「怒り」は後始末ができない

 

(今日のコトバ)

 

怒りは、

人の心に傷をつけておきながら

後始末をしない。

 

 

「怒り」を直接受ける。

気分のいいものではない。

怒られた方は、

大なり小なり傷つく。

そんなことは

わかっているはずなのだが、

「怒り」を沈められない人はいる。

自分も「怒り」を

沈められないことがある。

状況を考えると、

怒ることも仕方ないと

思うこともある。

ただ、もっと普通に

伝えられなかったのかと

思うこともある。

人にも、自分にも。

そして、「怒り」の一番の問題は、

怒った後の後始末を

しないで終わること。

怒っているのだがら、

後始末などしなくていいと

思っている人もいるし、

後のことは自分で考えろと

思っている人もいる。

まれに、後始末ではないが

気を使ってなぐさめる人や

謝ったりする人もいる。

ただ、それでも後始末をしたとは

いいがたい。

怒られた側の心の痛みを

いやすことにはならない。

だからこそ、

「怒り」は考えてするべき。

どうしよもない時以外、

「怒り」は極力抑える。

相手の気持ちになって、

伝え方を考える。

少し強めでいい場合もある。

優しく伝えた方が

効果がある場合もある。

「怒り」の気持ちに高ぶった時、

そんな気持ちになって、

一回考えてから相手に伝える。

人とのコミュニケーションが

大きく違うはずだ。

 

変わり者だから代えが効かない人間

 

(今日のコトバ)

 

人間は変わり者ばかりだから、

代わりが効かない。

 

 

変わり者といわれる人がいる。

誰の眼で見ても変わっている。

人柄が、ファッションが、

挙動が、、。

そんな人は一定数いる。

ただ、

よくよく付き合ってみると、

結構な確率で

変わってると思う人はいる。

風貌は人並みだが

やたら理屈ぽい。

話せば話すほど

ポジティブ過ぎる。

反対に、

なんでも否定的な人もいる。

たとえば、

自分と志向が合わないと、

自分からすれば

変な人となるのかもしれない。

そう考えると、

変な人でない人の方が少ない。

もっといえば、

人間は変な人しか

いないともいえる。

だとすれば、

自分も含めて人間は

変わり者の集まり。

変わったところを

揶揄するのではなく、

愛情をもって見守ってあげる。

そんな気持ちで

生きていきたいものだ。

 

 

もう一度精神

 

(今日のコトバ)

 

「もう一度」という気迫に、

自信は生まれる。

 

 

「成功とは、

失敗しても

あきらめなかった人に訪れる」

と誰かがいった。

本当に

そう思うことがある。

何かを達成する人は、

あきらめずにやり抜いた人が

多い。

あきらめやすかったり、

運にばかり任せる人は、

なかなか目標を達成することが

難しい。

まわりでみても、

自分においても、

「もう一度」とか、

「まだまだ」とか、

あきらめない気持ちがある時、

良い結果が生まれている。

そう考えると、

古典的だがやっぱり

あきらめない気持ちは大切。

人生の困難と対峙した時、

あきらめないでがんばり続ける。

そこから局面が打開できる。

生きるために忘れてはいけない

ことだと思う。

やる気を出すために

 

(今日のコトバ)

 

やる気は、行動の主成分です。

 

 

どうしたら行動的になるか。

それは、やる気になること。

たいがいは、やる気さえ出れば、

行動したくなる。

では、やる気は出すには

どうすればいいか?

それは、

好きなことを目標にすること。

好きな遊びをする。

好きなスポーツをする。

好きな料理をする。

好きな勉強をする等。

好きなことが目標になると、

自然に行動できる。

だが、行動しなければ

ならない時に

好きなことばかりとは限らない。

仕事関係になると、

嫌なこともたくさんある。

では、その時、どうするか。

一つの方法としては、

とにかく動き出してしまう。

やる気は感じないが

動き出してしまう。

体が動き出すと、

気持ちも動き出す。

やる気という気持ちも動き出す。

その力を借りて、

やる気をつくり出す。

好きなことでやる気になるか、

体を動かすことでやる気になるか。

行動的になるためには、

大きく二つの方法がある。

優しい人は財産

 

(今日のコトバ)

 

優しい人を

ちゃんと見つけておこう。

世の中は厳しさに

満ちているから。

 

優しくされる。

簡単な言葉だが

心からそう思える時ほど

嬉しいことはない。

特に、自分が弱っている時は、

優しくされると

ほんとうに助かる。

絶望的な気持ちに

なっている時でも、

希望を見いだせたりする。

生きていこうと

思い直すこともある。

少々おおげさかもしれないが、

優しさにはそんな力がある。

ただ、自分が生きるところで

優しくしてくれる人がいないと、

優しさは自分に届かない。

ただただ落ち込んで

しまうことになる。

そう考えると、

自分のまわりに

優しい人がいる環境を

つくることが大切。

何もいつもいつも

優しくしてくれなくていい。

困った時に

優しくしてくれる。

親身になって考えてくれる。

人生において

優しい人がいてくれることは、

途轍もない財産になると思う。

 

