新しい自分の誕生

(今日のコトバ)

 

変化は、変身する舞台をあたえてくれる。

 

 

 

自分の身をおく場所で変化があると、

必然的に変身しなくてはならない。

それは、肩書きだったり、役回りだったりするが、

とにかくフリをしてでも変わったところを見せなくてはならない。

中身はそれほど変わっていなくても、

変わったというポーズをするのだ。

それが悪いというのではない。

いやおうなしに変わることで、

実は新しい自分を誕生させるチャンスをえたとも考えられる。

それが、自分の思い通りではなくても、

カッコ良くなくても、未知の自分に出会えるのだ。

だから、変化を拒否するのではなく、

どんどん受け入れてみよう。

きっと、新しい自分と出会えるはずだ。

ほどほどの距離にいる

(今日のコトバ)

 

遠くへ行っちゃったらさ、

やっぱりわからないよ。

 

 

 

遠くにいる人とは、コミュニケーションがとりづらい。

遠距離恋愛や転勤や引越のようにやむにやまれぬ

事情で距離をおく場合はしょうがないにしても、

自分から後ずさりして距離ができてしまう場合は、具合が悪い。

近くにいればケンカもできるけど、理解も深まっていく。

何かあったときに救いの手も差し伸べてあげたり、もらったりできる。

しかし、自分から連絡手段を切ったり、絶対会えないような

場所へ行ってしまっては、つながっていることなどできない。

距離をおくことって、実はあまりにも愛しあったり、

あまりにも関係が深くなったから起こってしまうことだ思う。

深く付き合ったてしまったがために、

見なくていいところまで見てしまったバッド・コミュニケーションなのだ。

ただ、愛しあったり、深い仲になった人たちなら、

本来は気があう人種の人たちといっていい。

だとしたら、短い人生、この気のあう人たちをばっさりと切っていいのだろうか。

むしろ、ほどほどの距離にいて、

また、つながれるような関係を続ける方がいいのではないか。

人間、気のあう人などそんなにいないのだから。

べたべた近くにいなくてもいい。

遠くへ行ってしまわないで、ちょっと遠くで冷静に見つめてみよう。

嫌な部分も見えたけど、距離をおくとやっばり良い部分も見えてくる。

人間なんて、ないものねだりの天の邪鬼なのだから。

リリー・フランキー著「東京タワー」

わりと本を読む方だと思う。自分では多読家だと自負している。

だが、映画を観るようにボロホロ泣くことは、人生で一度もなかった。

本では映像ほど、人を泣かすことはできないと思っていた。

「東京タワー」という作品を読むまでは。

 

この作品は、リリー・フランキーの自伝的小説である。

ただ、主人公が作者であると共に、主人公に深い愛情を注いだオカンとの物語になっている。

普通は、苦節何年、仕事で成り上がりました、とか、恋人、妻との激愛の歴史になるのだが、

ずーっと、著者を育ててきたオカンとの関わりの変遷という、ありそうでなかった小説なのだ。

小説といっても、これはあきらかに著者のドキュメンタリーであり、

著者を産んだオカン、著者を育てたオカン、病気になり東京で著者と暮らすようになったオカンを

温かな目で著者が包んでいる無償の愛情ドラマになっている(ときどきオトンも出てくる)。

ひとりの男を陰になり支えて一人前にしていくかの前半と、

ガンを煩ったオカンを著者が大きく包みこむ後半が、

殺伐とした毎日を忘れさせて家族のことを思い出させてくれる。

「昔の女は」などというが、子供ために節約し、

毎日欠かさずたくさんのおかずと飯を作り、

よく泣き、よく笑い、よくしゃべる。

戦前に産まれた女としては、よくいたタイプの女性だ。

ただ、著者からすればオカンは特別であり、よくいたタイプなどといわれたくないだろう。

自分の母親が他の親と同じ扱いでないように。

とにかく、秋の夜長、感動する一冊といったら、この一冊を迷わずおすすめします。

 

最後に、この本の「オカン」という部分に「私の母」といれてみると、

案外、似たような母に育てられた自分にびっくりする。

また、「東京タワー」をこれから読まれる人も、

「オカン」の部分が自分の母にだぶってくるのではないだろうか。

才能があなたの「特別」でなくなる日

(今日のコトバ)

 

才能は、タイミングをはずすとただの石だ。

 

 

 

あなたのもっている才能にも、旬がある。

そして、その旬を逃すと才能は機能になり、

あなたの中の「特別」ではなくなる。

スポーツ選手が10歳台後半から20歳台前半に、

才能を発揮しないと、ほぼスポーツで飯は食えない。

頭脳を使うにしたって、どの分野にも才能を開花させる時期があるだろう。

また、判断力が必要とされる仕事は老いてからが

ベストシーズンになることもある。

もし、あなたが才能を世に問い才能で生きていきたいなら、

平時から準備を怠らないことだ。

いつ、何時、タイミングがきてもいいように充分な修練を積むべきだ。

来るべき、その時にむけて自分の才能を舞台で

発表できるよう生きていくべきなのだ。

ムードメーカーといる時間

(今日のコトバ)

 

心の澄んでいる人は、いい風をもってあらわれる。

 

 

 

