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(今日のコトバ)
「もう少し」とは、
光が見えているとも解釈できる。
「もう少し、がんばろう!」
「もう少し、やってみよう!」
など、ひと踏ん張りする言葉。
仕事の最後などには、
掛け声的に使う言葉だ。
この「もう少し」という言葉、
とても前向きな言葉ともいえる。
後一歩でゴールできる。
ちょっとで達成できる。
そんな気持ちで、自分を、
まわりの人を鼓舞する。
その結果、
状況が前進し、
あるいは改善して、
いいところまで進む。
「もう少し」
何かをするということは、
生きるために
前向きな言葉なのだ。
だからこそ、
「もう少し」
「後一歩」などの言葉を
生きる状況に
できるだけ使っていく。
人生を前進させるために
大切なことだ。
(今日のコトバ)
人間は、
いつも歴史の劣等生でした。
歴史に学ぶという。
書物などを紐解けば、
ネットで検索すれば、
学ぶべき点は確かにある。
いい教訓、
ためになる話、
未来の想像の仕方など、
ほんとうに学ぶべき点は
いくらでもある。
だが、先生が歴史で
生徒が人間であると、
生徒である人間は、
あまりいい生徒ではない。
歴史を学ぶというよりは
歴史の警告を忘れて、
何度も同じ間違いをする。
独裁者に国家が牛耳られると、
平和な世の中が戦禍に変わる。
核は縮小の方向へ進んだはずなのに、
世界は縮小を無視しはじめる。
もっといえば、
弱い者いじめをしないという
生きる原理原則も、
世界中でいまだ守られてない。
歴史を学ばない、
というか、歴史を忘れてしまう。
だからこそ、
人間は歴史の劣等生だと意識して、
歴史を確認しながら生きていく。
破滅に向かっていくことや
人権を侵害していくことは必ず、
世界や国家に悲しい時間をつくる。
そのことを忘れはいけない。
(今日のコトバ)
目を離すから恐怖はつけ上がる。
目を離さずににらみつければ、
恐怖だって一目散に逃げていく。
怖いと、視線を逸らす。
怖い人、怖い出来事、怖いものなど。
その結果、怖さは倍増し、
ものすごい力を持って、
自分に襲いかかる。
誰もが怖さと遭遇した時、
体験があると思う。
ただ、怖さが去ってしまうと
いつも思うのだが、
視線を逸らしたり、
逃げたりしたことが、
怖さを大きく育ててしまった
原因ではないかと。
しっかり見つめると、
ほんとうはそれほど怖くないもの、
怖くもなく、
怖れるに足りないものなどが
たくさんあった。
しっかり見つめて、
本質をつきとめれば
怖くない。
そんな気持ちに何度もなった。
だからこそ、
怖さに遭遇したら
目を逸らさないことを意識する。
生きるために
肝に銘じたいと思う。
(今日のコトバ)
誰かに良いことをすると、
自分に良いことが起こる。
まず、はじめに気持ちが良くなる。
自分が幸せになりたかったら、
何をすればいいだろう。
時々、考える。
いちばん早く
幸せな気持ちになれるのは、
誰かの役に立つこと。
困っている誰かをサポートしたり、
問題を一緒に解決したり、
とにかく、誰かの役に立つと、
自分がいい気持ちになれる。
少しおおげさかもしれないが、
幸せな気持ちにもなれる。
そう思うと、
幸せになれることはいっぱいある。
まわりを見渡して、
助けを必要とする人に
手をさしのべる。
そこから幸せになる。
意識して、手をさしのべれば、
多くの幸せにも恵まれる。
まず、誰かの支えになることだ。
(今日のコトバ)
ほめることは、
幸せの種まきです。
口で、言葉で、心で、
人をほめる。
ほめることは、タダだ。
いくらでも伝えられる。
そして、ほめられた人は、
ワルい気はしない。
その人との関係もうまくいく。
こんなにいい
コミュニケーションツールはない。
できるだけ、
人間関係で使った方がいい。
ただ、守らなければ
いけないことがある。
それは、
ちゃんとほめるべきところを
ほめること。
お世辞ではなく、
罠ではめようとするのではなく、
いいところをほめる。
きっと、ほめた気持ち、
ほめた言葉は、
人間関係を円滑にする。
幸せにつながっていく。
ほめること。
人と人の関係において
大切にしたいものだ。
(今日のコトバ)
人生は、
明日という「もう一回」の
連続です。
生きている限り、
明日は続いていく。
今日を生きているなら、
明日を想定して生きている。
その明日とは、
どう意味があるだろう。
