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(今日のコトバ)
世の中は、
すべての人の答えを持っている。
見渡してみると、
世の中には幅広い環境が
用意されている。
ほとんどの人が選択できる環境があり、
やる気や努力で
その環境に足を踏み入れられる。
その環境が厳しいか、
そうでないかは別にして、
世の中に環境はある。
そして、
人はその環境の中で選択して、
自分をカスタマイズしていく。
上手くカスタマイズできれば、
素晴らしい人生が待っている。
反対に、カスタマイズできないと、
しんどい人生が待っている。
そう考えると、
自分が上手くカスタマイズできる環境を
選ぶことが大切。
自分の得手を発揮できる環境を探す。
何がいいかわからない人も、
懸命に探してみる。
その行為を怠ると、
しんどい人生になる可能性が高い。
一度きりの人生。
素晴らしい人生と思いながら
生きていきたい。
そのために、
自分に合った環境を探そう。
(今日のコトバ)
記憶とは、経験を点検すること。
生まれてから何万日もの間、
たくさんの経験を積んできた。
その経験が血や肉になり、
自分という人間をつくっている。
経験不足は、
そのまま人間不足になることもあり、
経験の多い人ほど、
生きる力は強くなる。
そして、経験は
記憶として頭の中に
ストックしておくもの。
何かに遭遇すると、
自分の記憶のライブラリーから
経験したものを検索する。
そのサイクルが
自分という人間をつくる。
だからこそ、経験は大切。
どれだけ経験したかで人間が変わる。
人生を有意義にしていける。
いつでも人生のスタートを切れるように、
経験の積んで記憶のライブラリーを
充実させていこう。
(今日のコトバ)
やれることは全部やる。
それから運に登場してもらうのだ。
夢・目標など
達成したいものがある。
達成までの条件はさまざま。
簡単なものもあれば、
難しいものもある。
知識が必要なもの、
体力が必要なものなど、
夢・目標によって違う。
ただ、夢・目標を達成すると
決めたら、とにかく、全力を尽く。
言い訳は横において、
やるべきことをまっしぐらにやる。
初期設定として大切なことだと思う。
そして、その上で運を考える。
幸運、不運あるかもしれないが、
それでも全力でやり切ったことは
人生の財産になる。
全力でやることは、
どう転んでも財産になる。
そう思ってやり切ると、
運もいい方に転んでくるはずだ。
(今日のコトバ)
誰かのために役立つと、
心はいいカタチに戻る。
人に役立つことをする。
その行為によって、
自分もとてもいい気持ちになる。
誰かに何かをできたことから、
心底あたたかい気持ちになる。
言葉にすると、
心がいいカタチになる。
あるいは、
いいカタチに戻ったとでもいおうか。
心がどんなカタチをしているか
わからないが、
元通りのいいカタチになる。
そう思える。
だから、
人の役に立つことを
できるだけする。
その行為は、
自分の心をいいカタチに戻す。
そんな力があることを
忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
天才とよばれる人は、
努力のおかげという。
凡才とよばれる人は、
才能のせいだという。
天才とよばれる人がいる。
才能に恵まれ、
秀でた能力を発揮する人。
どこの社会にもいるだろう。
スポーツの天才。勉強の天才。
営業の天才、、。
ただ、一つ天才とよばれる人は
こんなことをいう。
「才能だけでなくて、努力もしてきたよ」と。
確かに、好きこそものの上手なれで、
天才とよばれる分野に
かかわっている時間は長い。
一言いえるのは、天才とよばれて人が
才能だけで評価を
されているのではないということ。
反対に、
頑張りが足りないといわれる人は、
「才能がもともとない」と
うそぶく。
努力が足りないことを
才能のせいにする。
恥ずかしいが
自分でもそんな傾向にある。
天才がいう努力のおかげと、
凡才のいう才能のせい。
そこに、才能ではない決定的な差がある。
それは、「努力を継続できる」という
能力なのかもしれない。
(今日のコトバ)
「いつか」より、
「いつも」を大切に。
「いつか、〇〇をしたい」
願望を表す時、
決まったフレーズとして
いってしまう。
深い意味はないかもしれない。
だが、「いつか」というと、
あくまでも夢物語。
きっちりとしたスケジュールが
ないから、実現する気持ちは弱くなる。
結果、「いつか、〇〇をしたい」と
