目標は前進する者に手を差し伸べる

(今日のコトバ)

 

 

宛先のある目標を持て。

 

 

 

ただ漠然と、という。

生きていると、何も目標もなく、

時間が過ぎていくことがある。

これが意味が無いかというと、

人間が自分のペースで生きるために、

必要な時間だったりもする。

休むという言葉が悪ではないように、

貴重な時間だったりする。

だが、何かの目標があって、

それに向かって生きていくなら、

ただ漠然と生きるのは、

無駄なことになる。

目標に向かってどうするのか。

イメージする。

スケジュールを考える。

着実に実行してながら進んでいく。

目標というゴールまで、

やるべきことをはっきりさせる。

難しく考えることはない。

愚直に前へ進めばいい。

目標とは、どこまで行くんだという

宛先を決めて、そこに届くまで頑張ること。

正しく歩いていけばいい。

目標は前進する者に手を差し伸べてくれるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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発想はちょっと違うもの

(今日のコトバ)

 

 

全然違うのが怖いから、

ちょっと違うのが好きなんだ、人間は。

 

 

 

少しだけ先いっている。

少しだけ変わっている。

少しだけ異なっている。

この少しだけが、人のセンスだったり、

カッコよさだったりする。

流行りになる前のムーブメントは、

たいがい少しだけが基本になっている。

もっというと、まったく新しい概念、

まったく奇想天外な方向を、受け入れることは難しい。

人も自分の判断が下せる領域には、

足を踏み込めるのだが、

未開の地となると二の足を踏む。

また、新しい発想は記憶から生まれるということもある。

記憶ということは、昔、体験したことであるということ。

だとすると、想像を絶するものであるはずもない。

人は、ちょっと違うものを求めている。

そう考えると、発想する時のヒントになる。

これから新しいものをつくるにも、

自分の記憶が武器になる。

そこをどう切り取るか。

そこをどう膨らますか。

そこからだったら自分も新しい発想ができる。

人の特性を知れば、

発想することはたやすい。

自分の生き方に、もっと発想があってもいいのだ。

 

 

 

 

 

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自信は一つではない

(今日のコトバ)

 

逃げも隠れもしない自信を心の定位置に立たせろ。

 

 

 

自信が失うという。

その自信とは何なのだろう。

人が持つ自信とは一つなのだろうか。

もしかすると、何か一つの分野で自信を持つと、

すべての自信家になってしまっていないか。

漠然と自信というけれど、

何かの分野だけで自信を持てるのであって、

すべて分野で自信など持てるはずがない。

勘違いしやすいのは、

一つの分野で上手くいくと、

完璧な自信家になってしまうこと。

反対にいえば、一つの自信が崩れたからといって、

すべての自信を失うことはないということでもある。

何か他の分野でも自信があれば、

それを自分の中心に考えればいい。

自信を失った気持ちでオロオロしていると、

人生そのものが悪い方向に向かってしまう。

だから、忘れはいけない。

自信は一つではないと。

いろいろな自信が自分にはある。

そして、一つの自信を失ったら、

違う自信を探す。

そして、その自信を自分の中心におく。

心の定位置に自信をおく。

それだけで、焦らずに、

堂々と生きていける。

自信は一つではないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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踏み台は敵になる

(今日のコトバ)

 

とんがりすぎると寂しくなるよ。

みんな痛がって近寄らなくなるんだ。

 

 

 

 

振り返ってみると、

時にナイフのようにとがっていた時期があった。

人を踏み台にしても前へ進みたい。

人の気持ちなど考えてはいられない。

とにかく、自分が前進することが行動のすべてになる。

特に、若い頃は猛犬注意のような季節もある。

ただ、とがりすぎると、当然だがまわりの人は避けていく。

いちいち刺されるぐらいなら、

近づかないで生きていこう。

あるいは、自分の人生に踏み込んでくる人間とは、

かかわりたくない。

たいがいの人はそう思う。

だが、ナイフのように、猛犬のようになっている時には、

相手の気持ちがわからなかったりするものだ。

前へ、人より前へ、進みたいと思いのはいい。

その時、人を踏みつけてないかどうか。

踏みつけずにも、前へは進める。

あえて、人を的にして、自分の位置を高めようとすることはしない。

もし、人を踏み台にして前へ出たら、

踏みつけられた人にリベンジされる。

前へ出るために敵をつくることになるのだ。

そのことを忘れてはいけない。

前へ進むために、

人では自分がしっかり生きることが大切だ。

 

 

 

 

 

 

 

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心ない言葉に、心を使わない

(今日のコトバ)

 

心ない言葉で心を傷つけるなんて、もったいない。

だって、心がないんだから。

 

 

 

 

相手はなんとも思っていない。

なんとも思っていないかは疑問だが、

少なくとも悪い事をいったと思っていない。

だが、自分としてはとても傷つく。

眠れなくなるほど傷つく。

言葉のやりとりの中で、

そういう場面に遭遇することがある。

コミュニケーションの問題なのかもしれない。

あるいは、自分が気にしていることを

鋭く突かれたのかもしれない。

ただ、いえることがある。

相手は傷ついていないのだ。

こちらの気持ちを知らなければ、

永遠に言葉が人を傷つけていることを知らないままでいる。

だとしたら、

自分だけ傷ついているのは損だ。

気持ちも、時間も、苦しむだけ損だ。

一方的にいわれて、一方的に傷ついている。

これほどバカバカしいことはない。

言葉なのだ。されど、言葉かもしれないが、

たかが言葉なのだ。

心ない言葉が刺してきたら、

心で対応する必要ない。

流してしまっていい。

避けてしまっていい。

知らん顔してしまっていい。

自分の心を痛めないために、

その言葉を流す。

心ない言葉には、

自分も心を使わないのだ。

 

