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(今日のコトバ)
優しい人は、
コンプライアンスより
人を救う。
人は優しくされたい
生きものだ。
どんな人も
世間の荒波に揉まれている。
辛いことの一つや二つ
抱えている。
そんな時に
優しくされることは、
生きていく上で
嬉しく、そして、
安心できること。
優しくしてくれる人は、
いつも隣りにいて欲しい
とさえ思う。
世の中を守る
コンプライアンスや
法より、
よっぽど必要なものだと思う。
だから、
自分に優しく
してくれる人がいたら、
絶対に大切にしよう。
何か裏があって
近づいてくる人ではなく、
掛値なく
優しくしてくれる人。
そんな人は、
自分の人生を
嬉しく安心させてくれるのだ。
(今日のコトバ)
人生は、毎日、
道をつくっている。
だから、いままでの道に
正解不正解はない。
これからつくる道が
正解なのだ。
正解の道を選びたい。
そう思いながら生きている。
だが、正解と思える道を
歩いているとは
言えない自分もいる。
どこまで人生を
生きても、
正解の道を歩いている
実感はない。
ただ考えてみれば、
正解不正解など
ないのかもしれない。
もっといえば、
人生の道は毎日つくるもの。
昨日は正解でも、
今日は不正解に
なるかもしれない。
人生の道は命果てるまで
つくり続ける。
結論は、人生の最期になる。
だからこそ、
今日を精一杯生きて、
より良い道を生きていると
思えたら価値。
それでいいのではないか。
人生の道はいつも開拓中なのだ。
(今日のコトバ)
今日の失敗は、
昨日の成功より進化している。
どんなに今日がイケてなくても、
昨日よりいろいろな意味で
進化している。
少なくとも、
昨日よりキャリアがある。
昨日はわからなくても、
今日わかることがある。
昨日できなくても、
今日できることもある。
人は少しずつだが
日々進化している。
一日単位ではわからなくても、
一年単位、五年単位になると
明らかに進化している。
もちろん、年をとって
退化していくこともある。
だが、それでも人生経験という
キャリアは積み上げられていく。
そう考えると、
命果てるまで、
人はどこかで進化している。
生きていくことは、
常に進化することなのだ。
(今日のコトバ)
「ありがとう」はメールで届かない。
「ありがとう」は本人の目の前で
言葉にしてこそ届く。
生きていく上で大切なもの。
感謝。
誰もが口にする。
だが、
本当に感謝ができている人が
いるかというと、
そうでもないと思う。
まず、感謝はしても
口にしない人。
大多数がそのような気がする。
特に関係が密になると、
「いわなくても
わかっているよね」という感じで
割愛してしまう。
また、感謝していても直接ではなく、
メールで「ありがとう」と
送って終わり。
もちろん、
何も口にしないよりはいいが、
それでは
感謝の気持ちは足りないと思う。
やっぱり感謝の気持ちは
口に出してする。
「ありがとう」と、
しっかりと
相手の目の前に立って
伝える。
それでこそ、
感謝の気持ちは伝わる。
どうしても遠くにいて、
直接会えない人もいるだろう。
その場合は、
声だけでもいい。
伝えるよう努力する。
感謝は気持ちから伝えよう。
(今日のコトバ)
何度も救われる。
何度も見捨てられる。
救われることがの方が多いから、
いま、生きているのだ。
いま、この場所で生きてる。
生きていることが、
奇跡という人もいる。
よく考えてみれば、
もう思い出せないほど
いろいろなことがあったのに、
ちゃんと生きている。
それは、幸運ばかりではなく、
誰かに救ってもらったから、
生きているといって
過言ではない。
振り返ってみれば、
記憶にない0歳から2歳までなど、
親の手がなければ生きていけない。
物心ついてからも、
親、先生、先輩、上司、病院の先生、
数えれば限りなく
救ってもらってきたはずだ。
比較するわけではないが、
見捨てられたり、
裏切られたことより、
よっぽど多く
救われてきたはずだ。
そう考えると、
いま、生きているのは、
奇跡の集大成といえる。
誰もが簡単ではない人生を、
たくさんの人に
救われてきた人生なのだ。
(今日のコトバ)
世の中、
後ろから
背中を押してくれる人がいる。
前から
手を引いてくれる人がいる。
やるべきことは、
あなたが一歩踏み出すだけだ。
まわりを見渡してみると、
どこかに救いの手がある。
普通に生きていれば、
