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(今日のコトバ)
人生とは、
まだ仕上がっていない脚本を
なんとか演技で良い芝居にする舞台だ。
何が起こるかわからない。
今日という未来は、
明日という未来は、
スケジュールが決まっていれば、
ある程度の筋書きはわかるが、
それでも絶対を約束する
ストーリーはない。
「未来は仕上がっていない脚本」
そんなことがいえるかもしれない。
だとすると、自分という人生の主役が
良い芝居・良いパフォーマンスをして、
生きる時間を盛り上げるべき。
人生は自分次第で
いくらでも変えていける。
自分の進みたい人生があれば、
想像力と行動力で叶うことも多い。
仕上がっていない脚本を生きる。
人生は素晴らしい舞台なのだと思う。
(今日のコトバ)
まいにち行く場所は、
地球上でいちばん
かけがえのない場所である。
学校でも、仕事でも、
毎日行く場所がある。
あたりまえのように行くので、
その場所の価値など考えもしなかったが、
よくよく考えてみると、
現在進行形の人生において、
これほどかけがえのない場所もない。
そこへ行けば自分という存在が
認められる。
存在価値があることを確認できる。
今風にいえば、
承認欲求を確認できると
いえるかもしれない。
だが、
あまりにもあたりまえに
過ごせる場所だから、
かけがえのない場所であることを
忘れてしまう。
その場所に行くことに疲労感を
かかえることさえある。
つまり、居場所と呼べる
自分の現在地なのだ。
もちろん、
その場所で差別やいじめがあったりして、
かけがえのない場所などと
呼べない人もいるだろう。
ただ、それでもその場所は
人生においての
大切な場所になるはず。
だからこそ、
毎日行ける場所を
大切に生きていこう。
(今日のコトバ)
習慣。
それは永遠に繰り返し続ける熱狂。
一言で習慣というけれど。
習慣なるものは、
ちょっとやそっとの意志では
つくれない。
何年も、何十年もやり続けることは、
熱意をもった意志が
継続しなければならない。
熱意を持った意志を
持ち続けることは、
もう狂った行為、
熱狂といってもいい。
その簡単ではない道程を
続けている人は、
職人だったり、変人?だったり、
頑固者だったり、
普通の人ではない。
だからこそ、
自分ができる、
できている習慣を
探してみよう。
意志が続くものがあれば、
それは習慣となり、武器になる。
誰もできないことを続けられるのがいい。
だが、誰もができることを、
誰もできないほど続けられるでもいい。
習慣こそ武器になる。
習慣になるものを見極めるのだ。
コトバザウルスは今年で21年目。
熱意を持った意志として
武器になっていると嬉しい。
(今日のコトバ)
優しさも甘すぎず
微糖ぐらいがちょうどいい。
「優しさ」と「甘さ」が、
混同する人がいる。
優しさをくれる人がいると、
いつかそれがあたりまえになって、
「もっと、もっと」と
優しさを求めてしまう。
あまり優しさを求め過ぎてしまうと、
それは優しさを越えて、
ただの甘えになってしまう。
ただの甘えになると
求めに応えてもらえなくても
仕方ないといえる。
優しさをくれる人も、
甘えまでは受け持てない。
優しさを求める人も
節度を持って、
救ってもらうべきだ。
そのことを忘れずに
優しくしてくれる人と
付き合いたい。
この広い世界の中で、
自分という人間に
優しさをくれる人は
ごく少数の人達。
だからこそ、
自分としても優しさを
大切にして生きるべきだ。
(今日のコトバ)
努力は、
「努力が足りない」
といわれてからが本番だ。
努力という言葉の名言は多い。
たいがいが、
「努力をすれば夢は叶う」
という意味合いが込められている。
間違いではないし、
努力を突き詰める人は、
確かにいい結果を残している。
ただ、少し思うのは、
目指した方向でないところで
努力しても、
なかなか結果には結びつかない
ということ。
努力は認める。
だが、努力するのは
そこではないという人が
意外に多い。
自分ではなく、
他人の目から見ると
間違った人がよくわかる。
だからこそ、
こんなこともいえる。
「努力が足りない」と
まわりの人からいわれた時こそ、
努力を突き詰める価値が
あるのではないか。
まわりは努力すれば、
伸びると思っている。
だから、「もっと努力をしろよ」
とエールを送る。
つまり、
努力が足りないといわれたら、
そこが努力する
価値のあるところ理解する。
人生を懸けて努力してみる、
それこそ価値があるのではないかと思う。
(今日のコトバ)
大きい人の陰にかくれていたら、
大きい人がいなくなるまで、
自分が小さい人であることをに
気づかなかった。
