ギャップこそ、エネルギー

(今日のコトバ)

 

徒競争ではないんだ。

やっぱり障害物競走なんだ、

世の中は。

 

 

 

まっすぐ生きようとする。

その気持ちだけでは、一直線に進めないのが人生。

予期せぬ出来事が起こり、良くも悪くも

日々に変化をつけてしまう。

まじめに一点を見つめて走ることは大事なことだが、

誤算も計算に入れておかないと、

後で痛い目にあう。

何事もスタートを切る時、

障害物があることを頭に入れておけばいい。

人生なんて、すべてハンディキャップマッチなのだ。

学校だって、先生にえこひいきされる人がいる。

会社だって、縁故は能力にかかわらず出世する。

自分はしっかりしているのに、まわりの人間が思うように動かない。

また逆で、自分がみんなの足手まといになることもある。

それぐらいの状況は、想定しておけばいい。

そのギャップが実力を育成し、人生を有意義にするエネルギーなのだから。

ハードルを超え、網を潜り、あんぱんをくわえながら、

走る。走る。なお走る。

そして、ゴールの先には歓声と拍手が待っている。

そんな人生で、いいじゃないか。

「希望」があれば、どこまでも人生は広がる

(今日のコトバ)

 

どんな時も、僕らは絶望を追いやって

希望を見つける天才です。

 

 

 

もう天から授かった才能というしかない。

人間は、どんな状況からでも「希望」を見いだすことができる。

平和な国日本で安易にこんな言葉を口にするのは、

どうかと思うが、戦時下のドキュメントを読んでも、

収容所の回顧録からも、闘病生活の日記からも、

絶望の中からとても大きな「希望」を探し続け人間は生きていく。

しかし、いま、世界最高水準の暮らしをしている日本人が、

「希望」を見いだせずにいる。

何不自由のない暮らしをしているのに、「希望」が見つけられず

心を痛めて生きている。

それは、「希望」を全速力で叶えすぎてしまった社会が、

「希望」の価値を忘れてしまったのだと思う。

生活に困らない仕組みはできたけれど、大会社の社長になれるとは思えない。

車や家が持てんないほど貧乏ではないが、大豪邸に住めるとも思えない。

普通にやっていれば、そこそこにしかなれない。

でも、何か満たされない。人生に力が入らない。

強烈に何かをされたわけでもなく生きているのに、

すごく小さなこと(本人にしては大きなこと)で失意に落ちていく。

その人たちは、やっぱり「希望」が枯れているのだと思う。

けして、社長や総理大臣にならなくても、50歳でリタイヤして、

南の島で釣りをしながら生きていくことだって、

すごいロマンチックな「希望」のような気がする。

こんな時代だから、早めに会社を卒業して

趣味に生きる。そのために若いうちに人の倍働く。

ニートが増え働かない人口が増えているけど、

会社は派遣社員を大幅に採用している。

その派遣社員でも、頭角をあらわす人間は、

会社が好条件で社員に採用したりもする。

新人教育を怠っている企業もいかがなものかだが、

即戦力の人材は会社もよだれをたらして待っている。

「希望」があれば、どこまでも人生は広がる。

今日、いま、失望のでいっぱいの人がいたら、

人生でやりたいことの目標を定めよう。

定めただけで、失望はちょっと「希望」に変わっている。

計画を練っただけで失望は半分「希望」に変わっている。

動きだせば、もう7割の失望は消滅し、「希望」に変わっている。

そして、軌道にのれば、100%「希望」に変わっているじゃないか。

忘れないでほしい。絶対に忘れないでほしい。

人間は、「希望」を見つけることの天才であることを。

心が曇る時間は期間限定

(今日のコトバ)

 

スッキリすれば、ハッキリするよ。

 

 

 

