誤解を最小限にした人間関係

 

(今日のコトバ)

 

人間は、

各自が少しずつ誤解しながら、

良好な関係を保つ生きものである。

 

 

「相手を理解しろ」というけれど、

人間を理解することほど

至難の業はない。

もっといえば、

誤差なく理解するなど

不可能といっていい。

だが、

世の中は

人間関係で築かれている。

人間と人間とが関わり合って

世の中を動かしている。

そうなると、

否が応でも人間関係が

大切になってくる。

他人のことなど

何もわかっていないけど、

わかったふりして

コミュニケーションを

円滑にすることもある。

少し前に流行った言葉でいうと、

忖度することを

標準装備して

生きているといっていい。

理解とは違う気持ちで

人間関係を築いているのだ。

だとすれば、

理解はできないことが

あることを前提として、

最小限の誤解で済むように

人間関係を築く。

そんな気持ちで生きても

いいのではないだろうか。

 

 

目標、その先に目標

 

(今日のコトバ)

 

頂上を登り切った者にはわかる。

頂上の上には、

また、頂上があることを。

 

 

高い目標、

低い目標あるけれど、

一度、目標を達成すると、

その上に、

もっと高い目標があることに気づく。

その目標を達成すると、

急に現れるライバル、

あるいは、

もっと野望を叶える数字、

達成したからこそ見えた

新しい夢、、。

もちろん、目標を達成したら、

そこで燃え尽きてしまって、

足を止めてしまう人もいるだろう。

だが、もっと高い目標は

必ず目の前にそびえ立つのだ。

そして、その高い目標を

クリアしていくことこそ、

成長や進化になる。

特に、若いうちは全力で、

より高い目標を

上がっていけばいい。

人生は一度きり。

高い目標をクリアして、

見えない景色を

たくさん見れた方が、

人生は有意義に

生きていけるはずだ。

達成期限をつくる

 

(今日のコトバ)

 

「いつか」には、

西暦〇〇〇〇年

〇〇月〇〇日を

必ずご記入ください。

 

 

「いつか、何とかする」

時々、そんな言葉をいってしまう。

だが、「いつか」といった時点で、

達成しようという意欲が

欠落してしまっている。

人によっては、

やる気はないが

口だけ目標があるように

装っていることもある。

「いつか」とは目標達成には

不向きな言葉だ。

もし、本気の目標があるなら、

達成期限を決めて行動する。

期限があれば、

そこに向かって頑張れる。

集中して、夢中になって、

前進することができる。

達成期限は、

目標達成のために

いちばん大切なことだなのだ。

人脈で解決していく

 

(今日のコトバ)

 

金を稼ぐより、

時間を稼ぐより、

人間を稼ぐことが一番儲かる。

 

 

何かをはじめる時、

最初に大切になるのはお金?

それとも時間?

何だろうと考える。

確実なのは必ず必要となるのが

人との関係。

相談事、紹介、指導、教育など、

必要なものは

人を介さなければ

ならないものばかり。

そう考えると、

人とたくさん

つながっていることが

大切になる。

一言でいうと人脈。

人脈が多ければ、

自分では解決できない問題が

解決できることもある。

もちろん、ただ知っているよりは、

関係性がある方がいいが、

まったく知らないより、

知っている方がいい。

人は解決法を持っている。

だからこそ、

人脈を増やしながら生きる。

一人でも多くの意識を持って、

日々を生きていく。

それだけで自分の生きる道が増え、

長く、広くなっていく。

人脈は、

生きるために

とても重要な礎なのだ。

 

明日には幸せがある

 

(今日のコトバ)

 

明日とは、

幸せを更新させるための希望。

 

 

なんだかんだいっても、

明日が来ると思うと

少し幸せになる。

今日よりいい日とは

いわないまでも、

新しい何かがある日に

出会えると思える。

期待感もある。

もちろん、

明日が来ることが

嫌で嫌で

仕方ない人もいるだろう。

そんな人も、

嫌な原因が取り除かれたら、

きっと、明日が来ることは、

幸せに結びついていく。

そう考えると、

明日にワクワクできたら、

いま自分は正常、

もしくは、幸せだと思っていい。

反対に、明日に対して

ネガティブな気持ちがあったら、

何か良からぬ原因がある。

だとしたら、

その原因を取り除く作業を、

今日できるだけやってしまおう。

それだけで少し幸せになれる。

明日の幸せ力で

生きていきたいと思う。

正しいは、自分だけのもの

 

