足りないものを埋めて生きる

 

(今日のコトバ)

 

「何か足りないもの」を

探して生きるからこそ、

人は幸せになれるのだ。

 

 

夢、希望、恋愛、

欲望、願望でもいい。

人は足りないものを

埋めるために、

生きているといってもいい。

一つが埋まれば、

また、一つ新しいものを探し

埋めようとする。

その行為を成長とか進化と呼ぶ。

「何か足りないもの」

誰にでもあるもの。

そして、それが成長や進化の

礎になるなら、

探しながら生きるのも

素晴らしいことだ。

いま、自分に生きる目標が

見つからなかったら、

何か足りないものを探そう。

きっと、ある。

否、絶対ある。

足りないものを見つけたら、

足りないものを

埋めるために生きていく。

そけだけで、

人生が素晴らしいものになる。

日々生きていく気持ちが

もっと高揚していくはずだ。

行動は信頼になる

 

(今日のコトバ)

 

行動は言葉より愛される。

そして、

人として愛される礎になる。

 

 

「言葉では何とでもいえる」

本当にそうだ。

できること、

できないこと、

言葉では何とでもいえる。

だが、行動となると

そうはいかない。

できることはできるが、

できないことはできない。

明解に結果が出てしまう。

考えてみれば、

行動する人は、

ほとんど嘘はない。

行動は信じられる。

自分のまわりを見ても、

すぐ行動に移してくれる人は

信頼している。

反対に、

言葉だけの人とは、

だんだん距離を置く。

だからこそ、

行動してくれる人は

愛してしまう。

もし、いま、人に信じられたいと

思うなら、

まず行動しよう。

人から信頼をされるために

一番大切なことだ。

助けることの幸せな達成感

 

(今日のコトバ)

 

手を差しのべてくれる人が

いることは幸せなことだけど、

手を差しのべる人がいることは、

もっと幸せなことだ。

 

 

辛い状況に陥って、

誰かに助けてもらいたい。

そんな時、

あたたかい手を

差しのべてくれる人がいたら、

どんなに安心して

生きていけるだろう。

困った時に助けてくれる

あの人は、

かけがえのない人だ。

だが、自分が誰かから

助けを求められたらどうだろう。

ちゃんと手を貸せるだろうか。

もし、できないとしたら

少し落ち込む。

自分の力のなさに悲しくなる。

ただ、自分も誰かに手を差しのべて

助けることができるとしたら、

それはとても幸せなこと。

幸せな上に達成感、充実感もある。

もっというと、

助けてもらうより、

気持ちが

あたたまることかもしれない。

人生は、

助けられること、

助けることがあって

成り立っている。

だからこそ、

自分も誰かを助けて、

役に立って生きていけたら

素晴らしいと思う。

 

全盛期で戦え

 

(今日のコトバ)

 

戦うなら自分の全盛期を使え。

 

 

自分にとって何が武器か。

考えれば、

一つや二つあるはずだ。

世間が武器と認めなくてもいい。

自分が武器だと思うもの。

その武器を全面に押し出して

勝負していく。

これは、人生を

有意義にするための鉄則。

不得手で勝負したら、

勝てる勝負も勝てなくなる。

とにかく人より秀でてると

思えるもので勝負する。

もっといえば、

その武器にも旬がある。

「数年前は勝てるカードだったが、

いまは衰えてしまった」

というこもある。

だからこそ、

勝負になったら

自分の得手で旬なもの。

全盛期と思えるもので戦う。

その気持ちを忘れずにいれば、

いざチャンスが来た時に、

より良い結果が生まれるはずだ。

プライドとは、心が持てばいい金字塔

 

(今日のコトバ)

 

プライドが高すぎると、

携帯するのに不便です。

 

 

まったく

プライドのない人はいない。

誰もがプライドが

高いという人もいる。

ただ、プライドがなさそうな人でも、

プライドは必ず持っているもの。

「プライドを持つ」ともいう。

つまり、プライドは持ちもの。

だとすると、

プライドが高くなると、

やっぱり持つのは難しくなる。

隠すこともできず、

持ち運ぶにも力がいる。

さらに、傍から見ていると、

少々腹立たしくもある。

そう考えると、

プライドも高くせずとも、

自分の中でしっかり持つ。

あえて声高にプライドを

説明する必要もない。

ただ、自信を持って

心に刻んでおく。

プライドとは、

自分の心が持てばいい

金字塔なのだ。

自分のエネルギーは有効に使え

 

(今日のコトバ)

 

あきらめを言葉にすることは、

口からエネルギーを

放出してしまうこと。

 

 

