失うことのない無償

(今日のコトバ)

 

人生は、無償と報奨でできている。

 

 

 

ほとんどが報奨でてきている。

自分のやったことに対して、対価をもらう。

成果に対して、肩書きをもらう。

人生の大部分が、報奨を手にする行為に集約される。

だが、どうしても無償になってしまうものがある。

たとえば、親が子供に対する愛だ。

これは、見返りを求めない(求めている人もいるが)で、

潤沢に愛情を注がなければならない行為だ。

これほど、無償といわずして、なんといおうか。

また、ボランティアなども、無償のひとつかもしれない。

ただ、ボランティアの場合は、その行為をしたことによって、

自分の心に報奨を考えてしまうことがある。

純粋に無償とは、よべないかもしれない。

恋愛も難しい問題かもしれない。

最初に好きなった時に、まったく相手のためだけを考えて、

見返りを求めずには、恋愛は成立しない。

となると、恋愛も報奨の部類に入るかもしれない。

ただし、結婚して長い年月がたち、

利害関係からではなく、無償の愛情に転換されることもあるだろう。

これらを考えると、人生の行為の中で無償なものは、

限られた行為の中にしかない。

それも親子の関係の中がほとんどだ。

なのに、昨今は親が子供を平気で殺してしまう。

秋田小一男児殺害事件で近所の子供を殺しているだけでも大罪なのに、

自分の娘を殺しているかもしれないという。

もし、親が子供へ愛情を注げなければ、

無償のなどという言葉は、死語になってしまう。

人間は、無償があるからこそ、素晴らしい人生があるのだ。

利害だけで失わうことのない無償を、

人間はもっと大切にするべき時にきている。

おもしろいことをつくろう

(今日のコトバ)

 

おもしろいことを1個みつければ、

つまらないことを100個ぶっとばせる。

 

 

 

普通の日々をつまらないと思ったら、

朝から晩までつまらないことだらけだ。

悪いこと、嫌なこと、辛いことの数の方が、

おもしろいことの数より多いと思う。

たが、おもしろいことにはつまらないことを

一気にふっとばす何10倍もの力がある。

思い返して欲しい。

突然、日々の暮らしにおもしろいことや

朗報をもたらされた時のことを。

一日、否、一週間でも気分よく過ごせる。

もし、いま日々の暮らしがつまらないと思っていたら、

自らおもしろいことを探そう。

見つからなかったら、

おもしろいことをつくろう。

その行為だけで、一日はとてもハッピーになる。

一日はとてもイキイキしてくる。

武器は勝ち続けること

(今日のコトバ)

 

なめられたら、

結果という武器で殴り倒せ。

 

 

 

人は肩書きや地位で自分より低いと見なすと、なめた行動をとる。

はなから小馬鹿にした言動になったり、アゴでこき使ったり、

場合によっては鉄拳が飛んでくることもある。

一度なめられると、人生が取り戻しできないものになる。

なめられることが悲しいと思ったら、

戦うための武器をもたなくてはならない。

その武器とは、勝ち続けるという結果だ。

すぐになめる連中は、すぐにビビる連中でもある。

自分より地位があったり、自分より強かったりすると、

態度は急変して下につくことも多い。

だから、自分が強くならなければならない。

弱い者を叩き潰すために強くなるのではなく、

自分のプライドを守るために強くならなくてはならない。

そのために、結果を出せ。結果を出し続けろ。

人をなめることでふんぞりかえっているやつは、

結果の前にひれ伏すやつだ。

結果さえ出せば、自分のスタンスで、自分の意志で、

自由に生きていけるのだ。

行きたかった場所へ

(今日のコトバ)

 

NEVER GIVE UPだけが、

GIVE UPをGIVE UPできる。

 

 

 

人生、ギブ・アップするのは簡単だ。

やめたい、苦しいと思ったら、

その行動をやめてしまう。

継続をあきらめて、

もっと快楽や欲望のままに、

生きることも選択のひとつかもしれない。

だが、途中であきらめた道からは、

到着点になにがあるか見えない。

行きたかった場所が、どんな景色がわからない。

どうせ目標を立てたのなら、

その答えを見出すために

あきらめずに歩き通すべきだ。

そのために必要な精神は、

ネバー・ギブ・アップ。

あきらめない力だけが、

答えを教えてくれる。

人生の夢を叶えてくれるのだ。

自分の今日に殊勲賞

(今日のコトバ)

 

ヒーローインタビューできる一日であれ。

 

 

 

試合の終りに今日活躍したスポーツ選手がお立ち台に上がる。

大歓声の中、勝因のインタビューを受ける。

それは何も、スポーツ選手だけではない。

大歓声はなくても、家に帰ってビールを飲んで上機嫌になったり、

風呂に入って一日に満足したり、

自分の今日に殊勲賞をあげてもいい日があるだろう。

毎日が殊勲賞をもらえるなら、イチローばりの

天才になってしまうが、そこまででなくても、

自分が満足できる一日を目指そう。

その積み重ねが自分を進歩させる。

その繰り返しが自分を大きくする。

誰が認めなくたって、一日がんばった人は、みなヒーロー。

人生には、満足する時が必要なのだ。

フライング・スピリット

(今日のコトバ)

