無償でつきあえる人

(今日のコトバ)

 

人づきあいではなく、金づきあいをしていると、

負けた時に0になってしまう。

 

 

 

「金だけの関係」というと、とても汚いことのように感じるけど。

実は、大人になればなるほど「金だけの関係」で成り立っている。

でも、この金は、けして血のかよったものではない。

大企業のオーナーが倒産すると、

社員が掌を返したように罵声を浴びせ去っていく。

仕事を発注している間は、へこへこしているのに

利害関係がなくなると挨拶すらしなくなる。

つまり、金が底をつくと、人は去っていってしまう。

だからこそ、日々の暮らしの中で、金ではなくつきあえる人を

数多くつくっておくことが大切だ。その人はどんな時も味方になってくれる。

自分を助けてくれるという人としっかりつながっておこう。

それは、きっと少数で、きっと難しいことだけど、

ひとりでもいてくれれば、人生は大きな安心を得られる。

ひとりでも支えてくれれば、人生を思いっきり冒険できる。

無償でつきあってくれるくれる人を、いつもそばに。

シオカライ時間から美しい思い出

(今日のコトバ)

 

シオカライ汗と涙は、

シオカライ時間を捨ててくれるのだ。

 

 

 

ただ蒸し暑くて流す汗でなく。ただ映画の悲しい場面で流す涙でなく。

何かに挑戦している時の汗は、何かに成功や失敗した時の涙は、

人間を大きく成長させるために必要なものなのだと思う。

それが大人に脱皮していくための汗や涙なのか。

それが勝者として手をあげられるたるの汗や涙なのか。

この汗をかいた量、この汗を流した量が、

きっと、シオカライ時間からシオカラさを抜いて、

美しい思い出に変った時、はっきりと理解する。

もし、人生の山の上り坂の途中で、

苦しい状況にいるなら、

もう少し汗を流してみよう。

もう少し涙を流してみよう。

自分が進化すれば、きっとわかる。

その汗と、その涙が自分の中の

苦痛を抜いていてくれたことを。

辛さを抜いていふくれたことを。

 

ここに一枚のCDがある。タイトルは

「HIT SINGLES 1977 HITS&HITS」

もう30年近く前にヒットしたシングルを集めたCDだ。

曲は次の通りである。

1,ホテル・カルフォルニア(イーグルス)

2,伝説のチャンピオン(クイーン)

3,朝もやの二人(シカゴ)

4,愛はきらめきの中に(ビー・ジーズ)

5,ダンシング・クイーン(アバ)

6,あなたへの想い(ナタリー・コール)

7,回想(スティービー・ワンダー)

8,イッツ・ソー・イージー(リンダ・ロンシュタット)

9,愛のかけら(ブレッド)

10,恋するデビー(デビー・ブーン)

11,ウィア・オール・アローン(リタ・クーリッジ)

12,はるかなる想い(レオ・セイヤー)

13,スター誕生の愛のテーマ(バーブラ・ストライサンド)

わが青春のポップスといっていい曲たちだ。

ちょうど一番シオカライ時間を過ごした時の曲たち。

いま聴くと、美しくもあり、甘くもある、

自分にとってのサポーターソングであることも感じる。

その曲が最近CMでよく流れている。

嬉しい反面、ノスタルジーばかりではなく、

新しい音楽に出会いたいと思う。

それは僕ばかりだろうか。

魂が最高のアドバイザー

(今日のコトバ)

 

魂を拳に変えて、明日を撃て。

 

 

 

揺るぎ動かぬ信念こそが魂。

戦うべき、挑戦すべき、テーマがそこにあるのなら、

魂からほとばしる気持ちを武器にして、未来をつかもう。

心の奥底にある魂から指令を出して

全身全霊でテーマに立ち向かえば、

気持ちに勢いが出て解決する速度がアップする。

成功を収めるための力がわいてくる。

もし、今の状況が上手くいっていなかったら、

自分の魂に相談してみよう。自分の信念を確認してみよう。

できそうでできなかった一歩前へ踏み出すための

勇気を与えてくれるはずだ。

明日のためのその一を教えてくれるはずだ。

先にがんばる

(今日のコトバ)

 

楽するためにがんばるんだ。

 

 

 

先にがんばってしまった方が、後からがんばるより楽。

わかっているようだけど、できない。

できるけれど、やらない。

人間は怠け者だから、そんな気持ちもわかる。

でも、先にがんばった方が、後にがんばるより気持ちも楽だ。

後に何かをしなくてはと考えながら生きるより、

後は遊ぶだけと生きられる方がいい。

さあ、今かかえている山を片付けて、

すっきりした気持ちで楽しみを満喫しよう。

大河ドラマより自分のドラマ

(今日のコトバ)

 

一日をめいっぱい使おう。

人生はあっという間に去っていく。

 

 

 

短い。とても短い。歳をとればとるほど

人生は短い。一日一日が倍速で過ぎていく。

今日の出来事が未解決のまま終わっていく。

努力をしなかったわけでもないのに、

時間のスピードが自分を追い抜いていってしまう。

だが、一日には24時間という持ち駒がある。

これを上手に使えば、人生はもっと豊かになる。

仕事だけではなく、趣味も、遊びも、

人生が有意義になることに時間を費やそう。

思い出も、記憶も残らない一日にはしない。

ビッグイベントではなくていい。

自分にとってのちいさなイベントでいいから開催しよう。

大河ドラマでなくていい。

自分にとってのささやかなドラマでいいからつくりだそう。

「つまらないな、人生が」なんて気持ちにならないように。

人生をもっともっとおもしろくするために。

顔に人格が宿る

(今日のコトバ)

