失敗できる環境にいること

 

(今日のコトバ)

 

成功は着地のミスが

許されないが、

失敗は演技の自由がある。

 

 

特に、仕事となると

成功と失敗の二つで

考えられる。

いかに成功したか。

いかに失敗したか。

結果だけを考えると、

成功した方がいい。

称賛を浴び、評価される。

だが、同時に成功は失敗できない

という息苦しさもある。

目標をきっちりクリアする。

ルールを守りゴールを切る。

あたりまえだが

成功の大前提になる。

反対に失敗はどうだろう。

状況にもよるが

失敗してしまった

ということは、

間違ったことを

やってしまったということ。

無理、無謀、無駄など、

見直すべき点もあるだろう。

ただ、失敗は失敗が許されたのだ。

失敗を意図せずとも、

どこかに自由にできたこと、

想像力に任せたことがあったはず。

だとすれば、失敗は大きな財産。

成功も立派だが、

失敗にも価値がある。

だからこそ、

大いに失敗しよう。

失敗できる環境にいることも

素晴らしいことなのだ。

 

 

人の力は神様からのギフト

 

(今日のコトバ)

 

神様は、

夢へのプレゼンを

してこない人間に

力を貸さない。

 

 

成し遂げたい夢がある。

どうしても達成したい目標がある。

そのために切磋琢磨する。

当然だ。

ただ、むやみやたらに行動しても

上手くいくとは限らない。

達成までの計画し、

必要なものを揃え、

実行していく。

さらに、

その過程で

実行していることを、

告知・プレゼン

していくことも大切だ。

誰にも知れず

突っ走ってしまうと、

間違ったゴールへ

向かうこともある。

また、

夢や目標が素晴らしければ、

内容を理解した賛同者が

集まることもある。

夢や目標は、

一人では絶対に達成できない。

人の力が必要。

そして、その人の力こそ、

神様から与えられた

ギフトなのだ。

健康が幸福を導く

 

(今日のコトバ)

 

健康に留意することは、

幸福に留意すること。

 

 

何はともあれ健康であること。

そういわれることがある。

若い頃は、どうでもいいと

思っていた言葉だが、

年をとればとるほど、

健康の重要さを感じる。

もっというと、

50年、60年生きていれば、

持病の一つや二つ必ずある。

還暦を越えた著名人が、

「この歳になると、

毎日、どこかの調子がワルい」

同世代の人間からすると

納得する言葉だ。

そして、健康であることが、

幸せに暮らすための

第一条件だとも思えてくる。

健康でなくて、

どこかの調子がワルいと

生きるリズムがワルくなり、

集中力がなくなる。

体の調子のことばり考える。

結果、幸せを感じなくなる。

幸せが半減するといってもいい。

だからこそ、

いま健康である人は

健康を維持し、

健康とはいえない人は

健康な体に戻す努力をする。

人生を幸せで彩るためにも

健康は大切なのだ。

陰口は自分に向かう

 

(今日のコトバ)

 

陰口は、

自分の出来の悪さを宣伝する。

 

 

本人のいないところで

陰口を話してしまう。

特に、ワルいこと、嫌なこと、

恥ずかしいことなど、

本人が隠したいことを

話してしまう。

決していいことではない。

わかっているけれど、

話してしまう。

なぜ、話してしまうのか。

それは、

話す人がイケてない時が多い。

話す人の人生が

うまくいっていないから、

自分のまわりにいる人を

貶める話しをする。

貶める話しをして

少し高みにいるように

振る舞う。

だが、まわりの人は

それほどバカではない。

陰口をいっている人が

どれだけ卑怯かわかっている。

結果、誰かの陰口が広がるよりも、

話した人の陰口が広がってしまう。

陰口には、

そんな責める力を持っている。

そのことを忘れてはいけない。

場違いになるな

 

(今日のコトバ)

 

羊は使いよう。

狼は生かしよう。

間違ってしまうと

何の役にも立たない。

 

 

適材適所という言葉がある。

その人の能力にあった

ポジションにつけば、

能力は生きるということ。

ほんとうにそう思う。

どんなに能力があっても

環境を間違えたら

能力を発揮できない。

間違いというか、

場違いというか、

持っている能力を生かせない。

昔は努力すれば

何とかなる的なことで、

環境ではない、自分の努力だと

いわれたりもしたが、

それは違う。

合わない環境で

いくら努力しても、

芽の出ない人を

たくさん見てきた。

自分の生きる環境を

見つけることは大切なこと。

だからこそ、

環境を選ぶ時に

自分の適性を考える。

そこは慎重になっていい。

むやみやたらに

飛び込まなくていい。

その環境で自分は能力を

発揮できるか。

というものさしで計ってみて、

できるとなったら

その場所に飛び込む。

その慎重さは、

人生を大きく左右することに

なるはずだ。

 

同じ不器用な心を持っている

 

(今日のコトバ)

 

みんな心は不器用です。

 

 

