(今日のコトバ)
ホンモノの愛を捧げようと思ったら、
愛が無償になるまで待たなくてはならない。
戦争特番で原爆の体験を語る番組があった。
「被爆の後、焼け野原で見た光景で印象に残ったのは、
子供と被爆した親がほとんど子供を自分の下に隠して焼死していた」との
コメントあった。空から爆弾が落ちてきて生命の危機に陥るかもしれないのに、
子供の命を救おうとした。自分の命よりも子供の命を救おうとした。
それこそが無償の愛といえるかもしれない。
戦争体験という悲しい記憶かもしれないが、
そこに愛があったはずだ。
昨今、ゆとり教育が行われ、ゆるい時代といわれて、やたら「愛」という言葉が使われる。
だが、その「愛」という言葉に、言葉のほどの深さや重さがあるだろうか。
かなり安く、かなり軽い「愛」のような気がしてならない。
何も生死をかけることが「愛」の定義ではないが、
あまりに安易に「愛」という言葉を使うと、
「愛」という言葉に逆襲されるかもしれない。
つまり、本当に「愛」が必要な時に、「愛」を手にすることができなくなるかもしれない。
オオカミ少年の言葉が信じてもらえないように、
現代人の「愛」が信じてもらえない。
そんなことがないように「愛」を大事にしよう。
本当の「愛」には、無償の行為がある。
そう思って生きることが、「愛」をリスペクトすることになる。
本物の愛を知った者こそ、あたたかい人生をおくれるのだ。
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