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(今日のコトバ)
言葉は、
自分をちぎって飛ばした分身です。
言葉は、自分の分身である。
そういわれて、そうだと答える人もいるし、
うーんと考えてしまう人もいるだろう。
自分が発した言葉なのだから、
まぎれもなく自分の心からの言葉。
だけど、状況によって、
本心で話せない時もある。
あえて嘘をつくこともある。
圧力に負けて言葉を選ぶこともある。
なかなか自分の思いのままに
言葉を伝えられない。
だが、だからこそ、
言葉は大切になっていく。
仮に本心でなくても、
本心に近い言葉、
あるいは本心を気づかせる言葉を
使って自分を現す。
言葉と自分の距離が
近ければ近いほど、
素直に生きられる。
簡単そうで簡単ではない。
ただ、素直に生きようと思ったら、
言葉と自分の距離を近くする。
大切なことだと思う。
(今日のコトバ)
無知だからこそ、
心は平和でした。
知らないから、
いいこともある。
知らないから、
強気に出れる。
知らないから、
わかったことをいう。
知らないから、
偉そうなことをいえる、、。
間違っていても、
知らないから、
堂々としていられることもある。
もちろん、知識はしっかり把握して、
正しく伝達することは大切だ。
ただ、あまりに知識が豊富になり、
頭でっかちになって生きるより、
知らないなら知らないで
生きることもワルくない。
知らないからストレスフリーに
なれることもある。
だからこそ、
自分が知らないことで
無理に悩まず、
都度都度知るようにすればいい。
本当に知りたいことだけ
貪欲になればいい。
ただ、それ以外の知識は
無理につめこむより、
タイムリーに
知っていけばいいと思う。
(今日のコトバ)
間違えるということは、
そこに、道標をつくること。
この先の人生、
道標を思い出すだびに、
間違いを回避できる。
人生、何度も間違える。
そのたびに、その間違えた部分が
心に刻まれる。
「答えはそこじゃない。
このやり方では失敗する」
そう思うことは、
一つの道標をつくること。
その間違いはしないと思うだけで、
正解への道に近づく。
少なくとも、間違いの道を
選択しないという成長がある。
だとすれば、
間違いはしてもいい。
おおげさだが間違えれば
間違えるほど、
成長でき、正解に近づくのだ。
そう考えると、
間違えることは人生にとって
ワルくない。
道標としての間違いを
心に刻んでいこう。
(今日のコトバ)
変わる景色にときめくのもいいけど、
変わらない景色に安らぐのも必要。
新しい景色をみたい。
そう思いながら、日々生きている。
新しい景色とは、
まだ見ぬ景色であり、
現状を超えた状況とでもいおうか。
新しい景色には、
何かいいものがある。
そのいいものを目指して生きる。
大切なことだ。
ただ、変わらぬ景色だから、
いいこともある。
落ち着いて生きられる。
怖れることが少なくなる。
自分の居場所が決まる、、。
新しい風景と変わらない風景。
どちらも人には必要。
その意味で、
自分の眼がどこを向いているか。
その時大切だと思った視界を
注視し、人生を有意義にしていこう。
(今日のコトバ)
主張とは、
自分の正論に冒険させることである。
誰にでも主張はある。
正しい、正しくないはあっても、
自分の意見を押し通したいことはある。
決してワルいことではないのだが、
主張の内容によっては、
敵もつくるし、
人を傷つけることもある。
意図しない解釈をされ、
攻撃の的になることさえある。
SNSに強い主張をすれば、
多かれ少なかれ叩かれる。
だからこそ、
自分の主張には慎重になるべき。
主張=本人になってしまう。
主張とは、
自分の正論を冒険させることと
肝に銘じる。
正しい主張は自分の正しい主張であって、
他の誰かからすれば正しくない主張になる。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
可能性とは、
神様があなたの未来に
光をあてたところ。
誰もが、
何か人より
秀でたところがある。
人によって秀でたものを
確信している人もいるし、
薄々秀でてると思っている人もいる。
