助けなくして生きられない

 

(今日のコトバ)

 

助けてくれる人がいて、

人は強くなっていく。

 

 

「一人では生きていない」

よく考えてみるとわかること。

だが、

成功した時、勝利した時、

自分の調子のいい時は、

自力で強い気持ちになる。

だが、人は弱い時も、

強い時も、一人では生きていない。

弱いと思う時はわかりやすく、

誰かの支えで生きている。

強いと思う時も、

自分が先頭に立っているだけで、

その下に縁の下の力持ちの人がいる。

そして、強い人は助けてくれる人が

大勢いたりする。

つまり、強い人は、強さのために

たくさんの人の支えの上に立っている。

だからこそ、

一人で生きていくなんて

考えなくていい。

誰かに助けてもらって生きる。

弱い人も助けてもらう。

強い人も助けてもらっている。

それぐらいの気持ちで

生きていけばいいのだ。

 

 

 

好きと嫌い

 

(今日のコトバ)

 

好きは無形財産。

嫌いは不良債権。

 

 

好きという気持ちが

人生をどれほど素晴らしいものに

してくれるだろう。

人を好きになる。

モノを好きになる。

食べ物を好きになる。

人生が好きなもので占められたら、

こんなに幸せなことはない。

自分の好きはカタチあるものではないが、

人生を豊かにしてくれる大切なものだ。

反対に、嫌いな気持ちが

どれほど人生の妨げになってきただろう。

人の嫌いになる。

モノを嫌いになる。

食べ物を嫌いになる。

人生が嫌いなもので占められていたら、

こんなに不愉快なことはない。

自分の嫌いはただの気持ちだが、

人生を暗くする要因になっている。

「好きと嫌い」

毎日のように、

どこかで考えていること。

その割合を変えると、

素晴らしい人生だと思えたり、

残念な人生に思えたりする。

いま、人生のバランスに納得いかない人は、

好きと嫌いの比重を調整すればいい。

それだけで、人生の見える景色は

大きく変わるはずだ。

一人感

 

(今日のコトバ)

 

一人で歩いているという勘違い。

一人で立ち上がったという思い上がり。

一人で生きているといううぬぼれ。

人には忘れていけないことがある。

 

 

人は一人で生きていけない。

どんなに一人で活動しても、

どんなに孤独でも、

一人で生きることはできない。

だが、人は一人で生きていると

勘違いすることが多い。

仕事をしていて切羽詰まると、

「なんでオレ一人でやっているんだ」となり、

まわりの人から疎外感を感じると、

「なぜ自分だけ一人になる」となり、

一人感とでもいうべき気持ちになる。

だが、考えてみれば、

自分だけ追い詰められても、

一人になることはない。

誰かが側にいるし、

誰かに支えてもらっている。

一つ一つの事情を考えてみれば、

一人だと思っているのは自分だけ。

手を差し伸ばしてくれる人を

自分で捜していないだけ。

だからこそ、

自分は一人ではないと

肝に銘じよう。

困った時は、誰かいる。

それぐらいの気持ちで生きていこう。

 

 

支えは未来のために

 

(今日のコトバ)

 

きっと、あなたも誰かの未来なんだ。

 

 

人は人と支え合って生きている。

支えるという言葉が簡単だけど、

支えるのが重い人もいるし、

一人では支えきれないで、

大勢で支えている人もいる。

反対に、誰かにお世話のかけ過ぎなくらい

支えてもらっている人もいる。

つまり、人は人と支え合わなければ

生きていけないのだ。

では、なぜ支え合って生きるのだろう。

優しさからくる奉仕もあるだろう。

しんどいからお願いすることもあるだろう。

ただ、一言いえるのは、

支えてもらう人も支える人も、

みんな未来を考えているということ。

「今日をなんとか生き抜ければ」

「なんとか心地よく

この時間を過ごしてくれれば」

「いま」という時間を乗りきるために、

誰もが支え合っている。

だとすれば、

「支えは未来のために」といえる。

人は未来のために支え合う。

支えるという簡単は言葉だけど、

生きる礎になる言葉だと思う。

絆は結ぶのも切れるのも時間がかかる

 

(今日のコトバ)

 

絆は一瞬では切れない。

1mmずつ切れていくものなのだ。

 

 

ひとつの絆を結ぶまで、

長い時間がかかる。

何かをきっかけに、

信頼が生まれ、

それが裏切られないと、

絆が結びはじめられ、

長く続くと強い絆になる。

だが、時々、絆が切れてしまう場合がある。

たいがいは裏切られて、

スパっと切れてしまった気がするのだが、

本当にそうだろうか。

裏切られる前に、

何かしらの信号は点滅していないか。

ちょっとしたことで、

「それ本当?」

「ちょつと違うんじゃない?」

「嘘じゃないよね?」等の疑問符が

表れてきているはずだ。

ただ、それでも絆が結びついているから、

勘違いかもしれないと、

自分を抑えてしまう。

実は、そんなことが積み重なって、

ひとつの裏切りがあるからこそ、

絆は一瞬で切れてしまうだと思う。

人間関係の難しい問題だと思うが、

絆は結ぶのも、

切れるのも時間がかかる。

そのことだけは肝に銘じていたい。

経験を身に着ける

 

