誇りとは一生懸命生きた代償

 

(今日のコトバ)

 

故郷を誇れる人こそ、

ほんとうに

誇りのある人だと思う。

 

 

自分の故郷に何を思う?

懐かしいと思うか、

最高と思うか、

思い出したくもないと思うか、

最低と思うか、、。

人それぞれだろう。

ただ、一生懸命生きてきた人は、

たいがい故郷を誇りに思っている。

いい事、ワルい事あったはずだが、

それでも誇りに思っている。

では、誇りとはどういう意味か。

それは、

一生懸命生きた代償ではないか。

一生懸命になった記憶が

あるから自信になる。

生きていく上での姿勢になる。

その原点が故郷にある。

そう思うと、

故郷を誇りに思える人は、

一生懸命生きた人といって

いいのではないだろうか。

もちろん、故郷は

同じ環境ではないから、

誰にでもというわけにはいかない。

ただ、故郷が誇れる人は

ほんとうに

誇りのある人だと思う。

 

奇跡から奇跡へのリレー

 

(今日のコトバ)

 

足跡を残して歩み、

爪跡をつけて駆け上がり、

傷跡を刻んで生きていく。

そして、人生は奇跡を生むのだ。

 

 

毎日、現実にさらされれば、

体や心に傷の一つや二つ

刻んでしまう。

長く生きれば生きるほど、

その傷跡は増えていく。

だが、

それはワルいことではない。

傷跡があるから、

生きることに強くなれる。

人生は傷の上に

成り立っているといっても

過言ではない。

そして、その傷が生み出すのが

生きる奇跡。

毎日という日常は、

奇跡から奇跡のリレー。

24時間という時間を

頭が埋めてく奇跡のプレイ。

誰も自分の人生を変われない。

人生という時間から

奇跡から生まれていると

思うと、

一日一日が愛しくなる。

だからこそ、

「毎日は奇跡でできている」

そう信じて生きていこう。

 

普通の幸せを探す

 

(今日のコトバ)

 

普通の人は、

お金が足らないという。

お金持ちは、

幸せが足りないという。

幸せな人は、

普通に満たされているという。

 

 

 

人間はないものねだりだ。

何かが満たされたら、

何かが足りないと思う。

その繰り返しが

人生をつくるといってもいい。

足りないものが

夢や目標になることもあるから、

ないものねだりも

ワルいことではない。

ただ、常に足りないと

思ってばかりでは、

いつか自分が枯渇する。

では、

満たされている人は

どういう人だろう。

それは紛れもなく

幸せな人。

そして、幸せだな思う人を

よく見ると、

一つのことに気づく。

それは、普通のことでも

満足していること。

幸せの設定を

高いところに置かず、

毎日の中から探し出す。

幸せを

感じられる状況にする。

そんな人は、

いつも幸せな人だ。

もし、いま、

自分に幸せが

足りないと思ったら、

幸せの設定を

普通のことに合わせてみる。

それだけで、

幸せ満たされた人生を

送れるはずだ。

 

突破口は全方位で考える

 

(今日のコトバ)

 

前進ばかりが突破ではない。

逃げる、止まる、戻る。

どこからでも突破はできるのだ。

 

 

何かを突破しようと思うと、

とにかく猪突猛進、

前進あるのみと

思いがちだ。

勢いがある時なら

それもありかもしれない。

だが、勢いがない時や

苦戦、防戦の時は

そうもいかない。

では、どう突破すればいいか。

考え方として、

全方位で考えてみる。

逃げてみるとどうなるのか?

このまま止まっているのは

どうなるか?

来た道を戻ってみると

ヒントはないか?

前進一択ではなく、

あらゆる突破口を

シュミレーションしてみる。

そこから前進以外の

突破する方法が

見つかることもある。

突破口を見つけるには

全方位で考える。

覚えておいて

いいことだと思う。

 

いいことは幸せの領域

 

(今日のコトバ)

 

人間として

生まれてきたんだ。

一生分の幸せを使って

生き抜こうじゃないか。

 

 

 

生まれてから

命が終わるまで、

どれだけの幸せと

めぐりあってきただろう。

数など数えきれないが、

幸せとはめぐりあってきた。

ただ、

幸せとたくさん

めぐりあっていると思う人と、

そうでない人がいる。

できれば、誰もが幸せと

たくさんめぐりあっている

人生にしたいと思うだろう。

では、どうしたらいいか。

それは、幸せのハードルを

下げてみる。

朝起きてから夜眠るまで、

自分に起こる幸せを数える。

「朝晴れていた」

「おいしい食事を食べた」

「好きな人と話せた」

なんでもいいのだ。

自分に起こったいいことを

幸せの領域に入れてしまう。

それだけで、

ちょっと楽しく生きていける。

生きていると自分のまわりに

たくさんの幸せが起こる。

そのことをしっかり覚えておこう。

 

