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(今日のコトバ)
一緒に負けた人を嫌いになりましたか。
一緒に失敗した人を嫌いになりましたか。
同じ痛みを感じた人は、
絆をつくってくれた人でした。
同じ釜の飯という言葉もあるが、
同じ環境に置かれた者同志は
絆が生まれる。
その環境が勝利や成功したものではなく、
敗北や失敗したものでも絆は生まれる。
むしろ、敗北や失敗した方が、
強い絆を生むといってもいい。
傷を舐めあうといのではなく、
痛みがわかる者同志になる。
痛い部分の癒し方、
弱っている人との接し方など、
同じ環境で痛い目にあったから、
通じ合うといってもいい。
だからこそ、
一緒に敗北や失敗した仲間を
大切にすべき。
その人たちは、
これからくる困難にも、
救いの手を差し伸べてくれる。
手を差し伸べてくれなくても、
心の支えになる。
同じ環境で痛い目にあった人たち
との絆は忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
やさしさには、瞬発力を。
誰でもやさしい気持ちはある。
ただ、
やさしさを行動にうつす人と
心の中だけで
やさしく思っている人がいる。
前者はやさしさがわかるので、
「あの人はやさしい人だ」と
いわれやすい。
反対に、
心の中でやさしい気持ちの人は、
やさしい人とはいわれづらい。
やっぱり、行動がなければ
以心伝心のようなことは、まずない。
だからこそ、
やさしさを届けるために
行動することが大切。
困っている人に行動で手を差し伸べる。
もっというと、
やさしさは素早く届けた方がいい。
時間が経つと、
やさしさの効力も薄れる。
たいがいの場合、
やさしさは早く届けられるに
こしたことはない。
「やさしさにも、瞬発力」を。
意識して行動しよう。
(今日のコトバ)
実力のない者には、
全力という隠し玉がある。
どうしても実力が足らない時がある。
まだ経験不足だったり、
能力が磨かれていなかったり、
足りないものがある時、
実力が足らないといわれる。
その時、どう挑むか。
それは一つしかない。
全力で挑むこと。
四の五のいっていないで、
できることをフルに発揮する。
できるできないは、
どうでもいい。
とにかく現状の最高のパフォーマンスを
見せる。
それが、実力を補う力になる。
もちろん、
足らない力はまだあるが、
やる気や気持ちが伝わって、
手が差し伸べられたり、
いい雰囲気ができて、
状況が好回転しはじめることもある。
実力の足らない一部を補える。
それが成長となって、
実力を身に着ける一歩にもなる。
人生の舞台にリハーサルはない。
毎日が出たとこ勝負。
もし、
その勝負に実力が足らないと思ったら、
全力で挑んでいく。
弱者の正攻法だ。
(今日のコトバ)
運が自由に動けるように生きよう。
たとえば、笑顔とか。
たとえば、元気とか。
たとえば、上機嫌とか。
運がどこで動くかわからない。
動いてほしい時に動かなくて、
動いてほしくない時に
動くこともある。
まったく動かない時もあれば、
転がるように動くこともある。
運は自分の意志ではどうにもならない。
だが、運が動きやすい環境を
つくることはできるかもしれない。
それは、自分の前向きな姿勢と
受け入れる気持ちを表現すること。
たとえば、笑顔をつくる。
たとえば、元気に動き回る。
たとえば、上機嫌で明るさを放つ。
必ず運をコントロールできるとは
いえないが、
少しいい方向に運を意識させることは
できるのではないだろうか。
明るい人、元気な人は幸せそうだ。
幸せということは、
いい運と生きているはずだ。
運をコントロールできなくても、
方向性だけは間違えない。
それだけでも
人生が素晴らしいものに
なっているはずだ。
(今日のコトバ)
他人と比べても仕方ないのに、
他人と比べずにはいられない。
だが、その力で成長してきたのも
人間なのだ。
比較する。
誰かと自分。
どっちが勝ってる?
どっちが劣ってる?
こっちの成績がいい!
あっちの成果が凄い!
