話しかけてあげる

(今日のコトバ)

 

「話かけてあげる」は、

極上の優しさである。

 

 

初めての学校のクラスで、

初めての会社の研修で、

初めて話しかけてくれた人は、

ほんとうに安心させてくれた。

困っている時に、

「どうしたの?」と相談にのってくれた人も

ありがたかった。

面白いことをいって笑わせてくれた人も

リラックスさせてくれた。

ただ話しかけてくれただけだから、

あたりまえに思えてしまうけれど、

ほんとうはあたりまえなんかではない。

人生を気持ちよく生きていく上で

貴重な行為。

大きな優しさをくれたといっていい。

もっというと、

人生に極上の優しさを

くれているともいえる。

だからこそ、

話しかけてくれる人は大切しよう。

そして、

自分が話しかける人にもなれれば、

もっと人生は素晴らしいものになる。

「話しかけてくれる」

「話かけてあげる」

優しさからくる貴重な行為だと

忘れないようにしよう。

 

 

 

「許せない」から「許す」へ

 

(今日のコトバ)

 

人生を窮屈にしてきたのは、

許すことのできない自分でした。

 

 

人に対して

「許せない」と思うことがある。

腹の立つこと等があれば、

相手を許せないと思う。

だから、許さないで相手と

付き合わなかったり、

距離を置いたりすることもある。

ただ、「許さない」という気持ちは、

相手との関係もあるが、

自分自身も苦しめてしまう。

「許せない」から、

いつも態度に出す。

当然、相手もこちらにいい感情を持たない。

お互いがギクシャクした状況のまま。

常に不快感がつきまとう。

いつもイライラがあり、

相手が現れると、

さらに不快感がヒートアップする。

人生が嫌な時間で覆われる。

だとしたら、

「許せない」を「許す」気持ちで

生きたらどうだろう。

少しぐらい腹立つのは忘れる。

「そんなこともある」と水に流していく。

つまらぬ「許せない」は、

考えない。

そうしないと、

「許せない」気持ちが

人生を不快にしていく。

最後は自分を許せなくなる。

そんな人生を生きるのは本意ではない。

もっというと、人生において

ムダな時間をつくることにもなる。

「許せない」気持ちから

「許す」気持ちへ。

生き方を意識的にシフトしていく。

それだけで、生きる不快感が、

随分、解消されていくはずだ。

幸福の上にある日常

 

(今日のコトバ)

 

人生は、

幸福という分母の上に

日常がある。

 

 

アイルトン・セナが

「この世に生を受けたこと、

それが最大のチャンスじゃないか」

といったそうだ。

ほんとうにそう思う。

少し大きく捉えると、

生まれたきたことが幸福といえる。

もちろん、幸福だけではないと

思う人もいるだろう。

ただ、生まれた時からチャンスが訪れる。

無数のチャンスが訪れる。

チャンスを自分のものにできるか

どうかは別として、

チャンスは目の前にある。

それほどの幸福もない。

だからこそ、

生きている今日は、

幸せなのだと設定してしまう。

それだけで、

一日は価値あるものになる。

もっと意欲的に

生きることができる。

生きている自分のために、

幸福の上にある日常を意識しよう。

大人になるばかりが大人ではない

 

(今日のコトバ)

 

「大人になれよ」といわれて、

少し喜ぶぐらいの子供を残しておこう。

 

 

年齢のわりには

無邪気になり過ぎて、

「大人になれよ」といわれる人がいる。

もっと冷静に、もっと大局を見て、

もっと静かに等、、。

大人になれよの大人には

様々な意味がある。

だが、大人になるばかりが

大人ではないともいえる。

冷静より熱く、

大局ではなく一点を見つめて、

もっと騒がしく、、してもいい。

大人ではない、

子供のような初心の気持ちを

出して生きてもいい。

なんでもかんでも大人気ないのは

どうかと思うが、

少しは子供を残して生きることも大切。

人にとって、

どこまでが子供で

どこからが大人かなんてわからない。

だからこそ、

大人であっても子供を残す。

それは、

人として、

とても素敵なことではないだろうか。

臆病は役立つ

 

(今日のコトバ)

 

臆病者でいい。

無自覚な人に

傷つけられないために。

そして、無自覚に人を

傷つけないために。

 

 

しり込みしたり、怖がったり、

小心に生きてしまう。

臆病者はビビりだ。

人生で起こる出来事では、

「臆病者になるな」

といわれることも多い。

だが、人生はさまざまことが起こる。

あまりに無防備で生きてしまうと、

後に痛い目にあうこともある。

その痛い目にあわないためには、

臆病であることも役に立つ。

危ない橋を察知し回避したり、

傷つけにくる人を避けたり、

臆病だから逃げることもできる。

また、自分が

ちっぽけな権力を振りかざしたり、

人を無意味に傷つけないためにも、

臆病は役立つ。

自分の人生のつまずきを

減らすためにも、

臆病であっていい。

人生に臆病を役立てるのだ。

笑って立ち直る

 

(今日のコトバ)

 

今日泣いても、

明日笑うことができるのが、

人間という生き物の得意技。

 

 

