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(今日のコトバ)
あたりまえは、
あなたが創り出す
最高の状況である。
「あたりまえ」
あたりまえだから、
容易にできる。
苦もなくできてしまう。
自分でも自信を持っている。
そんなことだと思う。
ただ、このあたりまえは、
少し考えると途轍もない
財産かもしれない。
まず、自分のあたりまえは、
他人のあたりまえでは
ないということ。
仮に、自分ではあたりまえで
容易なことでも、
他人からすると、
困難なことだとしたら、
あたりまえは武器になる。
また、自分があたりまえだと
思っていても、
他人には面倒くさいことだとしたら、
面倒くさいことを楽々できる。
だとすると、
あたりまえは大きな価値になる。
もちろん、
誰もがあたりえだと思うことだと
価値は下がってしまう。
だが、あたりまえを点検して、
他人ができないことが
あるとしたら、
それは価値になり武器なる。
そのことを意識して生きていこう。
(今日のコトバ)
プラスより、
マイナスより、
バランスが一番大事。
物事はプラスに考えて、
プラスに実行する。
先達の師はそう考えよと
いった。
マイナス志向で行っても、
何も成長できない。
上手くいくことも
いかなくなる。
プラスで考えよという。
だが、
社会の中で
長く生きていると、
プラスばかりが
いいとはいえない。
マイナス志向で考えることで、
上手くいくこともある。
もっというと、プラスもあり、
マイナスもありといえる。
その時々で
バランスで考えられることが、
一番大切だと思うのだ。
バランスというと
調整役的なイメージで、
特別ではないように思えるが、
バランスをきっちりとれることは
すごい才能だ。
置かれた状況で、
常に何が大切か考え行動する。
誰もができることではない。
習慣として、
空気を読んだり、
人の気持ちを
考えていなければ、
バランスはとれない。
だからこそ、
バランスをとれる人は尊く、
素晴らしい。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
「助けて!」といえることも、
自分を解放できる強さです。
弱音を吐く。
人は、しんどくなると
自分の弱い部分を吐露する。
ただ、人によっては、
弱音を吐くことを我慢して、
自分を殺して
生きている人もいる。
そんな人は、
ストレスを溜めて、
どこかで爆発して
しまうこともある。
そうならないためにも、
弱音を吐くことは、
ワルいことではない気がする。
溜まったところで弱音を吐く。
本当にしんどければ、
「助けて」と伝える。
それでいいと思う。
もちろん、いつもいつも
弱音を吐いてばかりいると、
まわりの人も真剣に
考えてくれないが、
時々、弱音を吐くぐらいなら、
きっと真剣に聞いてくれる。
人はそれほど非情ではない。
弱っている時は、
誰にに助けてもらっていいのだ。
(今日のコトバ)
何も知らないという姿勢で臨め。
人は心を大きく開いてくれる。
頭のいい人、
あるいは、
頭のいいふりをしている人は、
損していることがある。
他人から何も
教えてもらえなくなること。
「頭がいいんでしょ」と
思われてしまうと、
まわりの人は教えようとはしない。
何かを聞いてくることはあっても、
教えてくれることはなくなる。
誰も教えてくれないということは、
そこで一つのコミュニケーションが
途絶えてしまう。
何かをしてあげるという行為が
無くなってしまう。
人間関係も遠のいてしまう。
もったいない。
そして、損をしている。
だとすれば、
頭がいいかワルいかはともかく、
頭がいいと思わせないで、
気軽に話せる状況をつくる。
教えられたり、
教えたりする関係をつくる。
それだけで、人生、得をする。
人間関係も円滑になる。
長い人生を考えると、
大きな得をもたらしてくれる。
人生をもっと豊かに
してくれるはずだ。
(今日のコトバ)
自分に余裕を持てないと、
他人を余計に気にする。
何か問題を抱えて
不安な時、
あるいは、
自分がイケてなくて
気持ちがくすぶっている時がある。
心の中は余裕などなくなってくる。
だが、そんな時に限って、
他人の陰口・悪口を
いってみたりする。
他人のことより
自分のことが大切なのに、
他人を余計に気にしてしまう。
まわりを見渡すと、
そう感じる人が多い。
もしかすると
人間の習性なのかもしれない。
だとすれば、
他人を余計に気にする時は、
自分がイケてない時と想定してみる。
しっかり考えられれば、
他人のことを
気にしている場合ではない
とわかる。
何が大切かを
見つめ直すこともできる。
自分がイケてない
一つの基準として
理解しておくと、
少し上手に
生きていけるはずだ。
(今日のコトバ)
人の光は、
目の輝きから、
言葉の宝石から、
胸の熱さから放たれる。
人の光を感じる。
まわりにも光輝く人はいる。
その人たちは、
なぜ輝いて見えるのだろう。
生まれつき明るさを
持つ人もいるだろう。
だが、たいがいは、
その人の生き方が
光り輝かせている。
では、光りの輝きは
何から感じられるのか?