 

チャレンジャーなら、

フライングを怖れてはいけない。

 

 

 

まず、何事にもチャレンジャースピリットをもつ。

勢いよく取り組むには、その姿勢が肝心だ。

受け身で物事に対処するより、

自発的に挑んでいくほうが、

成果の上がり方がまったく違う。

もっといえば、フライングをおかすぐらいに

飛び出しす気持ちを大事にしたい。

スピード感のある人間、やる気のみなぎる人間、

気持ちよく対応してくれる人間、

目的意識のはっきりしている人間、

そして、ちょっと反則の人間は、

期待される。愛される。

とにかく、はじめる時はフライングするぐらいの

勢いをもって、何事にも取り組もう。

知識の埋蔵量のために

(今日のコトバ)

 

わからないということは、

まず最初の武器になる。

 

 

知性は大事だ。知識もあるにことたことはない。

だが、わからないということも大きな武器になる。

ほんとうに知らないことを、興味をもった時に知る。

わかったふりをせず、

教えて欲しいとお願いしてしっかり聞く。

このことができるかできないかで、

人生の知識のバラエティが大きく変わる。

とかく大人になると、知ったかぶりをしたり、

聞く耳をもつことを拒否したりして、

小さく、つまらない人間になっていく。

だからこそ、わからないを武器に、

どんどん知識を吸収しよう。

人間は、自分より知識のなさそうな人に、

偉そうにものを教えようとする習性があると思う。

そこをついて、バカなふりして

知識の埋蔵量を膨大にしてしまおう。

そして、もっともっと有意義に時間を使って、

人生を楽しんでしまおう。

重荷を背負い過ぎない

(今日のコトバ)

 

しんどくなったら、

誰かにタッチしてもいいんだよ。

 

 

一人でできることに、こしたことはない。

誰の手も借りず完遂することも、素晴らしいと思う。

でも、どうしても一人でてきないことがある。

その時は、はっきり声に出して応援を扇ごう。

自分だけでは手に負えないと、

助けてもらいたい人に伝えよう。

また、それば自分ではないと判断したら

お願いして役目を代わってもらおう。

何も地球上のすべての案件を背負う必要はないのだ。

人はときどき自分の能力以上の重荷を担ぎ過ぎる。

一人で生きてるのではないのだから、

自分もがんばった上で、誰かに支えてもらおう。

人と人とは、支えあってナンボなのだから。

限界超えをテーマに

(今日のコトバ)

 

限界は1m先にもあるし、

宇宙の果てにもないかもしれない。

 

 

目に見えないが、人間のどこかに宿っているものだけが、

先進の、先端の社会を変えていくことができる。

その中でも「限界」という人間の尺度は、

自分自身で自由に決めることができる。

すぐにあきらめてしまえば、

限界は自分の場所にあるといっていい。

ただ、あきらめずにとことん追求していくのなら、

一生かけても限界はおとずれないかもしれない。

あらゆるものがネット化、デジタル化され、

ボタンひとつで何でも解決できる世の中になって、

もしかするとこの「限界」への挑戦だけが、

人間の本能の砦といっても過言ではない。

言い方を変えると、なにもかもがワンタッチでできて、

簡単にあきらめることができる動物になった人間。

自らが「限界」を超えようとするテーマをもたない限り、

動物としての本能が自然に退化していってしまう。

だから、厳しくても、余裕でもいい。

「限界」を超えなければいけないテーマを見つけて生きよう。

それが、人間が人間らしく生きるための方法なのだから。

信じればできる

(今日のコトバ)

 

幸せは、信じることから翼を広げる。

 

 

信じて、できると信じてはじめないと、

遠くまで、夢まで届かない。

信じることができれば、集中力が生まれる。

集中力があれば、本質を見つけられる。

本質を見つければ、問題を解決できる。

問題を解決できれば、夢は実現する。

夢を実現すれば、幸せになれる。

つまり、信じることから幸せへの翼が広がるのだ。

迷っているものがあったり、不信になってるものがあったり、

あきらめてしまいそうものがあったら、

もう一度信じてみて、がんばるのも悪くないのでないか。

いいものは、いつもちょっと先あったりするのだから。

 

サッカー日本代表がキャンプ地ボンに到着した。

いよいよワールドカップ気分が高まってくる。

ただ、予想する人や選手の中に、予選リーグ突破が目標などと

いう人がいる。確かに現実的な目標かもしれないが、

優勝すると信じる気持ちからはじめないと、

勝てるものも勝てなくなる。

少なくとも、選手、監督、スタッフは優勝することを信じて欲しい。

そう思わなければ、夢は途中で遠くへ行ってしまう。

信じればできるのだ。