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(今日のコトバ)
「自分を見失うな」というけれど、
人間、ほぼ自分を見失っている。
むしろ、自分が見え過ぎていたら
つまらない。そして、しんどい。
「自分を見失っている」と、
時々、いわれることがある。
確かに、いつもの自分ではなく、
落ち着かずオロオロすることもある。
いつもの自分ではない
自分になっているとはいえる。
だが、よく考えてみると、
自分を冷静に見つめられる時など、
ほとんどない。
そもそも、自分がしている行動を
横で見つめることなどできない。
その時の表情、
その時の感情などは、
瞬間に察知はできない。
反対にいえば、
いつも自分を見失っているともいえる。
そして、見失っているからこそ
人生はおもしろい。
自分が良く見えてばかりでは
人生はつまらない。
未来のように
わからない部分があるから面白い。
わからないからしんどくもある。
それは人間に生まれた宿命。
自分を見失っても、
自分は生きている。
それでいいのだと思う。
(今日のコトバ)
好きなことの前では、
誰もが努力家。
嫌いなことの前では、
誰もが怠け者。
夢中になって取り組むものは、
好きなことであるといい。
無理せず自然に夢中になれる。
努力を意識しなくても、
努力をすることができる。
反対に、
どうしても集中できないものは
嫌いなものであることが多い。
嫌いなものを集中力を持って
取り組むことは難しい。
ましてや、
夢中になって取り組むことなど
至難の業だ。
だからこそ、夢中になって取り組む、
努力をすべきものは
好きなものを選びたい。
100%好きでなくてもいい。
どこか一部好きであればいい。
その好きを突破口に夢中になれれば、
努力が苦しいものだけではなくなる。
楽しいものになるかわからないが、
取り組むことに無理がなくなる。
だからこそ、好きといえるものを探せ。
そこに、自分の力を飛躍させる
源泉がある。
「好き」の延長線上にこそ、
人生の成功は待っているのだ。
(今日のコトバ)
第一印象に、上機嫌を。
「人を色眼鏡でみるな」
「ただの印象で語るな」と
よくいわれる。
正しいことだ。
人を見た目で判断するのは、
かなり危険。
間違っていることも多い。
ただ、「そういわれても」
ということはある。
第一印象のイメージが
その人物像を決めてしまって、
なかなか人間としての情報修正が
効かないこともある。
だからこそ、
第一印象も大切にして
生きていきたい。
ボロは着てても心の錦は昔の話。
現在ではあたりまえに
使える考えではない。
人と対面するには、
まず第一印象から大切にする。
その意識を持って生きるだけで、
その後のコミュニケーションが違う。
できれば、上機嫌で、
笑顔で対応できれば尚良い。
人に対する時、
第一印象から大切にして生きよう。
(今日のコトバ)
言葉は、
人間が一番はじめに起こす
勇気だ。
なんだかんだいっても、
気持ちを言葉にするのは
勇気がいる。
一番簡単に使えるし、
一番気持ちを伝えられるし、
一番深く人を傷つける。
だから、大切。
だから、怖い。
自分が思ったことを、
瞬時にカタチにできるのが言葉。
言葉の力によって、
誰もが救われたことがあるし、
誰もが失敗したことがあるはず。
だからこそ、
言葉の使い方を大事にしたい。
「言葉は一番はじめの勇気」だと
意識すれば、
大事に使えるはず。
言葉の持っている大きな力を
理解し、人生に役立つように
使おっていこう。
それだけ言葉は力があるのだ。
(今日のコトバ)
後悔とは、
幸せの余白のことである。
たんさん後悔してきた。
大きな後悔も、
小さな後悔もあった。
そのどれもが悔しさがあり、
「なぜ、もう一歩いけなかったのか」と思った。
だが、後悔できるほどのこととも思う。
それは、自分の心の隙ともいえるが、
違った言葉を探すと
余白といえるかもしれない。
まだ、心に余った部分があって,
そこに後悔がある。
もちろん、計算してのものではないが、
後悔は余白にある。
余白にあるからこそ、
今度はそこから消して、
後悔がないように
生きてみたいとも思う。
人生は、
なるべく後悔がないように
生きたい。
ただ、余白のある人生も
またワルくない。
後悔もその一つだとしたら、
人生も有意義なものになると思う。
(今日のコトバ)
「ありがとう」は、
いっておかないと損をする。
感謝の言葉。
忙しい日々の中で
