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(今日のコトバ)
傷ついたのは、
自分の名前を守ったからです。
なぜ人は傷つくのか?
よくよく考えてみると、
一つの思いに到達する。
それは、自分の名前を
守ろうとするから。
攻撃されて傷つく。
嫌われて傷つく。
差別されて傷つく、、。
どの傷つくことも
辛いが、
自分が傷つけられた時、
守った名前のために
痛みを感じている。
自分の名前がなければ、
きっと、傷つくことも
少ない。
もっというと、
無傷であることも多い。
だからこそ、
自分の名前を守ることは
大切。
自分の名前は傷つきやすい
生きもの。
プライドの礎にもなっている。
自分の名前は、
一生付き合う
プライドであることを
忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
他人が築いた道は歩きやすい。
ただし、
他人のルールで歩かされる。
自分が切り拓く道は凸凹だ。
ただし、
自分の好きなように歩いて行ける。
歩いて行く道が
できていることは
ありがたい。
前を向いて、
ただ歩いて行けばいい。
何も考えなくても、
整備されているから
歩いていける。
だが、
歩いて行く道がない場合は、
道をつくりながら
歩かなければならない。
迷い、考え、しんどく辛い。
整備された道を歩くより、
よっぽど大変だ。
ただ、自分がつくった道だけに、
自分のルールで歩いて行ける。
誰に文句をいわれずに、
好きなように歩ける。
どっちがいいかではない。
道は二択ある。
自分は人生の中で、
どっちの道を選ぶか。
その時の状況によって、
上手に道を選ぶこと。
それが、
生きるために
大切なことなのだ。
(今日のコトバ)
沈黙は、権力者への一票。
「沈黙は金」
そういったことわざがある。
確かに、ある場面では、
沈黙が美徳になることもある。
いちいち言葉にして
騒いで何になる。
ここは黙って耐える。
そんな状況の時もあるだろう。
だが、世の中は
そうとばかりはいえない。
黙っていることで、
権力のある者に搾取され、
損をすることもある。
黙っていることで、
反対の姿勢が伝わらず、
賛成していると
思われることもある。
黙っていることは、
ワルい連中からすると、
いくらでも利用できる。
だからこそ、
沈黙ばかりではなく、
自分の姿勢を
はっきりさせたい時は、
意見を言葉にする。
沈黙するのではなく、
意志を明解にする。
その意志を
明解にすることこそ、
自分が生きる存在証明になる。
沈黙は金の時もあるが、
言葉にすることが
金になる時もある。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
初心とは、
お金ではどうにもならない
素直です。
人は何かに初めて取り組む時、
初心という気持ちが生まれる。
この初心ほど、
純粋で透明感があって
素直なものはない。
技術を覚えようと、
話しを理解しようと、
まわりの人と
コミュニケーションをとろうと、
純粋な気持ちになる。
その気持ちこそが初心。
そして、その初心だけは、
お金がどれだけあろうと、
どうにもならない。
時間が経って慣れてくると、
良からぬことを
考えたりもするが、
とにかくデビューしたての時は、
みんな初心を持っている。
この初心こそ、
人間を一番成長させる礎。
だとしたら、
成長しなければ
ならない時は、
初心になれる状況をつくる。
そのために、
取り組むものどこかに、
新しい体験をつくる。
それが、人として成長する
秘訣なのだ。
(今日のコトバ)
成長がわかるのは、
苦しみを笑い話にできた時だ。
ある程度、
問題をクリアすると、
笑い話になる。
「あれは大変だったな」と
という笑い話になる。
もっというと、
問題を解決したことにより、
問題に直面した時より、
自分が成長している
といっていい。
そう考えると、
どんな問題も
笑い話にできるように
がんばってみる。
笑えるということは、
シリアスではない
ということ。
心に余裕ができている
ということ。
そして、成長した
ということ。
問題の解決の基準の一つ
として設定していいと思う。
