動くことからはじまる

(今日のコトバ)

 

階段をのぼってきた奴の方が、

エレベーターをあがってきた奴より、

足腰が強い。

 

 

 

地道だったり、遠まわりだったり、

一見無駄のように思えることだったり。

簡単にできてしまうことを、

前時代的にコツコツやることは悪いことではない。

いま、社会で叫ばれている子供の体力が弱くなった、

能力が低くなった、常識がなくなったなどの

子供への警鐘は、実は楽ばかりを選択してきた

大人の姿なのかもしれない。

昔話を持ち出しても仕方がないが、

人はやっぱり動物だ。動かなくていいという選択は、

動物ではなくなるという選択でもあるのだ。

地球上の人類がすべて動かなくなった時、何が起こる?

地球が滅ぶことにも通ずることにもなりかねない。

もっと足腰を使おう。もっと動いていこう。

人は動いていれば、何かを見つけられる。

人は動いていれば、健全な発想ができる。

落ち込んでる自分を思い返してみよう。

その時、足は必ず止まっているのだ。

人の温かさは伝染する

(今日のコトバ)

 

温度の高い人のところへ行けば、

自分も温まる。

 

 

 

元気のある人、熱く燃えている人、

夢を実現しようとしている人の側にいると、

自分も温かい気持ちになる。

さらに側にいけば、自分にも新しい力が伝わり

何かできるような気がする。

人の温かさは、体温としては表示されないが

確実に近くの人に伝染している。

できればこの温かさを伝える人に自分がなろう。

それは困難なことではない。

今日のテーマに、元気に取り組くむ。

日々の出来事に、情熱を傾ける。

未来の夢に、力強く前進する。

その意志だけで充分に人を温かくできる。

結果、自分のまわりに温かい人ばかりが集まれば、

自分自身が温かい気持ちで生きていける。

ココロは慣れる

(今日のコトバ)

 

カラダの司令塔は、ココロだ。

 

 

病気でない限り、カラダのだるさや

エンジンのかからない状況は、

気合の入れ方ひとつで変わってくる。

無気力状態から元気になるのも、

自ら元気になろうとすることで、

解決できることがほとんどだ。

ほぼカラダをコントロールしているのは、ココロだ。

つまりココロをコントロールさえすれば、

カラダは自分の中で最高のパフォーマンスをする。

格闘技の試合で、オリンピックの演技で、

実力通りの力を発揮するのも、

ココロを制したものだけだ。

だから、もっとココロを自分で操れる力をもとう。

そのためには、ココロを様々な環境において

鍛えてみる。ココロは小心者だから、

すぐビクビクする。だが、時間が立つにつれ

落ちつきを取り戻し、ココロのペースで動くようになれる。

一言でいうなら「慣れ」なのだ。

そう、慣れてしまえば、こっちの勝ち。

自分を、カラダを思い通りに動かすために、

慣れてしまおう。慢心を警戒しながら。

勇気を常備

(今日のコトバ)

 

都合はいつも悪いのだ。

都合を聞いていたら、一生扉は開かれない。

 

 

 

何かに飛び込んでいこうとする時、

不安や恐怖に震えて足がすくむことがある。

ある人間に対して何かをお願いする時も、

タイミングや自分の力不足を気にして、

躊躇してしまうことがある。

そこで、持つべき人間の武器は勇気だ。

勇気を出して、一言発すれば、

勇気を出して、扉をたたけば、

勇気を出して、一歩踏み出せば、

新しい世界が待っている。

たった一瞬の勇気が人生を劇的に

変えてしまうことさえある。

何かに飛び込もうと思っている諸君、

勇気を常備しておこう。

負の遺産を帳消しに

(今日のコトバ)

 

人生では99回負けても、

1回勝てば全勝になることもある。

 

 

 

人生は山あり谷ありのだけれど。

人生は浮き沈みが激しいけれど。

人生は勝者と敗者がいるけれど。

人の人生には、いままでの敗北を

たった1回の勝利で全勝にすることができる。

国内大会や世界選手権、ワールドカップなどの

試合で優勝経験がなくても、オリンピックで金メダルに

輝いてしまえば、それまでの敗北を消して余りある勝利になる。

受験生が模擬試験でまったく合格圏内の点数をとれなかった本命校に、

本番で受かってしまえば、それまでの経緯などどうでも良くなる。

だからこそ、ひとつの勝利を大事にしたい。

スポーツや受験などはわかりやすいが、

生きていく中での小さな勝利でも、

実は過去の負の遺産を全部返しておつりがくるぐらいの

特別な勝利が必ずあるはずだ。

意識し、意志を貫き、前へ歩けば、

人は負の遺産など帳消しにできる能力がある。

人生の決着は、自分でつけて生きられるのだ。

僕らには未来がある

(今日のコトバ)

