自分のループ

 

(今日のコトバ)

 

自作自演を、

自画自賛して、

自業自得に陥る。

そして、また自問自答するのが

人生だ。

 

 

自分は稀有な生きものである。

自分自身であるのに、

まったくとらえきれていない。

そもそも人と対峙する瞬間から

自分を演じる。

演じた自分を理解してくれる人には、

自分の力を誇示しようとする。

自慢などという評価を下すと、

結構な確率で自業自得に陥る。

その後、後悔したり、

反省したりで自問自答が始まる。

なんだか、そのループを

何度も繰り返しているような気もする。

とらえどころがあるなら、

何度もループを繰り返さない。

常に修正して正しい軌道を描こうとするはず。

ループをよくよく考えてみると、

笑ってしまうぐらい同じことをしている。

それが喜劇に見える人もいれば、

悲劇的に見える人もいる。

もっというと、茶番劇に見える人もいる。

だが、それが自分の人生。

直せない自分の人生。

だからこそ、

自分という人間をみんなが認知するのだ。

プランBを用意する

 

(今日のコトバ)

 

人生は、

どんな時もプランBを用意しろ。

 

 

生きていると、

何かを

提案しなければならない時がある。

会社のプレゼンテーションではなくても、

「あなたの考えは何?」と

訊かれることがある。

その時、一つの答えだけ用意すると

突破できないこともある。

経験上、その答えが良い答えでも、

比較するものがないと

納得されない。

一案だけだと、

考えてないと思われることもある。

だからこそ、

何か提案を要求された時は、

プランBを用意する。

プランAとはまったく別の切り口の

プランBを用意する。

それだけで、かなり正しい評価を

してもらえる。

頭を少し回転させて

一案プラスする。

その一案があるかないかで

自分の評価が変わる。

自分の信頼は変わるはずだ。

 

人と結びついて才能を開花

 

(今日のコトバ)

 

人脈は、

才能の宇宙を無限に広げる。

 

 

誰しも才能はある。

それが開花する人もいるし、

しない人もいる。

その差はどこにあるのだろう。

もちろん、努力をすることは

前提として、それでも、

開花する人としない人がいる。

傍目で見ていると、

一つ気づくことがある。

開花する人のまわりには

人がいるということ。

もっというと、

大きく開花する人のまわりには、

才能豊かな人が集まっているということ。

自分一人の才能ではなく、

人と結びつきながら、

才能を発揮していく。

人脈ともいうべき

ネットワークを駆使し、

自分の才能を開花させる。

一人の才能には限界がある。

そのことを理解し、

自分の足りないところを

足してくれる人と結びつく。

自分の才能を開花させるためには

大切なことかもしれない。

毎日、新しい問いから始まる

 

(今日のコトバ)

 

人生は毎日が答え合わせ。

そして、合わせた答えが

明日の問いになるのだ。

 

 

 

人生の正解って何だろう。

正解があるようで、

ないような気もする。

正しくいうと、

正解だと思ったものが、

時間が経つと不正解になってしまう。

正解があるなしで括ろうとすると、

難しいことになる。

だとしたら、

こんな考えはどうだろう。

人生は毎日が答え合わせ。

その日その日の正解はある。

だが、明日になれば、

その正解が新たな問題になる。

昨日までは正解だったが、

今日の正解とは限らない。

そう考えるところから、

新しい日が始まる。

そんな気持ちで生きていければ、

人生の正解・不正解に惑わされず、

生きていけるのではないかと思う。

本当の負けず嫌い

 

(今日のコトバ)

 

負けず嫌いを自称する人は、

本当の負けず嫌いではない。

本当の負けず嫌いは、

勝っても、負けても、

黙って前進していく人。

 

 

「負けず嫌い」

そう自称する人がいる。

確かに、少々のことに

負けるのを避けたいと

意地を張る人がいる。

ただ、本来の意味の負けず嫌いではない。

自分のまわりにいる人で、

負けず嫌いという人は、

ほとんど本来の意味での

負けず嫌いではない。

負けず嫌いというよりは、

負けるのが嫌いというべきか。

では、本当の負けず嫌いとは

どんな人なのか。

それは、勝っても、負けても、

前進していく人。

勝ち負けに一喜一憂せず

自分の信じた道を歩き続ける人。

そういう人がまわりにいると、

負けず嫌いな人だと思う。

いま、負けず嫌いと声高にいう人は、

少し冷静になった方がいい。

負けが嫌いな人が偉そうに

自分を高みに

置いているだけではないか。

できれば、

本当の負けず嫌いといわれて

生きる。

その方がかっこいいと思う。

年齢は勝負の価値観を変える

 

(今日のコトバ)

 

若いうちは、

引き分けは負けに等しい。

年をとると、

引き分けは勝ちに等しい。

 

