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(今日のコトバ)
最初にテープを切る勝利もあるが、
最後までリングに立つ勝利もある。
才能に恵まれ、
若くして評価される人がいる。
なかなか頭角を現すことができず、
大器晩成という言葉が似あう人もいる。
人生のはじめに評価されてしまう人。
天才と呼ばれたりして、
いかんなく人生を謳歌する。
素敵な人生だ。
また、人生、紆余曲折して、
何度も立ち上がり、
ステップアップし、
その道のトップになる。
素晴らしい人生だ。
人間には世に出るタイミングがある。
「いまがその時」という時もあれば、
「いまがその時ではない」という時もある。
だからこそ、
大切なのは自分のタイミングで生きる。
短距離走者か、中距離走者か、長距離走者か。
自分のスタイルにあうものを選べばいい。
生きるために大切なことだ。
(今日のコトバ)
オンラインの時代になったら、
以心伝心がない世の中になった。
人と人が会う時間が減った。
人と人が触れ合う時間も減った。
PCが標準装備され、
スマホも標準装備され、
会社はオンラインで仕事が完了する。
人と会うのは画面の向こう。
それで人の気持ちは
わかるのだろうか。
きっと、わかることは必要ない。
わからなくてもいいといえる。
画面の向こうから言葉、
メールの文章さえ理解すればいい。
ただ、少し時間を巻き戻すと、
人と人が会う場面で、
「察する」だの、
「空気を読む」だの、
「以心伝心」だの、
目に見えないものが幅をきかせていた。
それがいいワルいではない。
ただ、人の持つ本能のようなものが、
また一つ失われていく。
そんな気がしてならない。
生きていく場面では、
以心伝心が必要にこともある。
時代の変化に対応するのも大切だが、
人として大切なものも失いたくないものだ。
(今日のコトバ)
「いいひと」といわれるより、
「いいやつ」といわれたい。
「いい人」
ひとつのコミュニティができれば、
必ずそう呼ばれる人がいる。
優しい人。誠実な人。怒らない人。
責任感のある人、、。
文字通りいい人である場合もある。
ただ、ニュアンスを変えて使う場合もある。
都合のいい人。
何でもいうことを聞いてくれる人、、。
そうなると、
本当の意味でのいい人が
どうかが疑問になる。
極端にいうと、
バカにしているようにも思える。
いい方は近いが「いい奴」は、
どうだろう。
心から信頼する人。
何か助けてくれる人。
少し足りないところはあるけれど
安心できる人という
ニュアンスになるのではないか。
だとしたら、
いい人といわれるより
いい奴といわれた方が嬉しい気もする。
考え方は人それぞれ。
もしも自分だったらと思うと、
といわれたい。
そう思うのだ。
(今日のコトバ)
今日を生き抜かなければ、
明日という未来最高のショーが
見られない。
どこまで生きても明日はある。
明日という未来に予定を入れて
どう生きるかを考えている。
おおげさなようだが、
明日という希望に向かって
生きているともいえる。
いくつになっても、
明日、そして未来への
希望があると、
生きる意欲がわいてくる。
そう考えると、
人生にとって明日という日は
とても大切なもの。
明日がある、、。
明日が待ち遠しい、、。
明日やろう、、。
明日にしよう、、。
明日はもっといい、、。
明日という言葉を使う時、
どこかに希望がある。
そのことを意識して生きると、
人生はわくわくしてくる。
「明日があるさ」
そんな気持ちで
生きていくのもいいものだと思う。
(今日のコトバ)
もっとも強い者が生き残るのではなく、
もっとも賢い者が生き残るのでもなく、
もっとも笑う者が生き残っていくのだ。
強いと思う人がいる。
賢いと思う人もいる。
自分にも、その強さ、
その賢さが、
欲しいと思ったりする。
ただ、強い人、賢い人のように
生きたいかと問われると、
それほどとも思う。
では、どんな人として生きたいか。
それはいつも笑っていられる人。
いつも楽しそうに機嫌よく
笑っている人は素敵に思える。
実際、そういう人は考え方が
ポジティブで、
人生を肯定して生きている。
笑っている人。
もっとも素晴らしい人、
生き抜ける人とは
そんな人だと思う。
そして、
笑っている人は誰でもなれる。
最初は意識して
笑うこともあるかもしれない。
ただ、基本は何でも笑う。
笑いに変える。
