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(今日のコトバ)
臆病者は決して敗者ではない。
ここで倒れることを拒み、
戦うことをあきらめない
挑戦者のことである。
「臆病者」
その意味の考え方が、
大人と子供で変わったものも
珍しい。
子供の頃は、「気が小さく、
勇敢になれない人」という意味で
臆病者を考えていた。
だが、年齢を重ねるたび、
臆病者とは、
まだ戦いをあきらめない人。
価値を未来に見出している人等と
同じような意味に感じている。
事実、臆病者と思われるまわりの人は、
その場では前へ出ないが、
だからといって、逃げるばかりでなく、
その後の人生で自分の居場所を見つけ
光り輝いたりする。
意味はどうでもいいのかもしれない。
ただ、臆病であることは、
決してマイナスではない。
気が大きくなったり、
勇敢過ぎて、
人生に傷をつくるより、
建設的な人ともいえる。
人生は長い旅。
無事之名馬という言葉もある。
臆病であることを武器にできたら、
その人生もまた、
素晴らしいものになるはずだ。
(今日のコトバ)
「金持ちになりたい」と
人生の前半を生き、
「健康でいたい」と
人生の後半を生きる。
そして、「幸せになりたい」と
一生を生きていく。
若き日は、とにかくお金が欲しかった。
余程の財閥に生まれない限り、
若者はみんな金欠。
「もっとうまいものが食べたい」
「もっと高価なものが欲しい」
「世界中を旅したい」
「徹底的に趣味に没頭したい」等。
そのすべてにお金がかかる。
そして、どこかで金が足らない。
だが、夢と希望だけはたっぷりある。
青春の日々ともいえる。
で、お金がある程度貯まって、
経済的な自由になる頃はどうだろう。
余程の高望みをしなければ、
何でも買えるのだが、
年齢も人生の後半戦となり、
体調のベストが続かない。
ほぼ毎日、どこかが変調をきたし、
騙し騙し生きている。
誰もが同じような気持ちに
なっているのではないか。
そんな中でも、
一生を通して「幸せになりたい」と、
どこかで考えているのも事実。
お金があってもなくても、
健康であってもなくても、
「今日を幸せでいたい」
「明日はもっと幸せになりたい」
そう思って生きている。
おそらく、
「幸せになりたい」という気持ちは
一生続く。
言葉にすると、
人は幸せ追い人。
だからこそ、
一生を前へ前へと進んでいく。
人は、特別な生きものなのだ。
(今日のコトバ)
許せ、忘れろ、
そして、時々思い出して笑え。
人間には忘れる能力がある。
ある状況から時間が経てば経つほど、
物事は忘れていく。
まったく忘れるもの。
うろ覚えもあるが
忘れている部分が多いもの等、
忘れるものにはいろいろある。
ただ、忘れられるからこそ、
次に進めることが多い。
仮に、すべて記憶していて、
何でも思い出せたら、
生きることが苦しくなる。
いい事だけでなく、
嫌な事、
ワルい事も思い出したら、
疲れてしまうだろう。
そのためにも忘れられることは、
一つの特出した能力なのだ。
その忘れる能力があるから、
許すこともできる。
自分が被害を受けたと思って
許せないことも、
忘れてしまえば許せることもある。
世の中を生きていくには
許しあいが大切。
ちょっとやられた事を許せずに
いたら、生きていくことは難しい。
たまにあやふやに覚えている事は、
笑ってすませることが多い。
忘れる力を存分に使って、
人生を生きていこう。
(今日のコトバ)
天才とは、
若き日に伸びしろを使い切った人。
凡才とは、
一生懸けて伸びしろを使い切る人。
早熟で才能を発揮する人を、
天才と呼ぶ。
たしかに、
その普通の人ができないことを
軽々とクリアしたり、
独創性のある表現ができたり、
若いけれど特出できることは凄い。
ただ、この早熟の天才たちも弱点はある。
たいがいの天才が年齢を重ねるほど、
特別ではなくなっていく。
普通の人になったり、
それ以下の評価しか受けない人になる。
反対に、青春を過ぎて、30歳を越えて、
40歳を越えて実力を発揮する人もいる。
若き日、天才と呼ばれていない人たちだ。
早熟の天才に対して、
遅咲きの凡人とでもいおうか。
神様は「努力は裏切らない」と、
誰にでもチャンスを与えている。
そんなことをいう人もいる。
だが、それよりもピンとくるのは、
伸びしろの使い方のような気もする。
天才は伸びしろを早く使ってしまう。
凡人は人生すべてを
使って伸びしろを使う。
この意見が正しいとはいわないが、
一つの意見としてあってもいい。
天才ではない人々は、
人生のレースのゴールに近いところで、
自分史上最高を更新する。
どんな生き方にも、
チャンスがある。
そんな気持ちにしてくれる考え方。
天才に生まれなかった自分だから、
強く思うのだ。
(今日のコトバ)
前向きは、
人生の風向きも
変えてしまう。
不機嫌な人がまわりにいると、
気分が不快になる。
反対に、前向きな人、
機嫌がいい人がいると、
気分は快適になる。
まわりの人を気持ちを
元気にもする。
それだけでもいい気を
つくっているのだが、
前向きな人には人が集まる。
いい気を感じるのだから
あたりまえかもしれない。
そして、前向きな人は運もいい。
自分が前向きに捉えると同時に、
人が集まり情報が集まる。
本人次第だが、
集まった情報でいいと思う運を