 

若き日は、

情熱が沸騰するのも早い。

好戦的になり、

肩が触れると

ケンカしてしまうような時期もある。

当然、絶対に勝ちたいという

気持ちになる。

負けはいうに及ばず、

引き分けですら納得できない。

体力・気力が充実していると

わかる気がする。

だが、年をとって体力・気力が

若き日と違ってくると、

勝負の価値観が違ってくる。

絶対勝つ!という気持ちが

減っていき、

「負けなければ儲けもの。

引き分けで充分及第点」と

思うことが増えてくる。

それは仕方ないことと

言い切れないが、

それで世の中が

上手く回っているともいえる。

もちろん、

若き日から勝負に

こだわらない人や、

年をとっても勝ちにこだわる人もいる。

ただ、年齢は勝負の価値観を変える。

熱い人ばかりでも、

枯れた人ばかりでも、

世の中はうまくまわらない。

そんな気がするのだ。

 

準備も未来の作業

 

(今日のコトバ)

 

未来に行く前に、

未来を整える方法がある。

準備である。

 

 

 

未来には期待する。

大きな期待でなくても、

「明日は何とかなる。

明日は、きっと、いい日になる」と

期待してしまう。

ただ、期待通りに人生は動かない。

失望や喪失感にさいなまれることもある。

だからこそ、準備が必要になる。

未来をよりよい時間にするために

準備をする。

では、準備とは何か?

それは未来に想定されることを

予想し、そこでミスないように

身の回りを整理すること。

これができれば、

未来が予想通りであった時、

たいがいのことが無事にすむ。

仮に、想定外の未来でも、

準備があれば、

最小限の傷ですむ。

だからこそ、準備が必要。

準備をただの用意ではなく、

もう未来の作業をしていると

思いながら行動する。

それだけで未来が希望になる。

人生の未来の時間が大きくなるような

気がしてくるはずだ。

夢に近づくと、夢中になる

 

(今日のコトバ)

 

夢を目の前にすると、

全速力がマイペースになる。

 

 

夢中になる。

没頭する。

一心不乱になる、、。

夢に近づいていることがわかると、

全人生が全集中して邁進していく。

余計なことを考えないで、

人生の時間を無駄なく使い切れる。

誰しも一度は

そんな状況になったことがあるはずだ。

「夢に近づくと、夢中になる」

だとしたら、

いつでも夢の近くにいた方がいい。

自分の目指す方向の夢をつくり

前進していく。

夢が現実に近づけば近づくほど、

やりがいを感じ、充実感を感じ、

集中していく。

人生において、

もっとも素晴らしい時間ができる。

自分から夢に近づき、

さらに自分を進化させていくのだ。

 

傷つけると、傷つく

 

(今日のコトバ)

相手を傷つけてしまった傷は、

自分の傷より長く痛む。

 

 

諍いがあって、

人を傷つけてしまう。

自分の正論・自分の正義を押し通し、

相手の心をねじ伏せる。

一時的に自分の気持ちはスッキリするが、

時間が経つと心がヒリヒリ痛む。

その痛みが消えるまで、

結構な時間を要す。

そんなことは誰にでもあったはずだ。

傷つけられることも痛いが、

相手の心を傷つけてしまうと、

その傷つけたことで

傷ついた自分の心は長く痛む。

そう考えると、

相手を傷つけない方法は

なかったか少し考えて

行動することが大切。

頭にある考えは自由でいいが、

口に出すには冷静になる必要がある。

特に、自分の近くにいる人には

口にする言葉を丁寧に伝える。

それだけで自分が傷つかなくてすむ

可能性が大きくなる。

相手の心を傷つけずに

よりよいコミュニケーションを

続けられるはずだ。

身の丈に合った可能性

 

(今日のコトバ)

 

「ちょっと無理なこと」が、

その人の可能性です。

 

 

可能性って何だろう?

途轍もない

自分の成長のような気もするし、

限界を超えるまでの

挑戦のような気もする。

どちらも間違っていないと思うが、

そうなると可能性を可能にするのは、

一生懸けての挑戦になってしまう。

それほどおおげさでなく、

自分の身の丈にあった可能性の

考え方はないのか?

そう考えると、

一つの言葉が浮かぶ。

ちょっと無理そうなことへの挑戦。

日々の暮らしの中で、

「ちょっと無理そうだけど、

やってみよう」という言葉を

何度がつぶやいてきた。

もしかすると、

そのちょっと無理そうなことが

自分の身の丈にあった

可能性なのかもしれない。

途轍もなく

限界を超えたものでもない。

できるかできないかの

境界線にあるもの。

そこへなら挑戦できる。

そこへトライしていく。

繰り返しトライしていくうちに、

自分の可能性が大きく広がっていく。

そんな人生なら素晴らしいと思う。