正しく走る

(今日のコトバ)

 

到達点は、自分の視線の先におけ。

 

 

 

 

たどり着くべき目的は、自分の実力の延長線上に

あるべきだと思う。誰もがわかっているようでいて、

行動がともなっていない人が結構存在する。

右を向いたり、左を向いたり、

もっての他の後ろを向いたり。

まだまだ目的を決めきれずに模索している間なら、

キョロキョロよそ見や振り向くこともいいだろう。

ただ、目的を決めたあと行動がブレると、

到達までのスピードが遅くなる。

あらゆるものがスピードの中で決済される現在、

スピードが遅いのが致命的になる場合がある。

そのスピードを遅らせないためにも、

まっすぐに目的に向かって走る意志をもとう。

猪突猛進にならなくても、

確固たる意志をもてばブレず走れる。

ブレずに走れれば最善の道も見つけだせる。

人間は、目的と意志をもてば正しく走れるのだ。

信じることから自己改革

(今日のコトバ)

 

今日がどんなにつらくても、

明日になれば新品になれる。

 

 

 

 

寝て起きれば、いろいろなことが忘れられる。

今日のつらさも、明日が解決してくれる。

などと、簡単に割りきれないが、

まず、日が変わると同時に、

すべてがリセットできると信じこむ。

この信じこむことが肝心で、

繰り返し信じことで、

リセットはほんとうに可能になるものだ。

もっといえば、忘れようと努力することで

忘れることもできてしまう。

大切なのは、自分自身で信じこむこと。

やれると信じこむこと。

そこから、あらゆる自己改革がはじまるのだ。

更生させるために愛情を

(今日のコトバ)

 

痛い目にあった。

更生する絶好のチャンスだ。

 

 

 

小学の教師になった友人がいった。

「子供たちに手をあげるのは、まかりならぬ。

どんなことがあっても殴ってはならない。

懲戒免職の対象なのだ」と。

文明が発達することによって、

日本が先進国の上位にランキングされるようになって、

人が人を怒る姿を見なくなった。

人が痛い目にあう機械が少なくなったといっていい。

ひとつの考え方として、とてもいいことだと思う。

暴力が横行したら、暴力の強い者だけが、

のさばる社会になってしまう。

ただ、子供を叱る時は、ある程度の制裁はいけないのだろうか。

昔は、親も先生も先輩も殴ったものだ。

当然、理不尽で納得いかないこともあった。

愛情が必ずあったとはいわない。

でも、その痛い目にあったことで、人間としての

大切なものも教わった気がする。

やってはいけないこと、守らなければいけないこと、

常識として覚えなくてはいけないこと、、、、、、、。

叱られたり、殴られたりしながら覚えたものがたくさんある。

つまり、道を間違えそうになると、大人たちが教えてくれていた。

いま、子供を叱ると、子供にトラウマが残るという。

子供が引きこもるという。子供の未来に傷がつくという。

たしかに、殺すまでキレる親や加減しらずに殴りつづける大人は

言語道断だ。ただ、道を踏みはずしている人間を

更生するために愛情をもった指導は必要だし、

痛い目にあわせることも必要なのではないか。

あまりにもマスコミに、悪い例ばかりが出過ぎ、

人が人を教育する中にある「痛い目」という部分を

とりのぞき過ぎてしまったのではないか。

ゆとり教育が定着し、怒ることも御法度で生きてきた

子供たちが、社会へ出て荒波にのみこまれた時、

ちゃんと生きていけるだろうか。

子供の時に「痛い目」にあったことで、

強くなって生きていけることがたくさんある。

制裁ばかりがすべてではないが、

もう一度、大人たちは子供たちの生きるために何が必要か、

真剣に考える時がきていると思う。

疎通のための言葉

(今日のコトバ)

 

喰えないやつは、よく噛んで喰え。

 

 

 

嫌いだからといって、避けて通るばかりではいけない。

お互い心を開いて、意志を疎通させなければならない。

特に、嫌いなだけでなく、喰えない人間だと、

疎通させるものが難しくなる。

それは、わかっている。わかっていてあえていうと、

まず、言葉を交わすことからコミュニケーションをはじめよう。

基本中の基本のように思えるが、

嫌いな人間、喰えない人間、合わない人間、

意志を疎通できない人間のすべてに対して、

コミュニケーションが不足している。

その時、言葉を交わす会話もほとんど無いといっていい。

「話みると、あいついいやつだよ」などと、

よく巷で聞くように、心を開くとまったく意志が通じない人間は少ない。

だから、とりあえず心を開いて、こちらから言葉を投げかけよう。

それだけで、かなりの嫌いな人間は、普通の人間になり、

場合によっては、好きな人間になっていく。

個人的な経験でいえば、第一印象最悪で顔を見るのすら嫌だった人間と、

長い付き合いをしている。親友とよべる人間は、ほとんど

まともな友人関係になるまで時間がかかっている。

反対に、最初から調子を合わせて近づいてくる人間の方が危ない。

あまりに愛想のいいのは、計算づくで近づいてくることが多いからだ。

とにかく、嫌いな人間とも言葉を交わそう。

その一歩から、かけがえのない人間が生まれるかもしれない。

そして、人間関係がしっかりできている仲間が多ければ、

人生はもっともっと豊かになるのだから。

新鮮な一日のために

(今日のコトバ)

 

