その地点から、もっと上を

 

(今日のコトバ)

 

失敗した場所は、

もっとも成功に近づいた場所。

敗北した場所は、

もっとも勝利に近づいた場所。

 

 

一生懸命生きていても、

失敗することもあれば、

負けてしまうこともある。

人生は、

どちらかというと

成功よりは失敗が多く、

勝利よりは敗北が多い

気もする。

ただ、

懸命に取り組んだもので、

失敗や敗北したものは、

その地点が現状の最高到達点。

いちばん実力を発揮した地点。

そう考えると、

成功や勝利にいちばん近づいた

地点ともいえる。

だとすると、

その地点からもっと上を

目指せばいい。

あきらめる必要もない。

そこから、また、

挑戦すれば、

成功や勝利への確率は

もっと上がる。

懸命に頑張ったことは

無駄にならない。

そんな気持ちで生きていこう。

 

守られて生きている

 

(今日のコトバ)

 

生き残れたのは、

攻められた数より、

守られた数の方が

多かったから。

守られた人間だから

生きているのだ。

 

 

運とか、偶然とかではなく、

いま、生きているのは、

誰かから

守られたからだと思う。

考えてみて欲しい。

攻められること、

責められることが、

守られことより多かったら、

生きていられるだろうか。

平凡な日を

過ごしていられるだろうか。

激動な日を

生きていられるだろうか。

どんな人も

世の中の出来事から

守られたから生き残ったのだ。

その意味を忘れてしまうと、

人生を間違った方向に

進めてしまう。

「守られている」

そのことをいつも

心に刻んで生きる。

つまり、

毎日を感謝して生きる。

道を間違いないために

大切なことだ。

 

 

昨日より今日という思い

 

(今日のコトバ)

 

今日、

昨日より歩きやすい道を

探すのが人生だ。

 

 

今日を生きている。

なぜ、今日を生きるのか。

夢や目標を叶えるために

生きている人もいるだろう。

漠然と生きている人も

いるだろう。

楽しみながら生きている人、

苦しみながら生きている人、

様々いるはずだ。

ただ、一言いえるのは、

心の片隅で

「昨日よりいい今日にしたい」と

思っていること。

昨日良いことがあった人は、

さらに良いことあって欲しい。

昨日良くないことがあった人は、

良くなることがあって欲しい。

そう心のどこかで思っている。

人生は長く続く道。

良いことと

良くないことが

交互にやってくる。

その出来事を

人生では歩きやすい道に

変えたいと思っている。

昨日より今日という

思いの連続が、

人間を成長させるのだ。

 

 

自分の名前

 

(今日のコトバ)

 

傷ついたのは、

自分の名前を守ったからです。

 

 

 

なぜ人は傷つくのか?

よくよく考えてみると、

一つの思いに到達する。

それは、自分の名前を

守ろうとするから。

攻撃されて傷つく。

嫌われて傷つく。

差別されて傷つく、、。

どの傷つくことも

辛いが、

自分が傷つけられた時、

守った名前のために

痛みを感じている。

自分の名前がなければ、

きっと、傷つくことも

少ない。

もっというと、

無傷であることも多い。

だからこそ、

自分の名前を守ることは

大切。

自分の名前は傷つきやすい

生きもの。

プライドの礎にもなっている。

自分の名前は、

一生付き合う

プライドであることを

忘れてはいけない。

 

道選び

 

(今日のコトバ)

 

他人が築いた道は歩きやすい。

ただし、

他人のルールで歩かされる。

自分が切り拓く道は凸凹だ。

ただし、

自分の好きなように歩いて行ける。

 

 

歩いて行く道が

できていることは

ありがたい。

前を向いて、

ただ歩いて行けばいい。

何も考えなくても、

整備されているから

歩いていける。

だが、

歩いて行く道がない場合は、

道をつくりながら

歩かなければならない。

迷い、考え、しんどく辛い。

整備された道を歩くより、

よっぽど大変だ。

ただ、自分がつくった道だけに、

自分のルールで歩いて行ける。

誰に文句をいわれずに、

好きなように歩ける。

どっちがいいかではない。

道は二択ある。

自分は人生の中で、

どっちの道を選ぶか。

その時の状況によって、

上手に道を選ぶこと。

それが、

生きるために

大切なことなのだ。

言葉で存在証明

 

