重荷を背負い過ぎない

(今日のコトバ)

 

しんどくなったら、

誰かにタッチしてもいいんだよ。

 

 

一人でできることに、こしたことはない。

誰の手も借りず完遂することも、素晴らしいと思う。

でも、どうしても一人でてきないことがある。

その時は、はっきり声に出して応援を扇ごう。

自分だけでは手に負えないと、

助けてもらいたい人に伝えよう。

また、それば自分ではないと判断したら

お願いして役目を代わってもらおう。

何も地球上のすべての案件を背負う必要はないのだ。

人はときどき自分の能力以上の重荷を担ぎ過ぎる。

一人で生きてるのではないのだから、

自分もがんばった上で、誰かに支えてもらおう。

人と人とは、支えあってナンボなのだから。

限界超えをテーマに

(今日のコトバ)

 

限界は1m先にもあるし、

宇宙の果てにもないかもしれない。

 

 

目に見えないが、人間のどこかに宿っているものだけが、

先進の、先端の社会を変えていくことができる。

その中でも「限界」という人間の尺度は、

自分自身で自由に決めることができる。

すぐにあきらめてしまえば、

限界は自分の場所にあるといっていい。

ただ、あきらめずにとことん追求していくのなら、

一生かけても限界はおとずれないかもしれない。

あらゆるものがネット化、デジタル化され、

ボタンひとつで何でも解決できる世の中になって、

もしかするとこの「限界」への挑戦だけが、

人間の本能の砦といっても過言ではない。

言い方を変えると、なにもかもがワンタッチでできて、

簡単にあきらめることができる動物になった人間。

自らが「限界」を超えようとするテーマをもたない限り、

動物としての本能が自然に退化していってしまう。

だから、厳しくても、余裕でもいい。

「限界」を超えなければいけないテーマを見つけて生きよう。

それが、人間が人間らしく生きるための方法なのだから。

信じればできる

(今日のコトバ)

 

幸せは、信じることから翼を広げる。

 

 

信じて、できると信じてはじめないと、

遠くまで、夢まで届かない。

信じることができれば、集中力が生まれる。

集中力があれば、本質を見つけられる。

本質を見つければ、問題を解決できる。

問題を解決できれば、夢は実現する。

夢を実現すれば、幸せになれる。

つまり、信じることから幸せへの翼が広がるのだ。

迷っているものがあったり、不信になってるものがあったり、

あきらめてしまいそうものがあったら、

もう一度信じてみて、がんばるのも悪くないのでないか。

いいものは、いつもちょっと先あったりするのだから。

 

サッカー日本代表がキャンプ地ボンに到着した。

いよいよワールドカップ気分が高まってくる。

ただ、予想する人や選手の中に、予選リーグ突破が目標などと

いう人がいる。確かに現実的な目標かもしれないが、

優勝すると信じる気持ちからはじめないと、

勝てるものも勝てなくなる。

少なくとも、選手、監督、スタッフは優勝することを信じて欲しい。

そう思わなければ、夢は途中で遠くへ行ってしまう。

信じればできるのだ。

想像力で未知との遭遇

(今日のコトバ)

 

想像力に、友情を。

 

 

 

規約、規格、ルール、コンプライアンス。

世の中は、人間を縛りつけるものが増えすぎた。

あまりに同じことばかり要求するので、

顔が、考えることが、みんな似てきた。

ほんとうにそれでいいのだろうか。

想像を放棄し、マニュアルばかりを信じて生きる。

本能や発想は、いずれ退化し、

自然発生的にクローン人間が育ってしまう。

どうする?地球。このままでいいのか。

同一化する人間を食い止めなくていいのか。

方法はある。唯一無二の方法だ。

それは想像力を駆使すること。

想像することを絶えず行っていれば、

同じベクトルに進むことはない。

想像すれば、まだまだ未知と遭遇できる。

アクシデントが起こるたび、

ひとつ増えふたつ増える縛り。

世の中が安全になるたび、

ルールが増えていく。

でも、この縛りやルールがあっても

楽しめる社会をつくる。

そのために、想像力は不可欠なのだ。

動ければ大丈夫

(今日のコトバ)

 

 

動いていれば、最短距離を見つけられる。

 

 

止まってしまってはダメだ。

解決の糸口が見つけられなくなる。

動いてさえいれば、

見えなかったものを発見する機会を

得ることができる。

反対にいえば、動けるうちは何事も大丈夫。

動けなくなった時、時間が止まったままの時が危ないのだ。

だから、動きを大事にしよう。

もし、止まってしまいそうな時は、

解決してから動きを止めよう。

それほど難しいことではない。

日々ペースをつくって、自分の動きをしていこう。

成長も、進化も、動くことだけで自然にできる。

いつもリズムで、着実に動く。それでいい。

魂を譲らない

(今日のコトバ)