心の窓を開けて、空気の入れ替えをしよう。

 

 

 

気候が良くなったから、

窓を開けて空気を入れ替えるように、

自分の心の窓も大きく開いて、新鮮な空気を入れたいものだ。

ただの窓とは違い簡単に開け閉めはできないが、

心を解放できる場所、気持ちよい時間を過ごせる場所を

日々の暮らしの中でつくることだ。

忙しい毎日が続くと、ついついこの場所を忘れがちに

なってしまうが、この場所の時間をもたないと

心の中が錆びついてしまう。

すこしの錆びつきなら、簡単なリフレッシュ法で

元に戻るが、完全に錆びついてしまうと、

心もポキッと折れてしまう。

一度、心が折れてしまうと、元に戻すのは至難の技だ。

だから、自分を解放できる時間をもとう。

この時間をもてば、ほぼ心を錆びつかせずに生きられる。

いきいきした気持ちをもって、新鮮に生きられる。

錆びている一日と、新鮮な一日、

どちらが暮らしやすいかわかると思う。

ぜひ、心の窓を開けて、新鮮な一日を。

全力が実力になる

(今日のコトバ)

 

完全燃焼できれば、

完全再生できる。

 

 

 

目的に向かって全力を振り切れば、

心に後悔なく一区切りつく。

人間は完全燃焼しても、再生できる。

むしろ、完全燃焼した方が、

きれいに気持ちが再生できる。

全力を出し切った経験、

つまりすべての力を発揮した記憶から、

新しい力をまた生み出せるのだ。

だから、目的を達成しようと思う課題に、

全力を出し切る意識をもとう。完全燃焼しよう。

常に全力を出していれば、

その力がたし算され、

どんどん自分の実力になる。

全力が実力になっていけば、

もっともっと大きい目標にもトライできるのだ。

自然を心と体に

(今日のコトバ)

 

晴れた空の下では、安い肉でもうまい。

 

 

 

川原や山のキャンプなどでバーベキュウをすると、

肉が安いものでも、自然の開放感でとてもおいしく感じる。

あきらかに味付けや質の問題ではなく、

自然の演出のしわざである。

人間は、自然に気持ちを左右される生き物なのだ。

また、晴れた日だと朝から気分が良くて、

一日爽快感が続く時がある。

ならば、この自然の効能を生活に取り入れて、

快適な日々を過ごす工夫をするのもひとつの知恵だ。

陽のよく入る部屋環境をつくる。

森林、公園などの気分転換できる場所を探しておく。

休日などは山や海など空気のおいしい地域へ足を運ぶ。

心と体に自然が欠乏していくのを食い止め、活き活き生きる。

ちょっとした行動力で、人間は人間らしく生きられるのだ。

正しい道を走ろう

(今日のコトバ)

 

勝ち馬にのっている人間は、

勝ち馬ではない。

 

 

 

人は、勘違いする動物である。

勘違いでも格好悪いのは、強い者、勝っている者の

まわりにいて、同じ権力を行使しようとする人だ。

俗にいう「虎の威をかる」というやつである。

その勘違いした人間に、実はほとんどの人が

知らぬ間になっている。

自分の人生を考えてほしい。

年齢が上だから、階層が上だから、

自分の近くに大物がいるから、

という理由だけで、

自分より弱いと想定される人に

権力を使ったことがあると思う。

冗談で済む話ならいいが、

これがイジメや虐待につながると、

人として最低な行為につながる。

だから、勝ち馬になるのはいい。

勝ち馬を目指すのもいい。

ただ、勝ち馬と勘違いして力を行使するのはやめよう。

最低な自分にならないために、

自分の誇りを保つために、

自分の力で正しい道を走ろう。

人のためになる臆病

(今日のコトバ)

 

臆病者は、漂流者より壮大な夢をもつ。

 

 

 

カリスマは臆病者ばかりだという。

気の小さい人々が、社会に対してのコンプレックスを

バネにして、大きくなろうとする。

その道程で、次々大きな夢をぶちあげる。

本当に人間にとって、役立つ夢ならいいが、

時には悪夢を描き、実現するために暴走してしまうこともある。

独裁者とよばれたカリスマは、

ほとんどが理想を悪夢に変えてしまった。

ただ、世界をより暮らしやすくしようとする起業家や

世界の貧しい人のために働く慈善活動家などは、

人間のためになる夢を描いている。

もし、その原点のひとつとなるものが、

臆病であるのなら、臆病は素晴らしい人間の特性となる。

あなたの中に、臆病があるのなら

その臆病を大切に育て、社会のために貢献する武器にしよう。

きっと、臆病から人間のためになる未来が生まれるのだから。

すべてやる気をみている

(今日のコトバ)

 

ご予約のない方は、

受付をお断りするかもしれない世の中だ。

早めに手をうて。

 

 

 

待っているだけでは、扉は開かない。

時には、順番を無視しても自分が前へいく必要がある。

社会は、すべてやる気をみている。

前に出ず、後ろに隠れてばかりいる人に、

チャンスは渡さない。

少々、空振りしたパフォーマンスしてでも、

こいつに任せてみようと思わせることが先決だ。

待っているというのは、ほとんどの場合、

怠慢の産物だったりする。

ほんとうに夢をつかみたければ、

どんどん行動しよう。

人より早く行動することは、

人より早く結果を出す。

そして、限りなくいい結果を出す可能性が高いのだ。