(今日のコトバ)

 

沈黙は、権力者への一票。

 

 

「沈黙は金」

そういったことわざがある。

確かに、ある場面では、

沈黙が美徳になることもある。

いちいち言葉にして

騒いで何になる。

ここは黙って耐える。

そんな状況の時もあるだろう。

だが、世の中は

そうとばかりはいえない。

黙っていることで、

権力のある者に搾取され、

損をすることもある。

黙っていることで、

反対の姿勢が伝わらず、

賛成していると

思われることもある。

黙っていることは、

ワルい連中からすると、

いくらでも利用できる。

だからこそ、

沈黙ばかりではなく、

自分の姿勢を

はっきりさせたい時は、

意見を言葉にする。

沈黙するのではなく、

意志を明解にする。

その意志を

明解にすることこそ、

自分が生きる存在証明になる。

沈黙は金の時もあるが、

言葉にすることが

金になる時もある。

そのことを忘れてはいけない。

 

 

初心が一番の成長期をつくる

 

(今日のコトバ)

 

初心とは、

お金ではどうにもならない

素直です。

 

 

人は何かに初めて取り組む時、

初心という気持ちが生まれる。

この初心ほど、

純粋で透明感があって

素直なものはない。

技術を覚えようと、

話しを理解しようと、

まわりの人と

コミュニケーションをとろうと、

純粋な気持ちになる。

その気持ちこそが初心。

そして、その初心だけは、

お金がどれだけあろうと、

どうにもならない。

時間が経って慣れてくると、

良からぬことを

考えたりもするが、

とにかくデビューしたての時は、

みんな初心を持っている。

この初心こそ、

人間を一番成長させる礎。

だとしたら、

成長しなければ

ならない時は、

初心になれる状況をつくる。

そのために、

取り組むものどこかに、

新しい体験をつくる。

それが、人として成長する

秘訣なのだ。

 

笑い話は成長の証

 

(今日のコトバ)

 

成長がわかるのは、

苦しみを笑い話にできた時だ。

 

 

ある程度、

問題をクリアすると、

笑い話になる。

「あれは大変だったな」と

という笑い話になる。

もっというと、

問題を解決したことにより、

問題に直面した時より、

自分が成長している

といっていい。

そう考えると、

どんな問題も

笑い話にできるように

がんばってみる。

笑えるということは、

シリアスではない

ということ。

心に余裕ができている

ということ。

そして、成長した

ということ。

問題の解決の基準の一つ

として設定していいと思う。

優しさは、嬉しく、安心させる

 

(今日のコトバ)

 

優しい人は、

コンプライアンスより

人を救う。

 

人は優しくされたい

生きものだ。

どんな人も

世間の荒波に揉まれている。

辛いことの一つや二つ

抱えている。

そんな時に

優しくされることは、

生きていく上で

嬉しく、そして、

安心できること。

優しくしてくれる人は、

いつも隣りにいて欲しい

とさえ思う。

世の中を守る

コンプライアンスや

法より、

よっぽど必要なものだと思う。

だから、

自分に優しく

してくれる人がいたら、

絶対に大切にしよう。

何か裏があって

近づいてくる人ではなく、

掛値なく

優しくしてくれる人。

そんな人は、

自分の人生を

嬉しく安心させてくれるのだ。

道はいつも開拓中

 

(今日のコトバ)

 

人生は、毎日、

道をつくっている。

だから、いままでの道に

正解不正解はない。

これからつくる道が

正解なのだ。

 

 

正解の道を選びたい。

そう思いながら生きている。

だが、正解と思える道を

歩いているとは

言えない自分もいる。

どこまで人生を

生きても、

正解の道を歩いている

実感はない。

ただ考えてみれば、

正解不正解など

ないのかもしれない。

もっといえば、

人生の道は毎日つくるもの。

昨日は正解でも、

今日は不正解に

なるかもしれない。

人生の道は命果てるまで

つくり続ける。

結論は、人生の最期になる。

だからこそ、

今日を精一杯生きて、

より良い道を生きていると

思えたら価値。

それでいいのではないか。

人生の道はいつも開拓中なのだ。