幸せの前兆

 

(今日のコトバ)

 

予感は、幸福を抱えている。

 

 

何か予感がする。

その何かはたいてい

幸せだったりする。

いい事が起こる、愛するにおける何か、

おいしい物が届くなど、

幸せの前兆が予感。

反対に、ワルい予感、

嫌な予感などという言葉もある。

これは予感ではなく、

自分の行いに負い目があって、

良くない事が自分に起きると

暗示をかけてしまっている気もする。

だからこそ、

予感のすべてを

幸せになれると想定してしまう。。

それが予感を素晴らしいものにする。

生きる気持ちをアシストする。

そう思って生きていきたい。

 

人生には希望がついている

 

(今日のコトバ)

 

人間に生まれてきたということは、

最後の最後まで希望を捨てない生き物に

生まれてきたということ。

 

 

どんな状況になっても、

人は希望を捨てない。

どうにかならないかと

頭をめぐらしたり、

何かの明かりを探そうとする。

ほんとうに道がふさがれても、

否、ふさがれたからこそ、

希望を見出そうとする。

そう考えると、

人という生き物は

希望を見出す生き物

といっていい。

だからこそ、

成長し、進化し、

文明を築き上げたのだ。

いま、

自分の状況に

置き換えてみるとわかる。

しんどい状況でも、

どうにかならないかと

頭をめぐらせる。

どうにかならいか生きることは、

つまり希望を探すこと。

その気持ちがある限り、

人は前へ進める。

自分の人生には

希望がついていると思っていい。

明るく未来を照らしてくれのだ。

言い訳しても解決する

 

(今日のコトバ)

 

プロになるということは、

言い訳を封印すること。

 

 

人は社会に出ると、

何かしらのプロになる。

プロという定義は難しいが、

お金を稼いでいることを

プロとするなら、

ほとんどの社会人はプロだ。

では、プロとアマの違いは?

いろいろあると思う。

プロ野球のように

高い壁のようなプロもあるし、

アルバイトでもお金を稼いでいるから、

ある程度プロといえばいえる。

ただ、プロの条件の一つは、

自分の遂行する仕事において、

言い訳ができなくなること。

言い訳してできないと、

それはプロ失格ということになる。

もちろん、

仕事の中で言い訳をする人は

いっぱいる。

だが、たいていの場合、

言い訳してもその先で解決している。

だからこそ、

お金をもらって

言い訳ができなくなったら、

プロのカテゴリーになったと思っていい。

そして、

言い訳は通用しないと設定して邁進する。

人がプロになるとはそういうことだ。

負けてもキャリアが残る

 

(今日のコトバ)

 

勝利はデータになるが、

敗北はキャリアになる。

 

 

戦いで勝つこと。

それは素晴らしい。

誰の人生においても

金字塔になる。

自分のプロフィールにも記載できる

データだ。

だか、敗北は人生の記録に残らない。

自分でもわざわざ記録することもない。

もちろん、大きな戦いで

誰もが知っている敗北は記録されるが、

自分自身は抹消したい部分でもある。

ただ、一つ一つの敗北も、

人生とって大きな役に立っている。

間違いなくいえるのは、

負けることよってキャリアが残ること。

負け方を身をもって知る。

知った上で勝つための戦いを考えられる。

自分が成長していく上で、

勝つことよりも大切なことを

たくさん教えてくれる。

勝利はデータになるが、

敗北はキャリアになる。

だとしたら、敗北はウェルカム。

自分を成長させようと思ったら、

いくら負けてもいい。

自分が敗北を乗り越えられる限り、

敗北は敗北ではない。

そう思って生きていけばいいのだ。

幸せを数えてみよう

 

(今日のコトバ)

 

不幸な人とは、

自分が幸福であることを

知らない人、全員。

 

 

生きている以上、

基本的には幸せであると思う。

もちろん、異論もあるだろう。

困難続き、不運続きで、

とても幸せとはいえない

という人もいるはずだ。

だが、それでも起きて、寝て、食べて、

働いて、勉強して、運動して、

テレビを観て、SNSをして、

趣味を堪能し、誰かを好きになっている。

生きることのあれこれを

実践している人は、

やっぱり幸せなのだと思う。

そして、不幸な人とは、

その幸せを感じていない人。

初期設定として不幸だと思っている人、

全員なのだと思う。

さらにいえば、

幸せ不幸を判断するなら、

いい方法がある。

幸せの数を数えてみること。

朝起きてから寝るまでの幸せなこと。

これまで生きてきた幸せなこと。

一つ一つ数えてみる。

それを日々くり返す。

それだけで、自分がどれだけ

幸せなのかを知ることができる。

幸せではないという人は、

試してみる価値はあると思う。

 

力なき者の唯一の戦術

 

(今日のコトバ)

 

全力とは、

命いっぱいにして

前進すること。

 

