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(今日のコトバ)
忘れたいものは、
忘れようとするのではない。
知らん顔するのだ。
少しずつ忘れるために。
忘れたいことを
忘れようと思っていると、
なぜか、
忘れたいことばかり思い出す。
頭にこびりついてしまっていると
いってもいい。
気持ちだけ忘れたくても、
忘れることには逆効果になる。
そんな経験は誰にもあるはずだ。
気持ちというよりは、
脳の仕組みの話なので
簡単には決めつけられないが、
忘れようとすればするほど、
忘れられなくなるのが人間だ。
では、
どう忘れたいことを忘れるか。
いちばん効果的なのは、
知らん顔して、
違うことを考えること。
何かに没頭するのもいい。
汗を流して
身体を発散させるもいい。
趣味で切り替えるのもいい。
忘れたいことを
考えない時間をつくる。
その時間を
つくればつくるほど、
忘れたいことが忘れられる。
人生の時間は短い。
忘れたいことばかりで
埋められては厳しい。
だからこそ、
忘れたいことは
考えない時間をつくるのだ。
(今日のコトバ)
苦労は買ってでもして、
将来の笑い話にしたら勝ち。
「苦労は買ってでもしろ」
特に若いうちは
肝に銘じよというぐらい
いわれる。
確かに、苦労をしておけば
経験値になり、
次に来るであろう困難に
柔軟に対応できることもある。
もっといえば、
経験したからこそ
人として強くなることもある。
苦労は生きていく上で
ワルいことではない。
ただ、苦労が人生に致命的な
傷跡を残すこともある。
そうなると話は別。
そこまでの苦労は
しなくても良かったはずだ。
では、苦労の基準は何か?
人それぞれで
違うかもしれないが、
一ついえるのは、
将来笑い話になること。
笑い話になれば、
トラウマではないし、
傷跡でもない。
「そんなこともあったけど、
いま、こうして笑っていられる」と
思えた苦労なら〇。
それぐらいの基準で苦労と
対峙してみる。
苦労の基準になるはずだ。
(今日のコトバ)
幸せは、
悲劇の舞台裏で
泣いたことがある。
どんな幸せも、
何もなく突然訪れることはない。
そして、なぜ、
幸せになたいかと思えば、
幸せではない自分がいるから
幸せになりいと思う。
では、幸せでない自分とは
どういう状況か。
それは、不幸せな状況、
あるいは、
悲しい状況にある自分がいる。
その不幸せや悲しみを乗り越えて
幸せになる。
それこそが幸せの素晴らしさ。
幸せは簡単に
手に入るものではない。
だが、一度幸せを味わうと、
人生が素晴らしいものに
なっていく。
だからこそ、
できる限り、
幸せを感じる人生に
していきたいものだ。
(今日のコトバ)
みんなの声が大きすぎて、
こころの声が聞こえなくなる。
他人の声とか、
世間の声とかに
流されて、
自分の声が
わからなくなる。
時々、そんな気持ちに
なることがある。
自分の中で
たいしたことがないと判断すると、
「どうでもいいや」と
自分の声を消してしまう。
世の中の大勢の声で
いいと思ってしまう。
ただ、
この気持ちが、
後々、
大変なことになることもある。
例えば、選挙。
どうでもいいやと、
投票しなかったり、
考えなしに人気のある人に
投票すると、
ものすごく後悔することもある。
また、自分のまわりでも、
権力のある人、
大きな声の人に流されて、
自分の声を引っ込めると、
その後、後悔することがある。
だからこそ、
常日頃から、
自分の声を大切にして発信する。
意識して発信しないと、
一人の声はかき消されてしまう。
なんでもかんでもではなく、
自分の守るべき一線の声は、
絶対守る。
そのために自分の声を上げる。
大切なことだ。
(今日のコトバ)
すこし理解。
すこし誤解。
それが人と付き合う正解。
「そんな人だと思わなかった」
人との付き合いで
そう思うことが何度かあった。
自分が思っていた人物像と
違って、少し残念に思う。
だが、本来、
人格を完璧に把握などできない。
だいたいの人柄を人格と捉え、
いい人だの、優しい人だの、
嫌な奴だの、
付き合いのワルい奴だの
決めつけている。
ただ、それは正解ではない。
やっぱり人格は
わからないことが多い。
だから、
これぐらいで
考えたらどうだろう。
「少し理解。少し誤解」
を念頭に付き合っていく。
わりといい距離で
付き合える気がするし、
あまり残念に思うこともない。
人格を知ることは、
とても難しいことなのだ。
(今日のコトバ)
この世界で最強は、
技術をあたりまえに
使える凡人。
技術という言葉がある。
簡単に使えるが、
本当に技術を習得している人は
尊敬に値する。
家をつくる技術。
手術をする技術。
料理をつくる技術。
柔道を習得する技術、、。
たくさんの技術はあるが、
その技術を習得した人は、
やっぱり凄い人だし
一目置かれる。
そういう人が世の中には
ゴロゴロいる。
そして、名もなき人といて
生きている人もいる。
ただ、考えてみれば、
技術を習得した人が
あたりまえに生活する
世界だから、
人類は進化する。
技術を持った人が
凡人として生きる世界は、
進化して当然。
だからこそ、
自分においても何かの
技術を習得して、
秀でた凡人として生きる。
人間は凄い。
そう感じながら
生きていきたいと思う。
大谷翔平MVP、おめでとう!