いろいろな要素があると思う。
中でも大きいのは、
目の輝き、言葉の輝き、
そして、熱い気持ちの表現力。
目がキラキラ輝いている。
目標に向かって燃えていると、
自然と光り輝いてくる。
また、その人が使う言葉に
魂がこもっていると、
人を強く引きつける。
さらに、
胸の熱さ、
情熱を感じると、
輝く熱さを感じる。
人の光は一か所から放たれない。
多発的に放たれる。
そのことを意識すると、
人の光とはとても尊いもの。
生きいてる旬の時に放たれる
大切な光なのだ。
(今日のコトバ)
努力とは、
たし算を続け、かけ算を繰り返し、
やがて財産となるもの。
生きる目標を持つと、
人は努力する。
目標を達成するために、
苦しいこと、つらいことを
あえて受け入れて、
目標に近づこうとする。
なぜか?
それは、努力が目標達成する力を
養うと同時に、
自分が成長もできるから。
努力という言葉は重いが、
努力することによって
習得する力は、
人生の多大な財産になる。
人として身に着ける能力は、
ほぼすべて努力によって
得られるといっていい。
その努力が生んだ財産は、
人生を大きく変えていく。
そう思うと、
人は努力に
感謝しなければならない。
努力よ、ありがとう!
(今日のコトバ)
愛する人に愛されたら、
誰でも世界一の幸せ者になれる。
自分で手にできる
世界一のものって何だろう。
そうそうあるものではない。
才能の勝負をしたら、
世界一だといえるものなど
「ない」としか
答えようのない人ばかりだ。
だが、視点を変えて
「愛される」という基準で
世界一を考えてみたらどうだろう。
愛する人は、たいがいその段階で
一番好きな人。
世界一の称号を与えても
何も問題はない。
なぜなら基準は、
自分にあるから。
だとしたら、
愛されるということで、
世界一の幸せ者になってみる。
世界一の幸せ者になれたら、
毎日が変わってくる。
楽しくなるし、
モチベーションは上がるし、
前向きになれるし、
成長もできるはず。
幸せが自分を変えていく。
そこだけを考えても、
世界一の称号を
与えてもいいのではないか。
人生は一度きり。
世界一の何かを感じることがあると
素晴らしい人生になる。
そのために、
愛されることは一番の近道になる。
(今日のコトバ)
初心は、
いちばん美しい決心である。
誰にでも初心はある。
何かをはじめようとする時、
初心は生まれる。
その初心とは何かと思うと、
何かに取り組む時の
いちばんはじめの決心だといえる。
はじめるには、
どこかに強い決心が必要。
スタートを切る意志が必要となる。
もっというと、
その初心という決心は、
人間の決心の中で、
もっとも混じりけのない
美しいもの。
だからこそ、
初心を大切にしたい。
初心忘るべからず
ということわざもあり、
日本人の心には、
初心という言葉が
初期設定されている。
その美しい決心を
忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
弱き者を救うのが人間性。
強き者に挑むのが人間力。
自分より弱い人を救えるか。
言葉では救えるといっても、
実際に行動で救っている人は、
少ないと思う。
まわりを見ても、
たくさんいるとは思えない。
自分のことで精一杯な人ばかりだ。
ただ、数少ないけれど、
ボランティアなどで弱い人を
助けている人はいる。
その人たちからは
温かい人間性を感じる。
誰かが困っている時に
手を差し伸べる。
その温かい手は、
一生を温める手に
なるかもしれない。
また、それとは別の能力として、
強い人に挑戦する人がいる。
明らかに相手の力が強いのだが、
無謀かもしれない戦いに挑む。
スポーツあるは、社会で、
力の上の人に挑む。
その挑戦する力には、
特別な人間力を感じる。
人間性と人間力。
誰もがあるはずのもの。
だが、
誰もが使い切っているとは
いい難いもの。
できれば、人間である自分は、
人間性と人間力、
どちらも発揮しながら
生きていきたい。
そう思うのだ。
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