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(今日のコトバ)
人の作った地図の上で
右往左往しない。
自分の作った地図の上で
猪突猛進しよう。
自発ではない。
誰かの下で、
働く、作業する等。
特に、仕事になると、
ほぼ誰かの下での活動となる。
だが、考え方によっては、
誰かの下にいても、
自発的な活動に変わる。
目標は誰かから指示されても、
自分事として、自分のやり方で、
達成する。
誰かの意志より自分の意志を
強く反映させていく。
もちろん、誰の指示も受けず、
自分の意志だけで
活動することもある。
とにかく、
自分の意志を尊重して生きる。
それができるだけで、
生きる意欲が変わってくる。
描く未来も違ってくる。
人生は一度きり。
誰かに描かれた人生より、
自分が描いた人生の方が
楽しいはず。
だとしたら、
自分の描いた人生を
生きるために切磋琢磨する。
人生を素晴らしくしていくために
大切なことだと思う。
(今日のコトバ)
それでも、
最善の選択を続けた結果が
今日のあなたである。
どんなにいいかげんに
生きている人でも、
その人は、なるべく
人生のベストの選択を
したいと思って生きている。
自堕落な人も、
怠け者の人も、
計画性のない人も、
生きるために
ベストな選択を
しようとしている。
そう考えると、
今日のあなたが
ベストの姿ともいえる。
もちろん、病気を患ったり、
人生の選択が出来ないことが
あったりで、
ベストを尽くせないこともある。
ただ、それでも気持ちは
ベストの選択をしているのだ。
だとしたら、
ほんとうの意味で
人生にとってベストの選択を
するべき。
目標を持って、
勤勉に務め、
計画的に生きる。
その上で、
ベストの選択をする。
自分の全力を発揮して
ベストを尽くす。
それこそが、
自分を成長させる最高の
生き方になる。
ベストを尽くして生き、
ベストの結果を出す。
その繰り返しこそが、
人生を素晴らしいものにする。
そう信じて生きていきたいと思う。
(今日のコトバ)
叶わなかった夢だって、
人生の立派な財産。
捨ててしまっては、
もったいない。
夢を追いかけて生きた。
だが、夢に手は届かなかった。
残念。悔しい。
悲しい気持ちもある。
夢が敗れてしまったから、
もうその道を進むのは
あきらめよう。
そんなことを思うこともある。
だが、
夢に向かって
切磋琢磨した技は、
人より秀でた
能力かもしれない。
夢破れたからといって、
すべての能力を
捨てていいのだろうか。
夢破れても人生は続いていく。
少なくても、
その後の人生において、
身に着けた能力は
優れた武器になる
可能性が高い。
だとしたら、
その武器を捨てずに生きる方が
人生は有意義になる。
だからこそ、
夢敗れても
身に着けた武器は捨てない。
できれば、さらに磨いていく。
その後の人生を
夢の財産で生きていくのだ。
(今日のコトバ)
何者かと問われたら、
幸せ者と答えられる人生であれ。
自分が何者か?
すぐに答えられたら、
それだけで素晴らしい人生を
送っていると思える。
ただ、何者かいえない人は多いし、
何者かまわりの人が
わからないこともある。
何者かの答えは簡単ではない。
ただ、こうもいえる。
人がどうあれ自分は
「〇〇者」といえる。
あるいは、
人から「あなたは〇〇者だね」
といわれる。
自分の得意な分野が
アイコンになって、
何者かがはっきりする。
それは幸せに生きている証拠だ。
言葉にすると、
幸せ者という
アイコンかもしれない。
人生は、
どれだけ幸せな時間をつくるかの
競技のような気もする。
だとしたら、
幸せ者だと思い思わせる人こそ、
素晴らしい人生ではないか。
幸せ者で生きることを
目標に生きていいと思う。
(今日のコトバ)
あなたの存在自体が、
未解決事件だ。
いくつになっても、
自分を完全には解明できない。
性格がどんなものか
だいたいわかるが、
100%自分はわからない。
ねばり強いと思っても、
あることには淡泊。
優しいと思っても、
ある人には冷たい。
嘘はつかないといっても、
振り返ると
嘘つきといわれることもある等。
どんな自分かすべて解明するのは、
一生かかっても無理かもしれない。
だとしたら、
自分を未解決事件のミステリーとして
楽しんでみるのも面白い。
「自分には、
こんな一面があったのか」と
気づくことがあれば、
生きることも楽しくなる。
もちろん、
嫌な部分を知ることも
あるだろうから、
楽しいことばかりではないが、
それでも自分を解明するのは
楽しい。
自分を少しずつ知っていく。
それも人生の醍醐味だ。
(今日のコトバ)
「また明日」といわれた人は、
その言葉をいった人の
希望になってる。
別れ際に、
「また明日」といって
帰途に着く。
誰もがあたりまえにする行動だ。
この「また明日」ということは、
次の日の約束をしている。
ゆるくても何でも、
明日会おうという約束をしている。
もっといえば、