(今日のコトバ)

 

「正しい」は、

主語がなければ成立しない。

 

 

自分の「正しい」を信じている。

ワルいことではない。

誰もがそうだと思う。

ただ、自分の「正しい」が

世の中の、

他人の、「正しい」かというと、

そうとはいえない。

言葉にすると

わかる人ばかりなのに、

発言や行動では、

自分の「正しい」こそが、

正解の「正しい」と

主張する人が多い。

よく例えられるのが戦争。

正義は敵味方どちらにもある。

味方の視点に立てば、

正義は味方にある。

だが、敵には敵の正義もある。

どっちが正しいのか?

歴史を見ても

永遠に答えが出ないことばかりだ。

勝った者が正義のような歴史を

つくるが、

それさえ真実はわからない。

だからこそ、

自分の「正しい」は、

自分だけのものだと

理解していこう。

一歩間違えて、

自分の考えが、

世の中の「正しい」の

基準になると思うと、

大きな間違いを起こす。

忘れてはいけない。

 

 

 

年齢に言い訳させない

 

(今日のコトバ)

 

年齢のせいにするな。

年齢のおかげにしろ。

 

 

人は年齢のせいにする。

「まだ若すぎるから、、」

「もう年を取り過ぎたから、、」

年齢は使い方自由だ。

数字でもあれば、

年輪でもある。

ただ、年齢を言い訳に使うと、

人生はつまらないものになる。

「この年齢だから、できない」

という限界線を

自分で引いてしまう。

それでは自分の可能性を

捨ててしまうことに

なりかねない。

だから、年齢での言い訳を

しないと決める。

できると思ったものは

どんどん挑戦する。

その意識を持って生きていく。

もちろん、どうしても年齢で

無理なものはある。

それは例外でいい。

自分のできるを信じて、

年齢に言い訳させない。

それが、

人生を楽しみながら

生きる秘訣だ。

 

あなたという支えがある

 

(今日のコトバ)

 

「私」という人間には、

「あなた」という財産がある。

 

 

一人では生きていけない。

そんなことはわかっている。

だが、生きていると、

支えてくれる人のことを

忘れてしまうことがある。

特に、人生が好調の時、

すべてが

自力で上手くいっていると

勘違いしてしまう。

ほんとうは、

上手くいっている時ほど、

人の支えが大きいに

決まっている。

だからこそ、

自分には

支えてくれる人がいることを

常に肝に銘じて生きていきたい。

そのことを忘れると、

恩知らずになるし、

必ずどこかで痛い目にあう。

「私」には、

「あなた」という支えがある。

そのことを胸に刻むのだ。

 

 

過ちは早期解決

 

(今日のコトバ)

 

過ちは、

早期発見・早期治療でいこう。

 

 

長く生きていれば、

自分の過ちだと思うことは

多々ある。

「明らかに自分がワルい。

相手を傷つけてしまった。

まわりの人に迷惑をかけた」

そう思うことは

何度もあったと思う。

だが、その時、

素直に謝ったかというと

そうでもない。

謝罪とはいいがたい態度で

軽く頭を下げたり、

うやむやにしていたり、

過ちを認めず、

逆ギレしてみたり、、。

そして、自分の心の中で

いつまでも後悔するのだ。

ただ、後悔をいつまでも

引きずるのは、

人生にとって

いいことではない。

できるだけ、

気持ちをリセットして、

前向きに歩いていきたい。

では、どうすればいいか。

それは、過ちがわかったら、

すぐに謝る。

謝る相手に直接、お詫びする。

過ちを早期発見する。

そして、どこがワルかったかを

早期治療する。

病気だけでなく、

過ちも

早期発見・早期治療でいこう。

思いやりには体力

 

(今日のコトバ)

 

体力は、

思いやりの礎になる。

 

 

なんだかんだいっても、

人に優しさを届けるには

体力がいる。

自分の体力がない時、

疲れている時、

イライラしている時に、

思いやりや優しさなどは

届けられない。

もちろん、できた人で

どんな時も思いやりを

届けられる人はいるだろう。

だが、それは少数だと思う。

だとすれば、

思いやりを届けるために、

体力をつける努力をする。

充分な体力があれば、

人に思いやりを届けられる。

仮に、自分が思いやりがないと

思う人も、体力をつければ、

少し人に優しくなれると思う。

思いやりには体力。

そのことを忘ずに

生きていきたい。