ホームがあるから生きていける

 

(今日のコトバ)

 

行く場所には地図がいるが、

帰る場所には地図がいらない。

そして、地図のいらない場所を

ホームと呼ぶ。

 

 

新しく行くべき場所には

地図がいる。

まったくはじめての場所は

地図がなければたどり着けない。

反対に、行く道を知れば

帰り道はわかる。

帰り道は行く道より不安にはならない。

どこか落ち着く。

その気持ちは、自分が帰る家にも通じる。

そこへ行くから落ち着ける。

自分の居場所がある。

そう思える場所は、

きっと、ホームといっていいのだ。

ホームに帰る。

自分の家でなくても、

スポーツチームがアウェーから

ホームに帰る場合も、

ホームはあたたかく迎えてくれる。

だからこそ、落ち着いていられる

ホームを大切にする。

ホームがあるから生きていける。

そんな気持ちを大切にしよう。

目標と継続

 

(今日のコトバ)

 

他人を目指していては、

他人に勝てない。

自分の最高を目指して、

他人に勝つのだ。

 

 

憧れる誰かになりたい。

誰もが目標とする人の一人や二人は

いるはずだ。

その人のマネをして、

その人に近づきたいと思う。

ただ、その人のマネだけでは、

その人のマネで終わってしまう。

だからこそ、自分の目指すところを

改めてつくるべきだ。

その設定は、「最高の自分」に置く。

どうすれば、自分史上最高になれるか。

入り口はマネであってもいいが、

切磋琢磨するうちに

自分の最高峰を目指す。

そのためには、

常に達成可能な目標を持つ。

日々の暮らしで継続できるものを探す。

「目標と継続」

両輪が自分を最高のものに磨いていく。

他人になるのではなく、

自分の最高になる。

その気持ちを忘れてはいけない。

 

人生は決断でつくられる

 

(今日のコトバ)

 

人は決断をくり返しながら、

自分という彫刻を完成に近づけるのだ。

 

 

決断。

言葉にすると重くなるが、

人は大なり小なり、

日々の暮らしの中で

決断を下している。

何かを行動するということは、

決断抜きにはできない。

「やる」という気持ちも

決断の現れ。

そして、その決断する方向が

自分の人生をカタチづける。

だからこそ、日々の決断は大切。

いい方に決断すれば、

幸せな人生が待っている。

さらに、

ひとつひとつの決断が人生になり、

人格と呼ばれるものにもなる。

人生は決断によってつくられていく。

そのことを肝に銘じて生きていきたい。

好きの意志が変わらないもの

 

(今日のコトバ)

 

好きを大好きにするのは簡単。

好きを嫌いにするのも簡単。

だが、好きを

好きのままでいるのは難しく、

この好きこそ本物の「好き」なのだ。

 

 

好きという感情がある。

簡単に好きと思うものもあれば、

時間がかかって好きと思うものもある。

人・動物等からモノまで含めると、

たくさんの好きなものがある。

ただ、その中で本当に好きと

いえるものはどういうものだろう。

直感的な好きか。

そのことを思うと

ワクワクしてしまう大好きか。

好きにもいろいろあると思う。

その中で本当の好きが

何かと考えると、

それは、

長く続く好きではないかと思う。

長い間好きであることは、

好きに対する状況が様々変わり、

自分の気持ちも変わったけれど、

それでも好きは変わらないもの。

好きの意志が変わらないもの。

それが本物の好きだと思う。

だからこそ、

長く好きなものは大切にすべき。

人生を幸せにしてくれる

大切なアイテムなのだ。

言葉と自分の距離を近くする

 

(今日のコトバ)

 

言葉は、

自分をちぎって飛ばした分身です。

 

 

言葉は、自分の分身である。

そういわれて、そうだと答える人もいるし、

うーんと考えてしまう人もいるだろう。

自分が発した言葉なのだから、

まぎれもなく自分の心からの言葉。

だけど、状況によって、

本心で話せない時もある。

あえて嘘をつくこともある。

圧力に負けて言葉を選ぶこともある。

なかなか自分の思いのままに

言葉を伝えられない。

だが、だからこそ、

言葉は大切になっていく。

仮に本心でなくても、

本心に近い言葉、

あるいは本心を気づかせる言葉を

使って自分を現す。

言葉と自分の距離が

近ければ近いほど、

素直に生きられる。

簡単そうで簡単ではない。

ただ、素直に生きようと思ったら、

言葉と自分の距離を近くする。

大切なことだと思う。

知らないなら知らないで

 