空気を変えてしまう人がいる。

ひとつは、プレッシャーを運んでくる人。

怖い教師や怖い上司や怖い得意先。

怒られることを前提にしているので、

その人の声が聞こえるだけでドキドキする。

あまり体に良くない人種だ。

もうひとつは、その場の雰囲気に気持ちよさを運ぶ人。

気持ちよい立ち振る舞い、場を楽しませる行動、

みんなをポジティブにしてくれる話術。

その人が来るという情報だけでワクワクする。

ストレスから解放される時間をつくってくれる人種だ。

できれば、後者とたくさん出会いたいものだ。

もし、この気持ちよさを運ぶ人が自分のまわりにいてくれれば、

自分のムードメーカーにもなってくれる。

そして、明日生きるための活力源にもなってくれる。

そんな人とたくさん出会い、たくさん時間を過ごせば

あなたの人生も有意義なものになるはずだ。

長嶋茂雄と時間を過ごした人々が、

あの時間をいつまでたっても大切にしているように。

レッテルが防波堤

(今日のコトバ)

 

 

非常識とよばれて、快適に生きる。

 

 

 

「あいつは、OOOだからさ」とレッテルをはられる。

悪口だったりするかもしれないが、それが時に、

自分の生き方に触れられずにすむ防波堤になったりする。

あまり他人から干渉されずに生きていきたい人や

自分の人生にこだわりをもっている人は、

相手に不快感をあたえないレベルで非常識になろう。

きっと、いまより楽に生きられる。

きっと、いまより快適に生きられる。

そして、自分らしさを強調しながら毎日を過ごせるはずだ。

首輪なしは本物

(今日のコトバ)

 

首輪がついている間は吠えられる。

首輪をはずされても吠えられるか。

 

 

 

どこかに帰属していれば、威を借りて大きな顔をできる。

誰かに依存していれば、実力がなくとも強がりをいえる。

本当の力は、証明しなくていい。

でも、どこにも帰属せず、フリーの身で吠えられるか。

もし、吠えられれば、それは本物といっていい。

吠えていても潰されず、意見や実力が尊重されるのであれば、

どの場所でも立っていられる。どこでも生きていける。

あなたは首輪がついていますか?

あなたは首輪がつかなくても大丈夫ですか?

首輪なしで生きられると、社会に強気で挑んでいける。

来る者へ愛情を

(今日のコトバ)

 

去っていく者には追いつけない。

来る者は抱きしめられる。

 

 

 

結局、心が遠のいてしまうと、どんなに引き止めても

戻ることはない。力づくで引き戻しても、

目を盗んで去っていってしまう。

だが、来るものは思いっきり愛情がかけられる。

受け入れ側の気持ち次第で、心をひとつすることもできたりする。

新しいことに力を合わせてトライできる。

いわゆる同志になれるのだ。

だから、来るものは大事にしたい。

これからの将来を明るく、楽しく、幸せにしてくるきっかけは、

この扉を開けて来てくれる人の可能性が大きいのだから。

壁の向こうの世界

(今日のコトバ)

 

高い壁に挑んでいる人は、

明日が見えている人なんだ。

 

 

 

とてつもなく大きなものに向かって、

思いっきりぶちあたる。

何度も跳ね返されながら、なおも向かっていく。

その人は、いずれ成果を上げて

高い壁を超えていってしまう。

では、その人はなぜ壁を超えてしまったのか。

それは壁の向こう側にある世界が、

どれだけ素晴らしいものなのかを知っているからではないだろうか。

例えば世界チャンピオンになったボクサー勝つことによって、

手に入れる地位や名声やお金、劇的に変わる自分の目の前の世界を

きっちり描ききれた人のはずだ。

チャレンジャーで終わる者、名もなく終わる者とは違う

確かな未来を見つめていたのだ。

もし、いま、あなたが壁に挑んでるなら、

来るべき壁を超えた未来を強烈にイメージしよう。

その未来が蜃気楼ではなく、実像のように再現できれば、

壁を超えることはやさしくなる。

生きることは、人生の壁を乗り超えること。

壁の乗り超え方を知ることも、生きるための大事なスキルなのだ。

意志を支えるのは意地

(今日のコトバ)

 

意志を立てろ。意地で殴れ。

 

 

 

心の底から自分がやりたいことは、はっきり行動であらわす。

負けようが、勝とうがかまわない。とにかく筋を通して

自分の道を貫く。最初でその行動が認められこともある。

ただ、なかなか認められないこともあるだろう。

その時、意志と同時に保持している人間の素晴らしい機能である

意地を出せ。意地の中には、我慢、努力、ねばる、不屈など

死語になりそうな言葉がいっぱいつまっていて、あまりかっこのいいものではない。

でも、意志というプライドを支えているのは、まぎれもなく意地だ。

この意地なくして、意志は貫けない。

もし、壮大な夢や希望の下、意志を立てているなら

意地を大事に自分の武器にして戦おう。

勝手な解釈だが、意地は「意志が地についている」とも考えられる。

意志を大地につけて夢を咲かせるために

最高の肥料は、あなたの意地なのだ。

 

郵政民営化を争点にした自民党が圧勝した。

小泉純一郎はこの郵政民営化を提言してもう何十年もたつ。

その間、抵抗勢力の圧力や官僚の反対が数限りなくあったという。

それでも、長い間、意志を曲げなかったのは、

彼の意地以外の何ものでもなかったのではないだろうか。