議論には感情が生きている

 

(今日のコトバ)

 

感情論は、

異論にも、反論にも、

議論にも、

そして、正論にも顔を出す。

 

 

感情は、どこにでも現れる。

直接、それころ感情的となって

現れることもあるし、

心に隠しているけど、

感情の動きが激しいこともある。

そんな中で議論をかわす時、

どれだけ感情が混じっているか。

あまり混じり過ぎてしまうと、

議論が成立しなくなってしまう。

ただ、間違いなくいえることは、

異論でも、反論でも、

もちろん正論にも、

感情は混じっている。

そのことを忘れてしまうと、

議論で暴走を

してしまうことになる。

正論は人の数だけあるという

言葉もある。

だからこそ、

議論の場での自分の発言には、

感情が混じっていることを

意識して論議する。

あまりにも感情だけで発言すると、

まともな議論にならない。

難しいけれど、

「議論には感情が生きている」

ことを忘れてはいけない。

自分を大切に生きる

 

(今日のコトバ)

 

人生は、レースとコース、

そして、ペースを守っていれば、

それほど間違うことはない。

 

 

コンプライアンスの時代という

わけではないけど、

社会はルールを守ろうという

意識が強くなった。

昔のように

「ちょっとぐらい大目に見てよ」的な

ことが許されなくなっている。

確かに、はじめはちょっとぐらいだが、

だんだんエスカレートすると、

とんでもない罪になったり、

暴力になったりする。

パワハラ事案やセクハラ事案は、

その最たるものだろう。

だから、

いま生きていく上での

ルールは守ろっていく。

その中で自分の

ペースで生きる。

いまの時代、

「無理し過ぎない」は

一つの生き方。

自分を壊す生き方は

違うと思う。

「自分を大切にして生きる」こそ、

いまの時代のキーワードなのだ。

 

 

自分の状態の基準

 

(今日のコトバ)

 

自分を嫌いなまま人を見ると、

人の嫌なところが目につく。

自分を好きになって人を見ると、

人の良いところが目につく。

 

 

人の好き嫌いとは、

実は、

自分の好き嫌いだと思う時がある。

簡単にいってしまえば、

自分が好きな時には、

ほとんどの人が好きになれる。

いい過ぎだとすれば、

ほとんどの

人の良いところが見える。

反対に、自分が嫌いな時には、

ほとんどの人を嫌いになる。

いい過ぎだとすれば、

ほとんどの

人の嫌なところが見える。

もう少し説明すると、

自分が好きな時とは、

自分がイケている時。

自分が嫌いな時とは、

自分がイケてない時。

自分がイケていれば、

心がおおらかになり、

人の良いところを素直に見れる。

自分がイケていなければ、

心が荒れて、

人の粗を探すようになる。

その基準で自分の状況を

判断してもいい。

自分のイケている

イケていないを、

人を見る眼で決める。

一つの

自分の状態の基準になると思う。

傍観者にならない

 

(今日のコトバ)

 

楽観したこともある。

悲観したこともある。

ただ、一番悔いが残ったのは

傍観した時だった。

 

 

人生の出来事が

日々、あれやこれやある。

同じよう出来事もあれば、

まったく新しい出来事もある。

その出来事の中で、

楽しめれば人生は幸せを感じる。

悲しむと人生は辛いものになる。

ただ、

それでも人生のキャリアとなり、

月日が経つと

素晴らしい想い出になることもある。

だが、傍観していたらどうだろう。

何もせずただ見ているだけ。

その楽しみ、

その悲しみを見ているが、

そこに自分は存在しない。

想い出にならないばかりでなく、

記憶にも残らないかもしれない。

傍観することが

多ければ多いほど、

人生はつまらなくなる。

傍観がワルいというのではない。

でも、もし人生に素晴らしい記憶を

刻みたいなら、

傍観者ではいけない。

当事者になって、

楽観も、悲観も体験する。

それが素晴らしい人生を

選択するということになる。

そう思う。

 

生き抜くために人を知る

 

(今日のコトバ)

 

人生は出会いが道をつくり、

別れが道を舗装していく。

 

 

人との出会いが

どれほど大事なことか。

年をとるたび考える。

若い頃は、生きていれば

いろいろな人に出会える。

そう思った。

間違ってはいない。

学校だけでも大勢の人と出会う。

それ以外でも、塾やクラブ、

バイト先と、

生き抜くためには

人を知ることが大切とばかり、

人と出会う。

会社でもそうかもしれない。

ただ、人生の終盤になって、

所属先がなくなると、

人と出会うことが極端に減る。

そうなると、

人との出会いが

いかに大事かを覚る。

遅すぎるという人もいる。

そんなことはないという人もいる。

だが、人生で出会いほど

大事なことはないと思うほど、

出会いの価値に築く。

だからこそ、

出会いが少なくなったからこそ、

一人一人とちゃんと

向かい合いたい。

支え合って生きていきたい。

助けてもらいたいし、

助けてあげたい。

人は、人で始まり、

人生の終わりまで、

人が大切な生きものなのだ。

問題より問題の人の問題

 

(今日のコトバ)

 

問題を解決するより

大切なことがある。

問題の人に気づくことだ。

 

 

難しい問題だ。

どう解決していいかわからない。

何度も、何度も、トライするが、

答えはでない。

そんなことが人生ではある。

ただ難しい問題?

