他人にも正論はある

 

(今日のコトバ)

 

戦いはすべて「正論」対「正論」。

人は自分に近い「正論」に

声援を上げる。

 

 

 

自分からすれば

自分の考え方が正論だ。

その正論を誰にも

押し付けてしまう人がいる。

「自分が正しいと

思っているのだから、

それ以外は異論。

もっというと、悪」と。

大概の人は大なり小なり

そんな気持ちを持っている。

だが、自分の尺度は絶対ではない。

もっというと、

人それぞれ自分の尺度を

持っている。

自分の正論と

他人の正論が異なって当然だ。

ただ、相手の正論に対して、

寛容になったり、

聞き耳を立てられる人が

どれだけいるだろう。

ちゃんとしたバランスで、

他人の正論を

受け入れられる人は

限られている。

だからこそ、

正論は他人にもあることを

常に意識して生きていこう。

自分だけの正論で生きると

必ず不都合が生じる。

世の中には自分以外の人が

たくさんいてコミュニティを

つくっていることを

忘れてはいけない。

借りは不幸のはじまり

 

(今日のコトバ)

 

借りをつくればつくるほど、

幸福は欠けていく。

 

 

 

人と人との関係で、

借金をつくらないことは

大前提。

ただ、生きる場面で

どうしても借りなければ

ならない場合もある。

大概は、公的機関、

金融機関と相談して、

借りをつくる。

人と人ではなく、

人と自治体、人と企業で、

こと足りるはずだ。

だが、それでは経済が

まわらなくなって、

身の回りの人に

借りてしまうことがある。

そこから、

人生は茨の道に向かってしまう。

そもそも、

借りをつくるということは、

借りた相手に

迷惑をかけることになる。

当然、相手に卑屈になってしまう。

下げなくていい頭を

下げなければならなくなってしまう。

借金のやりとりで、

返済計画通り返せればいいが、

返済できなくなると、

相手から逃げる行為に

走る場合もある。

個人的な関係で借りていれば、

相手の方から

返済スケジュールを無視して、

返してくれといわれることもある。

そのやりとりの間に、

不幸が生まれる場所が

たくさんある。

犯罪につながりかねないことも

起こる。

いずれにしろ、

いい人間関係は崩れていく。

だからこそ、

人と人との関係で

借りをつくらないように生きる。

つくったところから

不幸が始まる。

そう肝に銘じて生きていくのだ。

熱き魂になれる目標をつくろう

 

(今日のコトバ)

 

気持ちに血肉をつけて

魂にするんだ。

 

 

最初は

「〇〇したい」と思う。

それが本気にって、

「〇〇するんだ」となる。

すべては願望からはじまるのだが、

そのうち精査されて、

実現するものと

そうでないものが生まれる。

願望だけのものと、

実現するものの差は何か。

それは、まぎれもなく本気度。

願望という気持ちから

実現する魂へ変化すること。

願望だけではない自分の中の

熱き魂が、

実現までの道程を踏破させる。

人生は一度きり。

自分の願望が一つでも多く

実現すれば、

それだけ愉しみが増えていく。

だからこそ、

願望を実現するために、

熱き魂になれる目標をつくろう。

有意義な人生のために

大切なことだ。

愛する人を大切にして生きる

 

(今日のコトバ)

 

生きる時間が

有限ということは、

愛する時間も

有限ということ。

一瞬でも

大切にしなければ、

後悔する時が必ずくる。

 

 

人生の時間は有限。

そんなことはわかっている。

だが、人は時間が有限なことを

忘れて生きてしまう。

もちろん、状況に応じて、

有限を意識せずには

いられない人もいるだろう。

ただ、大半の人は

時間が有限なことを

忘れている。

忘れていると

後悔することがある。

その筆頭が人との別れ。

愛した人と別れる。

愛した人を亡くす。

愛した人と離れ離れになる。

「どうして、もっとあの人を

大切にしなかったのだろう」と

後悔する。

後悔するぐらいなら、

いまからでも自分の愛するを

大切にしよう。

少しでも後悔しないように、

愛する人を

大切にして生きていくのだ。

 

 

自分表現法はいくつもある

 

(今日のコトバ)

 

笑顔のメイクアップ、

ご機嫌のファッション、

幸せのフレグランス。

人は変身するために

いくつものノウハウを

持っている。

 

 

そのまま自分を

どう伝えていくか。

自己表現が下手だったり、

遠慮がちだったり、

人見知りだったり、、。

自分のことを伝えるのが

不得手な人は多い。

だが、その人たちが

自分を最大限の表現を

しているかというと、

そうでもない気がする。

例えば、笑顔。

笑ってくれるだけで

近づきやすかったり、

話しやすかったりする。

例えば、機嫌。

機嫌のいい人との

コミュニケーションは、

スムーズになる。

場の空気も圧倒的によくなる。

反対に、機嫌のワルい人の

まわりは

不快指数が上がってしまう。

さらには、

幸せそうに見える人がいると、

自分も幸せな気分になる。

つまり、自分の持っているもの、

自分の表現次第で、

自分を伝えるために

立ちふさがる壁を

なくすこともできる。

そう考えて、

自分を打ち出してみる。

少しだけ意識してみよう。

 

