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(今日のコトバ)
今日とは、
人生で一度しか来ることのない奇跡。
簡単に今日というけれど、
今日という日は一生で一度しかない。
すべてが希少価値。
すべてが記念日。
すべてが尊い日、、。
あたりまえのように来る今日は、
さまざまな使命を持って訪れる。
学校や仕事としてやるべきこと。
趣味、休みとしてやるべきこと。
あれこれあるが、
すべてが明日生きるために大切なこと。
今日という日。
人生で一番価値のある日とはいわないが、
何かの役目を持っている。
その役目のためにも、
今日をリスペクトして生きていこう。
つまらない、退屈、
良くない日、不愉快な日、、。
思い返したくもない日もあるだろう。
ただ、そんな今日も人生のどこかに
必要な栄養素。
そう思って生きると、
少しだけ今日を大切にできるはずだ。
(今日のコトバ)
優しさは、
優しくしてくれた人の私物である。
傷がいえたら、
新しい優しさにして返そう。
自分に優しくしてれる人がいる。
利害関係にあるなしに関係なく
優しくしてくれる。
ありがたいことだ。
人の優しさに触れた時、
人生って、人間っていいなと思う。
ただ、忘れていけないことがある。
優しくしてくれた人に
感謝を伝えること。
自分の傷がいえたら終わりではない。
誰かの優しさがあったからこそ、
傷が治ったこともある。
そのことは忘れてはいけない。
優しさへの感謝を伝えるだけでなく、
優しくしてくれた
誰かが傷ついた時は
優しさで恩返しする。
優しさは人の心の一部。
肝に銘じておこう。
(今日のコトバ)
何者でもないなら、
「ベストを尽くす」という
花束を持って扉をたたけ。
何かに挑戦する時、
実力、能力が足りない場合もある。
素人で挑まなければならない時もある。
そんな時、挑戦する者は、
何を支えに一歩踏み出すか。
それは、全力を尽くすこと以外にない。
実力では評価されない時の武器になるのは、
全力を尽くすこと。
もちろん、実力と全力を
天秤に計るものではない。
ただ、全力はまわりが注目する。
姿勢や気持ちが伝わる可能性もある。
全力が千載一遇の勝ち目を
呼び込むこともある。
だからこそ、
全力を尽くす。
いま、自分に何もないと思ったら、
全力だけを持って挑戦しよう。
自分の可能性を
一気に認められることが、
起こるかもしれないのだ。
(今日のコトバ)
自分のことを好きに
なりたかったら、
誰かのことを好きになろう。
誰かのことを好きになる自分を
好きになるのは、案外、簡単だ。
自分のことを好きになれない。
そう思うことがある。
人生が上手くいかなくて、
成功しなくて、勝てなくて、、。
様々な要因はある。
ただ、自分を好きになれないのが
自分を辛くしているなら、
自分を好きになるための
行動を起こさなければいけない。
では、どう自分を好きになるのか。
あれこれ方法はあるだろう。
その中で割と簡単にできるのが
誰かを好きになること。
自分の身のまわりであるといい。
「その人のために、、、何かをしたい」
「その人のために、、、何かをする」
人生を誰かのために使う。
その積み重ねが自分を前向きにする。
その人という目標がモチベーションになる。
そして、モチベーションが満たされるたびに、
自分にも価値があると思える。
自分を好きになるには、
案外、いい方法だと思う。
(今日のコトバ)
希望は、
不可能を可能にする
招待状だ。
「何かこの先に光明が見える」
そう思った時の人のモチベーションは
高いものがある。
もっとも高い
モチベーションである場合もある。
そして、モチベーションが上がる時、
それだけではない、
もっと大きなものを手に入れている。
それは、可能性。
自分の未知を広げる力。
その起因になっているのは、
この先の光明という名の希望。
希望は、可能性を広げてくれる。
だからこそ、
常に希望を持って生きることが大切。
たくさんあっていい。
どれだけ大きくてもいい。
自分の可能性を広げてくれる
最高の力。
それこそが
希望の持つ力なのだ。