「明日も会って、〇〇をしよう」と
希望になっているともいえる。
人生は、希望があって
生きることほど、
充実することはない。
そう考えると、
たかが「また明日」という
一言が、
希望を約束しているといえる。
そんな素晴らしい一言もない。
だからこそ、
「また明日」といえる人を
大切にしたい。
大切にすれば希望が叶う。
有意義な人生の予約を
するに等しい。
「また明日」は
大切にしたい言葉だ。
(今日のコトバ)
幸せとは、
自分の身のまわりにあるもの。
後は、自分がどの幸せを
選ぶかだけの問題だ。
「幸せを数えてみる」
普通の生活をしていると、
あまりしないかもしれない。
だが、ちゃんと数えてみると、
結構自分が幸せに
包まれていることに気づく。
それこそ、よく眠れたり、
おいしいものを食べたりまで
カウントすれば、
幸せはたくさんある。
だが、その幸せを生活の中で、
しっかり理解しているかというと、
そうでもなくなる。
だとすると、
ちょっと幸せがもったいない。
幸せを享受するために、
幸せの数をカウントすることを
習慣づけてみる。
どれだけ自分は幸せに
恵まれているか。
人は幸せな時に
幸せを忘れ、
不幸になると、
過去の幸せを思い出す。
その思考回路を変えてみる。
まず、自分がいかに
幸せかを設定する。
それだけで、
自分の幸せが大きくなる。
充実した人生を生きていると
思えるはずだ。
(今日のコトバ)
あなたの長所に
救われている人がいる。
そして、あなたの短所に
救われている人もいる。
あなたに集まってくる人は、
大なり小なりあなたの長所に
期待して集まってくる。
あなたなら問題を
解決してくれるだろうという
能力への期待があるはずだ。
だが、こういう期待もある。
「あなたの短所に救われている」と。
あなたの欠けた部分が、
まわりの人を安心させたり、
勇気を与えたり、
リラックスさせたり、、。
まわりに自分より
出来のワルい人がいると、
ホッとすることもある。
だとすれば、
人は長所も短所も期待されると
考えていい。
もちろん、短所で
足を引っ張られることもある。
長所だって嫌味になって、
腹が立つこともある。
だからこそ、
長所と短所、どちらも大切。
人間は、
長所と短所どちらもあって
生きているのだ。
(今日のコトバ)
あの人の言葉に
操られて生きるより、
じぶんの言葉を
操って生きていこう。
言葉を使う。
日々、行っていることだ。
ただ、自分の意志で
自分の言葉を
コントロールできている人が
どれだけいるだろうか。
ある程度の会話の中で
コントロールができても、
ここ一番、人生の大切な場面で
言葉を思い通りに駆使できている。
そう胸をはっていい切れる人は、
すべての人ではないと思う。
世の中は、
自分と人とのコミュニケーションで
成り立っている。
自分の意志だけを言葉にして
主張すれば、
コミュニケーションは
成り立たない。
バランスをみて
気を使いながら言葉を使う。
ただ、人生の大切な場面では、
絶対自分の意志を伝えなければ
生きる意味を失ってしまう。
まったく、誰かの気持ちだけで
動いたら、必ず後悔する。
だからこそ、
自分の意志・意見を
伝える準備をする。
そのためには、
常日頃から自分の言葉を
駆使できるよう訓練しておく。
難しいことではない。
自分が誰かに何かを
伝える時に、
必ず自分の言葉で、
自分の意見を伝える。
誰かに流されるのではない。
誰かの言葉に従順に
従うのではない。
自分の言葉を駆使て生きる。
そのことを
意識するだけで、
自分の言葉を伝えて生きることが
できるはずだ。
(今日のコトバ)
権力者は、
沈黙の声を聞くことができない。
組織で上へいけばいくほど、
権力は集中してくる。
トップと呼ばれる
ポジションにつけば、
いやがおうでも権力者になる。
その権力者は、本来、下にいる人の
意見を集約して、組織として
目標やビジョンをつくることが使命。
もちろん、創業経営者のように
自分の考えをトップダウンして、
組織運営を行う人もいるが、
コンプライアンス厳しき折、
それでは組織運営はできない。
あくまでも
フォア・ザ・チームの意識で
組織は運営する必要がある。
だが、
怖いのは、その権力を
悪用しようとする人がいる。
悪用ではないが、
自分が正義だと思って、
下の人の意見を
まったく聞かなくなる人もいる。
権力を人への圧制に使うと、
下の人は何もいえなくなる。
何もいえないから、
権力者はより権力をふるう。
暴君になってしまうこともある。
だからこそ、
自分がトップとか、リーダーとか
呼ばれるポジションになったら、
下の人たちの声に耳を傾ける。
自分が絶対正しいという概念では
もたない。
むしろ、どこか自分に
間違ったものはないかと
耳を傾ける。
その声を拾い上げる。
そんな気持ちを忘れない
トップである。
トップという責任者を任された人は
肝に銘じるべきだ。
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