泣くような辛いことがあった。

失敗、敗北、失恋、喪失など、、。

ほんとうに悲しい。

涙が止めどなく流れる。

だが、数時間後、

あるいは、明日になると、

人はもう笑ってる。

笑う状況でなくても、

少し元気になることだけでも、

微笑んだり、笑ったりする。

どんな状況であっても笑いを探す。

それこそが、人という生き物が

地球という舞台で強く生きられる能力。

状況問わず最後は笑う。

笑って立ち直る。

反対にいえば、

笑うことで立ち直る。

笑いで生きるための

勢いをつくる。

だからこそ、

悲しい状況にある人は、

笑いがあることを

すぐに思い出そう。

思い出さなくても、

いずれは笑う。

だとしたら、

いち早く笑った方がいい。

それだけで

生きた時間が増えていく。

笑いを信じるのだ。

運は人生に寄り添う

 

(今日のコトバ)

 

運は、敵でも、味方でもない。

ただ寄り添って

一緒に歩いていくものだ。

 

 

運がある、

運がない。

人はそういって、

自分と運の関係を言葉にする。

良い運がある人、

ワルい運に出会う人いるだろう。

だが、

すべての人が運があると思う。

多少の運の良さ、

多少の運のワルさはあっても、

誰もが運はあるといっていい。

運の良さが続く人は、

それだけ努力も多くしている。

運がワルいと思う人は、

あまり努力をしていない人、

それだけの差のような気がするのだ。

では、運をどう考えるか。

それは、人それぞれの

人生に寄り添うもの。

誰の人生にもあって、

良い運に恵まれるている人は、

その道で努力している人。

ワルい運になってしまう人は、

生きる道で努力の足りない人。

そう思って生きることが、

運を正しく捉えることになる。

運を博打のように思わず、

自分の努力の賜物とおもって

生きていけば、

運は自分のものに限りなく近づく。

そう思っていいと思う。

仕事は人生を上手にコントロールする

 

(今日のコトバ)

 

仕事は、

人生を予定通りにしてくれる。

 

 

人生の時間は、

何もしないとまっ白になる。

スケジュールがなければ、

ただ時間が流れていくだけ。

人は生きていくために、

その時間を予定で埋めていく。

埋め方は人それぞれ。

ただ、いちばん長く規則を持って

埋めていけるのは、

何といっても仕事だ。

仕事をしっかりしていれば、

一週間がバランスよく過ぎていく。

働かない人もいるかもしれないが、

ほぼ人は仕事で

人生の時間を埋めていく。

ということは、

人生を予定通りにするには、

仕事を規則正しくしていくことが

大切になる。

平凡とか、

変わり映えしないとかいわれても、

仕事ほど人生を上手に

コントロールするものはない。

だからこそ、仕事をしたい。

できれば、

モチベーションの上がる仕事をする。

目標をそこに定めることで、

人生はスムーズに進んでいく。

仕事は多面的に大切なのだ。

簡単な嘘、難しい真実

 

(今日のコトバ)

 

嘘は言葉にできるのに、

真実は言葉にするのが難しい。

そこが人の不思議なところ。

 

 

嘘。

深い意味もなく使う。

誰も傷つけない嘘など、

誰でも使っているだろう。

適当という嘘かもしれない。

もちろん、真実を伝えたら相手が

傷つくと思って嘘をいう場合もある。

仕事上、

どうしても事実を伝えられなくて、

嘘をいうこともある。

嘘を使う場面は、人生でたくさんある。

反対に、真実はどうか。

近しい人でない人には、

あえて本当ことを

いわぬよう警戒したりする。

真実に重み・痛みがあるなら、

直接伝えないことも考える。

真実があまりに

深層の奥にあると、

とり出して伝えはしないこともある。

簡単に使える嘘と

伝え方が難しい真実。

そんな分け方もできる。

どちらがどうということではない。

本来は真実に生きて、

嘘はつかないことが良しとされるが、

そう単純にいかないのが世の中なのだ。

そのことを理解して生きると、

人生が少しだけ

歩きやすくなるはずだ。

 

安売りしない

 

(今日のコトバ)

 

人間は安売りすると、

結局、誰も喜ばない。

 

 

そもそも安売りするという言葉が

合っているかどうかわからないが、

何かにつけ、

生きる環境で安売りしてしまうことがある。

仕事などの発注で人件費として

安く受注する。

コスト競争もあるから、

仕方ないことかもしれないが、

安いと足元をみられる。

安いからといって、

楽させてくれるというものでもない。

安さゆえに、

あごで使われることもある。

ある有名俳優が仕事の選択を

「ギャラの高い順でやる」といっていた。

それは、ギャラの額が

たくさん払われるからだけでなく、

「ギャラが高いと相手が

リスペクトして仕事をしてくれるから」

といっていた。

高い分、相手も真摯に仕事をしてくれる。

その結果、いい加減なことや

ムダなこと、ミスなどが省ける。

その場の環境が良くなって、

いい仕事ができるということらしい。

「なるほど」と思う。

レベルは違うが自分でも

頼まれごとに安請け合いすると、

酷い目にあうことが多い。

反対に、お金をかけても

いいスタッフを選べば、

スムーズに事は運んでいく。

だからこそ、

何事も安売りしない。

特に、自分の大切な領域、

多くは仕事にまつわることにおいては

自分を安売りしない。

そのことを肝に銘じたいと思う。