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(今日のコトバ)
明日は、
今日という日を
明るさで更新する日です。
とにかく、昨日も、今日も、
あたりまえのこと、
不測の事態、あれこれあった。
生きることが
大変だったこともある。
だが、明日になれば
リセットできる。
今日で終了したもの。
明日からはじまるもの。
明日、予期せず起こるもの。
すべては多かれ少なかれ
リセットできる。
そして、
明日は期待できる部分が大きい。
否、期待していいのだ。
だからこそ、
明日は明るい日と書く。
明日は、
次にくる一日に明るさを
与えてくれる。
そう思って明日を設定する。
生きることに
ワクワクするように
明日は定義する。
そう信じて生きてみて
いいのではないかと思う。
(今日のコトバ)
ためらうことは、
いのちの時間を削ること。
人生の出来事すべてに
明解な答えが出て、
まっすぐに走れるわけではない。
時にためらうこともある。
否、人によっては、
ためらうことが多い
人もいる。
ためらい。
何かを決められない。
心が迷っている状態。
そんな気持ちは誰にでもある。
だが、ためらうことは、
人生の時間を
ロスすることにもなる。
時々ならまだしも、
いつもためらっていては、
人生の時間は大きなロスになる。
では、ためらわないために
どうすればよいか。
ためらいは性格にもよるから、
簡単に治せるものではない。
ただ、一つの考え方として、
ためらうことは、
いのちの時間を削っていると
考えてみてはどうだろう。
いのち貴重な時間を
失っていると思えば、
もっと時間を有効に使おうと
意識するはず。
まず、そこからでいい。
ためらう時間を減らすことは、
いのちの時間を増やすこと。
そう思いながら生きていく。
生きた時間が増えるはずだ。
(今日のコトバ)
時間泥棒は、盗みすぎると
人生の取引を停止されてしまう。
勝手に時間を奪う人がいる。
いちばん多くは、
平気で遅刻をしてくる人。
会議や待ち合わせで、
人を巻き込む場合、
まわりの人の時間を奪っている。
ただ、常習的に遅刻する人は、
時間を奪っているとは
思っていない。
その時は、「申し訳ない」と
いいながら、
何度も遅刻をくり返す。
最初のうちは、
まわりの人も仕方ないと
思ったりするのだが、
何度もとなると、
その人の信用問題になる。
だんだん、重要な案件から
その人を外そうとする。
一気に今日からというのではなく、
だんだんと、じょじょに、
距離を置かれはじめる。
最終的には、
その人は重要案件から
完全に外される。
人生の取引を
停止されてしまうのだ。
遅刻は一例だが、
時間は大切な命の欠片。
だからこそ、
大切に使う意識を持って
生きよう。
自分の時間を奪われたらと
考えて、時間を大切にしよう。
(今日のコトバ)
思い出は、
何度も何度も
くり返し思い出すうちに、
美しさを増していく。
記憶とか、
思い出とか。
頭が思い出す状況・景色は、
時間が経つと
みないいものになっていく。
美しくなっていくと
いってもいい。
なぜだろうと考えると、
人間の生きる社会は
あまりにも過酷だから、
せめて過去の記録は
美しくしてあげたいと
神様の配慮のような気もする。
脳科学的に解明されているかは
知らないが、
この記憶をいいものにしてくれる
機能は、
生きる上で大変ありがたい。
もっというと、
記憶をいいものに
してくれるからこそ、
人生を歩んでいける気もする。
記憶が辛いものばかりに
なってしまったらと
考えてみて欲しい。
生きるのは本当に辛くなる。
だからこそ、
記憶や想い出を大切にしよう。
無数の記憶がいいものになっていく。
思い出が美しい彩りを描く。
その力で人は生かされている。
人生が素晴らしいと思うのは、
記憶の力が大きく
働いているのだ。
(今日のコトバ)
直した方がいいものを欠点。
直さない方がいいものを長所。
欠点の方が圧倒的に
伸びしろがある。
長所を伸ばして、
自分のいいところを強化する。
または、欠点と
呼ばれているところを鍛えて
欠点とはいわせないものに
仕上げる。
どちらも大切だ。
ただ、どちらが
進歩するかというと、
欠点を鍛えた方が進歩は
感じられるはずだ。
上手くいかないところから、
マイナスからはじめることが
多い欠点だけに、
何かを少し習得すれば、
勢いをつけて成長することもある。
