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(今日のコトバ)
人生は、
平凡という再戦が毎日続くこと。
「平凡な日」
普通の人であれば、
人生のほとんどが
平凡な日が続いていく。
奇跡のような素晴らしい日も
あるが、
それが毎日続くわけではない。
不運で悲しい日もあるが、
それも毎日続くわけではない。
自分の能力の中で、
息を切らさず生きていける日を
続けていく。
名づけると平凡な日。
あたりまえの日で、
変わり映えもしないが、
ちゃんと生きなくては続かない。
生きるために
何かをしていく。
平凡な日は、
それこそ名づければ
普通だが、
継続していくことは、
途轍もなく大変なこと。
そもそも生きることを
続けるだけでも、
凄いことともいえる。
だからこそ、
「平凡な毎日」を大切にしたい。
平凡だけど大切な一日。
平凡だけど貴重な一日。
そして、平凡だけど生命の一日。
平凡の持つ意味を
捉えてしっかりと
生きていきたい。
(今日のコトバ)
助けてもらったことを
忘れてしまうと、
助けてあげることも
忘れてしまう。
そして、
いつか孤独と向き合うことになる。
人は助けられて生きている。
どんなに一人で
生きているといっても、
誰かに助けられている。
助けられた時、
感謝してもしきれない気持ちはある。
ただ、日々を生きていると、
さまざまなことを忘れてしまう。
その中に助けてもらったことも
入ってしまうこともある。
助けてくれてた人も何もいわない。
そして、普通に生きている。
だが、助けてくれたということは、
人生の一部を自分に使ってくれたこと。
その時間や労力に対して、
お返しをしないのは人として
どうかと思う。
助けてもらったら、
どこかで相手の力になって
お返しをする。
忘れていたら、
後からでもいいからお返しをする。
完璧にできるかは別として、
完璧にできるよう意識する。
人と人とは
支え合って生きているのだから、
助ける力をお返しするのだ。
(今日のコトバ)
人間はスターしかいない。
ただ輝き方を知っている人と
知らない人がいるだけだ。
誰もが才能を持って生まれてきている。
器用な人、不器用な人いて、器用な人がいる。
賢い人、賢くない人がいて、賢い人がいる。
足の速い人、速くない人がいて、速い人がいる。
腕力のある人、ない人がいて、ある人がいる。
絵の上手な人、下手な人がいて、上手な人がいる。
優しい人、優しくない人がいて、優しい人がいる。
才能によっての人それぞれ違いがある。
そして、人より秀でる部分が、
誰もが一つは持っているといっていい。
だが、その自分の持っている才能を
使い切れないで生きている人も
たくさんいる。
「この仕事向いてないな」
「数学は理解不能になる」
「人前で話すのは苦手だ」
そう思いながら、
とりあえず義務として
こなしている人もいる。
それは、とてももったいないこと。
自分の才能が有効に使える世界で
生きることが、どれだけ人生を
有意義するか。
わかった人から、
自分の才能を有効にする世界に
飛び込んでいる。
もし、
自分の人生をより有意義にしたいなら、
自分の才能が有効になる世界で生きる。
そのことを意識して
人生を設計していこう。
何年も、何十年も生きる時間が
自分が生きる時間になる。
自分が輝ける時間になるはずだ。
(今日のコトバ)
節約は、貧乏人でもできる投資である。
お金を使わない、
ムダを省くなどの意味があると思う。
余計なお金を使わずに日々を生きる。
できる人はできる、
できない人はできないこと。
ただ、節約ができると
お金が思ったより貯まる。
あえて貯蓄しなくても、
意外に懐が温かい。
考え方を変えれば、
節約ができれば
投資をしているといっていい。
それも、絶対に元本割れしない投資だ。
そう考えると、
節約を継続していくことは、
必ず成功する投資。
いつか節約したお金を計算すると、
思わぬ財産になることもある。
いま、投資をしたいができない人は
節約することから始めてみよう。
それだけで、
絶対に元本割れしない投資ができる。
少し心に余裕ができるはずだ。
(今日のコトバ)
明日に行かないと、
人生の絶景を一ケ所見逃すことになる。
とにかく人生は毎日明日への準備。
来る日も来る日も、
明日以降の未来ために
あれこれ作業をする。
あきもせず、
やってくる明日のために
準備する。
なぜだろう?
