標識のない人生

(今日のコトバ)

 

 

いつも心配してください。

人生には道路標識がありませんから。

 

 

どんな人生にも、事故はある。

予測がついたものは仕方ないが、

予測不可能な事故もたくさんある。

できれば、ひとつでも事故を少なくしたい。

では、どうすればいいか。

人生には道路のように標識がないから、

自分で注意していくしか方法はない。

慎重になりすぎるぐらい慎重になって物事を選択する。

人のアドバイスを真剣に聞く。

危険に近よらないのもひとつだ。

注意一秒、ケガ一生というスローガンのように、

ちょっとした自分の人生への心配をしてあげよう。

自分の人生を守るためには、

標識のない道に細心の注意が必要なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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自分史を背負って

(今日のコトバ)

 

 

 

この1年何をやった?

この5年何をやった?

この10年何をやった?

スゴイことをやってきたんだ、君は。

 

 

何もなくてボーッと生きているようでも、

生きていれば、様々な出来事に出会う。

それを1年単位、5年単位、10年単位で振り返ってみると、

膨大な自分史ができあがる。

この膨大な経験を自分のチカラにできれば、

そう簡単に負けてしまう人間にはならないはずだ。

だから、自分史をもう一度確認してみよう。

途轍もない記録を残していることがあるかもしれない。

信じられない記憶もあるだろう。

全部をチカラにすれば、大地にしっかりと立ち続ける自分がいる。

さあ、自分史を背負って歩め。自分の信じた道を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ライバルは百利

(今日のコトバ)

 

 

敵がいてこそ、人生が叫び出す。

 

 

 

一人で独走できることはかっこいい。

無敵と呼ばれて他を圧倒することも素晴らしい。

だが、いちばん成長できて、ゲーム性があって、

なにより夢を実現するのはライバルの存在だ。

ライバルといっても、明らかに相手より劣っている場合は、

相手が最大の目標になる。相手の戦術、相手の練習法、相手の弱点を

研究することで、途轍もない能力を身につけることができる。

反対に、自分の方が相手より優れている場合、

常に追い越されるかもしれない緊張感と背中合わせで生きることになる。

やはり相手に負けないために、今以上のチカラを身につける努力をする。

さらに、相手がどっこいどっこいの実力なら、尚、切磋琢磨する気持ちになる。

つまり、ライバルがいることは、

百利あって一害なし、なのだ。

いま、ライバルがいない人は、自分から向かっていってでもライバルをつくれ。

そのライバルから受ける恩恵は人生を劇的に変える。

そして、自分の人生の舞台をもっと大きいものにしてくれるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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浮上の鍵の人

(今日のコトバ)

 

 

落ちこぼれを救うのは、

落ちこぼれないだけのでかい器だ。

 

 

 

授業についていけなかったり、仲間についていけなかったりすると、

人は落ちこぼれてしまう。一度、落ちこぼれると、また、同じポジションに

戻ることは難しくなる。ましてや一人のチカラでとなると、

可能性は極端に低くなる。

だが、高い確率で落ちこぼれから復活できる方法もある。

落ちこぼれた人を救おうとしてくれる人に出会うことだ。

もう出会ってるいる人かもしれない。

師と呼べる人かもしれない。先輩と呼ばれる人かもしれない。

とにかく、奇特にも落ちこぼれている人に手を差し伸べてくれる人。

そして、引き上げるチカラのある人。

そんな人がいてくれさえすれば大丈夫。

落ちこぼれることも怖くない。

いま、自分が落ちこぼれていると思ったら、

でかい器で自分を引き上げてくれる人を捜せ。

そこに浮上の鍵があるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「愛」をリスペクト

(今日のコトバ)

 

 

 

ホンモノの愛を捧げようと思ったら、

愛が無償になるまで待たなくてはならない。

 

 

 

 

戦争特番で原爆の体験を語る番組があった。

「被爆の後、焼け野原で見た光景で印象に残ったのは、

子供と被爆した親がほとんど子供を自分の下に隠して焼死していた」との

コメントあった。空から爆弾が落ちてきて生命の危機に陥るかもしれないのに、

子供の命を救おうとした。自分の命よりも子供の命を救おうとした。

それこそが無償の愛といえるかもしれない。

戦争体験という悲しい記憶かもしれないが、

そこに愛があったはずだ。

昨今、ゆとり教育が行われ、ゆるい時代といわれて、やたら「愛」という言葉が使われる。

だが、その「愛」という言葉に、言葉のほどの深さや重さがあるだろうか。

かなり安く、かなり軽い「愛」のような気がしてならない。

何も生死をかけることが「愛」の定義ではないが、

あまりに安易に「愛」という言葉を使うと、

「愛」という言葉に逆襲されるかもしれない。

つまり、本当に「愛」が必要な時に、「愛」を手にすることができなくなるかもしれない。

オオカミ少年の言葉が信じてもらえないように、

現代人の「愛」が信じてもらえない。

そんなことがないように「愛」を大事にしよう。

本当の「愛」には、無償の行為がある。

そう思って生きることが、「愛」をリスペクトすることになる。

本物の愛を知った者こそ、あたたかい人生をおくれるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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問題のどこが問題

