかもしれないと

錯覚してしまう。

自分と比較して、自分がとてもダメな人間に思えてしまう。

そう思う時は、

あえて自分が得意なものを思い出す。

その能力が思いっきり発揮できる場所へいく。

なくてもいいから、どこかで発揮する。

あるいは、完璧と思われる人間の

完璧でない能力を知る。

知っているだけでも安心できることもある。

人間は、不完全に出来ている。

だからこそ、自分の能力が足りなくて落ち込むことはない。

否、落ち込んでも立ち直ればいい。

自分の得手で勝負する。

相手の不得手を知る。

さらには、努力で不得手を得手にすることもできる。

人間は、可能性は無限にあるのだ。

いまの使い方

(今日のコトバ)

 

いま、この場所が、いちばん未来に近い。

 

 

どこまで生きても、

未来は目の前にある。

期待する未来。不安な未来。

楽しい未来。辛い未来。

想像がつかない未来。

予定されている未来等、、、、、。

そのどの未来へもいちばん近いのが、

いま、なのだ。

だとすれば、いまをどう生きるかで、

想定される未来を変えられる。

少しだけかもしれないし、

大きく変えることもできるかもしれない。

もちろん、それまで積み重ねた過去も大切だ。

ただ、過去に関しては、

もう動かしようがない。

劇的に変えることは不可能だ。

だからこそ、

いまできることを追求する。

いまをジタバタする。

いまを集中する。

いま、という時間に全力を尽くす。

そして、未来を出来る限り、

自分の理想に近づける。

その決め手は、

いまの使い方にかかっている。

いまがいちばん大切なのだ。

幸せを分けて育成する

(今日のコトバ)

 

幸せは根づかせればいい。

咲かせるよりも、いつも足元にあることが大切だ。

 

 

いいことがあると、

とても感動する。

その時間が素晴らしいものになり、

幸せな気分になる。

この幸せな気分、

ほっておくと、すぐにどこかへいってしまう。

できれば、長いこと自分のまわりに

生息してくれた方がいい。

ただ、幸せがその場にずっといるのは難しい。

自分なりに、幸せがとどまってくれる状況を

つくらなくてはならない。

では、どうするか。

それは、幸せを分けること。

幸せをまわりの人へ、分けてみる。

個々に分けられた幸せは、

その分けられた先で育つことある。

分けられた個々の幸せを、

みんなで楽しむことができることもできる。

つまり、自分と自分のまわりの人で、

幸せを育てる。

その気持ちを忘れずにいれば、

幸せは長く生き続ける。

幸せを自分のまわりで育成するのだ。

出来るまで

(今日のコトバ)

 

泣きながら力をつけて、

笑いながら力を発揮しよう。

 

 

 

 

何事も出来るようになるまで、

ある程度の訓練が必要だ。

習得するまで困難なもの、

簡単に理解できるもの等、

ものによって差はある。

ただ、習得したら武器になるものほど、

出来るまで時間がかかる。

苦しんだり、辛かったり、

厳しい状況を乗り越えなければならないこともある。

そして、その状況を乗り越えて、

習得したものが武器になった時、

人生は有意義なものになる。

泣いて得た技を、笑って使いこなす。

そんな時がやってくるはずだ。

だから、いま、

習得することで苦しんでいる人は、

習得できるまでがんばってみることが大切だ。

人生の武器が習得できるか否か。

そこが人生の分岐点になる。

そう思うと、

もうひと踏ん張り

がんばってみる価値はあるはずだ。

 

 

 

 

 

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