それは、人生の新しい風景を
見れるからだと思う。
無意識かもしれないが、
きっと、どこかでわかってる。
「明日、何か新しいことに出会える」と。
その新しいことに出会うために、
夢や希望、また、
野望、欲望を持って生きていく。
そして、何か新しいことに出会うことは、
幸せになることに近い。
「明日のために」で生き、
「今日出会えた」で生きる。
だからこそ、生きる気力が湧いてくる。
人生を生きるための目標は、
素晴らしい明日にある。
そのことを決して忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
「話かけてあげる」は、
極上の優しさである。
初めての学校のクラスで、
初めての会社の研修で、
初めて話しかけてくれた人は、
ほんとうに安心させてくれた。
困っている時に、
「どうしたの?」と相談にのってくれた人も
ありがたかった。
面白いことをいって笑わせてくれた人も
リラックスさせてくれた。
ただ話しかけてくれただけだから、
あたりまえに思えてしまうけれど、
ほんとうはあたりまえなんかではない。
人生を気持ちよく生きていく上で
貴重な行為。
大きな優しさをくれたといっていい。
もっというと、
人生に極上の優しさを
くれているともいえる。
だからこそ、
話しかけてくれる人は大切しよう。
そして、
自分が話しかける人にもなれれば、
もっと人生は素晴らしいものになる。
「話しかけてくれる」
「話かけてあげる」
優しさからくる貴重な行為だと
忘れないようにしよう。
(今日のコトバ)
人生を窮屈にしてきたのは、
許すことのできない自分でした。
人に対して
「許せない」と思うことがある。
腹の立つこと等があれば、
相手を許せないと思う。
だから、許さないで相手と
付き合わなかったり、
距離を置いたりすることもある。
ただ、「許さない」という気持ちは、
相手との関係もあるが、
自分自身も苦しめてしまう。
「許せない」から、
いつも態度に出す。
当然、相手もこちらにいい感情を持たない。
お互いがギクシャクした状況のまま。
常に不快感がつきまとう。
いつもイライラがあり、
相手が現れると、
さらに不快感がヒートアップする。
人生が嫌な時間で覆われる。
だとしたら、
「許せない」を「許す」気持ちで
生きたらどうだろう。
少しぐらい腹立つのは忘れる。
「そんなこともある」と水に流していく。
つまらぬ「許せない」は、
考えない。
そうしないと、
「許せない」気持ちが
人生を不快にしていく。
最後は自分を許せなくなる。
そんな人生を生きるのは本意ではない。
もっというと、人生において
ムダな時間をつくることにもなる。
「許せない」気持ちから
「許す」気持ちへ。
生き方を意識的にシフトしていく。
それだけで、生きる不快感が、
随分、解消されていくはずだ。
(今日のコトバ)
人生は、
幸福という分母の上に
日常がある。
アイルトン・セナが
「この世に生を受けたこと、
それが最大のチャンスじゃないか」
といったそうだ。
ほんとうにそう思う。
少し大きく捉えると、
生まれたきたことが幸福といえる。
もちろん、幸福だけではないと
思う人もいるだろう。
ただ、生まれた時からチャンスが訪れる。
無数のチャンスが訪れる。
チャンスを自分のものにできるか
どうかは別として、
チャンスは目の前にある。
それほどの幸福もない。
だからこそ、
生きている今日は、
幸せなのだと設定してしまう。
それだけで、
一日は価値あるものになる。
もっと意欲的に
生きることができる。
生きている自分のために、
幸福の上にある日常を意識しよう。
(今日のコトバ)
「大人になれよ」といわれて、
少し喜ぶぐらいの子供を残しておこう。
年齢のわりには
無邪気になり過ぎて、
「大人になれよ」といわれる人がいる。
もっと冷静に、もっと大局を見て、
もっと静かに等、、。
大人になれよの大人には
様々な意味がある。
だが、大人になるばかりが
大人ではないともいえる。
冷静より熱く、
大局ではなく一点を見つめて、
もっと騒がしく、、してもいい。
大人ではない、
子供のような初心の気持ちを
出して生きてもいい。
なんでもかんでも大人気ないのは
どうかと思うが、
少しは子供を残して生きることも大切。
人にとって、
どこまでが子供で
どこからが大人かなんてわからない。
だからこそ、
大人であっても子供を残す。
それは、
人として、
とても素敵なことではないだろうか。
(今日のコトバ)
臆病者でいい。
無自覚な人に
傷つけられないために。
そして、無自覚に人を
傷つけないために。
しり込みしたり、怖がったり、
小心に生きてしまう。
臆病者はビビりだ。
人生で起こる出来事では、
「臆病者になるな」
といわれることも多い。
だが、人生はさまざまことが起こる。
あまりに無防備で生きてしまうと、
後に痛い目にあうこともある。
その痛い目にあわないためには、
臆病であることも役に立つ。
危ない橋を察知し回避したり、
傷つけにくる人を避けたり、
臆病だから逃げることもできる。
また、自分が
ちっぽけな権力を振りかざしたり、
人を無意味に傷つけないためにも、
臆病は役立つ。
自分の人生のつまずきを
減らすためにも、
臆病であっていい。
人生に臆病を役立てるのだ。
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