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(今日のコトバ)
本物の負けず嫌いは、
自分に負けない人だ。
負けず嫌いという人がいる。
多くは自称・負けず嫌い。
自分で「私は負けず嫌いだから」
という。
ただ、端で見ていると
自称・負けず嫌いは、
本当の負けず嫌いではない
場合が多い。
自分では
負けず嫌いと思っているが、
嫌いなことを
はっきりいえるだけだったり、
好き嫌いが
はっきりしているだけだったり、
わがままなだけだったり、、。
負けず嫌いではない人が多い。
では、本当の負けず嫌いとは
どんな人だろう。
それは、自分の掲げた目標を
達成し続ける。
どんな困難でも立ち向かって、
乗り越える人のような気がする。
自称しなくても、
まわりの人が
負けず嫌いを認定してくれる。
哲学を不変に生きていいる。
「負けず嫌い」
自分の目標を達成し続ける
本物の負けず嫌いだと、
かっこいい人生を送れると思う。
(今日のコトバ)
「明日やる」は、
運も明日へ
先送りすることになる。
「できることは、
今日やってしまう」
これさえできればいい。
そう思っている。
だが、どこかに
なまける気持ちがあると、
「明日延ばしにしよう」と
思ってしまう。
それも一つの考え方だ。
だが、明日延ばしにすると、
明日はじめから
作業を増やす。
今日やってしまえば、
明日はもっと身軽にできたのに、
最初から荷物を多く
運ぶことになる。
さらに、その作業をすることで
今日出会うであろう出来事にも
出会えない。
新しい出会いにも
明日延ばしになる。
いい、ワルいではない。
ただ、どちらが得かを考えると、
今日できることは
今日やってしまう方が
得のような気がする。
もし、明日を少しでも
楽を考えるなら、
今日やれることは
今日やってしまう。
その積み重ねが
人生を大きく楽にする。
そう思うのだ。
(今日のコトバ)
いつも同じ顔をしてあげるという
優しさもある。
いつも同じ態度で接する。
それも一つの優しさ。
どんな時も、
一喜一憂せず接してくれると
安心感が生まれる。
決して刺激的ではないが、
優しさは伝わってくる。
本当の絆を結ぶためには、
そんな状況が必要。
いつも変わらず、
いつも優しさで待ち受ける。
自分がそうでありたいし、
側にいる大切な人にも
そうあって欲しい。
人生という荒波で生きいく上で、
優しさは必須。
自分にも、
他人にも、
優しい環境を
つくれるようにしよう。
(今日のコトバ)
希望とは、
これから歩くべき道を
照らす光だ。
人は生きるだけで
前へ進んでいる。
明るい日という明日に
向かって生きている。
誰もが明るく
前へ進んでいるのでないことは
わかっている。
だが、一日一日と前へ進んでいる。
なぜ、そう思うのか。
それは、希望があるから。
小さな希望、大きな希望あるが、
必ず今日という日に希望がある。
希望は人生の相棒といっていい。
だからこそ、
どこかに期待感がある。
そして、
悲しい時も、寂しい時も、
希望はある。
失望した時も、絶望した時も、
希望はある。
希望は人生と相棒なのだから、
どういう状況であっても
失うことはない。
素晴らしい人生のために
希望はいつもある。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
明日になれば、
雲一つない希望が生まれる。
どんなに今日失望しても、
明日になれば希望が生まれる。
否、失望した瞬間から
希望が生まれている。
誰でもわかることだが、
失望だけでなく、絶望も、
あるいは、悲しみ、苦しみという
人生で出会いたくないものは、
時間と共に消えていくことが多い。
考えてみれば、
生まれてからの失望、絶望、
悲しみ、苦しみを
全部背負っていては、
ここまで
生きてこれなかったと思う。
ただ、希望はどんな時も消えない。
失望、絶望の後も誰かの優しさに
希望を感じたり、
新しい夢に希望を感じたり、
お腹を満たしたいという欲に
希望を感じたりもする。
もちろん、小さな希望、
大きな希望の違いはある。
だが、どんな時も希望がある。
さらにいえば、
明日も決してなくならない。
明日がなくなるのは、
命果てる最期の一日だけ。
希望と明日は、
生きる限り無くなることはない。
素晴らしい人生にするために、
肝に銘じていいことだ。
(今日のコトバ)
なにも人類の先頭に
立つわけではない。
まわりを見渡しながら、
自分のポジションを
決めていけばいいのだ。