 

外向きの顔は、すぐ乾いてしまう。

 

 

 

猫をかぶるというけれど、人は良く思われたい時、

特別に違う人格をつくって媚びを売ることがある。

いちばんよくあるのが、けして性格が良くなく、

自分も悪いと思っているのに、作り笑いを絶やさず、

「あの人、いい人ね」と思わせようとする。

でも、そのいい人作戦は、もともと悪い性格を

時間限定で良くみせるだけだから、

気持ちがオフになった瞬間、最悪の人格が存在する。

これが面接の時だったりすると大変だ。

質問が想定の範囲なら、ニコニコ話せるが、

いじわるな質問を投げかけると、どんどん顔の表情が険しくなる。

しっかり外向きの顔をつくってきたのに、

面接が終わるころには全部崩れてしまっている。

ま、とにもかくにも顔は自分の生き方が描かれてしまう。

もし、いい顔を、いい表情をしたいなら、

日々、自分の生き方に磨きをかけるべきだ。

時間はかかるがいい顔に、きっと変わっていくはずだ。

まわり道だからこそ見つけた

(今日のコトバ)

 

まわり道にも、花が咲き、鳥がさえずり、虹は懸かる。

 

 

 

まっすぐに道を歩めばいいというものではない。

まわり道には、人生に大切な出会いがたくさんある。

むしろ、まっすぐ歩いた人には、人生のおもしろみがなかったりすることがある。

エリート教育、進学教室などで、無駄を廃し最短距離ばかりを選択した人が、

社会に出て自分の方程式にない問題がおきると、

途端に弱々しくなってしまうケースが数多くある。

逆にまわり道を歩いた人の骨太な生き方、

その生き方ゆえの輝かしい人生もまた、いろいろ見てきた。

いま、自分の描く未来に遠回りしていると感じている人も、

焦らずに、あきらめずに、ゆっくりでも、確実に前進していけばいい。

まわり道だからこそ見つけられたおいしいお店があるように、

まわり道だからこそ見つけられたおいしい人生もあるはずだ。

洗濯した自分で

(今日のコトバ)

 

自分を洗濯できる人は、いつも新しいです。

 

 

 

切り替えられる人って、いつもフレッシュでいられる。

切り替えられない人って、いつもどんよりしている。

人はいろいろな問題をかかえているけれど、

二股、三股で考えようとせず、ひとつを解決して

サッパリして、次に進もう。

あれこれ頭で交錯すると、何も処理できないで

問題だけが残ってしまう。

目の前にあるものから処理すれば、

気持ちよく問題は区切れる。

そして、区切った時に、自分をリフレッシュする時間を

つくろう。同じ人生なら、いつも気持ちよく

洗濯した自分でいられるといいと思う。

人生、いつも新しい人でいれば、

人が、時間が、夢が、新しく感じられるはずだ。

勇気は魂の滑走路を走り出す

(今日のコトバ)

 

勇気は、魂の基地でいつでも飛び立つ準備をしている。

 

 

 

勇気を奮い立たせる時は、不意にやってくる場合もある。

もちろん、心の準備をして挑む場合もある。

ただ、いえることは、勇気はいつでも戦う準備ができているということ。

突然、決断や戦いを迫られた瞬間、勇気は魂の滑走路を走り出す。

目標は、そこから出撃し、意志のおもむく的めがけ飛び立つことだ。

そして、その勇気の出撃ボタンを押すのは、自分だ。

勇気を目標に命中させれば、限りなく成功を手にできる。

仮に成功しなくても、気持ちの整理はつくはずだ。

だからこそ、この勇気を使おう。

勇気を使えば、人生の分岐点に立った時、

その勇気が大きく自分の人生を好転させてくれる。

勇気を使えば、人生の逆境に立った時、

その勇気が凄い力で自分の人生を助けてくれる。

いま、この時も、勇気はあなたのために飛び立つ準備をしているのだから。

見返りは、もうもらっている

(今日のコトバ)

 

「人のために」は、「自分のために」だ。

見返りを考えていては貧困になる。

 

 

 

ボランティアなどで恵まれない人々に募金する。

困っている人を助けることって、見返りを求めることではなくて

自分が気持ちよくなることではないだろうか。

自分の行為が少し誇れる。誰かの役に立っている。

そう思うと自分自身の心が穏やかになる。

本来、人のために何かをすることって、

そんなふうに自分が気持ちよくなればいいのだと思う。

でも、時々、思う。「あれだけしてあげたのに、なんで見返りがないんだ」と。

でも、見返りは自分の気持ちよさでもう充分もらっている。

後で相手から何かをもらったら、それはオマケだ。

オマケはオマケとしてありがたくもらえばいい。

ただ、「人のために」やったことを、恩着せがましく

相手に見返りを求めるのは邪道だ。

心が気持ちよくなったとき、その行為は完結されていなければならない。