敵こそ、ほんとうの味方

 

(今日のコトバ)

 

敵を知ること。

敵を持つこと。

敵に挑むこと。

そして、

敵を味方にすることによって

人間は成長する。

 

 

 

敵。

人生に立ちふさがる

大きな壁。

生れてからどれだけの

敵と戦ってきただろう。

敵と書くと悪意も混じって

印象が悪いが、

ライバルと書くと

互いに切磋琢磨できる人という

イメージになり印象もいい。

人生で出会うほとんどの敵は、

ライバルでいいのではないか

と思う。

そのライバルができることによって、

ライバルに勝とうとして、

自分を磨く。

切磋琢磨する。

いい目標になって、

自分の目指す場所を

教えてくれたりもする。

もちろん、嫉妬などで

足を引っ張ってやろうと

思うこともなくはない。

だが、それを差し引いても、

成長にライバルがいる

メリットは大きい。

さらにいえば、

ライバルと呼ばれた人ほど

気持ちがわかりあうと、

敵という言葉ではなく、

味方と思える。

それも、

もっとも心を許せる味方に変わる。

だからこそ、

「人生にライバルをつくれ」

といいたい。

ライバルは自分の成長に

多大な貢献をしてくれる。

そして、自分の人生の

ほんとうの味方になってくれる。

人生にほんとうの味方が

いてくれたら、

どれだけ素晴らしいことか。

長く生きると、

ほんとうの味方は、

ライバルの中にいることが

よくわかるのだ。

 

気持ちの勢いが自信になる

 

(今日のコトバ)

 

自信は持つものではない。

できる、

そう思った瞬間に

身に着くものであり、

できない、

そう思った瞬間に

身から離れるものだ。

 

 

 

「自信を持て」といわれる。

自分以外の誰かに

そんなことをいわれる。

道に落ちているものではないので、

簡単に持つことはできない。

もっといえば、

目に見えるものではないので、

持っているかさえわからない。

ただ、人は「自信を持て」という。

では、どんな時に自信は持てるのか。

自分でわかるのは、

何かができた時、

自分の中に

気持ちの勢いが生まれる。

その気持ちの勢いが自信という気もする。

反対に、

何かができなかった時、

気持ちは沈む。

その気持ちが沈んでいる状態を

自信喪失という気もする。

つまり、自分ができたと思うか、

できないと思うかが

大きく影響する。

そう思うと、

できると思うことが自信の源。

できると思えることを

増やしていけば、

自信を持てる領域が広がる。

できると思っていきることは

大切なのだ。

自分の満足が目標達成になる

 

(今日のコトバ)

 

人間、金持ち世界一になれる人は

少ないが、

幸せ世界一になれる人は

たくさんいる。

幸せ狙いでいこう。

 

 

 

目標によっては、

到底叶わないこともある。

挑戦しても結果がでない。

その到達点まで届かない。

挑むことも大切だが、

いつまでも達成できないと

自信が持てなくなってくる。

ただ、目標を個人設定できて、

自分が満足すれば達成にできるのなら

挑む価値がある。

例えば、幸せ。

幸せの基準は人それぞれ。

自分が幸せだと

満足すればいいのだ。

特に、自分の隣りにいてくれる人が

素晴らしい人なら、

たいがいは幸せを満喫できる。

だからこそ、

自分で個人設定できる

目標もつくる。

自分の満足が

目標達成の基準になる。

そこを目指すことをできれば、

生きることが

有意義になっていくのでは

ないだろうか。

没頭できることを見つけて生きていく

 

(今日のコトバ)

 

人の声に右往左往するなら、

自分の声に一心不乱になれ。

 

 

他人の声、他人の眼、他人の評価。

どうしても気になるものだ。

ただ、気になる時は、

たいがい

自分がイケてないと思う時。

自信を持てない何かが

ある時が多い。

その時、

いちばんの解決法は、

そのイケてない原因を

解決すること。

解決すれば、

ほぼ他人のことは

気にならなくなる。

だが、それと同時に

解決できるもう一つの

方法がある。

それは、

自分の内なる声に忠実になること。

自分のやっていることを信じて、

そのことに没頭する。

没頭していれば、

他人のことは気にならなくなる。

気にならなければ、

自分で生きていける。

自信もついてくる。

「没頭できること見つけて

生きていく」

他人のことを気にせず

生きるために、

覚えていいことだと思う。

本物の自信

 

(今日のコトバ)

 

自信は、

過剰でなければ役に立たない。

 

 

自信がある時とは、

どういう時だろう。

何かを習得した時。

何かに成功した時。

何かに勝利した時。

何かの成長を感じた時、、。

いろいろあるだろう。

ただ、自信といえるものが

自分にも他人にもわかるとなると、

そうとうなものを

積み上げた時だと思う。

自信という言葉は

かっこいいが、

ちょっとした自信だとしたら、

吹けば飛ぶような意識だろう。

自信喪失という言葉もある。

一瞬で自信が

無くなることもある。

そう考えると、

自分の中に確固たる

力をつくり上げた時だけが

自信のような気もする。

だとしたら、自信過剰ぐらいで

いいのではないだろうか。

過剰ぐらいが自分にとって

本物の自信といえる。

人に迷惑をかけなければ、

自信過剰、

大いに結構ではないだろうか。

自分の眼で生きていく

 