(今日のコトバ)
「自分に才能がない」と
思っている間は、
自分の才能がどんどん消滅している。
とにかく、
才能がある、
あるいは、特別に好きな分野は
とことん突き詰めるべき。
なぜなら、
そこに自分の人生を
大きく変える鉱脈があるからだ。
考えてみればわかる。
優れた才能で人生の勝負ができれば、
いい成果を出せる確率は高くなる。
人より秀でた力を発揮できる。
また、特別好きな分野だったら、
自分の全知全能を使って、
頑張ることもできる。
人生を
有意義にしていくためには
大切なことだ。
ただ、才能がある、
特別に好きな分野を決めたら、
簡単にあきらめてはいけない。
ましてや、才能がないとか、
好きではないと思ったら、
途端に本当に才能も枯渇していく。
モチベーションが上がらないと、
才能の刃も切れなくなってしまう。
だからこそ、
才能を信じろ。
好きを信じろ。
その先にある未来は、
人生を大きくしてくれる。
そのこと肝に銘じよ。
(今日のコトバ)
不可能を可能にするという宿命を
持って生まれた生きものを、
人間という。
不可能を可能にする。
言葉にすると簡単だが、
地球上に存在する生きもので
不可能を可能にできるのは、
人間しかありえない。
だがらこそ、人間は
途轍もない進化を遂げたのだ。
つまり、不可能を可能にするのは、
人間の宿命。
選ばれた生きもの才能といっていい。
そして、大なり小なり
人間は不可能を可能にしてきた。
一人一人の人間は、
その力をすべて
使い果たしているだろうか。
まわりを見渡すと、
使い果たしていない人、
使っていない人もいる。
それは、
人間とってもったいないこと。
せっかく人間に生まれたのだ。
不可能を可能にする力を
最大限に使って生きていく。
人間しか
できないことだと思えば、
自分の力を信じことが
できるはずだ。
(今日のコトバ)
ほとんどの人は後悔しながら
生きている。
その後悔からどう抜け出すかが
人生という物語なのだ。
少しかっこよくいうと、
人生は後悔へのリベンジといえる。
負けることも、
失敗することも、
間違えることも、
心のどこかで後悔がある。
その後悔をどうやって
解消していくか。
負けたものに勝つ。
失敗したものを成功する。
間違いを正解にする、、。
それらは、
すべて後悔へのリベンジ。
先人はいう。
「後悔はするな。
反省しろ」と。
だが、後悔のないものに
反省などできない。
すべては後悔からはじまるのだ。
だとすれば、
いま起こっている、
あるいは、
これから起こる後悔は
ウエルカム。
後悔をたくさんして、
そのリベンジをしながら
生きる。
そこに人間としての成長も
あるはずだ。
(今日のコトバ)
悲しくても、幸せがある。
寂しくても、幸せがある。
辛くても、幸せがある。
幸せは、人生のとなりにある。
振り返れば、
どんなに状況がワルい時でも、
幸せのそばにいた気がする。
悲しい時、
寂しい時、
辛い時、
さまざまな状況はあっても、
何かしらの幸せがあった。
一番力になってくれたのが、人。
誰かがとなりにいてくれるだけで、
幸せを感じ立ち直ることができた。
もし、幸せの力がなかったら、
立ち直ることが
できないでいただろう。
人だけでなく、ペットや物、
趣味なども、
どこかでワルい状況を救ってくれた。
救ってくれたのは、
幸せの力なのだ。
だからこそ、
どんな状況であっても、
幸せはとなりあると考えよう。
それだけで
自分に味方ができたと
同じぐらいの力になる。
幸せの力を信じ、
幸せと共に生きていくのた。
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