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(今日のコトバ)
絶望という風景でも、
たった一人になることはない。
必ず風景のどこかに、
あなたを見守ってくれる人がいる。
どうしようもなく落ち込むことがある。
おおげさにいえば、
この世界に独りぼっちだと
思うこともある。
自分の意識が後ろ向きな
気持ちに集中し前に向けない。
だが、まわりを見渡してみると、
誰かが自分の側にいる。
手を貸してくれる人、
アドバイスをしてくれる人、
本当に見守ってくれている人など、
いずれかの人が必ずいる。
自分が落ち込んでいる時は、
そんな人たちにすがっていい。
助けてもらっていい。
人は人に支えてもらって生きている。
人は人に助けてもらって生きている。
自分が元気になるまで、
誰かにすがっていいのだ。
そして、もし、自分が元気になって、
誰かを助ける余力がある時は、
その時、助けてあげればいい。
とにかく、落ち込んだ時、
まわりを見渡してみる。
誰かがあなたを助けてくれる。
そう信じて生きていこう。
(今日のコトバ)
無知なる自信は、無敵である。
根拠なき自信。
そう思える時がある。
能力、技術はともかく、
やる気と勢いだけはある。
いま考えると、
その時こそ
自分が無敵になったことはない、
と思うのだ。
それはなぜか。
能力も技術もないのに
できると思える強さ。
それは、一言でいうと
無知の強さではないかと思えるのだ。
何もわからないからこそ、
できると簡単に思える。
目標達成までの距離が近いと思える。
もっというと、
無駄なことを考えないともいえる。
さらにいえば、体力があれば尚いい。
勢いがつく。
そんな状態の時の自分を
最大限に使わない手はない。
根拠なき自信こそ、無敵。
思いっきり成長できる時なのだ。
いま、根拠なき自信があるものがあるなら
そこに大成長期がある。
全力で突き進めばいいのだ。
(今日のコトバ)
私の「普通」は、
あなたに出会って
「特別」になりました。
普通に暮らしている。
なんでもない日が続いている。
つらくはないが、
日々に彩りが足りない。
そんなことを考えて
生きている人もいると思う。
だが、
そんな普通の日々を
劇的に変えてしまうことがある。
それは、人との出会い。
一番は、愛する人ができること。
夢を一緒に叶えてくれる人が
できることも人生を変えていく。
たった一人と出会うだけで、
普通の人生が特別な人生になる。
誰もが経験があるはずだ。
だからこそ、
もし、自分の人生が
普通過ぎると思うなら、
人に出会うべき。
出会いがあれば、
運命を変えてしまう人と
出会うこともある。
普通の人生から特別な人生へ。
人と出会うことがそのはじまりになる。
(今日のコトバ)
あなたがしてあげられる最高の優しさは、
ただそこにいてあげること、
そっと寄り添ってあげること。
人が寂しがっている時、
何をしてあげればいいだろうか。
いろいろな方法がある。
自分の得意な能力を使って
支えてあげることは大切だ。
だが、人が寂しがっている時に
ちょうどいい処方箋を
持っていることなど少ない。
何かで助けてあげたいのはやまやまだが、
それが効果があるとは限らない。
どうすればいいか?
長く生きていると、
少しだけ方法がある。
それは、何もしなくていいから、
近くにいてあげること。
そして、話を聞いてあげること。
何かをしてあげようなんて
思わなくていい。
ただただ近くに、そばにいてあげる。
時間が経つと、
自然に相手は落ち着いてくる。
寂しさからも解放されていく。
一つの方法だが、
かなり効能があるといっていい。
誰かを支えたい時、
一度、考えてみるといい方法だ。
(今日のコトバ)
人生に消化試合はない。
だが、消化不良試合はたくさんある。
生れてから命果てるまで、
一日たりともムダになる日はない。
ムダな日というよりは、
意味のない日はないといった方が
いいだろうか。
必ず一日一日に役目があって、
毎日バトンを渡しながら、
今日という日までたどり着いているはずだ。
だから、生きているすべての日に
意味があるといっていい。
ただ、すべての日が
納得して終わったかというと
そうでもない日もある。
言葉にすると、
消化不良といっていいのかもしれない。
長い人生だ。
消化不良の日があってもいい。
だが、あまりにも消化不良の日ばかりだと、
人生そのものが消化不良になってまう。
だからこそ、なるべく
消化不良にならない生き方をしたい。
そのためにどう生きるか。
とにもかくにも目標をつくる、
点検する。
目標はちゃんと人生に機能しているか。
目標は人生を正しい方向に動いているか。
そして、目標は人生を有意義にしているか。
その部分をクリアして生きていけば、
消化不良の日は減ってくる。
一日一日が意味を持ってくる。
いま生きていることが充実してくる。
未来が期待で広がっていく。
目標という一つの指針は、
人生を消化不良にしない特効薬なのだ。
(今日のコトバ)
今日のいちばん重い荷物は、
明日への不安。
でも、明日になると
不安はどこにも存在しなくなる。
前を向いて生きていれば、
不安になることもある。
明日どうしたらいいだろう。
こんなことも、あんなことも、
考えてしまう。
ただ、結論からいうと、
不安に思っていた明日になると、
ほとんどのことは解決している。
もっというと、
とりこし苦労で終わっている。
「不安」
その正体は?