 

 

 

 

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能力から導かれる付加価値

(今日のコトバ)

 

偏差値で負けたら、付加価値で勝て。

 

 

 

 

学歴がすべてではないけれど、

人生のポイントで学歴が大きくものをいう時がある。

「実力はともかく、

学歴は素晴らしい。

だから、パスポートをあけげよう」という状況は、

生きていれば何度か経験しているはずだ。

ただ、この学歴が人間の能力を決められないことも、

生きていれば知っている。

では、学歴に勝るものは何か。

それは実力に基づいた付加価値ではないだろうか。

「何ができる?」と問われた時、

「○○ができます」と答えられるもの。

「何が秀でているの?」と問われた時、

「○○には自信があります」と答えられるもの。

その答えれるものは、付加価値になる。

もちろん、コネや人脈も大切だ。

ただ、コネや人脈、学歴も含めて、

状況によっては何も通用しなくなるものに比べて、

自分の能力に帰属する付加価値は、

どこでも使うことができる。

人生、生きていくためにはいろいろな要素が必要だ。

その時、いちばん持っていて武器になるものは、

能力から導かれる付加価値。

そこがいちばんの強みになる。

自分の優れた力を武器にするのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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気分は光の力から

(今日のコトバ)

 

お天気は、元気を本気にする。

 

 

 

朝、太陽が燦々と輝いていて、

いい光が射していると、それだけで気分がいい。

反対に、今日の東京のように、

朝から雨が降っていたりすると、

会社へ行く気分もそがれる。

天気が人間に何等かの力を与えているのは、

間違いなさそうだ。

日照時間は自然のものなので、

生きる環境によって違ってくる。

ただ、天気が、

人間に力を与えるのがわかっているなら、

その力を受け入れる。

あまり晴れない地域でも、

できるだけ晴れている時間に外にでる。

体を太陽の光にあてる。

それだけで生きる気分が良くなる。

人間は生き物だ。

自然の、天気の力を、

充分に使うのだ。

 

 

 

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「つまらない」を廃止

(今日のコトバ)

 

つまらない廃止運動を、永遠に。

 

 

 

「つまらない」といってしまうだけで、

ほんとうにつまらなくなる。

「つまらない」と思っていても、

口にしないでいれば、

だんだんつまらなさを忘れてしまうが、

一度、口にすると自分がつまらなくなるのはもとより、

まわりの人間もつまらなくしてしまう。

生きる環境がつまらなくなるので、

停滞した気持ちが蔓延してしまう。

だから、どんな状況でも「つまらない」とはいわない。

いわずに何かの行動を起こす。

楽しいことを見つける。

意識するして、「つまらない」を人生から廃止する。

まずは、「つまらない」といわないところからはじめる。

おうおうにして、意識を言葉にすると、

本格的にその方向へ向かうことがある。

その言葉の筆頭が「つまらない」という言葉でもある。

「つまらない」を廃止して、

楽しい人生をおくろう。

 

 

 

 

 

 

 

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楽しいに人が集まる

(今日のコトバ)

 

うれしいことをたくさん積み上げている人に、

人は集まっていく。

 

 

 

ゴキゲンな人のまわりには、

人が集まる。

よく笑ってくれる人のまわりにも、

人は集まる。

ましてや、いつも楽しいことを話す人には、

人の輪ができる。

人は、楽しいこと、

うれしいことを求めて生きている。

その発信源が身近にいれば、

自然に足が向いていく。

反対に、いつもネガティブな話をする人や

否定的なことばかりを話す人には、

できるだけ近づきたくない。

不愉快になるからだ。

人が避けて通れば、その人は孤立する。

孤立をよしとする人もいるから、

悪いわけではないが、

つまらない人生にはなると思う。

性格に起因することもあるし、

選択の問題でもある。

ただ、人がいつも集まってくる人生を選ぶなら、

楽しい話題がいつもある状況をつくるべきだ。

人は楽しいことが好き。

楽しいことを求めて集まってくる。

人生の時間を楽しいことで占めたがっているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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努力と誠意で解決策を

(今日のコトバ)

 

自作自演(仮)みたいな人生は悲しい。

 

 

 

何かを成立させるために、

努力や誠意ではなく、

嘘や虚飾に力を入れる人がいる。

努力のように、

時間がかかって、面倒くさくて、

タフな作業だと思うと途端に、

どう手を抜くかばかり考える。

作業を単純化するアイデアは考えるべきだが、

そこから嘘で単純化したように見せてしまう。

自作自演でまわりの人を騙すこともする。

その場しのぎで、

いったんは逃げきれるのだが、

成立させようとしたものは、

結果が出ない。

結果が出ないという状況になって、

嘘や虚飾がバレてしまう。

いいかげんに費やした時間、

いいかげん行った作業がムダになる。

結局、信頼を失うことになる。

時に嘘も必要だ。

必要な嘘もある。

だが、ものごとを成立させるために、

作業をしなければならない時に、

嘘や虚飾で塗り固めると、

最後に落とし穴に落ちる。

すべては自分の責任。

出来ないことは出来ないことをオープンにして、

まわりの人も含めて解決策を考える。

いけないのは、嘘で作業を偽ること。

なにもかもが完璧に出来ることなどない。

嘘をついて出来るふりをするより、

出来ないことをはっきりさせて、

解決策を考える。

物事を成立させるためには大切なことだ。

 

 

 

 

 

 

 

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