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(今日のコトバ)
不可能を可能にするという宿命を
持って生まれた生きものを、
人間という。
不可能を可能にする。
言葉にすると簡単だが、
地球上に存在する生きもので
不可能を可能にできるのは、
人間しかありえない。
だがらこそ、人間は
途轍もない進化を遂げたのだ。
つまり、不可能を可能にするのは、
人間の宿命。
選ばれた生きもの才能といっていい。
そして、大なり小なり
人間は不可能を可能にしてきた。
一人一人の人間は、
その力をすべて
使い果たしているだろうか。
まわりを見渡すと、
使い果たしていない人、
使っていない人もいる。
それは、
人間とってもったいないこと。
せっかく人間に生まれたのだ。
不可能を可能にする力を
最大限に使って生きていく。
人間しか
できないことだと思えば、
自分の力を信じことが
できるはずだ。
(今日のコトバ)
ほとんどの人は後悔しながら
生きている。
その後悔からどう抜け出すかが
人生という物語なのだ。
少しかっこよくいうと、
人生は後悔へのリベンジといえる。
負けることも、
失敗することも、
間違えることも、
心のどこかで後悔がある。
その後悔をどうやって
解消していくか。
負けたものに勝つ。
失敗したものを成功する。
間違いを正解にする、、。
それらは、
すべて後悔へのリベンジ。
先人はいう。
「後悔はするな。
反省しろ」と。
だが、後悔のないものに
反省などできない。
すべては後悔からはじまるのだ。
だとすれば、
いま起こっている、
あるいは、
これから起こる後悔は
ウエルカム。
後悔をたくさんして、
そのリベンジをしながら
生きる。
そこに人間としての成長も
あるはずだ。
(今日のコトバ)
悲しくても、幸せがある。
寂しくても、幸せがある。
辛くても、幸せがある。
幸せは、人生のとなりにある。
振り返れば、
どんなに状況がワルい時でも、
幸せのそばにいた気がする。
悲しい時、
寂しい時、
辛い時、
さまざまな状況はあっても、
何かしらの幸せがあった。
一番力になってくれたのが、人。
誰かがとなりにいてくれるだけで、
幸せを感じ立ち直ることができた。
もし、幸せの力がなかったら、
立ち直ることが
できないでいただろう。
人だけでなく、ペットや物、
趣味なども、
どこかでワルい状況を救ってくれた。
救ってくれたのは、
幸せの力なのだ。
だからこそ、
どんな状況であっても、
幸せはとなりあると考えよう。
それだけで
自分に味方ができたと
同じぐらいの力になる。
幸せの力を信じ、
幸せと共に生きていくのた。
(今日のコトバ)
人生の答え合わせは
何度でもしよう。
生きてきた時間によって、
答えはいくらでも変わる。
何年か経って、
昔覚えたことが通じないと
思ったことが
誰にでもあるだろう。
時代も変わって、
技術も変わって、
考え方も変わって、
科学も変わって、
そして、
世の中の考え方が変わって
しまったこと。
例えば、
スポーツの練習、
ケアなどがわかりやすい。
野球で下半身を鍛えるには
うさぎ跳びをやれ。
肩を強くかるには投げ込みを
数多くやれ。
などと今の指導者が言ったら、
何をいっている?となってしまう。
ラグビーでもタックルされて、
のびている選手に
水をかけることなど
もっての外。
いまでは間違った治療法に
なっている。
人生は1+1=2のような
不変的なものではない。
常に答えは変わる可能性がある。
だからこそ、
変化を意識して
柔軟に生きる。
それこそが、
人生を楽しんで生きるための
基本になるのでは
ないだろうか。
(今日のコトバ)
傷ついている間は大丈夫。
キミの中には、
まだ、良心が残ってる。
傷つくという。
何かが出来なくて、
誰かに騙されて、
好きな人に嫌われて、、。
人生のさまざまな場面で、
人は傷ついたと思う。
できれば回避したい
気持ちかもしれない。
だが、傷つくということは、
自分の中に正しいと思って、
努力したことがあるということ。
一生懸命に行動した
何かがあること。
だとすれば、
傷つくことは
それほどワルいことではない。
むしろ、正しい良心があると
確認できることでもある。
そう考えると、
傷つくことも大切。
人は傷ついただけ
優しくなるともいう。
傷つくことと共に
生きていくなら、
傷つくことも力にして
生きていけばいい。
(今日のコトバ)
お金は、
人柄によって流通する。
お金を持っている。
お金を持っていない。
その差って何だろう。
収入の格差だろうか?