選択できる。
「前向きに生きる」
言葉でいうほど簡単ではない。
だが、この考え方と行動で
運が開けるとしたら、
やってみる価値はある。
人生は短い。
運を切り開いて
有意義な人生にしたいなら、
前向きに生きてみていいと思う。
(今日のコトバ)
敗北という後遺症が長引くのは、
立ち止まっているからです。
負けてしまうと、
一気にやる気がうせる。
敗北感に苛まれ、
動くこともできなくなる。
良い結果でなかったから、
あたりまえといえば
あたりまえだ。
だが、負けた時にいちばん
後を引くのは、
そこで立ち止まってしまうこと。
体は立ち止まってるのだが、
頭はワルいイメージが
ぐるぐる巡る。
敗北の二文字が心に重くのしかかり、
けしていい状態ではない。
では、どうしたら負けの後遺症から
逃れられるのか。
それは、とにかく動き出すこと。
疲れていても、
気持ちが落ち込んでいても、
まずは動く。
全速力でなくていい。
ゆるいペースでいい。
動きはじめれば、
負けた気持ちから
新しい気持ちに切り替わっていく。
一気にではないが、
徐々に変わっていく。
もっというと、
負けた気持ちも
動けば振り落としていける。
負けて落ち込んでいる時は、
とにかく動き出す。
その意識を忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
真実は悲しみを
生むこともあるから、
嘘はいつまでも重宝されるのだ。
辛い決断を
伝えなければいけない。
そう思う時、
たいがいが真実を伝える時だ。
できれば伝えたくない。
相手が望んだ
良い結果ではないのだ。
その時、ふと嘘が頭をよぎる。
この場を穏便にすますために、
嘘で逃げ切れないだろうか。
結局はそうもいかなくて、
真実を伝える。
ただ、ケースによっては、
重要ではない決断の時は、
嘘で逃げ切るのもありだと考える。
だから、嘘はなくならない。
否、嘘にも使命があると思えるのだ。
社会の中で生きる人間は、
自分の一面だけでは生きていけない。
自分の多面性を駆使して生きている。
当然、辻褄が合うものあれば、
合わないものもある。
その辻褄の合わないもの調整して、
社会を穏便にしている。
そこにに嘘の効力がある。
嘘の使命は、
社会を穏便するために
一役買っているのだ。
(今日のコトバ)
夢に飯を喰わせよう。
夢で飯が喰えるように。
誰でも夢を持つ。
「夢で生きていけたらいいな」と
思う。
だが、夢を実現するためには
さまざまな壁があって、
どこかで挫折したり、
あきらめたりする。
「夢で飯を喰う」なんて
簡単には実現できない。
ただ、夢を実現するために
どれだけのことをしたかというと、
まだまだ努力が足りないこともある。
夢に憧れているだけでなく、
夢を実現するために行動を起こす。
とにかく夢実現のために、
足りないものを一つ一つ埋めていく。
そのために、
夢にスケジュールをつくって、
夢達成の期限を決める。
「3年後の3月31日まで
夢を実現する。
そのために〇〇を〇〇月まで。
△△を〇〇までに行う等の
スケジュール表を作成する」
漠然と憧れのではなく、
具体的にイメージしていく。
そこへ向けての行動が、
夢実現へのエンジンになる。
夢実現のために
具体的に行動しよう。
(今日のコトバ)
言い訳を得意技にしても、
フィニッシュホールドにならない。
反射的に言い訳をする人がいる。
言い訳アスリートとでもいおうか。
とにかく言い訳する準備をしている。
やりたくない、
めんどくさいことは、
言い訳してやらない。
そんな人がまわりに必ずいる。
ただ、言い訳ばかりしていると、
当然、良いチャンスも逃してしまう。
それは仕方ないとして、
言い訳ばかりする人は、
信頼も構築できない。
結果、知らず知らずのうちに
仲間の輪からも外れてしまう。
寂しい状況に置かれることもある。
言い訳が嫌な事から逃げるつもりが、
自分が嫌がられる原因になる。
だとすれば、
言い訳をどうするかを
考えることが大切。
瞬時に、
いつでも言い訳をするのではなく、
基本は言い訳をしない。
何事も肯定していく。
どうしても納得できないものだけ
言い訳というよりは、
納得できない旨を伝える。
自分が嫌われないために
言い訳を考えて使うのだ。
(今日のコトバ)
「いまからでも遅くない」
そう思った瞬間、
時間は自分の支配下になる。
最大限有効に使えるのだ。
「まだ遅くない」
何かはじめる時に、
だれかれとなく、
まわりの人がささやいてくれる。
本来は遅きに失することは
多々あって、
あからめなければならないこともある。
精神論として、
「まだ遅くない」
そう暗示をかけて前へ進む。
そのうちのごく少数だけが、
遅さに関係なく成功したりする。
では、「まだ遅くない」とは、
どんな効果を人間に与えるのか。
それは、「まだ遅くない」と思うと、
自分の中で時間を管理しようとする。
結果、それまで以上に時間が
自分のものになる。
時間を有効に使えるようになるのだ。
そう考えると、
「まだ遅くない」と思うのも、
人生にとってプラス。
特に、時間の使い方にとっては、
大きなプラスになる。
時間を人生の武器するために、
「まだ遅くない」は
大いに役立つのだ。
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