ものごとが見えにくくなる時、

必ず自分のまわりがゴチャゴチャしている。

仕事が忙しかったり、勉強で追い込まれていたり、

恋愛がグチャグチャだったり、精神的にきつかったり。

心が曇ってくると、大切なことを見落として、

どうでもいいことに振り回される。

そんな時、心をスッキリさせる方法をもっていると、

人生は楽になるはずだ。

エイ、ヤアで片付けてしまう、遠ざけてしまう、終了してしまう、

などのオーソドックスな方法もあるだろう。

ただ、心が曇る期間は、ほとんどの場合、期間限定にできるものが多い。

とすれば、心は晴らすのは時間をどう区切るで決まるといえる。

ならば、自分の中で区切りをつけ、リラックスできる時間をつける。

くつろぐ時間が心の視界を良好にし、正しい判断がくだせるようにする。

そのコントロールさえきけば、人生はきっと見晴らしがよくなり、

ハッキリとしてくるはずだ。

自信は傷つきやすい生き物

(今日のコトバ)

 

失った自信に翼はいらない。

足をつけてあげよう。ゆっくり歩きはじめれば、

ゆっくり回復する。

 

 

 

失敗を繰り返し、自信を無くしてしまった。

その時、人はどう自信を回復させるのだろう。

一発逆転で失地を取り戻そうとすると

返って大きな失敗をよびこみ泥沼にはまる。

また、自信を失ったまま引きこもってしまうと、

元には戻れない。

自信は、実に傷つやすい生き物だ。

やさしく、ゆっくりと、いたわるように、

癒し、看護し、社会復帰させなければならない。

そう、入院患者がリハビリをするように、

病院の庭を散歩するように、

少しずつ歩くことから失ったものを取り戻す。

つまり、できるこから一歩一歩はじめ

回復具合ほを確認しながらチャンスをつかむ。

しっかり、ゆっくり、土台をつくりあげれば、

再び大きな希望が生まれ、新しい挑戦ができる。

心と同じように、あなたのケアひとつで、

勇気とともに再生できるのだ。

明日もまた、生きる元気が湧く

(今日のコトバ)

 

今日を食べ残すと、明日はおいしくありません。

 

 

 

今日やるべきことを明日に延ばしてしまう。

明日はそのやるべきことからスタートしなければならない。

一日という限られた時間の中で、

昨日の宿題で時間を費やしてしまうと、

人生はとても短くなる。

明日をめいいっぱい使うために、

今日やれることは、今日やろう。

今日のやることを、今日やってしまえば

充実感の中で一日が終わる。

ゆっくりと睡眠がとれる。

新鮮なあなたが、明日の朝目覚める。

明日もまた、生きる元気が湧いて

気持ちいい日々をおくることができるはずだ。

意志の先のポジション

(今日のコトバ)

 

どうしてキミはそこにいるのだ?

それはキミがそこに行きたかったからに他ならない。

 

 

 

そのポジションにいることに、自信がなくなる。

そのポジションにいることが、不愉快でたまらない。

そのポジションにいることが、間違っているかもしれない。

人は、時々、自分のまわりがうまく回転しなくなると、

今いるその場所に不安をおぼえる。

でも、そのポジションに行きたかったのは、

他薦、自薦を問わず自分の意志があってのことだ。

自分のまわりで嫌なことが起きることで、

そのポジションにいずらくなることと、

そのポジションが好きではないということは、

イコールではない。

早とちりで答えを出してはいけないと思う。

深呼吸をして、ゆっくりもう一度まわりを見渡して、

冷静になってから答えを出そう。

そのポジションは、あれだけ行きたかったポジションなのだから。

肩書きに依存しないで生きる

(今日のコトバ)

 

人間なんて肩書きをとってしまうと、

ライオンだってサルになってしまう。

 

 

 