意識して生きれば
笑っている人になれる。
人生の時間を笑いで埋めていく。
試みていいことだと思う。
(今日のコトバ)
止めることができない人生を、
想い出だけが汚れを取って
ストックしてくれる。
記憶はよくできている。
どんな記憶も美しくしたり、
笑い話にしたり、
その時の汚れ穢れを、
時間と共に消していく。
そして、想い出として、
頭の片隅に残していく。
つまり、記憶は人生という作品の
ライブラリー。
だからこそ、
日々生きていくことに、
思う存分力を注いでいい。
長い人生は様々なことが起こる。
その中の大切な出来事を
記憶が美しく残してくれる。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
思い通りに生きるためには、
まず、思い通りの言葉を使える技を
身に着けよう。
言葉を思い通りに使う。
簡単そうで意外に難しい。
沈黙したり、遠慮したり、
いい淀んだりすることがある。
嘘をついたり、怒ったり、
大袈裟にいったりする。
どれも正しい言葉の使い方に
ならない時がある。
ただ、自分の思い通りに生きたいと
思った時、
いちばん大切なのは思い通りの
言葉を使うこと。
変に気を使ったり、
やたら高飛車になったりするだけで、
思い通りとは違った結果になりやすい。
だからこそ肝の銘じたいのは、
「自分の正しい気持ちを
正しく言葉にすること」。
そこがブレでしまうと、
思い通りにならないケースが増える。
そのために正しい言葉選びを
意識して生活する。
いつもでなくてもいい。
ここぞという時、
自分の思いを正しく伝える。
その意識が継続できれば、
思い通りの言葉を
使いやすくなる。
意識して自分の思いを
言葉にしよう。
(今日のコトバ)
どんなに模倣しても、
自分自身の生き様と出会えば、
誰にもマネできないものになる。
まずは、先人の模倣。
そこからトレーニングして
基礎を学ぶ。
学ぶ先人は自分の憧れのスター。
模倣するのも当然だ。
ただ、模倣といっても、
自分という才能がトライすること。
憧れのスターのようにはならないし、
人によっては憧れのスターを
超えて才能を発揮することもある。
つまり、自分の才能を通ると
違うものになるということ。
意図してまったく同じものを
模倣しなければ、
確実に違いは出てくる。
これは、自分の生き様といっていい。
そして、その生き様は
誰にもマネできない。
そこにオリジナルが生まれる。
だから、
はじめは模倣からスタートし、
自分のスタイルが決まったら、
自分の最高を目指していく。
そんな気持ちで生きてみるのも
ワルくない選択だと思う。
(今日のコトバ)
近視、遠視より、
一番見えないのは不安視です。
人は誰しも不安になる。
不安になると
正しい判断ができなくなる。
落ち着かないから、
余計なことを考える。
結果、あせったり、
あわてたり、
心ここにあらずになる。
だとしたら、
不安にならない状態を
つくることが大切。
では、不安にならないためには
何が大切か。
それは知識と経験があるといい。
不安の素が何か。
知識があれば、
それだけで落ち着く。
さらに、経験したことであれば、
「こんな感じか」と
あせることも避けられる。
結果、平常心でいられる。
だからこそ、
知識をつけて経験を積む。
意識して生きていけば、
不安な状況を回避できる
ケースが増えてくる。
まずは、日々生きることで
初体験のことも
積極的に対処してみる。
そこから始めてみれば
いいのではないか。
(今日のコトバ)
自分に甘い人は、
他人に優しくできません。
辛い環境より優しい環境はいい、
とは思う。
しんどい状況ではなく、
自分のペースで進行できたりする。
ありがい環境かもしれない。
ただ、優しさが度を超えると、
甘さに変わる時がある。
そうなると自分にとって
ありがたい環境とばかりは
いえなくなる。
甘さ故、規則がなくなったり、
甘さ故、なあなあになったり、
甘さ故、目標を持たなくなったり、、。
レベルを下げていく一員になる。
また、自分に甘い人もいる。
その人は自分には甘いのだが、
人が苦しい時に優しくはしない。
あくまでも自分に甘いだけ。
だからこそ、
優しさと甘さを履き違えないで
生きる。人と接する。
「優しさと甘さ」
しっかり分けて考えよう。
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