天才という言葉も、努力家という言葉もいらない

 

(今日のコトバ)

 

愚かさをふりかざす天才は嫌いだ。

狭い世界でしか勝負しない努力家も

好きになれない。

自信を持って生きているなら、

凡人として堂々と前へ進もう。

 

 

生きる姿勢をこれ見よがしに

発信する人を、

どうも好きになれない。

自分は天才だと表明する人。

反対に、努力をしていますと

やたらアピールする人。

極端かもしれないが、

誰のまわりにもいると思う。

ただ、考えてみると、

この両極の人は、

自信がないからこそ、

パフォーマンスして

いるのかもしれない。

天才とも、努力家とも、

まわりの誰かがいえば

いいだけの話。

そこをあえて自分で

パフォーマンスするのは、

不安の現れでもあるのだ。

ほんとうに自信のある人は、

右往左往しない。

自分の道をまっすぐ着実に

歩き進んでいく。

平凡に見えて凄みを感じる。

それだけで十分。

天才という言葉も、

努力家という言葉もいらない。

右往左往せず、

まっすぐ歩ている人。

その人こそ、

本物の天才であり、

努力家なのだ。

 

夢はスケジュールと方法論

 

(今日のコトバ)

 

夢は方向音痴。

道筋がはっはりわからないと

どこへ行くかわからない。

 

 

自分の夢がある。

実現したいと思う。

ただ、願望だけが強くて

空回りしていることもある。

その多くは、

夢へのスケジュールがないことと、

何をやっていいかわからないで

方向性の違う努力を

してしまっていること。

もちろん、そもそも

努力が足りないという人もいる。

だが、たいがいはスケジュールと

方法論。

この二つをクリアすれば、

夢への実現性はかなり上がる。

そのことを肝に銘じて、

夢へ挑んでみよう。

むやみやたらに

突き進むより、

良い結果が出るはずだ。

 

 

十分立派

 

(今日のコトバ)

 

転んでも恥ずかしくない。

立ち上がれなくても

恥じることはない。

まずは生きること。

それだけで十分立派だ。

 

 

ただ生きている。

それだけでいいのだろうか?

と思ってしまう人もいるだろう。

だが、ほんとうに

ただ生きているだけだろうか?

何もしていないようでも、

人の役に立ってはいないか?

何もしていないようでも、

この国の役に立っていないか。

何もしていないようでも、

存在だけで人を救っていないか?

考えれば、

一つや二つ

必ず何かの役に立っている。

それだけで十分ではないか。

途轍もなく

誰かの役に立っていないくても、

自分が落ち込んでいても、

動きが鈍くても、

生きているだけ十分機能している。

だからこそ、

生きているだけでも

素晴らしいことだと

自分に伝えよう。

誰もが生き辛さを背負っている。

その中で人と社会と

結びつきながら、

何かの役に立っている。

それだけで十分立派ではないだろうか。

 

 

夢のために名言はある

 

(今日のコトバ)

 

現状は踏まえているけど、

なお夢が見たい人に

光をくれる言葉を名言という。

 

 

生きるために、

自分を鼓舞する名言がある。

高い目標をクリアするために、

勝負に強くなるために、

人間関係を円滑にするために、

いい言葉と出会いたい。

部屋に貼ったり、

トイレに貼ったり、

手帳に書き残したり、

肌身離さず持っている

言葉もある。

ただ、この名言を

自分のものにしたい

という気持ちは、

もっと人生に夢を見たいから、

名言という言葉を必要とする。

何も夢がなかったら、

名言はいらないはずだ。

だとすれば、

名言を大切にする人は、

夢を持っている人。

いま、自分にとっての名言が

ある人は、

人生の夢がある人。

その夢に向かって自分は

進んでるか。

進んでいれば、

突き進めばいい。

もし、進んでいなければ、

名言をもう一度噛みしめて、

がんばってみる。

名言を大切に使っていこう。

 

名前は自分のアイコン

 

(今日のコトバ)

 

名前とは、

生んでくれた人の希望で

できている。

 

 

自分には名前がある。

その名前を生涯背負って

生きていく。

基本的に改名しなければ

一生ものだ。

その名前をどう考えるか。

名前は自分のアイコンとして

機能する。

他人からは名前で呼ばれる。

その名前が人生の長さと共に

自分と同化する。

他人から見て

「いい名前だ」と

いわれる人は、

人生を頑張っている人だったり、

「名前負けしているね」と

いわれる人は、

あまり頑張っていない人

だったりする。

ただ、名前は生んでくれた人の

希望を込めてつくられている。

そして、人は名前を呼ばれながら

評価される。

だとしたら、

自分の名前に

誇りを持てるように生きる。

自分のアイコンが

人々に評価される。

尊敬される。

喜ばれる。

かわいがられる、、。

いろいろな評価のされかたが

あると思う。

そして、

そこから自分の誇りも生まれる。

そのことを忘れてはいけない。