ずっと付き合っていて、

いろいろな状況を

共にした人で、

心が乱れたことのない人と

出会ったことがない。

悲しいことがあれば、

心が暗くなるし、

楽しいことがあれば、

心が明るくなる。

大胆に心が動く人もいれば、

ゆっくり心が動く人もいる。

そして、どの心もカタチにすると

不格好だったりする。

いつも美しく、

いつも落ち着いて、

太陽のように人を

照らしてくれる心を

持った人など誰一人もいない。

著名人でも

称賛されている時はいいが、

批判されるとまったく違う

一面を見せ、

理解に苦しむ人ばかりだ。

人の心はさまざまな顔を

持っている。

そして、どの顔も不格好。

もっというと不器用といえる。

そう思うと、

誰と付き合うのも楽になる。

どんな人も心という不器用な

生きものを

自分の中に抱えている。

だからこそ、

不器用な心を持った

自分も肯定できる。

そのまま

生きれていけばいい。

誰も同じ心を持った人間なのだ。

 

 

自分の生き方が楽になる

 

(今日のコトバ)

 

「あなたの代わりは誰もいない」

「あなたの代わりは

いくらでもいる」

どっちがあなただ?

否、どっちもあなただ。

 

 

世界にたった一人しかいない

あなたは唯一無二だ。

誰も代わることはできない。

それはわかっている。

だが、

「あなたの代わりはいない?」

と聞かれると、

そうともいえないこともある。

特に能力として

代わりがいなとかと

問われれば、絶対いないとは

いえない。

「お前の代わりなんて、

いくらでもいるんだよ」

なんて新人の頃、

さんざんいわれた。

もちろん、あなただけしかできない

特別なものもあるだろう。

だが、生きる上で、

たいがいのことは代わりがいる。

代わりがいるから

世の中が回ってるともいえる。

とすれば、

自分しか代打のきかないものと、

自分以外でも代打がきくもの

があって、その二つを

上手に使い分けるのが、

生きていくということになる。

そのことを理解して生きれば、

自分の使い方が楽になる。

もっと生きやすくなるはずだ。

正しいは人の数だけある

 

(今日のコトバ)

 

正論は、

孤独を背負っている。

 

 

正しいと思う意見で生きる。

正しいと思っているのだから、

変に曲げてしまうのも

息苦しい。

だが、正しい一辺倒の意見を

まわりの人間に発すると、

あまりいい感情は生まれない。

「正しいのはわかるけど、

そこまでいう必要は

ないんじゃない」とか、

「その正しさはあなただけの

正しさだよ」とか

いわれてしまい、

正しさの押し売りに

なってしまう。

もっというと、

正しさだけで突っ張ると、

孤独になってしまう。

誰にも経験があるはずだ。

自分の正しいと思った意見を

伝えて、誰も納得せず、

寂しい思いをしたことが。

だからこそ、

「正しい」の概念を

しっかり考えておこう。

自分の正しいは、

誰かの正しいと同じではない。

むしろ違う場合が多い。

だからこそ、

自分の正しいだけで

突き進まない。

正しいは人の数だけある。

そのぐらいの気持ちで

コミュニケーションを

とると生きることが

楽になるはずだ。

目の前のことに集中する

 

(今日のコトバ)

 

とにかく、

目の前のことを片付けよう。

よそ見をしていると

荷物が重くなる。

 

 

特に、思い悩んでる時は、

大切なことだけでなく、

ムダなことまでも悩んで

しまうことが多い。

「あれもやらなければ?」

「これはどうしたらいいだろう」

などと頭を巡らせる。

だが、人間はそれほど

悩んでることを

一気に解決することはできない。

たんさんの悩みを抱え、

ただ抱えているだけで

終わっていることもある。

そんな時は一つの解決策がある。

それは一番目の前にある課題を

解決するために全力を注ぐ。

そこだけに集中する。

他のことは後回し。

そのぐらいの気持ちでいないと、

悩みはどんどん大きくなり、

何も解決できなくなってしまう。

まずは、目の前の悩みを解決する。

覚えておいていいことだと思う。

あっという間

 

(今日のコトバ)

 

人生は、

「あっという間」という

制限時間の中にある。

 

 

過去を振り返って、

よくいう「あっという間でした」と。

自分自身も「あっという間」

という言葉をよく使う。

プロジェクト単位の

仕事が終わっても、

「あっという間」と使うし、

いままでの人生を

振り返って、

何十年もの時間も

「あっという間」という。

なんだかすべての過去は、

「あっという間」という時間に

くくられてしまう気もする。

もっといえば、

困難な人生の課題も

終わってしまえば、

「あっという間」になる。

そして、人生の時間は

短いほど楽しいものだともいう。

つまり、「あっという間」と

いった瞬間、

人生の作業は

楽しいものになったといえる。

そして、人生の大概の過去が

「あっという間」。

「あっという間」といえた人は、

自分の人生を楽しいものにした。

そういって過言では

ないと思う。