「虎の威を借る狐かな」ではないが、
大きな力によって守られて、
自分の小ささに気づかないことがある。
何も人間だけでなく、
大きな会社で勤めていると、
会社が大きいからと、
自分の実力以上に
自分の力を誇示する人もいる。
差こそあれ、
誰でもそういう部分あるだろう。
ただ、自分を守ってくれる
大きなものがなくなった時、
突然、自分の小ささに気づく。
「あの人がいないと何もできない」
「あの会社でいたから、強くいられた」
そんなことを思うのだ。
だとすれば、
自分を見失わないために、
大きさで左右されない自分を
持つようにする。
自分はこれぐらの力であると意識する。
自分の力を
間違わないで生きるためには
必要なことだと思う。
自分の力ではない力で勝負すると、
後々、痛い目にあう。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
年をとったら、
上手な転び方、下り坂の歩き方、
そして、すべっても笑える話の作り方を
若者に教えよう。
もう若くはない。
そう思うと、
夢や希望だけで生きてはいけない。
ただ、人生のキャリアはあるから、
若者たちに伝えられることはある。
その人生の財産とも呼べる知恵を、
嫌味でなく話せることも
キャリアのある人間の
役目だと思う。
例えば、
困難にあった時の立ち回り方。
前へ、前へ一辺倒でなく、
かわしながら、逃げながら、
それでも前に進む方法。
例えば、
先に出世していく人に
嫉妬するのではなく、
相手が消耗し落ちてくるともある。
その時、余裕を持って抜いていく方法。
例えば、
失敗や間違いをして
頭を抱えるのではなく、
ちょっとした笑い話に変えていく方法、、。
老獪といってしまえばそれまでだが、
若者では気づけない人生の機微を
伝えていく。
そんな気持ちを持って、
キャリアのある人間として
生きていきたい。
(今日のコトバ)
遠まわりしてきた人の自信に、
近道してきた人の自慢は勝てない。
できれば近道したい。
最短距離で夢を叶えたい。
ほとんどの人がそう思うだろう。
早く、簡単に、
近道で、
自分の目指したものを捉えたい。
誰もがそう思っている。
ただ、人生はそう甘くない。
早く、簡単に、
近道で捉えられるものは、
それだけの価値しかない。
夢が大きければ大きいほど、
時間はかかるし、
困難とも遭遇する。
近道ではなく、
遠まわりになることばかりだ。
だが、遠まわりは人として
素晴らしい経験を与えれる。
長い道を行けば、
よりたくさんの人と出会う。
より多い風景と出会う。
より数多くの体験ができる、、。
その距離の分、
人生の財産を豊富積み上げられる。
だからこそ、
近道しか知らない人が敵わない
実力がつく。
人にはどうしても叶えたい
夢や希望がある。
叶えるために
遠まわりの道を行くことになっても、
それはすべて財産になる。
そう信じて強く一歩を踏み出そう。
(今日のコトバ)
出会いとは、
平凡な人生に起こる
サプライズイベント!
人生が変わる。
自分が変わる。
言葉では簡単だが
そんなことはそれほどないと思う。
人生がうまくいかないと、
人生が変わってほしい。
自分が変わりたいとも思うが、
変化は数えるほどしかない。
だが、それでも高い確率で
人生を変えるきっかけを
つくれることがある。
それば、出会いだ。
人との出会い。
必然。偶然。奇跡、、。
いろいろな出会いがあるが、
出会いは、人生を意外なところへ
転がしていくこともある。
「その人と出会ったから、
人生が大きく変わった」
よく聞く言葉だし、
誰の人生にであることかもしれない。
だとすれば、
人生が変わるチャンスも、
自分が変わるチャンスも、
結構なあると思う。
人間は、人生を生きるために
変わっていかなければならない。
そのきっかけが出会いにある。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
握手はあなただけにしたのではない。
あなたとあなたの未来にしたのだ。
出会いの時、
別れの時、
成功の時、、。
人は握手をする。
スキンシップの一部として、
握手することもあるだろう。
ただ、握手の意味を考えると、
簡単なスキンシップだけではない。
そこで握手するということは、
相手への挨拶、
感謝等の気持ちもあるが、
一番大切なのは、その後の未来も
固いの気持ちで
結びついていこうということ。
「ここでは終わらない。未来もよろしく」
という気持ちがある。
だからこそ、
握手する時は気持ちを込めて、
熱い思いが届くように手をつなぐ。
一つの握手がつなぐ絆は、
後々、大きな未来を築いていくはずだ。
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