希望のない季節はない

 

(今日のコトバ)

 

人生の最高は、

いつだって明日に用意されている。

 

 

どれほど生きても、

未来には

何かいいことが起こると

思っている。

少なくても、

定年という年になっても、

何かを見つけ、

「もっと素晴らしいことが

起こる」

と思っている。

同じように、

希望が失われたことがない

気がする。

もちろん、

大きい希望、

小さい希望あるが、

それでも希望がない状態は

なかった。

希望は生きている人に

標準装備されているさえ思う。

生を受けて何十年も生き、

確かに希望のない季節はなかった。

だからこそ、

今日を生きているのなら、

悲しいこと、失望、

絶望もあるかもしれないが、

その隣りで

必ず希望があることを信じよう。

明日に向かうための希望が

どこかにある。

希望はいつもある。

そう思って生きていけばいいのだ。

 

順調だけでない人生

 

(今日のコトバ)

 

順調は、ひ弱に育つ。

 

 

何事も順調に

できる人がいる。

器用というか、

才能があるというか。

ただ、この順調というのは、

人生にとって

いい事ばかりではない。

順調に何事もこなす人は、

必ずどこかで大きく転ぶ。

転ぶ事は誰にでもあるのだが、

問題はその後だ。

順調に生きた人は、

転んだ後、

立ち上がるのに

時間がかかる事が多い。

もっというと、

立ち上がれなくなることもある。

天才といわれている人が、

一度、何かにつまづくと、

それで才能を

枯らしてしまうことも

順調にやってきた事に

問題がある気もする。

反対に、順調にいかなかった人、

例えば

不器用な人、才能がない人は、

順調にいかないことが

多いが、

立ち上がる力は強くなる。

何度でも

立ち上がってくる。

立ち上がらなければ、

問題を解決できない事を

知っている。

一長一短だ。

人には個性がある。

その特性を活かして

生きる。

順調だけでない人生があることを

意識して生きていこう。

 

ときめくチャンスは、忙しさの中に

 

(今日のコトバ)

 

チャンスは、

忙殺された時間の中で

連続して生まれる。

 

 

長く生きていると、

自分にもチャンスと呼ばれる

幸運がやってきたことがあった。

数は少ないが、

ときめくようなチャンスが

自分にもやってきた。

その状況を思い返してみると、

いつも同じ状況だったことに気づく。

それは、忙しい時。

何かに忙殺している時。

あまりに忙しくて、

疲れもピークに達している。

もう仕事はしたくない。

そんな時に限って、

チャンスは

目の前にあらわれる。

「いい話だ」

「こんな幸運なんてある?」

「自分にもいいカードがまわってきた」

とにかく、ときめくようなチャンスが

自分にも届いたと思う。

ただ、その時にチャンスを

つかめたかというと、

そうとはいえない。

忙しいという

大義名分をつくって、

チャンスを逃してしまう。

もっというと、

チャンスを求めているわりには

怠け者だったり、

勇気がなかったりする。

そう考えると、

チャンスをとらえるのは、

自分の気持ち一つ。

自分がそのチャンスを

どうとらえるかの問題。

必ず忙しいという状況が

ついてまわるが、

その中でもチャンスを

つかみにいく。

その意識を高くもって

生きていけば、

チャンスをとらえられる。

人生は、

いいチャンスに

恵まれているのだ。

もっている能力の最大限のその先へ

 

(今日のコトバ)

 

神様は、

弱虫の勇気、

泣き虫の努力が嫌いじゃない。

 

 

 

人間はどこかに弱さを持っている。

人間はみな弱き者といってもいい。

だから、

弱さを認めた上での努力は、

人間のもっとも尊い能力。

弱虫といわれている人間が

勇気を振り絞る。

成功失敗など考えない。

この状況を打破するために

勇気を出す。

また、泣きながらでも努力を

やめない。

勝ち負け関係なく努力を続ける。

今より前に進むために

努力を続けていく。

そんな人間は、

どこかで必ず幸運に恵まれる。

幸運というか、

手にしていい成果というか。

もっている能力の

最大限のその先の

力を発揮できる。

人生には

そんな奇跡もある。

勇気と努力の能力に恵まれると

自分の中で奇跡が起こる。

そう信じて生きてみても

いいと思う。

 

自分の力を正しく発揮しよう

 

(今日のコトバ)

 

世の中とは、

「ごっこ」の広場である。

 

 

「ごっこ」。

マネしてやること。

また、子供のやること

などと解釈すれば

いいのだろうか。

ただ、世の中を見渡してみると、

「ごっこ」と

思った方がいいことが

たくさんある。

すぐ思いつくのが政治。

この能登大震災をみても、

普通の感覚では

考えられない対応ばかり。

選挙で当選したり落選したりで、

プロの政治家が

いないのかもれないが、

誰でもわかることができていない。

国の予算の投入、

自衛隊の投入人数、

道路の補修工事、

救援物資の配送、

義援金の使い方、

ボランティアの活用法、

ヘリコプター・ドローンなどの活用、

水、水回りの復旧、、。

何もかも、

迅速に対応すれば、

もっと被災者を救えることばかり。

また、会社であっても、

技術がないのに

あるふりをしたり、

コミュニケーションを

とれなかったり、

横領したり、情報を流出させたり、

プロの社会人とはいえない人が

大勢いる。

もっというと、

その「ごっこ」を

世の中が許している。

すべてがんじがらめで、

働き辛くすることはないが、

あまりにも緩すぎて、

結果、みんなが危機に

さらされていることが

あると思う。

少なくても、

自分の預かっている

領域だけでいい。

プロの能力で

最高のパフォーマンスをする。

その一つ一つの行動が、

安心した心地よい

世の中をつくっていく。

自分の生きる世の中で、

自分ができる力を、

正しく発揮していこう。

名前を傷つけないように生きる

 