とにかく人は比較しながら
生きている。
考え方として、
自分と人を比較しても仕方ない。
自分は自分。人は人。
そう思って生きればいいとも思う。
だが、人は比較を避けて通れない。
自分の方が優れていると、
比較されることも喜びになる。
さらにいえば、人は比較というレースに
勝とうとすることで成長していく。
「目標がライバル」
その一点で頑張る人もいる。
だからこそ、
人との比較は臨機応変に考えよう。
それが成長に役立つなら、
比較すればいい。
反対に、比較することで
ストレスにしかならないなら
比較しない。
それぐらいの気持ちで
生きていいと思う。
(今日のコトバ)
成功する人は、
失敗を捨てない。
何か成果を出す人は、
失敗したデータを
きっちり分析している。
どこが間違っていたのか。
他のやり方はなかったか。
そもそも目標に無理はなかったか、、。
その足りない何かを探りながら、
何度でもという気持ちで
再びトライする。
失敗という最良のデータを
取り込み、
成果、成功への道筋をつくる。
トライ&エラーをしながら
前へ進む。
言葉にすれば簡単だが、
失敗しながら前へ進むのは
しんどいこともある。
ただ、しんどさという壁を
超えた人が、
成功に近づいている。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
誰かのために行動することは、
未来のために行動することです。
その行動一つが
誰かのために役立っている。
意識無意識はあれど、
どこかで誰かの役に立っている。
それは本当に嬉しいことだ。
ただ、生きることがしんどくなると、
自分のことしか力を注げない。
自分だけが良ければいいと
思うこともある。
よくないと思う反面、
仕方ないと思ったりもする。
人間だから、弱い部分もある。
そんな時、こんな考えはどうだろう。
自分がしんどい時は、
人に助けてもらう。
ただ、自分に余力がある時は、
人を助ける側にまわる。
人を助けるなどとは
おこがましいが、
意識を持ってできることをする。
「困った時はお互い様」
それでいい。
人は弱い時、強い時があっていい。
お互い様で支えられている。
そのぐらいの気持ちで
生きていけたら、
少し人生が楽になるはずだ。
(今日のコトバ)
マニュアルがない人生だからこそ、
臆病という地図を持った人だけが
生き残る。
臆病者。
そういわれると、
少しバカにされたようにも聞こえる。
ただ、長く生きていると、
臆病であることで
救われたことがたくさんある。
ビビるから慎重になる。
危ない橋は渡らない。
怖いから逃げる。
いろいろあった。
ただ、臆病で失敗したということより、
臆病で助かったと
思えることの方が多い気もする。
人は生きるためにしんどいことを
乗り越えなければならない。
臆病である部分がないと、
しんどさを倍増してしまう危険もある。
だからこそ、
臆病者と呼ばれる人は、
喜んでいい。
生きるために良い地図を持った。
そう思っていいのだ。
(今日のコトバ)
「口では何とでもいえる」
その何とでもいえることを
頑張ってみるのも、
人生の目標設定になります。
他人がいとも簡単に
「これぐらいできるだろう」という。
上司だったり、
先輩だったりすることが多いが、
口では何とでもいえる。
そう思うことは、
誰も経験のあることだ。
本来は「口では何とでもいえる」と
吐き捨てることが多い。
ただ、「口では何とでもいえる」は、
大概、何とかしなくてはならない。
だとしら、その何とでもいえるを
目標にしてがんばってみる。
むしろ、前向きに挑戦する気持ちで
取り組んでみる。
人は目標があってこそ、
人生が躍動してくる。
その目標の一つに、
「口では何とでもいえる」も
取り組む。
それだけで
人生がより意欲的になっていくはずだ。
(今日のコトバ)
毎日一歩一歩。
それが一番の偉業。
誰に誇ってもいい人生だ。
日々、同じようなことをしている。
変わり映えのない
あたりまえのことかもしれない。
ただ、あたりまえのことを
毎日やることは、
決してあたりまえのことではない。
それは特別なこと。
さらに、
コツコツ進んでいくものであれば、
それは人生にとっての
偉業といっていい。
成功者と呼ばれる人が
評価されるように、
あたりまえのことを
あたりまえにできたら、
自分で自分を評価してあげていい。
特に大人になると、
世知辛い世の中は、
あまり評価してくれない。
だからこそ、
自分で自分を評価する。
今日を生きるために
前向きになれる一つのヒントだ。
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