平凡な日々とは、いいことだらけの日々

 

(今日のコトバ)

 

いつかの奇跡より、

いつもの平凡。

 

 

 

「何かいいことないかな」

そう思って生きている。

楽しいこと、嬉しいこと、

幸せなこと、何でもいい。

昨日より素晴らしいことが

起こることを待っている。

ただ、生きていれば、

毎日が奇跡のように

素晴らしいことが

起きるものでもないことを

知っている。

いいことだけでなく、

ワルいこともある。

そして、圧倒的に多くの人は、

平凡というの日々の中で

生きている。

そして、

平凡という日々が

いいことではないとも

いいきれない。

あたりまえのように過ぎていく

時間だが、

人生を幸せな気持ちに

してくれることが多々ある。

いいことの基準も高くすれば

無限に高くなるが、

毎日の習慣の中で見つけられれば、

平凡な日も、

いいことだらけの日々に変わる。

だからこそ、

平凡な日々を大切にしよう。

平凡がいいことになると、

人生はいいことだらけになる。

もっと前向きに生きていけるのだ。

 

 

大変なことも生きるための財産になる

 

(今日のコトバ)

 

生きるとは、

あぶない世の中の道を

安全に走り続ける技術のことだ。

 

 

生きていくことは大変だ。

どんな普通な生き方を

している人も

振り返ってみて欲しい。

アクシデントがまったく

なかったという人は

皆無だろう。

何かあったはずだ。

そのアクシデントを思い返すと、

自分の人生も

大変だったと思う。

そして、こうも思う。

そのアクシデントが

あったらこそ、いま、

こうして普通に

生きていられる、と。

あぶない状況に出会うたび、

どう生きるべきか考える。

まっすぐ行くべきか。

横道に逸れるか。

バックするか。

停止して休むか、、。

その体験した記憶が

人生をより安全に生きるための

教訓になっている。

だからこそ、

あぶない状況も

人生には財産になる。

そのことを忘れずに生きれば、

毎日を前向きに

生きていけるはずだ。

正解の道にしながら歩く

 

(今日のコトバ)

 

選択した状況を

正解にできる力を、

実力という。

 

 

正解の道を選びたいという。

ただ、ある程度長い時間を

生きていく道であれば、

その道が良くてもワルくても、

自分の力で

なんとかしなくてはならない。

おそらく誰もが人生の中で

歩いてきた道を、

正解にしてきたことが

あるはずだ。

最初はしんどい道でも、

歩き続けていると、

困難も、危険も、越えて、

前進している。

どう乗り越えればいいかの

知恵もついてくる。

そして、いま歩いている道は

正解になっている。

正解だといえたその時、

自分は成長している。

力もついている。

だから、

はじめに歩き出す道は、

どんな道でもいい。

まずは、歩き出してみよう。

そして、歩きながら

自分としていい道に

つくっていく。

それこそが、

自分が人間として

進化することなのだと思う。

 

隣りにいてくれる人はいちばん大切

 

(今日のコトバ)

 

遠くから手を差し伸べてくれる人が

いない世の中でも、

隣りで手を握りしめてくれる人は

いるのだ。

 

 

 

ふと気づくと、

隣りにいてくれる人。

その人が自分の人生において

どれだけ大切なのか。

あまりにも

あたりまえの存在だから、

その価値が

よくわからなくなっている。

もっとも人間関係で価値などと

使うことは品がないが、

隣りにいてくれる人は、

もっとも価値がある存在と

いっていい。

憧れたり、

尊敬したり、

大切だと思う人は

たくさんいるだろう。

その中でも

もっとも大切なのは、

隣りにいてくれる人に間違いない。

考えてみればわかる。

なぜ、隣りにいるのか。

好きだからでもあるし、

信頼しているからでもある。

一緒に笑って、

一緒に泣くこともある。

なにより、

隣りいる人から、

たくさんの優しさ、

たくさんの親切を

受けとっている。

そんな存在は

他にはいないはずだ。

だからこそ、

隣りにいる人を大切にする。

それが人生を幸せに生きる

礎になるのだ。

 

いまあるものの大切さ

 

(今日のコトバ)

 

離れていく人の背中が

見えなくなると、

隣りにいてくれる人の

あたたかさがよくわかる。

 

 

失って、

はじめて気づくものがある。

特に、人はその筆頭。

失うとは、

何もあの世に

行ってしまうだけでなく、

同じ環境で生きていけなくて、

失った気持ちも含める。

ただ、そのたびに、

いまあるものの

大切さを感じる。

いま、ここにいてくれる人の

大切さを感じる。

失ってわかる、

いまあるものの大切さ。

それがわかっているなら、

失っては困るものを、

日々大切にして生きる。

後悔がないとまでは

いかなくても、

失っても、

少しはどこかで

納得する状況をつくる。

いまあるものが

どれだけ大切かを意識しつつ、

なるべく

後悔しないように生きる。

人生をより納得して

生きるために大切なことだ。