「何もいいところがない」
そう思っている人も、
「優しさ」とか、
「気遣い」とか、領域を広げると、
少しは人より秀でているところが
あると思うはずだ。
それは、
持って生まれたものに根っ子がある。
その持って生まれたものを、
まっすぐ伸ばすことができれば、
人生は有意義になる。
反対に、持って生まれたものを
使えないで生きると、
人生はしんどいものになる。
だからこそ、
持って生まれたものは何かを
自分で探してみる。
人より秀でているものを見つける。
そのことを人生の早い段階でできれば、
人生をコントロールできる
確率が高くなる。
自分の秀でたものを探そう。
(今日のコトバ)
あらゆる「力」は、
「勘」が鈍い。
力はつけた方がいい。
「力をつけろ」と
上の人たちから言われることもある。
力。
人間が向上するために必要なもの。
ただ、力というからには、
そこに何かを押さえつけるものが働く。
押さえつけるということは、
無謀になることもある。
理由は聞かずにねじ伏せる。
権力のようなものになる。
また、力が強くなればなるほど、
勘が鈍くなったりもする。
細かいことが気づかずに、
一気に押さえつけてしまう。
結果、弱い者いじめになる。
だからこそ、力をつけたら
繊細な部分を意識しなければ
いけない。
人が生きるためには、
バランスが必要。
力をつけたら、
勘が鈍くなっていることを
忘れず、少しだけでいいから、
人を押さえつけてないか
考えてみる。
大切なことだと思う。
(今日のコトバ)
いい顔を
他人にいっぱい使い過ぎて、
自分に
いい顔ができなくなっている。
気を使うがあまり、
いい顔、笑顔を、みんなに使う。
コミュニケーション的には
ありがたい人がいる。
その人がいるから、
現場の雰囲気が良くなることもある。
だが、気を使っている人はどうだろう。
いい顔できない時も、
いい顔をする。
笑顔をつくれない時も、
笑顔を無理につくる。
そんな人は
自分をすり減らしている
可能性がある。
他人にいい顔し過ぎて、
自分が辛くなる。
だからこそ、
いい顔をつくっている人は、
いい顔にもオンオフをつくる。
まわりの人も理解してあげる。
長い時間にいる場所、
頻繁にやりとりする仲間は
わかってあげるべきだと思う。
(今日のコトバ)
人は完璧になれないから、
完璧になれなすき間を
優しさで埋めて生きている。
完璧主義者でなくても、
完璧を目指そうとする人は多い。
仕事に、研究に、勉強に、
スポーツに、完璧という理想形を目指し
頑張っていく。
だが、たいていは完璧にできない。
完璧が何かという問題もあるが、
上手くいっても完璧に近づくまでだ。
そこで人は弱さ考える。
自分の限界を考えることもある。
「何か足らなくて埋まらない」
その何かは簡単にぱわからない。
わからないけれど、
そこには自分許す
優しさがあることも知る。
完璧でないからこそ
生まれる人としての幅といってもいい。
完璧になれなかったこと引き換えに、
優しさを得る。
それも人としての成長だ。
だからこそ、完璧を目指す。
ただ、完璧でない自分も許す。
そこに、
生きるための優しさが
生まれることを理解しておこう。
(今日のコトバ)
人生、
荒波、大波より、
さざ波の方が長く泳げる。
長く生きる。
人生において、
ひとつのテーマだ。
「とにかく長生きしたい」
という人もいれば、
「太く、短く」
という人生哲学の人もいる。
どちらがいいワルいではない。
考え方の問題だか、
もし、長く生きたいと思うなら、
やっぱり自分のペースで、
刺激的過ぎず生きた方が、
長生きだと思う。
あれこれ手を出して、
大きな夢の前で無謀な戦いをして、
自分を省みない生き方をしたら、
命をすり減らしてしまう。
人生の一時期、無謀に生きることはある。
ただ、そればかりで人生を生きると、
一生は短いものになる。
だからこそ、
自分のペースで、
時にゆっくり、時に休んで、
心と体を大事にして生きる。
そんな生き方も、
人生で考えたらありだと思う。
生き方はいろいろ選べる。
自分に合ったペースで生きていこう。
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