誰もが

「あきらめない」

「あきらめる」の決断を

迫られることがある。

「あきらめない」場合は、

意志を保ち続ければいい。

強い気持ちを持てればいい。

だが、「あきらめる」は、

そこで終了。

そこから一歩も前へ進まない。

そして、「あきらめる」は、

たいがい言葉にする。

「もうあきらめた」と、

口から発してしまう。

もちろん、心であきらめを

宣言することもあるだろう。

ただ、その「あきらめる」を

決断した時、

そこから自分の持ってる

エネルギーを放出してしまう。

自分の中にあるエネルギーを

0にしてしまう。

もったいない。

できれば、

「あきらめない」で続けるか、

もしくは、

そのエネルギーを

別のテーマに投資することが

できれば、人生において得になる。

簡単ではないことは

わかっているが、

自分のエネルギーを有効に使うために、

別のテーマを見つけることも

大切だと思う。

違和感は、危機察知能力

 

(今日のコトバ)

 

違和感は距離をつくる。

一つの違和感が1㎝、

二つの違和感が1m、

三つの違和感が1㎞、、。

もうこの距離は埋まらない。

 

 

人に違和感を感じ始めると、

疑う気持ちはどんどん深くなる。

「あればどういうこと?」

「こんな人だったけ?」

次々、疑念が生まれ、

相手と距離を置く。

一つの疑念ならまだしも、

二つ、三つと続くと、

もう疑念しかなくなってくる。

せっかく信用していても、

いきなり信用度0。

否、信用はマイナスに

なってしまう。

違和感は怖いものだ。

ただ、その違和感は、

危機察知能力でもある。

違和感が続くようであれば、

自分にいい影響が

あるはずがない。

そう思うと、

違和感の原因を確認して、

嫌な気持ちになるなら、

相手の人と距離を置くのも

生き方の一つ。

違和感との距離を考えながら

生きることも大切だ。

 

 

 

灰色というジョーカーと生きている

 

(今日のコトバ)

 

人は自分の色ともう一色、

灰色を持って生きている。

 

 

何年も生きていると、

自分の色を

持って生きている。

人によってみな違う自分の色。

赤とか、白とか、

わかりやすい色もあれば、

どう表現していいか

わからない色を持つ人もいる。

それは個性であり、

魅力であって素敵なことだ。

だだ、人は自分の色の他に

もう一色必ず持って生きている。

灰色という色を持っている。

白と黒では割り切れない、

赤ほど燃えることもなく、

青ほど生を

封じ込めるものでもない。

どっちの色でもない色。

言葉にすると灰色。

そして、この灰色という色が

トランプでいうと

ジョーカーのような

役割を果たし、

社会の荒波を

乗り越えていける

武器になっている。

灰色というと

あまり良い印象はないが、

そんなことはない。

灰色という

どちらの色でもない判断が、

人生を救うことが多々あった。

そう考えると、

人生に灰色があることが

力になる。

そのことを忘れずに

生きてみてはどうだろう。

 

才能以外の才能もある

 

(今日のコトバ)

 

勢いとか、夢中とか、直感とか、

人は才能を超える能力を

いくつも持っている。

 

 

人生、

才能だけに頼る必要はない。

人間には、

想像を超えた能力を

いくらでも持っている。

例えば、勢い。

何かを始めて勢いづくと、

能力のMAXを超えた

自分になれる。

また、夢中になると、

限界を超えて

自分を成長させられる。

さらに、直感は、

予想や危機察知に

大きな力を発揮する。

鈍感力だって、

平然として生きるために

大きな役割を果たす。

人間は才能と肩を並べる、

否、それ以上の能力を

持っている。

だからこそ、

才能あるなしだけで

人生をあきらめてはいけない。

才能以外の能力も使って、

いくらでも人生を

素晴らしいものにできる。

そのことを忘れてはいけない。

(もちろん、

努力という能力も忘れずに!)

 

どん底は、距離の遠い夢を見る

 

(今日のコトバ)

 

いちばんでかい夢は、

どん底で生まれる。

 

 

夢への気持ちは、

遠くて、大きいものに憧れる。

どう考えても簡単ではない。

一生懸かるかもしれない。

否、一生懸けても

実現しないかもしれない。

ただ、達成したら人生は変わる。

素晴らしいものになる。

夢までの距離が遠いほど、

やりがいがある。

では、その距離の遠い夢は、

いつ生まれるのか。

それは、自分の人生が

報われていない時。

どん底の状況にある時。

距離が遠くても、

大きな夢を叶えようとする

意欲がある時。

だとすれば、

いま、どん底で

生きていると思う人も、

夢を描くには好機だ。

途轍もない夢を描いていい。

奇想天外の夢でいい。

そこまでの距離は遠いほど、

どん底から一歩進めれば、

達成への距離を

縮めることになる。

生きるペースメーカーは

夢にある。

だからこそ、

どん底の状況でも

壮大な夢を見ていいのだ。