自分の中の妄想なのだ。
そう思うと、
不安にならないでいいことが、
たくさんあることがわかる。
だとしたら、
かんがえてもしかたない妄想を、
考えないことからはじめる。
明日にならなければ、
どうしようもないことを考えない。
なるようになるさでいい。
とにかく、
不安を遠ざける。
その意識を大切にしたいと思う。
(今日のコトバ)
嘘で自分を守っても、
一周まわって真実が攻めてくる。
自分が危なくなってくると、
状況を打開するために
嘘をついてしまうことがある。
「何とかこの状況を回避したい」と、
その場しのぎの嘘をついてしまう。
もちろん、適当に嘘をつく人もいる。
優しさとして嘘をつく人もいる。
そんな中で、結構な確率でいえることは、
嘘はいずれ真実となって自分に返ってくる。
嘘だから、
真実に追われるのは宿命でもあるが、
真実がわかると嘘をついていた自分の
評価を下げてしまう。
そんなことはわかっているのだが、
自分が追い込まれると、
嘘をついてしまう。
だからこそ、
そういう状況、
そういう気持ちをつくらない。
嘘が自分においてどれだけ
デメリットがあるか。
そこを意識して生きていれば
嘘のデメリットはわかるはず。
人生において、
評価を下げないために
嘘は避けていこう。
(今日のコトバ)
やさしい言葉ばかりくれる人は、
難しい質問には
答えてくれませんでした。
いつもやさしくしてくれる。
だが、ここ一番では、
あまり頼りにならない。
自分が平常時には、
とても付き合いやすいのだが、
大変な状態になると距離をとる人がいる。
反対に、少し厳しかったり、
気難しい感じがするが、
困った時に頼りになる人がいる。
みんながみんなそうではないが、
誰のまわりにも
思いあたる人はいるだろう。
そんな二通りの人、
人生ではどちらも必要だ。
平常時と困難な時、
どちらも自分の状況に合う人がいる。
そんな生活をおくれると、
人生は安定する。
どっちがいい、
どっちがワルいではない。
人生には状況にあった人が必要。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
キミにとって大切なことは、
キミがキミ自身の一番のファンに
なることだ。
まず、人生の中心に自分があること。
そこを意識して生きる。
あたりまえのようだが、
ちゃんとできている人は少ない。
あきらめてばかりで生きている人。
自分を信じない人。
目標を失っている人など、、、。
流れにまかせ過ぎて
生きている人もそうだろう。
すべてがいけないわけではない。
どういう生き方にも正解はある。
ただ、生きていく上で、
自分を大事にすることを
忘れると、
つまらない人生になってしまう。
もったいない人生にもなってしまう。
だからこそ、
もう一度、自分を振り返って、
自分を考えてみる。
そうすると、
ひとつの答えが出てくる。
自分を大事にする。
もう一歩進んで、
自分のファンになってみる。
そうすることで、
自分が多面的に見える。
自分にとって
有意義な人生がわかってくる。
生きるために、
自分のことをもう少しだけ
考えてみよう。
(今日のコトバ)
遠くでも、近くでもなく、
いちばん美しく見える距離がある。
その距離のことを愛という。
なんだが人を好きになると、
好きな人が視界に入っただけで、
その距離全体があったかい空間になる。
ワクワクするというか、
気持ちよくなるというか、
その人一点だけが輝いて見える。
心がつくる気持ちのバーチャル空間。
人を好きになると、
誰もがバーチャル空間を体験すると思う。
嬉しくて、顔が赤くなってしまって、
まわりの人にわかってしまうこともある。
言葉にすると、愛になる。
この愛があるところで
生きることほど、
気持ちいいことはない。
テンションも上がるし、楽しいし、
いい時間を過ごしている実感がある。
ある有名人が
「仕事を楽しくするなら、
職場に好きな人をつくれ」といった。
まさしく、そうだと思う。
だから、いま、いる環境を
楽しいものにしたかったら、
そこに好きな人をつくろう。
好きな人は、
人生にプラスの働きを
してくれるのだ。
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