何とかしてくれようとする
救いの手がある。
親族。親友。仲間。
自治体、ボランティア団体、、。
探せば、
どこかに自分の求めている
救いの手がある。
ただ、救いの手があっても、
自分が動こうとしなければ
救ってもらえない。
手はあるのだ。
後は、
自分の足で一歩踏み出すだけ。
もちろん、
自分の心身の調子が
よくなくて、
一歩踏み出せないこともある。
それなら、
調子がよくないことも
伝えて、
一歩踏み出す行動を起こす。
気持ちさえ伝えられれば、
救いの手はある。
何事もあきらめないで、
「救いの手」を握ってみる。
生きるために大切なことだ。
(今日のコトバ)
意識とは、目標の化身である。
何かを意識する。
その意識によって、
生きる方向性が決まっていく。
意識するかしないかでは、
まったく方向性が変わってしまう。
意識した方向は、
自分の行きたい方向。
つまり、目標といってもいい。
だとすれば、
意識は
目標の化身といっていい。
その目標の化身を
いつも頭のどこかに
置いておく。
それだけで、
目標達成への意欲が
大きくなっていく。
意識することが
人生にとって
どれだけ役立っているか。
それこそ意識して、
生きてみることが大切なのだ。
(今日のコトバ)
まわりを見てごらん。
似たような顔をして、
似たような言葉を使って、
似たような行動をする人が
集まっている。
生きる場所には、
知らず知らずのうちに
同じような人が
集まっていると思う。
仕事の場で、学校で、
趣味を楽しむ場で、
目的を同じにすれば、
同じような意志を持った人が
集まっている。
あたりまえといえば
あたりまえだが、
そのことを意識することは
なくなっている。
ただ、同じような意志を
持っていることを
はっきり意識して生きると、
より一層、
心地よく生きられる。
同じような目的を
持っているなら、
同じ目的にモチベーションを
高く行動する。
そこはみんなの強みになる。
反対に目的のないところは
弱みになる。
そこを理解しておけば、
強みで助けることができ、
弱みで助けてもらうこともできる。
なんでもかんでも、
できるできないで
割り切ってしまうのではなく、
強み弱みで考えてみる。
人生において大切なことだ。
(今日のコトバ)
遠まわりした背中は、
膨大な財産を背負って
帰ってくる。
近道したい。
できるだけ短期間で
目的地に着きたい。
誰もがそう思う。
だが、人生は簡単ではない。
近道したいと思えば思うほど、
長い道程を歩かなければ
ならなくなったりする。
人生は難しいものだ。
ただ、時間をかけて
道を遠まわりすることが
ワルいことばかりとはいえない。
遠まわりしたからこそ
出会う人・場所があり、
遠まわりしたからこそ
出会う経験もある。
人生を俯瞰で見れば、
遠まわりした経験が
人生を救ったり、
豊かにしていくこともある。
だからこそ、
近道ではない道を
歩んでも、
不貞腐れることなく、
あきらめることなく、
前向きにとらえて
頑張っていく。
必ず遠まわりした経験は
人生の役に立つ。
そう信じて
生きていいと思う。
(今日のコトバ)
知り過ぎた不幸もあり、
知らな過ぎた幸福もある。
人間は、知ることの正体を
知らぬまま生きている。
知識が豊富ということは、
良く学び、
良く物事を
知っていることでもある。
知っているということは、
人生において
有利なことのような気がする。
だが、まわりを見ていると、
そうともいえないことが
散見される。
良く知っているから、
知り過ぎて不安になる。
怖れてしまう。
リスクヘッジなどは、
リスクをヘッジできればいいが、
リスクを知り過ぎたばかりに、
どうしていいか
わからない状態に
なることもある。
リスクを知っただけで、
戦意喪失、
退散ということもある。
反対に、知らないから
不安にならないこともある。
いちいち知り過ぎることもなく、
リスクを考えすぎることもない。
あまり不安にならずに、
「なんとかなるさ」と
無防備に体当たりする。
それがそれほど
大怪我にもならなず
前進していける。
昔流行った
鈍感力に近いかもしれない。
結局、知り過ぎること、
知らな過ぎることの
どちらも一長一短ある気がする。
一生わからない問題かもしれない。
だからこそ、
人生は面白いといえる。
わからないことがあるから、
明日が楽しみになる。
人生の醍醐味とは、
わからないことと
生きることなのだ。
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