(今日のコトバ)
近道では自分の足が納得しない。
なんでもっと歩いてこなかったのかと、
後から自分を悔いる。
最短の距離で自分の願いを叶える。
できれば近道がいい。
誰もがそう願う。
楽して、短時間で、自分の夢が叶ったら、
そんな嬉しいことはない。
だが、人生は甘くない。
必ず困難という人生の課題を用意する。
その課題を解決するためには、
近道だけで鍛えた筋力では
到達できないことばかりだ。
やっぱり遠まわりしても、
自力をつけ、脚力をつけ、
上り坂でも駆け上がれる力が必要。
そう思うと、
近道ばかり選んでいた自分を悔いる。
だからこそ、
近道ばかりを選ぶのではなく、
目標の高さにあった道を選ぶ。
高い目標には、
茨の道もある。
その茨の道を乗り越えるために、
遠まわりもできる筋力をつけるのだ。
(今日のコトバ)
敗北だって足跡になる。
そして、いつか勝者になった時、
その足跡が「あの日があったから」と輝き出す。
敗北、失敗、間違いなど、
人生で何度も繰り返す。
勝率という言葉があるが、
人生で換算したら、
誰もがかなり低い数値になる。
ただ、その低い数値の勝率を
なんとか上げて、
人生を有意義にしたいと思うのも人間だ。
そう考えるなら、
敗北なども人生の足跡として刻む。
負の歴史ではなく、
挑戦した足跡として刻む。
ただ、敗北の足跡は、
その後の人生で勝利の足跡に
変えることができる。
「あの日は負けたけど、
その後の成長で勝つことができた」と
思うことは誰にもあるだろう。
あの日があったら、いま自分がいる。
そんな気持ちになるために、
敗北の歴史もしっかり刻む。
いずれ輝かしい傷跡に
変えるために生きるのだ。
(今日のコトバ)
自信は、
人を愛した数から生まれる。
愛されると自信を持つ?
そう考える人もいるだろう。
だが、よくよく考えてみると、
愛されるより愛することが多い人こそ、
自信が生まれるのではないかと思う。
愛されることは受動的だが、
愛することは能動的。
本気で愛されたいと思えば、
頭をフル回転させ、
知恵を絞り、相手のニーズに応えて、
いろいろな技を磨くことになる。
目標は愛されること。
そう設定すると、
自己研鑽に自然に励む。
四の五のいわずに、
行動も起こす。
自分磨きに愛することは
最高のアイテムなのだ。
だからこそ、
自分に自信をつけたいと思ったら、
人を愛してみる。
成果は約束できないが、
成長は約束できる。
愛することは素晴らしいことだ。
(今日のコトバ)
第一印象に洗脳されてはならない。
どうしても人を印象で語ってしまう。
特に、第一印象は相手のイメージを
くっきりと描いてしまう。
「人は第一印象で考えてはいけない」と
よくいわれているのはわかっているが、
それでも最初のイメージは大きい。
そのイメージを覆すのは至難の業だ。
とにかく意識して第一印象だけで
考えないようにする。
ちゃんと
コミュニケーションをとってから、
その人を判断する。
反対に、自分においては第一印象と
変わらないように生きてみる。
なるべく第一印象の通り、
印象の修正をしないで済む人になる。
それだけで、
まわりの人とのコミュニケーションが
円滑になる。
人を第一印象で決めつけない。
そして、自分は印象と変わらないように
生きていく。
人生において大切なことだ。
(今日のコトバ)
沈黙は怖い。
もっとも表現豊かな真実にもなれば、
もっとも面の皮が厚い嘘にもなる。
「沈黙」
沈黙は金ともいわれ、
沈黙は雄弁ともいわれる。
ただ黙るだけだが、
黙るからこそ相対する人に
いろいろな意味を考えさせる。
時にその沈黙は、
真実は何かを気づかせる。
時にその沈黙は、
嘘に騙されていないと伝える。
時にその真実は、
何かを雄弁に語る、、。
沈黙は正解を見つけている。
否、見つけてなくても
正解がわかったように感じられる。
そう考えると、
沈黙も生きるための武器。
状況に応じて沈黙を使う。
生きていく上で、
ひとつの大きな戦術になるはずだ。
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