もちろん、長所を強化すれば、
より能力を発揮することもある。
どちらがいいかではない。
ただ、一点、伸びしろを考えると、
欠点を鍛えることは、
人生にとって面白い結果を
導けるかもしれない。
自分にとって何が大切かで
考えみてはどうだろう。
(今日のコトバ)
「でも」は、
人生の足を止める。
チャンスとは、
肯定する人にやってくる。
長い人生を生きていると、
一つの答えが導き出される。
秘訣という秘訣ではない。
ただ、肯定するだけ。
まわりの人を見ていると、
基本肯定する人は、
かなりの確率でチャンスを
捉えている。
前向きに何でも取り組むことは、
いい方向に進む
ということかもしれない。
だとすれば、
とりあえず自分の生きる道で、
「でも」という考えを止めてみる。
「やってみよう」を念頭に置く。
すべて肯定して
「やってみよう」では
上手くいかないかもしれないが、
チャンスの確率は上がる。
そんな気がしてならないのだ。
(今日のコトバ)
怖くなったのは、
進歩の階段を上って
高くなったから。
何かに挑戦しようとする時、
突然、怖くなることがある。
覚悟を決めたとしても、
強い意志を持ったとしても、
怖くなる時がある。
そんな時は、
こう考えればいい。
「いまは進歩の階段を
上っているのだ」と。
「いままでと違う
段階の挑戦が始まったのだ」と。
そのために、
心は怖さを持ったのだ。
だから、
怖さを怖れることはない。
自分が進化していく状態だと
思えばいい。
人生の成長期と捉え
自分を励ましながら、
一歩前へ歩みを
進めていけばいいのだ。
(今日のコトバ)
運は、
使えば使うほど強運となる。
人生には、運がある。
いい運、ワルい運、あるけれど、
何かの出来事にあうと
運を感じる。
それが上手くいくと運のおかげで、
上手くいかないと運のせいに
していることもある。
その方が責任が自分で
なくなるから、
気楽になるため
運を使ったりする。
ただ、何もしないで
運を使えば、
運はあまり機能しない。
準備万端、
絶対的自信ある行動の時は、
よっぽどことがない限り
運は味方する。
つまり運を運に任せるのではなく
自力に運を任せたら、
運の機能する確率は上がる。
もちろん、
運の気まぐれのようなもので
期待した結果に
ならないこともある。
だとしても、
運は自力の味方だ。
だから、
常に自力で努力して、
運はその上のギフトと考える。
その癖をつければ、
運は機能し続け強運の人となれる。
同じ人生なら、
運を味方にして生きてみよう。
(今日のコトバ)
楽しい、悲しい、嬉しい、寂しい。
あらゆる思いは、
人とシェアすると「幸せ」という
名前に変わっていく。
どんな思いでも
一人で抱えていると、
何かが足りない。
どうしていいか
わからないというか、
どこか切ない気持ちにもなる。
だが、誰か一人でも
一緒に思いを分かち合えると、
途端に幸せな気持ちになる。
楽しい、嬉しいことは
あたりまえだが、
悲しい、寂しい思いさえも
幸せを感じる。
「二人でいると嬉しいことが倍に、
悲しいことは半分になる」
という言葉もある。
まったくそう思う。
だからこそ、
一つの思いが生まれたら、
誰かとシェアする環境を
つくろう。
それだけで、
幸せを感じることが
増えていく。
人生がもっと素晴らしいものに
なるはずだ。
(今日のコトバ)
若いうちの苦労は、
老いた時の笑い話のためにある。
苦労はした方がいいという。
最近では度を超えた苦労は、
考えものだともいう。
否定する人もいる。
野球ひとつとっても、
練習や試合の考え方が
大きく変わった。
投手の練習は昔、投げ込み中心。
とにかく投げろ、投げろで
肩を壊すまで投げる。
水は練習中飲んではいけない。
試合では投手の登板間隔も、
今のようにきちんと
管理はされていなかった。
ラグビーやサッカーでも
改善したものもたくさんある。
ただ、昔を生きた人間が
過去を変えることは
できない。
人生のひとつの記憶、
想い出にするしかない。
できれば、それが笑い話に
できていると、
幸せな人生なのだと思う。
だからこそ、
いま苦労している人も、
きっと、いつかは笑い話になると
思えるように頑張ってみる。
笑い話のストックが
たくさんあれば、
老いた時、
楽しい時間も増えていく。
有意義な人生を送れるはずだ。
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