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(今日のコトバ)
3000gの魂として生まれ、
30000日の奇跡を生きる。
生まれたての人間は、
魂のままともいえる。
まだ一人では生きていけない。
たくさんの人の手で育てられ、
一人でも
生きていけるようにしてもらう。
一人で生きられるようになっても、
誰か支えがなければ
生きることはできない。
一日一日が奇跡の連続といっても
過言ではない。
人が生まれる時の平均体重が
3000g弱。
生きる平均日数は30000日を超える。
その一つ一つが奇跡の仕業。
そう思って生きると、
一日一日が愛しくなる。
生きていく日々に感謝。
貴重な経験の連続を過ごしているのだ。
(今日のコトバ)
人生、足し算、引き算、
掛け算、割り算したけど、
すべて「ありがとう」が清算してくれた。
生きていると、
積み上げるものがあったり、
失ってしまうものがあったり、
どんどん大きくなるものがあったり、
同等に分配されるものがあったり、
さまざま。
株ではないが、
一日のうちでも大きく変わる時がある。
極端にいうと奇跡の日々を送っている。
その中で、日々変わる状況を
リセットする言葉がある。
それは「ありがとう」。
誰かに助けられた日は
「ありがとう」と伝える。
誰かを助けた日は
「ありがとう」と伝えられる。
助ける、助けられる。
極めれば、
ほとんどがその二つで成り立つ。
そこで必要な言葉も、
極めれば「ありがとう」になる。
だからこそ、
「ありがとう」という言葉を
大切にしたい。
「ありがとう」は
人として生きる中心にあるのだ。
(今日のコトバ)
自信は最後に顔に現れる。
そして、顔に自信が現れた時、
昔の自分はそこにいない。
なぜだか自信を持った人は、
雰囲気だけでわかる。
いちばんは顔まわりだろうか。
顔の目、そして、口から発する言葉が
自信を明解にする。
その人の昔を知っている人は、
「自信を持って変わったな」と思う。
知らない人でも、
「自信にあふれている」と思う。
自信。
その正体はわからないのに、
誰もが感じるもの。
そこには、キャリアだったり、
努力だったり、意識だったり、
多様な要素がある。
ただ、その要素の何かが
ある一線を超えると、
人に自信が生まれる。
その一線は明解ではない。
だが、どこかに必ずある。
人はその目に見えない一線を
超えて自信をつかむ。
人間という生きものの
不思議な能力の一つかもしれない。
(今日のコトバ)
今日、
人生の一番若い日にするか。
今日、
人生の一番老いた日にするか。
それが問題だ。
かけがえのない今日という日。
あたりまえに続く今日という日。
人それぞれ考え方があるだろう。
ただ、この今日という日を
大切に使えば、
これほど有効な時間もない。
昨日や明日は
どんなに使いたくても
使えない時間。
今日という「今」だけが、
人生に機能させることができる。
だとしたら、
今日という「今」を大切に使う。
「今」の自分にとって何か必要か。
その必要なもののために
時間を費やす。
深く考えなくていい。
必要なものに時間を費やす。
その積み重ねが
誇りある人生になる。
人生は一筋縄ではいかない。
だからこそ、
「今」を大切にして生きるのだ。
(今日のコトバ)
幸福な人も、不幸を持っている。
不幸な人も、幸福を持っている。
大切なのは、
持っているものをどう考えるかだ。
幸せが続くことがある。
「こんな幸せでいいのだろうか」と思う。
不幸が続くことがある。
「なぜ、こんなに不幸なんだろう」と思う。
確かに、長い人生、
幸せがつながる時、
不幸に覆われる時、
あるだろう。
ただ、それは誰でも一緒。
本来は、どちらかだけではないと思う。
幸せな時も不幸の芽があったり、
不幸な時も幸せな状況があったりする。
要は、その時、どれだけ幸せが、不幸が、
心を占めているかだけだったりする。
だとすれば、
自分にとっていいように
理解したらいいと思う。
幸せ過ぎるなら、
足元を見つて浮かれないようにする。
不幸に苛まれたら、
幸せの芽を探す。
そんな気持ちを持っていれば、