夢への握力づくり

 

(今日のコトバ)

 

努力は、

夢をつかむための握力となる。

 

 

成就する努力もある。

が、成就しない努力もある。

一生懸命頑張っても、

自分の求めた結果には

ならなかった。

そんな時、

今までの時間は

何だったんだろうと

思ったりする。

人生で何度も

感じることかもしれない。

もちろん、

努力すればほぼ確実に

目標を成就する人もいるだろう。

反対に、努力しても

ほとんど目標が成就できない人も

いるかもしれない。

では、努力をどう考えたら

いいのだろう。

もしかすると、

夢をぎゅっと握る握力づくり、

目標に手をかけるための

握力づくり、、。

あらゆる成就のための

握力づくりだと思えば、

少し納得できる。

成就しない結果を

努力のせいにするのではなく、

努力も一つの手段として考える。

それだけで、

努力の役目もはっきりして

努力の仕方が明快になる。

努力は夢をつかむための

握力づくり。

そう思って生きていこう。

 

 

足りないものをうめていくのが幸せ

 

(今日のコトバ)

 

足りないものは

いっぱいあるけど、

幸せだって

いっぱいあるのが人生だ。

 

 

いつも何か足りないと

思っている。

その足りない何かを

埋めるために、

今日があるといってもいい。

何かを得るために、

今日という日を生きる。

そして、

何かを得るために

生きることの中で、

幸せはたくさん生まれる。

感動、成功、勝利、

奇跡、、。

たくさんの幸せの要因が

生まれる。

だからこそ、人生は面白い。

足りないものを

埋めていく。

それこそが、

人生を面白くする

最高のアイテムであることを

忘れてはいけない。

 

 

おいしい話には何か盛られている

 

(今日のコトバ)

 

うまい話には、

キレイに不幸がもられている。

 

 

まわりにも一人ぐらいいる。

何かとおいしそうな話を

持ってくる人。

だが、たいていの場合、

偽りだったり、誇張だったりで、

おいしい話でも何でもない。

むしろ、

その話に乗ってしまうと、

とんでもないことに

なることが多い。

詐欺師、ペテン師、嘘つき、、。

呼び方はいろいろあるが、

それらの人は、

おいしそうな話を持ってくる。

持ってくるというより、

盛ってくるというべきか。

だからこそ、

おいしい話には

自分も慎重になっていい。

おいしい話には

裏がある。

疑うぐらいでちょうどいい。

半信半疑でいい。

後悔しないために

肝に銘じて生きていこう。

 

前を向く人と付き合っていく

 

(今日のコトバ)

 

上しか見ていない人も、

下しか見ていない人も、

「人間」をちゃんと

見ることはできない。

ちゃんと見る人は、

前を見ている。

 

 

 

例えば、会社によくいる

上ばかり見ている人。

上の人だけの話に耳を傾け、

下の人を小ばかにする。

上昇志向の塊かもしれないが、

ちょっと近くにいると

お付き合いしたくないと思う。

反対に、

ネガティブな発言が多く

クヨクヨばかりしている人で、

明るい話の腰を折ったりもする。

こちらまで暗くなる人も

距離を置きたい。

上ばかり見ている人も、

下ばかり見ている人も、

ちゃんと付き合っていくのは厳しい。

では、どういう人と付き合うべきか。

それは、いつも前を向いている人。

何事も肯定的に捉え、

すぐに行動する人。

そんな人といると、

こちらまで前向きになれる。

前向きが

伝染するといってもいい。

だからこそ、できる限り

前を向く人と付き合っていく。

それだけで、

人生を明るい気持ちで

生きていけるはずだ。

「みんな」を簡単に使わない

 

(今日のコトバ)

 

嘘つきは、

「みんな」という枕詞を使う。

 

 

 

「みんながいっている」

「みんなやっている」

「みんな信じている」など。

「みんな」という言葉を

枕詞にして、

自分の主張を肯定させようとする。

「みんな」で

あるはずはないけれど、

主張に力を持たせるために、

みんなといってしまう。

正確にいえば、

「みんなが、、」といった時点で

ほぼ間違っているのだが、

気をつけていないと、

自分でも「みんな」を使ってしまう。

そして、嘘を平気でつく連中は、

結構な確率で「みんな」を使う。

何も悪気があって

使うことばかりではないだろうが、

「みんな」という言葉を

いいように使う。

だとしたら、

自を正しく理解されたい、

嘘つきと思われたくない時は、

「みんな」という言葉を使わないと

決める。

それだけで、自分の信用度は上がる。

「みんな」を連発する人より、

信用がおける。

「みんな」という言葉に

注意して生きよう。