(今日のコトバ)

 

歴史は、勝者の誇大広告である。

 

 

事実には表もあれば裏もある。

生きれば生きるほど、

そう思うことが多くなる。

事実には間違いないのだが、

本当は事実をつくり上げた

裏方の力が大きかったり、

事実を独り占めしているけれど、

チームの力が事実になるべきだと

思うこともある。

だからこそ、

正しい事実を見極める眼を

持って生きていきたい。

「もう事実という結果が

出たのだから仕方ない」と

思わず、

自分の眼で判断する。

人生をまっすぐ

生きていくために、

自分がしっかりしていれば

ブレずに歩いていける。

迷いすぎたり、

戸惑いすぎたりしなくてすむ。

生きるために

自分の眼を持って生きていこう。

 

才能と努力、人間の二大機能

 

(今日のコトバ)

 

そんなに安く

見積もらなくていい、

自分の才能。

そんなに高く

評価しなくてもいい、

自分の努力。

 

 

自分の才能はどこにあるか。

子供の頃にわかってしまった人は、

天才と呼ばれるかもしれない。

人生の行くべき道も

早くから

決まってしまうこともある。

反対に、自分の才能が

どこにあるかわからないままで

生きていると、

生きることが

しんどくなってしまうこともある。

ただ、

人は努力できる生きものでもある。

努力の仕方を間違えなければ、

夢をどんどん実現することも

できる。

才能と努力。

人の人生の鍵を握る二大能力。

その二つの能力をどう使うか。

上手に使うと、

人生は素晴らしいものになる。

だからこそ、

才能を見極め、

正しい方向に着実に努力する。

その意識を持って生きていこう。

「もっとがんばってみる」にトライする

 

(今日のコトバ)

 

もう一回、もう一度、もう一歩。

成長には、

あと一歩を足す必要がある。

 

 

自分が成長を感じる時がある。

昨日、あるいは、

少し前にはできなかったことが

できるようになる。

何かを習得すること。

もっと速く走れること。

もっと高く飛べること。

もっと遠くへ投げられること。

もっと蹴りが上手くなること、、。

もっと、何かができるようになると

成長を感じる。

ただ、成長を感じる時に

必ずといっていいほど

やっていることがある。

それは、

もっとがんばるということ。

練習とか、

トレーニングを

もっとがんばるっている。

成長の実の部分は、

もっとがんばるでできている。

そう考えると、

もっとがんばろうと思った時が

成長期ともいえる。

いま、自分の中でもっとがんばろうと

思うことがあるか。

あるのなら

その分野をがんばってみる。

成長できる確率は高い。

できる領域が広くなれば

人生は楽しくなる。

もっとがんばってみるに

トライするのだ。

 

 

いのちの差

 

(今日のコトバ)

 

どんな体の大きな人も、

どんな体の小さな人も、

いのちの重さは同じだ。

 

 

 

身体の大きさだけではない。

貧富の差も、

教養の差も、

命を前にして、

誰一人差はないはずだ。

だが、

世界はそうでもない状況が

たくさんある。

正しくいうと、

命の差はないのだが、

命を

簡単に失う可能性のあると

そうでない人がいる。

例えば、ウクライナ、

トルコ、シリア、

ミャンマー、

アフガニスタン、

アフリカ諸国などで生まれた人々は、

命を失う危険にさらされている。

生きている世界そのものに

命の危険がある。

そういった人々と

命の差はないといっても

説得力はない。

だからこそ、

ある程度安全に

生きていける人々は、

命の危険がある世界の人を

救う活動が必要だ。

声を上げる。寄付をする。

ボランティアに参加する、、。

東北大震災の時に、

あれだけ世界中から

助けてもらったことを

忘れてはいけない。

命の危険が

ある人々のためにできる何かを、

個々人で考えていくべきなのだ。

 

 

最後に人生の主役は、自分

 

(今日のコトバ)

 

人生は、

脇役、敵役、悪役の稽古を

積んで主役になる。

 

 

 

人生という舞台を生きていく上で、

いろいろ役をこなすことになる。

誰かの人生の脇役になったり、

ライバルの敵役になったり、

相手に立ちふさがる悪役になったり、、。

いくつもの役をこなしながら、

人として成長していく。

そのどの役も自分にとっての

財産になり、

人生の課題を抱えた時、

自分の引き出しから役を演じて

対処する武器になる。

人生でいろいろな役を

こなしているうちに、

人生は自分のものだと覚る。

どんな役を演じても

自分が主役だと気づく。

もちろん、最初から主役だと

思う人もいるだろう。

環境によっても考え方は違う。

ただ、いろいろな役という

引き出しを持った上で

主役ができれば、

いい演技ができる。

人生の課題に

いい対処方法が使える。

人生の後半になって、

自分は主役だと思えるのも

ワルくない。

人生の主役は

自分であることを

忘れていけない。