(今日のコトバ)

 

経験は、

間違い、過ち、失敗でつくられた筋肉。

 

 

「経験者求む!」

よくアルバイト募集の告知で

使われた文句だ。

現場からすれば、

経験があると、

一から教えなくて済む上、

場合によっては即戦力に

なるかもしれないので、

ありがたいことこの上ない。

「経験者にお願いしたい」は、

現場の偽らざる声だろう。

その言葉はそのまま人生にも使える。

どんな状況でも経験した人は強い。

そんな人があらゆる状況に

参加してくれれば、

現場が戦力アップする可能性が高い。

経験。

では、その経験は

何からできているかというと、

間違えた経験、過ちの経験、

失敗の経験があり、

その部分は避けて、

物事を成就できるということ。

つまり、経験は物事を

まかせられる力があるということ。

もし、いま、

世の中に打って出ようと思う人は

経験を積むことが大切。

一番まっすぐな道といってもいい。

経験を身に着けるのだ。

 

仕事は、丁寧に、懸命に

 

(今日のコトバ)

 

大きな仕事は世の中を見ているが、

小さな仕事はあなたを見ている。

 

 

仕事。

小さな仕事もあれば、

大きな仕事もある。

通常の仕事もあれば、

イレギュラーな仕事もある。

人は生きるために仕事をする。

ただ、自分でやる仕事は、

自分のまわりでできる仕事でしかない。

小さな自分で管理できる仕事をする。

ただ、その小さな仕事が、

部署で集まると

ある程度の大きさの仕事になり、

会社レベルになると大きな仕事に見られる。

責任の大きさはともかく、

自分でできる範囲は限られている。

言葉が適切かは別にして、

小さな仕事が自分の目の前にある。

その仕事を丁寧に、懸命に完了する。

それが仕事への誠意。

功名心だけで

大きな仕事をやってるふりをしなくていい。

手を抜くことを学ぶことに背を向ける。

ただただ丁寧に懸命に仕事をする。

それこそが自分の評価になり、

自分の信頼につながる。

そのことを忘れてはいけない。

真実と嘘の使い方

 

(今日のコトバ)

 

嘘は想像以上に人を救ってる。

だから、怖い。

 

 

真実と嘘。

どこかでいつもせめぎ合ってる。

「真実を話すべきか」

「嘘をついてしまおうか」

誰もが感じていることだと思う。

そして、こうも思う。

「真実をいうことが正しいのだろうか。

少なくても真実が伝わることで

相手は幸せになれるのだろうか」と。

真実を話さないことによって、

幸せになれる、もしくは、

不幸にならないのなら、

真実をいわなければいい。

だが、それは嘘をつくことにも

なりかねない。

嘘はワルいことだと思ってきたけれど、

それでもいいのだろうか。

そんなことが何度も頭を巡った。

真実は人を傷つけることもある。

嘘は人を救うこともある。

この永遠の課題を解決できずに

人生を生きるしかない。

「真実と嘘」

上手に使って生きていきたいものだ。

 

根拠なき自信が自信になる人

 

(今日のコトバ)

 

根拠なき自信は、

想像力とタッグを組むと

無敵になる。

 

 

特に若き日、

根拠なき自信のようなものがある。

起業家になって成功する。

役者となって映画で主演をする。

ミュージシャンになって世界に打って出る等。

人それぞれ夢いっぱいで生きている。

その根拠なき自信を本物にできる人もいる。

その人たちはほぼ同じ能力で

勝負しているところがある。

それは、想像力が卓越しているということ。

根拠なき自信は、

想像力と結びつくと

本物の力を持つ。

想像力には、どんな表現をすべきか、

そのために何をやるべきか、

ゴールと工程表がしっかりとでてきている。

その道が新しいものでも、

険しいものでも乗り越える想像力がある。

いま、根拠なき自信がある人は、

自問してみるといい。

そこに、この先のプランを想像できるか。

できる人は、

根拠なき自信が自信になる人だ。

拠り所は、良心

 

(今日のコトバ)

 

少数派は、良心を捨ててはいけない。

 

 

意見が主流にならない時がある。

大勢が自分と違う意見。

自分の意見は少数。

ただ、自分の意見は絶対に正しい。

そう思うことが人生で何回かあった。

その意見が正しいか、

正しくないかはわからない。

大勢がいうのだから間違ってないと

気が変わることもあるし、

また別の第三の意見が

あるかもしれないと思うこともある。

そんな時は、どこに拠り所をもつか。

それは良心に従って

考えればいいのではないか。

良心に誓って正しいと思うなら、

その意見を主張していけばいい。

大勢が、主流派が間違っていることもある。

流されていることさえある。

意見を主張すための拠り所は良心。

そこに戻って意見を伝える。

正攻法だと思う。