まわりの人を見まわしてみると、
そうとはいえないことが多い。
高い収入を得ているのに、
借金ばかりしている人もいれば、
あまり収入はない人だが、
余裕のある暮らしをしている。
要は使い方で差がついている。
もっというと、
お金をだらしなく使うか、
お金を節約して使うかという
性格・人柄が大きく差を生んでいる。
もし、お金を持っていたいのなら、
自分の性格・人柄を意識しよう。
節約に向かないなら、
より節約を意識して生きる。
そこが出来るか出来ないかで、
お金を持っている人になれるか
なれないかが決まる。
(今日のコトバ)
何度間違えても、
また、間違える。
間違いをくり返した図太さは、
やがて生きる力になる。
「間違いを二度とするな」
というけれど、
何度もくり返す間違いもある。
それは、癖といっても
いいかもしれないが、
誰に注意されても修正できない
自分の欠点だ。
ただ、間違いを修正しないことも、
ワルいことばかりではない。
何度も間違っても
治さない、治せないことは、
やがて図太さになる。
この世知辛い世の中で
生き抜くには、
図太さがなければ
しんどくなる。
間違いを注意されて
平気でいられる力は、
弱い気持ちを一部だが
取り除いてくれている。
だからこそ、
癖となって間違いを
くり返すことも、
深刻にならずに
自力を鍛えていると考えよう。
それも世の中を生きる一つの
優れた知恵だ。
(今日のコトバ)
失っても、
失っても、
失っても、
生きている。
なぜだ?
失うものより得るものの方が
多いからだ。
日々、生きていると
何かを失っている。
記憶が
失われていることもあるし、
食べたものが排泄されて
失うこともある。
荷物を忘れて失ったり、
予定を忘れたり、
数え上げたらきりがない。
では、なぜそれだけ失っても、
人は生きていけるのだろう。
それは、
失うもの以上に、
得るものが多いから生きている。
そう考えるのが妥当だ。
確かに、
忘れてはいけない記憶も、
食物を得ることも、
荷物も、予定も、
次々増えてくる。
失ったもの以上に
得るものが多いのだ。
もしかすると、
得るものが多いことを
人生というのかもしれない。
得るものが失うものに
越えられた時、
命は終焉を迎える。
だとすれば、
生きているすべての人は、
得るもので命を燃やしている。
たった一度の人生。
得るものの大切さを
忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
優しさは、
続ければ続けるほど
信頼に変わっていく。
優しくされた記憶を忘れない。
どれだけ長く生きても、
ここぞというところでの優しさ、
驚くぐらいの優しさ、
いつもしてくれた優しさは、
忘れることはできない。
そして、その優しさも
長く続くと、
信頼という言葉に
変わっていく。
優しくされた記憶が
信頼になっていく。
もちろん、お願いした仕事を
きちんと仕上げて
信頼を感じることもある。
ただ、その信頼は仕事ありきだ。
仕事がなくても、
同じように信頼するかというと
疑問だ。
一度ケンカをして、
人間関係がぎくしゃくすると、
二度と信頼することが
なくなることもある。
そう考えると、
普段から優しさを
感じている人の
信頼は固いと思う。
だからこそ、
長く優しさを届けてくれる人を
大切にしよう。
その人が、
この世界で一番、
信頼できる人かもしれない。
少なくとも、
簡単に切れない信頼は
築いているはずだ。
(今日のコトバ)
嘘の幸せは、
どこかで冷や汗を流している。
何か嘘をつきながら、
疑似幸せのようなものを
つくり上げても、
心は落ち着くことはない。
どこかで疑似幸せが
崩れるのではないかと、
冷や冷やしながら生きている。
心が落ち着かないないと、
行動もおかしくなる。
挙動も変になり、
生きることが
しんどくなってしまう。
誰もが経験があるだろう。
何かを幸せに見せるために、
嘘をで塗り固めてしまうこと。
罪の意識を持ち、
嘘をつかないで生きていれば
距離を置けるとわかっている。
だとすれば、
偽らなくてもいい幸せを
つくり上げていく。
嘘や騙すことはせず、
ちゃんと満足することを
つくり上げる。
そのことを念頭において生きれば、
それほど変な道へはいかない。
疑似ではなく、
本当の幸せと生きていけるはずだ。
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