 

明るい未来を見せれば、

人は走り出す。

 

 

明るい未来が見えない時代といわれる。

戦後の焼け野原から日進月歩で進化した日本で、

人が目をランランと輝かせ生きた時代から、

生活するための進化が行き着くところまで行き、

パソコンだけを友人に変え、家から外に出る事もなく

一日が終わってしまう時代になってしまった現在。

未来の数も昔より少なくなり、

希望も簡単に手に入る分、

価値が下がってしまった気もする。

ただ、僕らは人間なんだ。

やっぱり、夢や希望未来が見えなければ、

明日は生きていけない。

本当はしっかり自分のまわりを探せば、

まだまだ未来はたくさんある。

昔よりちょっと影に隠れていたり、

雲がかかったりして、

見つけにくくなっているが、未来はある。

未来を探すのだ、明るい未来を。

探しているだけで、僕らは未来にいける。

明日見つけようとする未来があれば、

僕らはもっともっと遠くまでいけるのだから。

壊さず幸せになる

(今日のコトバ)

 

怒ってばかりいると、

幸運もよりつかない。

 

 

 

 

嫌なことばかりがあって、

一日イライラしてしまうことがある。

「今日はツイてない」などと思いこむ日もある。

ひとつのきっかけで腹が立ち、

連鎖的に怒りが止まらなくなる。

最近、街では簡単にキレる人もよく目にする。

だが、何度も怒っみて、キレてみて自分自身思うことは、

「怒らない方がよかった、キレない方がよかった」と、

後悔してしまうことだ。

自分が怒ることで壊れてしまうものは、あまりにも多い。

人間関係、仕事関係、恋愛関係。

生きていく大事な部分が接触不良を起こしてしまう。

理不尽なことを我慢してばかりも体によくないが、

一回気持ちをのみこめば済むことがほとんどだ。

そして、のみこんでしまえば、

壊したくなものを壊さずに済む。

ちょっとの我慢が、幸せを維持してくれる。

人間はガマンすることで、幸せになることが多いのだ。

「気」は生き物だ

(今日のコトバ)

 

人間の正体は、気持ちです。

 

 

 

気合いでがんばる、気概をもってがんばる、

勇気をもって挑む、元気を出す。

何かにトライする時に、

必ず必要になってくるのは、「気」だ。

「なにいってる、そんなことわかっているよ」

と人は簡単にいってしまう。

ただ、その簡単なことが、

人生の節目節目で大きな意味をもってくる。

ほんとうに気合いがあるのか、

全力で勇気を出したのか、

元気があるのか。

コンディションの問題で、

「気」の部分が発揮できないこともある。

そして、その「気」を出せないことで、

人生の大切なものを失ってしまうこともある。

逆にいえば、「気」を発揮することで、

人生の大切なものを手に入れることができるのだ。

で、その「気」を発揮するのに、いちばん大切なのは、常日頃、

「気」を出す訓練をしているかにかかっている。

気合いの入らない状況でも、気合いを入れてがんばる。

怖くても勇気をふりしぼる。元気を思いっきり出す。

「気」は生き物だ。使っていなければ死滅してしまう。

そして、その「気」が現れた状態が人間自身になる。

つまり、「気」はあなた自身なのだ。

本物は、自分を信じている

(今日のコトバ)

 

どアホを、極めろ。

 

 

バカにされて悔しい思いをするなら、

徹底的にバカをやって、あいつは本物のバカだとレッテルを

はられるぐらい何かをやってしまおう。

犯罪をせよというのではなく、

自分の信じた道が人と違う道でも、

自分の行きたい道が世の中からはみ出た道でも、

その先に未来が見えるなら突き進め。

ヒーローやスーパースターは、

みんなどこか脱線しているけど、

自分のロジックで走り続け成功した。

本物は、自分を信じている。

だから、あなたも自分を信じてみよう。

信じて、信じて、信じていけば、

きっと、「本物」という自分の極めた形をつかみとれるはずだ。

勝負して自分を解放する

(今日のコトバ)

 

勝負しないと、腐り出す。

 

 

真剣勝負している人は、輝いている。

立ちふさがる敵に向かって、勇敢に挑む姿は美しい。

目的もなく勝負を賭けない人とは、

オーラが格段に違う。

勝負している人は、目には見えないビームを放ち

自分の世界を強烈にアピールしているのだ。

だとしたら、勝負している側がいい。

自分のもつ大きさ、自分のもつ強さを、存在と共に訴え、

もっと自分を自由にできる。

「私」という自分が明解に理解されれば、

生きるのがもっと楽になる。

そう、勝負することこそ、自分を解放することなのだ。