いったことさえ忘れてしまう。
当然、夢が実現することはない。
反対に「いつも、〇〇してる」は、
もう生活の一部になっている。
「いつも」といっている以上、
自分にとって大切なものともいえる。
平凡、普通、あたりまえではあるけれど、
「いつも」は自分の人生になっている。
だが、「いつも」は
平凡に思われやすいので、
軽く扱われてしまうこともある。
だとすれば、
そこで少し立ち止まって考えてみる。
「いつか」という
口当たりのいい言葉ではなく、
「いつも」という
肌身離さずあるものの存在の大きさ。
人それぞれ違うと思うが、
「いつも」ある、「いつも」いるものは、
絶対的に人生を支えている。
そのことを忘れずに生きていけば、
「いつか」より「いつも」の大切がよくわかる。
人生においての
「いつも」の支えてくれる力を
大切にして生きる。
人にとって必要なことだと思う。
(今日のコトバ)
雑に生きるな。丁寧に生きろ。
あいさつとかではなく、
生き方が丁寧な人。
そんな人は
どんなポジションについても
高い評価を受ける。
全力とか、
無謀とかではなく、
丁寧に生きる。
一つ一つの出来事、
一つ一つ案件、
一つ一つの行動、、。
よく吟味し、
焦らず、着実に進行していく。
性格からの人もいるが、
人によっては意識して
丁寧に生きている人もいる。
「丁寧に生きる」
それは誰にでもできること。
とにかく一つ一つのことを
着実にやり遂げてく。
時間が無かったり、
能力が無かったりして、
雑になってしまうこともある。
それでもいい。
まずは、自分のできる限りで
丁寧に生きてみる。
少しずつでも丁寧の度合いが
大きくなれば、
それが自分の武器になる。
丁寧に生きることは、
自分の人生を進化させるために
必要だと思う。
(今日のコトバ)
理解とは、
誤解と誤解の公約数である。
「理解した」というけれど、
ほんとうに理解するのは難しい。
理解にも誤差はあるし、
人によって理解度も違う。
さらに、人を理解するとなると、
本当に難しい。
いい人。
わるい奴。
切れ者。
地頭がいい。
気分屋。
しつこい。
怠け者等々。
現わす言葉はたくさんあるし、
人を勝手に理解した気でいる。
だが、
ほんとうに理解しているだろうか。
いい人と思う人が、
ほかの誰かが見ると、
「結構、計算高くて嫌な奴」と
いわれたりする。
わるい奴と思った人も、
かわいいわるい奴から、
本格的に悪党まで
グラデーションがある。
結局は、理解するといっても、
どこかに誤解の部分が残っている。
自分も、相手も、どこか誤解している。
そして、誤解と誤解の公約数で、
人を判断している。
そう考えると、
あまり大声で理解といわず、
誤解しながら生きていること
意識することが大切。
心のどこかに誤解があることを
忘れずにいよう。
(今日のコトバ)
人生だって、
引き分けにできれば
勝ち点1。
サッカーの試合では、
引き分けになれば勝ち点1になる。
これはいいルールだと思う。
勝ってはいない。しかし、
負けてもいない。
結果としては引き分け。
その引き分けに勝ち点を与える。
つまり、引き分けは勝ちの枠組みに
入るということ。
人生においても、
引き分けを勝ち点とできれば
しっくりくることが多い。
特に、一生懸命がんばって
引き分けたら、
それは限りなく勝ちに近いと思える。
少なくても、負けと同じで
失うものしかないと思ったら、
かなりめげる。
だからこそ、
自分の人生においても、
引き分けという結果になったら、
心のなかで勝ち点1を記録しよう。
それだけで心が前向きになれる。
次こそ絶対勝とうという
気持ちになる。
引き分けは勝ち点1。
勝ちに属するのだ。
(今日のコトバ)
知識は、経験の前に沈黙する。
どれだけ知識があっても、
行動につなげられなければ
武器にはならない。
「口で講釈をたれるが、
何もしない」といわれる人もいる。
誰でも少しは当てはまると
思うはずだ。
人はどこかで引っ込み思案。
どこかで遠慮がち。
だから行動しない人も
いるかもしれない。
ただ、結局、行動しないと、
その人の真価は問えない。
知識が豊富で
楽しい話ができる人も
人生を有意義にする。
ただ、本来は知識だけでなく、
その先で行動して、
世の中の役に立てることが望ましい。
人生は口だけでは渡り切れない。
だからこそ、
知識を行動に活かすことが大切。
つまり、経験すること。
それこそが、
生きていく上で
大切なことなのだ。
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