何が?

と思うこともある。

つまり、

問題を正しく

理解していないことがある。

解決すべき問題ではなく、

その周辺の面倒くさいことに

気を使ってしまっている。

多くは問題を出している人、

簡単にいうと問題の人が

いると問題がわからなくなる。

「あの人がいるから混線するんだ」

問題より問題の人の問題がある。

その部分を抜きにして

問題を考えてみると、

意外と簡単な問題だったりする。

いま、自分が問題を抱えていると

思ったら、

問題の人のことを

一端忘れてみる。

そして問題の本質に向き合う。

問題がそれほど

難しくないことに

気づくはずだ。

仕事はエンターティンメント

 

(今日のコトバ)

 

仕事とは、

夢と希望と生活がかかった

エンターティンメントである。

 

 

エンタメの世界。

一般の人たちは出会わない

光輝く場所。

ただ、仕事を長く続けていると、

仕事もエンタメだと思えてくる。

何もわからない初心者から始まって、

10年も続けていれば、

その仕事のプロになっている。

(なっていない人もいるが)

エンタメが

夢と希望がある世界だとすれば、

仕事にも夢と希望がある。

エンタメは人が光り輝いているが、

仕事でも人は光り輝く。

だとすれば、

仕事もエンタメ。

働く場所は舞台と考えてもいい。

そう思うことで

モチベーションが上がるなら、

仕事はエンタメの舞台。

人は光輝く場所が必要だ。

だからこそ、

仕事の現場で光り輝くのだ。

未来に脱出する

 

(今日のコトバ)

 

立ち向かうために未来は

用意されているが、

逃げていくためにも未来は

準備されている。

 

 

目的があれば、

未来に立ち向かわなければ

ならない。

困難や難題が

待ち構えていても、

突破する気持ちで

前進する必要がある。

気力が充実している時、

強い気持ちでいれる時は

それでいい。

だが、コンディションが

整わないこともある。

前へ向けない、

気持ちが弱くなっている時もある。。

そんな時に、

あえて立ち向かおうと

しなくてもいい。

未来に脱出する、

逃げるぐらいの

気持ちでもいい。

どんなに偉そうなことを

いっている人でも、

みんな逃げたことがある。

もっというと、

逃げ方のうまい人が

生き残っている。

ある戦争の司令官がいった。

「生き残る者は、

勇者ではなく臆病者だ」と。

長く生きていると、

名言のような気もする。

だからこそ、

未来に脱出する、逃げることも、

人生では有効な生き方。

そう信じて生きていいと思う。

チャンスらしきものから全力で挑む

 

(今日のコトバ)

 

希望と可能性に

タッグを組ませたら、

1%のチャンスに

100%の力を発揮できた。

 

 

チャンスは

どこに落ちているかわからない。

いつやってくるかもわからない。

だからといって、

あきらめてしまっては、

永遠にチャンスはつかめない。

ただ、チャンスらしきものを

感じることはある。

自分が評価された時。

人と出会った時。

試験に受った時など。

チャンスが近づいていると

感じる時がある。

その時、

自分の持っているものを

全力で発揮する。

チャンスらしきもの、

チャンスの欠片のようなものに

勝負を懸けてみる。

それこそが人生を

大きく切り開くことにも

つながる。

仮に、チャンスを掴めなくても、

人生を動かすことが

できるかもしれないのだ。

「チャンスらしきものに全力で挑む」

その気持ちを忘れずに

生きていけば、

人生は好転する。

より楽しい人生になる。

チャンスらしきものから

全力を尽くす人生でいこう。

 

 

普通の時間のあたりまえのこと

 

(今日のコトバ)

 

人生で今日は初体験。

失敗したわけではない。

ただ、失敗を減らすために、

あたりまえを

たくさん用意しているのだ。

 

 

どんなに生きても、

今日という日は初体験。

まったく新しい時間が

流れている。

どんなに刺激が欲しい人でも、

ある程度、

普通の時間が流れて

欲しいと思うはずだ。

もちろん、今日大事な試合があったり、

大きな仕事があったりする人は、

普通ではいられない。

だが、その本番以外は、

普通に過ごすことが一番

リラックスできる。

なぜか。

それは普通で過ごすことで

失敗が減らせるからだ。

あたりまえの時間が流れると

心が安定する。

イライラとか、

不快なことは少なくなる。

だからこそ、

「普通の時間のあたりまえのこと」を

大切にしたい。

心を安定させるために、

どれだけ役立っているか

計り知れない。

普通の時間の役割を

大切にするのだ。