意味ではなく、
生きていれば時間が経過し
明日になっていく。
そんなことはわかっている。
だが、明日が人生で背負うものは
あまりに大きい。
例えば、過去も、今日という現在も、
「明日のための準備だ」
ということもできる。
もちろん、継続性のないもの、
今日終了するものは、
明日と直接関係がない。
ただ、過去の財産が、
今日手にしたものが、
明日につながることは多々ある。
そう思うと、
すべてが明日に
つながっていると思ってもいい。
その上、日本語では
明るい日と書く。
過去、現在は、
明るい日につながっていく。
そう思うと、
生きる意欲がわいてくる。
明日は人生にとって
大切なものなのだ。
(今日のコトバ)
夢中とは、
一生懸命が
最速になった状態である。
才能がある。努力できる。
根気がある、、。
人にはいろいろな長所がある。
ただ、
その中で圧倒的に長所になるのは、
夢中になれる力ではないかと思う。
集中力もあるかもしれないが、
一心不乱に物事に突き進む人は、
いい結果を出す確率が高い。
さらにいえば、
夢中になっている人は
楽しんで取り組んでいる。
集中して、
夢中になれるということは、
いい結果を出せて楽しめる。
一石二鳥にもなる。
人間の持っている機能で、
こんなにいいものはない。
だからこそ、
夢中になれるものを目標にする。
そして、まっしぐらに取り組む。
人生を充実させるために
大切なことだ。
(今日のコトバ)
本日のトリを飾る言葉は、
「ありがとう」です。
今日一日を
どんな気持ちで終わるか。
一日の中には
様々な出来事があって、
夜眠る前の気持ちは、
一定ではないはずだ。
楽しい気持ち、
悲しい気持ち、
怒りの気持ち、
落ち着いた気持ち、
落ち着かない気持ち、、。
日によって違うと思う。
「今日という日を
ちゃんと生きられた。
嫌なことがあったとしても、
いろいろな人にお世話になった。
自分の体と心もがんばった」
そう思うと、
様々な気持ちの上に、
感謝の気持ちが
生まれるのではないか。
「ありがとう」と
つぶやいてもいいのではないか。
人は80年生きて約3万日生きる。
そのうちの多くの日を、
感謝の気持ちで終わる。
それだけで人生が
素晴らしいものになっていく。
感謝は、
生きるために大切な役目を
果たしていると思う。
(今日のコトバ)
努力を売り物にしている
ということは、
まだ何も売り物がない
ということ。
難しい「努力」という概念。
誰が見ても
たいしたことをしていないのに、
本人が「努力」しているという。
反対に、
「彼はあんなに努力している」と
いわれているが、
本人はまだまだだと思っている。
こうもいわれる。
「努力が成功を約束しないが、
成功した者はすべて努力している」と。
どこからが「努力」していて、
どこからが「努力」していないのか。
基準はないのかもしれない。
だが、一ついえることがある。
それは、「努力」を
売り物にしているうちは、
まだ何も自分の売り物がない
ということ。
「努力」したんだけど。
「努力」してるんだけど。
という状況はまだ何事も途中の状態。
結果も出ていないし、
発展途上といっていい。
そう考えると、
「努力」は結果に付随する言葉。
「努力」の先の目標が
達成していないということ。
そのことを忘れはいけない。
(今日のコトバ)
孤独は、
自分の心と
いちばん会話がはずむ。
一人なって、寂しくなって、
良いことがあるとしたら何だろう。
時々考える。
いちばん感じるのは、
普段、聞かなかった自分の声を、
じっくり聞けることかもしれないと思う。
忙しい毎日、
生きる循環が上手くいっている時、
人は自分の声を聞いたりしない。
だが、何かをきっかけに、
孤独で寂しくなったり、
何もしない時間が長く続くと、
自分の声を聞くようになる。
その声は、ほとんどが弱音か本音。
自分の声だから飾ることもなく
真摯に聞く。
本来は、自分にとって大切な声だ。
だが、孤独でなくなると、
忙しくなると、
忘れてしまうこともある。
だからこそ、
孤独の時間の声は
大切にしなければならない。
自分の弱音や本音は、
人生への不安が含まれている。
これから生きていく上で、
注意しなければならないことが
含まれている。
人生への良い警告。
そう思って
孤独な時間の声を肝に銘じるのだ。
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