「これから」のために敗北は必要

 

(今日のコトバ)

 

敗北を結果として生きる人は

そこまでだが、

敗北を経過として生きる人は

「そこから」だ。

 

 

誰でも負けることはある。

人生で換算すると

無数に負ける。

その負けてしまった

結果に思い悩んで、

前進することを

止めてしまうと、

成長は止まってしまう。

何度も何度も経験する敗北なら、

それを経過として捉える。

いまの自分の状況を把握できる。

足りないものは何かを知れる。

負けるということには、

そんな効果もある。

そして、効果を知れば、

「これから」を

どうすれば良いかわかる。

「これから」が面白くなる。

「これから」の未来のために、

負けることも必要なのだ。

 

 

 

どこにでも幸せは咲く

 

(今日のコトバ)

 

四つ葉のクローバーも

雑草として生きている。

 

 

幸せは「普通」の中に

生息している。

例えば、

四つ葉のクローバーも

その他の雑草と同じ場所で

咲いている。

四つ葉でなくても、

三つ葉であれば、

ほんとうにどこにでも

咲いている。

人の世の中も

生きている場所に

普通に幸せがある。

もっというと、

三つ葉のクローバーも、

その他の雑草も

四つ葉のクローバーと

同じように咲いていることを

思えば、

みんな幸せに

咲いているともいえる。

幸せは生きている普通の環境に

あるのだ。

だからこそ、

いまいる場所で

一生懸命咲けばいい。

そこに幸せは生まれる。

そこに幸せは咲く。

人の世の中も

同じような気がしてならない。

そう思う春の晴れた日だ。

 

未来を素敵な名前にしよう

 

(今日のコトバ)

 

未来は、

まだ名前がついていない。

夢とか、希望とか、奇跡とか、

名付けてもらうのを

待っている。

 

 

 

どれだけ生きても、

未来にはたどり着けない。

まっさらのまま、

僕らの先にある。

だとすれば、

まっさらの未来を

自分の好きなような

絵で、シナリオで

つくりあげたい。

できれば、

夢とか、希望とか、

奇跡とか、、。

自分の人生が有意義になる

ものに未来を書き替える。

あの時の夢が叶った、

あの時の希望が

現実になった等と。

未来を現実にしていく生き方。

未来に進化を求めていく

生き方は、

自分の成長につながる。

自分のできる領域が広がれば

人生がおもしろくなる。

もっともっと有意義な人生に

するために、

未来を素敵な名前にしよう。

 

「好き」は可能性の宝庫

 

(今日のコトバ)

 

可能性は、

好きの延長線上にある

希望である。

 

 

あくまでも自分の可能性を

考えると、

好きでやることに

なってくる。

嫌いだったり、

不得手なものに可能性を

感じることはないし、

自分からも前向きに

なれない。

では、

可能性とは何か。

それは好きなことを続けた先に

見つける

希望なのではないかと思う。

好きであれば、

モチベーションが上がる。

やる気のスイッチも入りやすい。

目標もつくりやすい。

そこに可能性が生まれる。

だからこそ、

自分の可能性を

広げていくなら、

好きなものを追求しよう。

自分の中のたくさんの

可能性が見つかるはずだ。

限界ではなく、新しい目標のスタートに

 

(今日のコトバ)

 

限界線、

それもまた、

スタートライン。

 

 

限界は自分でつくっている。

誰もがそう思う。

一つの正しい答えでは

あると思う。

ただ、

本気で挑んで、

「ここが限界だ」と思った時、

そこから先へ行くのは困難だ。

もう一歩も進めない。

目標をあきらめるしかない。

そこで思うのは、

あきらめるのではない

もう一つの考え方が

あるということ。

限界だと思ったところを

スタートと考える。

同じ目標の限界ではなく、

新しい目標のスタートに

変えてしまう。

目指すところが同じでも、

気持ちをリセットして

挑める。

つまり、限界だと思ったら、

そこからまた

新しい挑戦に変えてしまう。

横に逸れても、

回り道をしても、

一端下がってもいい。

とにかく、限界線を

スタートラインに変えてしまう。

高い目標に挑むための

一つ方法だと思う。

生き抜く記録を更新する

 

(今日のコトバ)

 

生き抜くために、

まず、今日を幸せにしよう。

 

 