(今日のコトバ)
優しい人は、
コンプライアンスより
人を救う。
人は優しくされたい
生きものだ。
どんな人も
世間の荒波に揉まれている。
辛いことの一つや二つ
抱えている。
そんな時に
優しくされることは、
生きていく上で
嬉しく、そして、
安心できること。
優しくしてくれる人は、
いつも隣りにいて欲しい
とさえ思う。
世の中を守る
コンプライアンスや
法より、
よっぽど必要なものだと思う。
だから、
自分に優しく
してくれる人がいたら、
絶対に大切にしよう。
何か裏があって
近づいてくる人ではなく、
掛値なく
優しくしてくれる人。
そんな人は、
自分の人生を
嬉しく安心させてくれるのだ。
(今日のコトバ)
人生は、毎日、
道をつくっている。
だから、いままでの道に
正解不正解はない。
これからつくる道が
正解なのだ。
正解の道を選びたい。
そう思いながら生きている。
だが、正解と思える道を
歩いているとは
言えない自分もいる。
どこまで人生を
生きても、
正解の道を歩いている
実感はない。
ただ考えてみれば、
正解不正解など
ないのかもしれない。
もっといえば、
人生の道は毎日つくるもの。
昨日は正解でも、
今日は不正解に
なるかもしれない。
人生の道は命果てるまで
つくり続ける。
結論は、人生の最期になる。
だからこそ、
今日を精一杯生きて、
より良い道を生きていると
思えたら価値。
それでいいのではないか。
人生の道はいつも開拓中なのだ。
(今日のコトバ)
今日の失敗は、
昨日の成功より進化している。
どんなに今日がイケてなくても、
昨日よりいろいろな意味で
進化している。
少なくとも、
昨日よりキャリアがある。
昨日はわからなくても、
今日わかることがある。
昨日できなくても、
今日できることもある。
人は少しずつだが
日々進化している。
一日単位ではわからなくても、
一年単位、五年単位になると
明らかに進化している。
もちろん、年をとって
退化していくこともある。
だが、それでも人生経験という
キャリアは積み上げられていく。
そう考えると、
命果てるまで、
人はどこかで進化している。
生きていくことは、
常に進化することなのだ。
(今日のコトバ)
「ありがとう」はメールで届かない。
「ありがとう」は本人の目の前で
言葉にしてこそ届く。
生きていく上で大切なもの。
感謝。
誰もが口にする。
だが、
本当に感謝ができている人が
いるかというと、
そうでもないと思う。
まず、感謝はしても
口にしない人。
大多数がそのような気がする。
特に関係が密になると、
「いわなくても
わかっているよね」という感じで
割愛してしまう。
また、感謝していても直接ではなく、
メールで「ありがとう」と
送って終わり。
もちろん、
何も口にしないよりはいいが、
それでは
感謝の気持ちは足りないと思う。
やっぱり感謝の気持ちは
口に出してする。
「ありがとう」と、
しっかりと
相手の目の前に立って
伝える。
それでこそ、
感謝の気持ちは伝わる。
どうしても遠くにいて、
直接会えない人もいるだろう。
その場合は、
声だけでもいい。
伝えるよう努力する。
感謝は気持ちから伝えよう。
(今日のコトバ)
何度も救われる。
何度も見捨てられる。
救われることがの方が多いから、
いま、生きているのだ。
いま、この場所で生きてる。
生きていることが、
奇跡という人もいる。
よく考えてみれば、
もう思い出せないほど
いろいろなことがあったのに、
ちゃんと生きている。
それは、幸運ばかりではなく、
誰かに救ってもらったから、
生きているといって
過言ではない。
振り返ってみれば、
記憶にない0歳から2歳までなど、
親の手がなければ生きていけない。
物心ついてからも、
親、先生、先輩、上司、病院の先生、
数えれば限りなく
救ってもらってきたはずだ。
比較するわけではないが、
見捨てられたり、
裏切られたことより、
よっぽど多く
救われてきたはずだ。
そう考えると、
いま、生きているのは、
奇跡の集大成といえる。
誰もが簡単ではない人生を、
たくさんの人に
救われてきた人生なのだ。
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