(今日のコトバ)

 

名前は、

あなたが一生持てる

プライドである。

 

 

 

人に誇るもの。

人によっては、

たくさんあるという。

人によっては、

何もないという。

ただ、

誰もが必ず持つ誇りがある。

それは、名前。

自分が気に入っている

気に入っていないに

かかわらず、

たいがいは

一生の付き合いになる。

どんな時も一緒に生き、

どんな時も離れない。

自分のすべてを

知っているといってもいい。

だからこそ、

自分の名前を

大切する必要がある。

大切にするというのは、

つまり、

名前を傷つけないように生きる。

その生き方こそが誇りを生む。

自分の人生を一生背負ってくれる

名前を大切にして生きていこう。

一過性のやさしさでなく、継続するやさしさ

 

(今日のコトバ)

 

やさしくした後こそ、

やさしさの本番だ。

 

 

人はやさしくされたい

生きもの。

心からやさしくされて、

不快になる人はいない。

ただ、

やさしくするという基準は、

難しい。

笑顔もやさしさだし、

言葉をかけてあげるのも

やさしさだ。

寄付したり、

お金を貸すことも、

やさしさになる。

困ったことの手伝いを

することも、

大きなやさしさだ。

だが、一番の問題は

やさしくしたその後。

ほんとうに本人が

やさしさを欲しているのは、

一過性のやさしさでなく、

継続するやさしさ。

癒された気持ちが、

前向きに進んでいくまでが、

やさしさの

役目のような気がする。

だからこそ、

やさしさが大切なのは、

やさしくしたその後。

本人の気持ちになって

やさしくしてあげる。

いまの時期、

やさしさの継続は

より大切なのだ。

 

唯一無二、完全オリジナルな人生

 

(今日のコトバ)

 

普通に生まれ、

普通に暮らし、

普通に年を重ねたのに、

特別な人生になる。

それが人生だ。

 

 

「普通」って、何だろうと思う。

「普通だよね」といわれると、

癪に障るし、

「普通が一番」という人がいると、

そうだそうだとも思う。

ただ、面白いのは、

生まれ育ちが普通だと思って、

能力や仕事も普通だと

思っているのに、

思い返してみると、

自分にしか生きられない

特別なものになっている。

あたりまえだけれど、

自分とまったく同じ道を

歩いてきた人はいない。

唯一無二、

完全オリジナルな人生。

普通なのに、

絶対特別な人生なのだ。

だからこそ、

この誰も生きられない

人生を面白がって

生きていこう。

特別な人生ほど面白いことは

無いじゃないか。

 

器用でも、不器用でも、幸せは用意されている

 

(今日のコトバ)

 

たくさんのことができる

器用な人が、

ひとつのことしかできない

不器用な人に負ける。

だから、人生はおもしろい。

 

 

世の中、

器用であった方が生きやすい。

何でもすぐに理解して、

上手にこなせる。

いちいち悩まなくてもいい。

反対に、

不器用な人は生きることも

大変なことが多い。

なかなか上手に

できないこともある。

世の中のあっちこっちで

ぶつかることもあるだろう。

ただ、

人生という一生の舞台では、

どちらがいいかわからない。

器用な人が上手に世の中を

渡り歩いて幸せな人もいるし、

不器用な人でも、

まっすぐ頑固に生きて

幸せにな人もいる。

人生は、器用な人にも、

不器用な人にも

同じように幸せを用意している。

要は、生き方次第。

器用なら器用を使って生きる。

不器用なら不器用を使って生きる。

自分の能力と姿勢によって、

いくらでも幸せになれる。

だからこそ、

自分の生き方を考えて

生きていくのだ。

 

行けると思った世界へ

 

(今日のコトバ)

 

可能性とは、

あなたの未知への思考が

「行ける」と判断した

世界のことである。

 

 

誰にでも可能性はある。

その可能性を使うか。

使わないか。

人によってそれぞれだ。

ただ、人生は可能性を

使えば使うほど、

面白い世界に出会える。

できなかったことが

できるようになるから、

めぐり会える世界がある。

やってみたら

たどり着いてしまった世界もある。

自分が生み出した未知へ、

足を踏み入れることもできる。

可能性に挑むのは、

人生にとって最高の醍醐味だ。

いま、もし、

自分の中に

面白いことがないと思うのなら、

可能性に賭けてみる。

もっと大きく、

もっと広い領域で生きる。

きっと、いままでにない

人生が生まれるはずだ。