 

魂の中のマジメを守れ。

 

 

 

嘘は必要だ。生きるために方便として必要だ。

ただ、自分の心にまで嘘をついてはいけない。

魂を売り渡たす行為はしてはいけない。

そのガイドラインがなくなってしまうと、

自分のプライドがなくなってしまう。

自分が自分でなくなってしまう。

譲ってはいけない最後の砦を、

魂の中にもっていよう。

その魂の中にあるものが、

人生を強く生きるための源になる。

その魂の中にあるものが、

人生を豊かにするための源になる。

素顔のままで

(今日のコトバ)

 

お芝居が長時間上演できるほど、

人生は甘くない。

 

 

 

お芝居をした人生は演じるのにつらくなる。

猫をかぶったままで生きるのは苦しくなる。

人生の中で素顔の自分を見せられない時は、

時々あるけれど、できれば、演じることな

く、普段の自分を見せたいものだ。

あまり演じていると、虚飾にまみれた人生

になる。ほんとうの自分がわからなくなる。

人生において、お芝居はほどほどに。

素顔のままで生きられた方が、よっぽど楽

で、よっぽど自由な生き方ができるはずだ。

「最高!」を目標に

(今日のコトバ)

 

最高は、人生で何度でも更新できる。

 

 

 

矢沢永吉がサントリーのCMで、「最高!」といっている。

コンサートでもライブのたびに、「最高!」といっている。

最高とは、いままでの記録や気持ちを更新した

一番てっぺんの言葉。

昨日より今日の新しい記録や新鮮な気持ちが、

この言葉を表現させたがる。

だとすれば、「最高!」を目指して、

全力で一日を頑張り駆け抜けることも

素晴らしいことではないか。

そして、今日の終りに「最高!」といえたら、

こんなに幸せな日はないのだろうか。

いま、腐っている人も、ついていないと思っている人も、

「最高!」になるために努力目標をもち生きてみよう。

一日でも、一週間でも、一ヶ月でも、一年でもいい。

「最高!」を目標に生きていけば、

自分のパフォーマンスはもっともっと上がっていくはずだ。

負けず嫌いの言葉通りに

(今日のコトバ)

 

努力しない負けず嫌いは、

迷惑以外の何ものでもない。

 

 

 

自称負けず嫌いという人は、たくさんいる。

あなたは負けず嫌いですかと問いかけられると、

ほとんど人が負けず嫌いだと答える。

面接にいたっては、全員が負けず嫌いと答える。

でも、ほんとうに負けず嫌いな人って、

それほどいるのだろうか。

自分のまわりを見渡しても、

第三者的な目でみると二割程度が普通だろう。

間違っても、ほとんど全員が負けず嫌いなどあるわけがない。

だが、自分の性格を聞かれると、負けず嫌いと答える人は多い。

これは、個人的に判断すると、「すぐにキレやすい」とか

「嫉妬しやすい」とか「人の物が欲しくなるとか」

「負けた時悔しいと思う」とか、

偽負けず嫌いの人々が自称していると思われる。

本当の負けず嫌いな人と何かをしたい時、

この偽負けず嫌いの人々が一番迷惑する。

できるといって、すぐあきらめたり。

誰かの手柄を、うらやましがってばかりいたり。

負けて悔しいのに、何も行動を起こさなかったり。

いわゆる使えない人がいっぱいいるのだ。

だから、簡単に負けず嫌いと主張するのはやめよう。

もし、負けず嫌いの資質があるのなら、

その言葉通りの生き方をしよう。

負けたら悔しいと思い、次に勝つためのあらゆる努力をしよう。

でなければ、この言葉に失礼だ。

人間の三本柱

(今日のコトバ)

 

勇気は、危険の向こうにある未来へいく橋だ。

 

 

 

このままでは手の届かない所にあって、

なんとか自分のものにしたいものがある時、

人は勇気を出してチャレンジする。

簡単に努力もなく手に入ってしまって、

体の奥底からの力を発揮しなくてもすむものには、

勇気など必要ない。

つまり、ちょっとやそっとでは手にできないものを、

手に入れる場所まで橋を架けてくれるのが勇気なのだ。

そして、この勇気こそ人生の中で、

もっとも大切なもののひとつなのだ。

人間は、夢を描いて、勇気を出し、行動すれば、

ほとんどのことは解決する。

その三本柱のひとつが勇気なのだ。

だから、この勇気を自分から欠いてはならない。

勇気がなれければ、人生のたくさんの夢が叶わないのだから。