少し強く生きていける。
人間にはそれほど弱くないのだ。
(今日のコトバ)
世の中、
真実だけでは背負いきれないから
嘘があるのだ。
正しいことは、真実。
誰もがわかっていること。
ただ、人によっては真実が
重すぎて、隠したり、
知らないふりをしたり、
嘘をついてしまうことがある。
それは、ワルい意識を持って、
真実をベールで覆うことがもあるが、
真実を伝えると、
相手が悲しむから、
気を使った結果であることもある。
性善説に立てば、
むしろ後者の方が多い気もする。
だとすれば、嘘も必要なものになる。
人と人との関係において、
世の中においても、
嘘をつくことで、
真実の重さを減らす。
いい意味で嘘を利用する。
嘘にも人を傷つけたないために、
いい仕事をしてもらっているのだ。
(今日のコトバ)
時間配分は、人生配分。
時間の使い方は、
人によりけりだ。
ただ、上手に時間を使う人と
あまり上手に使えてない人に
分かれる気がする。
では、時間を上手に使えるとは
どういうことか。
それは、自分の人生に有効に使うということ。
有効といっても、
これも人様々。
ムダなくスケジュールを
こなすことがいい人もいれば、
時間に余裕を持って生きることも
いい人もいる。
結論からいうと、
本人次第で時間の価値は決まる。
だからこそ、
自分と自分の目標のゴールを決め、
いちばんいい時間の選択をする。
その意識を忘れないで生きていこう。
いい時間を過ごした人の人生と、
そうでない人の人生は違ったものになる。
そう思うのだ。
(今日のコトバ)
人間は、
自分という富を持って生まれてきた。
自分がなぜ生きているか。
忙しい日々が続くと、
あまり考えなかったりする。
自分は何者?
自分の存在証明は?
自分にできることは?
自分が見た自分とは?
等々、考えても良さそうだが、
あまり考えたりしない。
ただ、長く生きているといえることがある。
それは、誰にも得手があるということ。
長所といってもいい。
優れた能力といってもいい。
探せば必ず得手がある。
だが、その得手を使わないで
生きている人もたくさんいる。
自分の得手を知ろうとしないで
生きて、はずれくじを引くような
生き方をしている人がいる。
そんな生き方はもったいない。
できるだけ自分の得手を
使って生きるべき。
得手を使えば、
人生は有意義なものになる。
生きている自分の価値にも気づく。
その自分の価値こそ、
自分が持って生まれた富といっていいもの。
自分の得手を見つけて
素晴らしい人生にしよう。
(今日のコトバ)
遠吠えは、成長の産声である。
特に、若き日は遠吠えのように
叫ぶことがよくある。
上手くいかない時は、
負け犬の遠吠えともいわれ、
かっこワルかったりする。
だが、遠吠えする気持ちが
あるということは、
何かに挑んだ時。
挑んでいるからこそ、
声を上げる。
だとすれば、
遠吠えは成長の叫びといっても
いいのではないか。
負け犬でも、勝ち馬でも、いい。
遠吠えの声は成長の叫び。
そう考えると
遠吠えもワルくない。
いつか遠吠えをしていた者が
自信を持った表情で現れることもある。
遠吠えをする人は、
ただいま成長中。
わかりやすい表現だと思う。
(今日のコトバ)
はじめの一歩は、
いちばんゴールしたがっている。
やり始める時、
一歩踏み出すことが
大変になることがある。
これからの道程が想像すると
茨の道になる。
はじめるべきか、
あきらめるべきか。
そんなことを考えてしまうこともある。
ただ、その結果、
一歩踏み出したということは、
「達成できる」という
微かな自信があるはずだ。
そして、はじめの一歩は、
決心を含め大きな一歩になる。
はじめから達成までの中で、
いちばん大きな一歩といってもいい。
だとすれば、
一歩踏み出した価値を大切にしよう。
はじめの一歩は、
決意を込めた最大の一歩。
その一歩を踏み出したのだ、
簡単にあきらめるわけにはいかない。
その一歩に込めた気持ちを
忘れずに邁進すれば、
達成の確率が高くなる。
そう信じて生きていこう。
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