(今日のコトバ)

 

無知だからこそ、

心は平和でした。

 

 

知らないから、

いいこともある。

知らないから、

強気に出れる。

知らないから、

わかったことをいう。

知らないから、

偉そうなことをいえる、、。

間違っていても、

知らないから、

堂々としていられることもある。

もちろん、知識はしっかり把握して、

正しく伝達することは大切だ。

ただ、あまりに知識が豊富になり、

頭でっかちになって生きるより、

知らないなら知らないで

生きることもワルくない。

知らないからストレスフリーに

なれることもある。

だからこそ、

自分が知らないことで

無理に悩まず、

都度都度知るようにすればいい。

本当に知りたいことだけ

貪欲になればいい。

ただ、それ以外の知識は

無理につめこむより、

タイムリーに

知っていけばいいと思う。

道標としての間違い

 

(今日のコトバ)

 

間違えるということは、

そこに、道標をつくること。

この先の人生、

道標を思い出すだびに、

間違いを回避できる。

 

 

人生、何度も間違える。

そのたびに、その間違えた部分が

心に刻まれる。

「答えはそこじゃない。

このやり方では失敗する」

そう思うことは、

一つの道標をつくること。

その間違いはしないと思うだけで、

正解への道に近づく。

少なくとも、間違いの道を

選択しないという成長がある。

だとすれば、

間違いはしてもいい。

おおげさだが間違えれば

間違えるほど、

成長でき、正解に近づくのだ。

そう考えると、

間違えることは人生にとって

ワルくない。

道標としての間違いを

心に刻んでいこう。

 

新しい風景と変わらない風景

 

(今日のコトバ)

 

変わる景色にときめくのもいいけど、

変わらない景色に安らぐのも必要。

 

 

新しい景色をみたい。

そう思いながら、日々生きている。

新しい景色とは、

まだ見ぬ景色であり、

現状を超えた状況とでもいおうか。

新しい景色には、

何かいいものがある。

そのいいものを目指して生きる。

大切なことだ。

ただ、変わらぬ景色だから、

いいこともある。

落ち着いて生きられる。

怖れることが少なくなる。

自分の居場所が決まる、、。

新しい風景と変わらない風景。

どちらも人には必要。

その意味で、

自分の眼がどこを向いているか。

その時大切だと思った視界を

注視し、人生を有意義にしていこう。

主張=本人であることを忘れずに

 

(今日のコトバ)

 

主張とは、

自分の正論に冒険させることである。

 

 

 

誰にでも主張はある。

正しい、正しくないはあっても、

自分の意見を押し通したいことはある。

決してワルいことではないのだが、

主張の内容によっては、

敵もつくるし、

人を傷つけることもある。

意図しない解釈をされ、

攻撃の的になることさえある。

SNSに強い主張をすれば、

多かれ少なかれ叩かれる。

だからこそ、

自分の主張には慎重になるべき。

主張=本人になってしまう。

主張とは、

自分の正論を冒険させることと

肝に銘じる。

正しい主張は自分の正しい主張であって、

他の誰かからすれば正しくない主張になる。

そのことを忘れてはいけない。

持って生まれたものを活かす

 

(今日のコトバ)

 

可能性とは、

神様があなたの未来に

光をあてたところ。

 

 

誰もが、

何か人より

秀でたところがある。

人によって秀でたものを

確信している人もいるし、

薄々秀でてると思っている人もいる。

「何もいいところがない」

そう思っている人も、

「優しさ」とか、

「気遣い」とか、領域を広げると、

少しは人より秀でているところが

あると思うはずだ。

それは、

持って生まれたものに根っ子がある。

その持って生まれたものを、

まっすぐ伸ばすことができれば、

人生は有意義になる。

反対に、持って生まれたものを

使えないで生きると、

人生はしんどいものになる。

だからこそ、

持って生まれたものは何かを

自分で探してみる。

人より秀でているものを見つける。

そのことを人生の早い段階でできれば、

人生をコントロールできる

確率が高くなる。

自分の秀でたものを探そう。