ついつい忘れてしまうこともある。
ほんとうは、
日々の出来事で
お世話になった人々に
伝えなければいけないこと。
誰でも気持ちではわかっいる。
ただ、感謝をきちっと
伝えられる人がいるかというと、
自分も含めてあまりいない気もする。
そして、
感謝をいいかげんにしている人は、
あまり信頼されていない。
まったく感謝しない人は、
なんとなくまわりの人から
距離を置かれ始める。
何も感謝で贈り物を
送らなくてもいい。
「ありがとう」の一言でいい。
ちゃんと感謝の気持ちを伝える。
相手に感謝を伝えるだけでなく、
自分の気持ちも納得する。
伝えないと何かが心残りになる。
そうならないためにも、
感謝はきっちり伝えたいものだ。
(今日のコトバ)
優しさは、日常に起こる奇跡です。
誰かに優しくされることがある。
生きていてとても
嬉しいことの一つだ。
こんな世知辛い世の中で、
優しくされことなど
数えるほどしかない。
あまり関係の深くない人から
優しくされると、想像以上に嬉しい。
もちろん、
関係の深い人に優しくされるのも
嬉しい。
ただ、優しさのどれもこれも
生きる上でのあたりまえでなく、
ギフトだと思えるのだ。
優しくされなければ
それだけのこと。
嬉しい気持ちにはならないが、
人生は進んでいく。
生きるのがしんどくて、
優しくされたい時はあるが、
それも期待通り
優しくされる保証はない。
だとすれば、
人から優しくされるのも
一つの奇跡。
与えれた奇跡は
大事にしなくてはいけない。
もし、誰かに優しくされたら、
奇跡を一つもらったと
思って生きる。
その人への感謝の気持ちが
大きくなるはずだ。
(今日のコトバ)
スランプとは、
未来の土壌を耕すこと。
スランプに陥ることがある。
自分でスランプと思う時もあるし、
人からいわれて
スランプと感じることもある。
頑張っているが記録が伸びない。
成長の兆しがない。
停滞している。否、むしろ
退化しているのではないかと
思ってしまう。
そんな気持ちになることは
誰にもある。
ただ、冷静に考えてみると、
スランプが
ワルいことといえない気もする。
いままで順調だったものが、
順調にいかない。だから、
違った方法を探る。探っている間は
成長している気がしないが、
新しい視点に着目し、行動している。
当然、結果が出るまで時間がかかる。
「新しい視点のために行動している」
スランプをそう仮定すると、
決して、停滞や退化ではなく、
成長や前進のためのアクションなのだ。
だとすれば、
スランプもウエルカム。
スランプになったことで
新しい自分に会える。
そう思って生きても
いいのではないか。
(今日のコトバ)
人生には、
限界線というスタートラインがある。
もう限界だと思うことがある。
ここまでが実力の頂点。
これ以上はいけない。
そう思う。
だが、時間が経ったり、
状況が変わったりすると、
その限界を超えて、
もっと先へ行けることもある。
限界はとっくに超えている。
成長というか、
進化というか、
人生があきらかに
限界を超えたことがあるのだ。
限界だと思ったところが、
限界ではなく、
ただの過程、経過になっている。
限界線をまた
スタートラインにしたのだ。
人生は成長するたびに、
見える景色が変わってくる。
「限界は何度でも超えられる」
そう思って生きると、
人生そのものの地力がついてくる。
限界は人生を高みに上げるための
スタートラインなるのだ。
(今日のコトバ)
「キミには無理」を
「キミに任せる」に変えたら、
最高の復讐劇になる。
実力が無いと、
「お前には無理」と門前払いのように
吐き捨てられることがある。
悔しい思いもするが、
実力が無いだけに「仕方ない」と
思うこともある。
ただ、「このままでは終わりたくない。
必ず見返したい」と思う気持ちもある。
そんな気持ちの時は、
不貞腐れたり、切れたりするのではなく、
じっと実力を蓄える。
多少、時間がかかってもいい。
門前払いされたら、
門の遠くへ行っていい。
そこで実力を蓄えて、
自信が持てるまで切磋琢磨して、
自分の実力を磨く。
そして、自分の中で実力がついたら、
堂々と門をたたく。
そして、その時、こういわせたら勝ち。
「キミに任せよう」と。
相手にされなかった人間が、
相手にされて大事なことを任せられる。
それこそが、人生の醍醐味。
最高の復讐劇になるのだ。
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