 

何も力がない時、

人はどうやれば意志を伝えられるのか。

それには、全力を尽くすしかないと思う。

いまできることのすべてを駆使して、

やるだけやる。

実力はないけど、

全力を尽くしたという誠意は伝わる。

それが、力なき者の唯一の戦術である。

この全力という戦術は

破壊力がある。

全力=一生懸命が伝わると、

まわりの人は評価する。

少々至らないところがあっても、

手を差し伸べてくれる人が

現れたりする。

全力を尽くすことは、

局面を打開する可能性もあるのだ。

だからこそ、

自分の技術、自分の才能が至らないと

思ったら、全力を尽くすという

戦術を使ってみる。

力はなくても、

誠意と本気が伝わる。

そこに、人生の様々な局面を

打開する可能性が生まれるはずだ。

 

 

冗談の距離感

 

(今日のコトバ)

 

冗談には、

通じる距離がある。

 

 

コミュニケーション。

簡単にいうけれど、

人と人との関係で

いちばん難しいものでもある。

コミュニケーション不足とか、

コミュニケーションができないとか、

言葉は飛び交うが、

たいがいおいて、

コミュニケーション不足だし、

コミュニケーションは足らない。

むしろ、コミュニケーションが

上手くいっている方がむ珍しい。

だからこそ、一つ一つの言葉は

丁寧に伝えたい。

特に、関係が深くなっても、

冗談が通じるか通じないかは

難しい問題。

これぐらいは大丈夫だろうと思っても、

思いっきり相手を傷つけることもある。

たいがいは許してくれるのに、

たった一つ触れてはいけない部分に触れて、

関係がおかしくなることもある。

人と人との距離と同じように、

言葉、特に、

冗談にも通じる距離がある。

そのことを忘れてはいけない。

 

絶対を崩して進化する

 

(今日のコトバ)

 

強い者も負ける。

賢い者も間違える。

絶対がないから、

人間という生きものは

進化してきたのだ。

 

 

 

生きていると疑問を持つ言葉がある。

その筆頭に絶対という言葉がある。

人生で何度絶対という言葉に

裏切られたか。

時間が経つと絶対という言葉は

もろくも崩れてばかりだ。

もしかすると、

絶対とはその瞬間だけの

言葉なのかもしれない。

だとすれば、

絶対という言葉は成立する。

ただ、

人間は瞬間だけで生きてはいない。

未来もあるのだ。

反対に考えると、

絶対という概念を覆すことで

人は進化してきたともいえる。

強い者が、かつて弱かった者に負ける。

弱かった者が力をつけて勝つ。

賢い者が、簡単な問題を間違える。

自分の才能に胡坐をかき、

努力をやめてしまって間違う。

絶対が崩れたことで、

他の人、他の作用が働き、

新しい進化があった。

だからこそ、

絶対という言葉に挑んで、

乗り越えることが大切。

そこに進化の礎があるのだ。

 

無謀な挑戦

 

(今日のコトバ)

 

無謀とは、

限界を広げる成長期が、

もう一度やってくること。

 

 

人生において、

時に無謀と思える挑戦を

しなければならない時がある。

学生時代は、

受験で、クラブ活動で、

自分の限界を超えて挑戦しないと

たどり着けない時があった。

社会人になっても、

企業の目標、仕事のノルマが

自分の実力では到底無理な場合があった。

その時、無謀な挑戦を試みるしかない。

成功する確率は

数パーセントしかないかもしれない。

だが、やるしかないのだ。

結果、良い場合もあれば、

上手くいかなかった場合もある。

ただ、無謀な挑戦をしたことが、

自分の限界を大きく広げることになる。

自分はこれだけできるんだという

自信や実力がつくこともある。

無謀な挑戦。

言葉にすると少し乱暴だが、

人生を成長させたい時に、

絶対必要なものなのだ。

できると思って生きる

 

(今日のコトバ)

 

昨日の限界は、

今日の限界ではない。

昨日あきらめても、

今日あきらめる必要ない。

 

 

「どうしてもできなかった。

がんばったけど、何かが足りなかった。

限界だったかもしれない」

そう感じたことは、

人生の中で何度もある。

ただ、人生のキャリアを積むと、

わかることがある。

それは、

今日の限界は明日の限界ではない

ということ。

今日できなくて落ち込んでいたが、

明日になるとすんなりできたこともあった。

もちろん、努力を続けているからこその

境地ではあるのだが、

それでも、

明日になると状況が変わることがある。

だからこそ、

仮に今日できなくても、

失望する必要はない。

「また、明日になれば状況が変わる」

それぐらいの気持ちで生きていい。

できない、できないと思って生きるより、

できる、できると思って生きる方が

可能性がある。

できるできないのスイッチは、

どこにあるかわからない。

できると思って、人生を生きよう。