大声で吠えていた社長が失脚すると、

本当に蚊の鳴くような声で、いじめらてばかりの子のように

弱々しくなってしまう。

在任当時は、部下をどんどん怒鳴りつけ、

剛腕で会社をひっぱってきた社長も、

肩書きを失った瞬間、大きい顔と恐怖の顔を

どこかに捨ててしまう。

社長だけではなく、あなたの身近かにも

似たようなケースはたくさんあるはずだ。

クラブのキャプテンが、番長(もうないか)が、

PTAの会長が、取引会社の担当者が、

自分の仮面ともいうべき肩書きを失った時、

力なく別人ようになってしまったことに

遭遇したことはあるだろう。

人は下で動かされているよりは、

上で下を動かしたいと思う。

その時、上へいけばいくほど、

大きく、怖い仮面をつけて、

下の人を威嚇する。

そのことが本当の自分であると錯覚してしまう。

でも、本当はひとりでは生きていけないただの人間なんだ。

ライオンでも、オオカミでも、ヘビでも、ワシでもない。

ちょうど幼稚園のおゆうぎ会でつけたお面を、社会でつけているだけなんだ。

だから、肩書きに依存して生きるのはやめよう。

本当の自分が問われた時、弱々しい自分を露呈する。

肩書きは肩書きでいい。その横にいる自分を大切にしよう。

最後に救ってくるのは、助けてくれるのは、

素顔をあなたを信じた人たちなのだから。

心の欠けた部分を補強する

(今日のコトバ)

 

甘えられる人・場所・時間を大切に。

 

 

 

寂しい時やつらい時に、誰かに弱音をはけることができる人は強い。

無くした何かを、足らない何かを、

誰かに助言してもらうだけで、誰かに聞いてもらうだけで、

弱さを埋めていける。

この埋める作業ができない人は、

強がっていても寂しさやつらさはぬぐえない。

でも、世界中にたったひとりでいいのだ。

あなたを甘えさせてくれる人をもっておこう。

その人がいるだけで、救われる。

その人がいるだけで、安らげる。

その人がいるだけで、笑える。

その人がいるだけで、元気が出る。

心の欠けた部分を補強してくれるその人が、

あなたの明日を支えてくれるのだ。

外なる敵と戦え

(今日のコトバ)

 

外を見ろ。外に出ろ。外と戦え。

内に向いての戦いでは進歩がない。

 

 

 

スポーツでも、ビジネスでも、なんでもそうだけど。

勝負がかかっている場合、戦う相手は、外にあり、

外敵に勝つことが目的であるはずだ。

しかし、僕らは戦いが大きければ大きいほど、

内なる敵を見つけて、その戦いに躍起になにってしまう。

仲間の動きばかりに気をとられ、仲間をつぶすことに力を注いでしまう。

もっと悪くなれば、派閥をつくり派閥抗争に目的が変わってしまう。

内戦、内乱が発生しては、とても外敵と戦うことはできない。

敵は、外にある。内なる敵に足を引っ張られているようでは勝負にならない。

もし、いま新しい戦いが始まろうとしているなら、

敵が外にあって大挙して襲いかかっていることを、

味方同士でしっかり確認して戦うのだ。

意志を統一して、一丸となって戦うのだ。

勝利という結果を求めるなら、

内なる敵に力を使わずに、全力で外敵と戦う。

戦いは、いつも足並みやバランスをくずした方が敗退する。

神様は前進している人だけ応援している

(今日のコトバ)

 

無欲の前進に、朗報あり。

 

 

 

最高の朗報は、無欲な時に、突然やってくる。

受験や就職の結果も、いい知らせはふいにくる。

逆に、いまかいまかと一分一秒力んで待っていると、

ほぼ朗報はこない。

ほんとうは無欲ではないのだが、

次に向けて前進している姿勢をみせていると、

いい結果が得られ、その場で止まっていると、

わるい結果が届くような気がする。

これは、人生の中で唯一、神様にコントロールされて

いるのではないかというぐらい同じパターンで結果が出てくる。

それは、「神様は前進してる人だけ応援している」

ということなのだろうか。

前向きだから運命が味方してくれたのだろうか。

それとも、偶然が続いているのだろうか。

もう少し人生をの中で研究して答えを出したい。