自分のポジションを決める。
働く場でも、
学ぶ場でも、
趣味の場でも、
人は自分のポジションが
決まってくる。
そのポジションが
自分の思い通りの人はいい。
問題は
どうも自分のポジションではない、
居心地がワルいと思ってしまう人。
ここは自分の場所ではないと
思ってしまう。
なんとかしたい。
自分らしくないが
波風立てたくないので、
自分らしくないポジションを
演じていく。
それも一つの考え方だが、
いつまでも
自分らしく生きられないと
しんどくなる。
では、どうすればいいか。
まずは、自分らしくいられる
ポジションに動いてみる。
認められれば、
それが一番いい。
だが、そうもいかない時もある。
そういう時は、
自分らしいポジションでいられる
場所に移ってしまう。
移れるでなら、
どんどん移ってしまう。
人生は一度きり。
自分らしくない
場所で生きるのは、
いい想い出にならない。
もっというと、
自分の良さを
発揮することも難しい。
だから、
自分らしいポジションは、
自分で環境をつくる。
それぐらいの気持ちで
生きていく。
有意義な人生にするためには
大切なことだ。
(今日のコトバ)
生き延びろ。
人生はまだ見ぬ絶景を
用意してくれている。
「生き延びろ」は
大袈裟かもしれないが、
辛くて、しんどくて、
今日を生きるのが
やっとな時がある。
だが、そんな辛いこと、
しんどいことも、
何か月、何年かすると、
まったく忘れてしまうことがある。
辛いこと、
しんどいことを乗り越えて、
次に見た
景色が素晴らしかったり、
もっと生きることが
楽しくなったり、
昔の自分より
自信を持てたりすることもある。
だから、もう少し生きてみる。
もう少しでいいのだ。
少しずつ光を求めて、
光を見つけて、
生きてみる。
そこから、
新しい人生が見つかる。
生きることとは、
新しい景色を
見つけることなのだ。
(今日のコトバ)
一言で変わる。
一歩で変わる。
一撃で変わる。
一瞬で人生は変わる。
人は変わる?
人は変わらない?
変わる変わらない論争がある。
「あの人は、やっぱり変わらないよ」
「あの人は、180°変わった」等、
人によってさまざまだ。
ただ、長く生きているといえるのは、
人は一瞬で変われるということ。
考えてみて欲しい。
一言いったから、
状況が変わってしまった。
一歩踏み出して、
状況が変わってしまった。
一撃を放ったから、
状況が変わってしまった、、。
誰にでもそんな経験が
あったはず。
もっというと、
そんな一瞬の連続が人生だ。
だとすれば、
人は日々変わっていく。
良くとらえれば、
日々進化している。
ワルくとらえれば、
日々退化している。
そう考えて、
人生の日々を生きていく。
「今日も変わっている。
頑張ったから進化している」と
思いながら生きてみる。
一日一日をムダにせず
生きるためには
いい考え方だと思う。
(今日のコトバ)
人生のホームランは、
空振りが起こした
風に吹かけれても
生まれるのだ。
人生で大成功を収めたい。
ホームランのような
素晴らしい結果を残したい。
誰しも一度は思うことだ。
そのために、
力をつけて大きく成果を出す
力をつけることは大切。
日々の努力がものをいう。
ただ、人生の場合は、
ホームランにならなくても、
ヒットの連続やバントで
大きな結果を出すこともある。
もっといえば、
空振りであっても、
その振り方が素晴らしくて
まわりの人を魅了すれば、
大きな結果につながることもある。
つまり、人生は打率より
打席に立つことが大切。
打席に立てさえすれば、
何が起こるかわからない。
人生が成功するだけでなく、
もちろん失敗することもある。
ただ、
人生は打席立つことが
一番大事。
成功の芽は打席から生まれる。
打席に立てる人生をおくろう。
(今日のコトバ)
驚きの前で、
人は素直になる。
「サプライズ!」
その後の人の心は一様に
同じになる。
それは、素直になるということ。
心が奪われているからか
わからないが、
何でも信じてしまう。
もし、いま自分に
素直さが足りないのなら、
人生に驚きをつくればいい。
素直に聞き入れられる。
素直に行動できる。
素直に生きられる、、。
斜めに見たり、
天邪鬼になったりせず、
まっすぐな気持ちを持てる。
驚きの気持ちを
いつもいつもとはいかないが、
回数を増す工夫をする。
それだけで、素直に生きられる。
そう信じて、
驚きある人生をおくろう。
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