(今日のコトバ)

 

 

今日の声を、明日の形にしよう。

 

 

いま、直面している問題点を明確にする必要がある。

問題の核心をしっかりと理解することで、対策をうつことができる。

核心にふれずに、「問題だ、問題だ」と騒ぐことがよくあるが、

どこが問題なのか、わからない場合も多々ある。

問題がわからなければ、答えなど出せない。

ただ騒いでるだけであって、問題を大きくするか、

先送りにすることにしかなっていない。

だから、いまある問題に直面したら、

問題のどこが問題なのか見極める気持ちをもとう。

騒ぐだけではなく、いい加減に処理するのではなく、

冷静に見極めるのだ。そこから本当の解決策が生まれる。

問題が簡単なほど、答えも簡単に導き出せるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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本物の誇り

(今日のコトバ)

 

 

誇りのために、

まいにち自信を構築するのだ。

 

 

 

本物の誇りには自信がつきものだ。

偽物の誇りは、ただの意地っ張りだったり、

カッコつけだったりするが、本物の誇りは違う。

実力・実績から生まれた自信を支えにし、

自分がブレないで生きられる。

自分の力でこの激動の毎日を乗り切れる強さを持ち、

ポジティブな気持ちで物事に対峙できる。

そんな人間にこそ、誇りは宿る。

さらにいうなら、この誇りを毎日構築できるよう努力を惜しんではいけない。

一日でも努力を惜しむと日に日に誇りは消えていく。

花に毎日水をやるように、

誇りも毎日努力で水をやって咲かし続ける。

誇りとは、そういうものだと思う。

 

 

 

 

 

 

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いま、走ろう

(今日のコトバ)

 

 

もっと走りたいと思った時、

ほんとうに走れるだろうか。

いま走れるなら、思いっきり走った方がいい。

 

 

 

いつでも走れると思っていても、

意外に走れるものではない。

タイミングの問題、体調・体力の問題、

メンタルの問題、それ以外の問題。

むしろ、全力で走れることの方が少ないかもしれない。

だとしたら、いま、この瞬間に走れる状況にあるのなら、

夢中で走るべきではないだろうか。

走ることで様々な局面が打開できる。

日々の問題も解決できる。

夢への距離も近づいてくる。

そう、その時が人生の時なのだ。

もし、いま、走れる状況にあるのなら、走ろう。

人生にプラスになることがあっても、

マイナスになることはない。

走るのだ、素晴らしい人生のために。

 

 

 

 

 

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キレイゴト

(今日のコトバ)

 

 

キレイにやろうと思ったら、

とことん汚れてみることだ。

 

 

 

キレイにできる、美しくできるということは、

限りない訓練を積んだ証。

人前で表現する時は素晴らしい力を発揮しても、

そこまでできるようになるには、

苦しく、辛く、汚れて、泣いて、

死ぬかもしれない状況を乗り越えなければならない。

キレイの根っ子には、

辛い体験が住んでいるのだ。

その体験がキレイを下支えする。

だから、人からキレイに表現できると評価されたければ、

泥だらけになって、苦しい修業を乗り越えよう。

モノゴトが成就するためにはキレイゴトですまない。

階段を一段一段上がるように、

ホップ・ステップ・ジャンプの段階を上がるように、

力をつける時間が必要なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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不当を嘆かない

(今日のコトバ)

 

 

 

ひがんでいるうちに、日が暮れる。

 

 

 

 

恨んだり、ひがんだり、自分が不当に扱われたと嘆くのは、

短い人生において、あまりにもムダな時間だ。

相手の足を引っ張ろうとする行為は、前提はどうあれ悪になる。

相手の方がいい思いをしていると指をくわえているのは、精神衛生上よろしくない。

こんな思いをする時間を人生から削ろう。

もちろん、どうしても許せなくて、恨むことも、ひがむこともある。

ただ、そんな気持ちになっても、すぐにふりきって次の発展的なことを考えよう。

恨んだり、ひがんだりしている人は顔に険がでる。

体調もけしてよくはないだろう。

恨むな。ひがむな。人生は、幸せな気持ちを、

よりたくさん満喫するためにあるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

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