人生、生き抜いてきただけでも

成功だと思う。

どんな人にも人知れず、

数えきれない悲しいこと、

苦しいことがあったはず。

そして、

今を生きているということは、

それらの困難を

すべて乗り切ってきたのだ。

その生き抜いた力を

賞賛しないなんてありえない。

誰も褒めてくれなくても

自分では褒める。

さらにいえば、

今日というこの日も

幸せだと思えるように生きる。

生き抜く記録を、

また、一日延長する。

それも幸せなカタチで。

そんな人生をおくれたら

最高ではないか。

どんな基準で

成功や幸せを決めてもいい。

もちろん、自分も自分の

成功や幸せの基準を

持っていい。

その中で、

自分の幸せを

しっかり噛みしめられる状況を

つくって生きていくのだ。

出会いは、誰の人生にも起こる奇跡

 

(今日のコトバ)

 

人間の出会いの99%は

奇跡だ。

一年前にあなたと出会うことなど、

まったく想像できなかった。

 

 

出会い。

簡単にいうが

人生のフレームを

決めてしまう大事なこと。

だが、

その出会いのほとんどが

奇跡といっていい。

出会いたくても

出会えない人がいる。

出会いたくなくても

出会ってしまう人もいる。

まったくの偶然出会う人もいる。

人から紹介された人もいる。

自分から会いにいった人もいる。

ただ、自分の思い通りに

出会えることは少ない。

それこそ、

運命の糸で結ばれた

思う人もいるが、

ほんの少数だ。

反対に、出会いが衝撃的でなくても、

付き合いが長くなり、

離れられない仲になることもある。

だからこそ、

人の出会いを大切にしたい。

人生を大きく変えていき、

誰の人生にも起こる奇跡。

それが、出会い。

人生は出会いによって、

有意義なものに

なっていくのだ。

自分の道を切り開け

 

(今日のコトバ)

 

道があるということは、

誰かがこの先で目標を

達成したということ。

もうこの道の

トップランナーではない。

 

 

 

もう道がある。

舗装された地面を

歩むことは容易だ。

漠然と生きていくためには、

とても楽ができる。

誰かがつくってくれた道は

大切な道でもある。

だが、その道が本当に自分に

とって必要な道なのか。

もっというと、

自分が目指すべき道なのか。

そうでないと思うなら、

誰かのつくった道を

歩いていても、

自分のゴールには

たどり着けない。

自分のゴールを目指すなら、

自分のつくった道を

歩まねばならない。

しんどくても、苦しくても、

自分の道を行かなければ、

自分のゴールにはたどり着けない。

だからこそ、

自分の道をつくって歩いていく。

一歩一歩でいい。

時間がかかってもいい。

自分でつくった道は、

自分がたどり着きたい場所へ

行ける。

人生、

自分で道を切り開くことが

大切だ。

困難に出会ったら、人生の成長期

 

(今日のコトバ)

 

困難は、

チャンスをつかむための

筋力を養ってくれる。

 

 

 

人生の難しい問題に直面するたびに、

しんどい思いをする。

解決法をなんとか導き出そうとする。

日々の暮らしの中で、

より頭と、より体と、

より気を使う。

ただ、

この難しい問題を解決した時、

自分でも一皮むけたと思える。

少し大人になった、

少し強くなった、

少し賢くなったと

思うのも事実だ。

振り返ってみれば、

難しい問題を

いくつ乗り越えたかが

自分の成長期のようにも思う。

だからこそ、

人生の難しい問題、

困難に出会ったら、

自分の成長期と思う。

もっと自分が進化できると

がんばってみる。

仮に、問題が解決しなくても、

挑んだ記憶は人生の財産になる。

そう思うと、

難しい問題へも意欲的に

取り組んでいけるはずだ。

 

他人にも正論はある

 

(今日のコトバ)

 

戦いはすべて「正論」対「正論」。

人は自分に近い「正論」に

声援を上げる。

 

 

 

自分からすれば

自分の考え方が正論だ。

その正論を誰にも

押し付けてしまう人がいる。

「自分が正しいと

思っているのだから、

それ以外は異論。

もっというと、悪」と。

大概の人は大なり小なり

そんな気持ちを持っている。

だが、自分の尺度は絶対ではない。

もっというと、

人それぞれ自分の尺度を

持っている。

自分の正論と

他人の正論が異なって当然だ。

ただ、相手の正論に対して、

寛容になったり、

聞き耳を立てられる人が

どれだけいるだろう。

ちゃんとしたバランスで、

他人の正論を

受け入れられる人は

限られている。

だからこそ、

正論は他人にもあることを

常に意識して生きていこう。

自分だけの正論で生きると

必ず不都合が生じる。

世の中には自分以外の人が

たくさんいてコミュニティを

つくっていることを

忘れてはいけない。