戦わないで負けるのは、もったいない

 

(今日のコトバ)

 

敗北には二つある。

負けた敗北と戦わなかった敗北。

そして、戦わなかった敗北は

負けた敗北にも負ける。

 

 

戦えば負けることがある。

生きていれば

無敗というわけにはいかない。

どこかの場面で必ず負けている。

人間は負ける生きものといってもいい。

ただ、戦って負けるより、

さらに敗北感のあるものがある。

それは、戦わなかった敗北。

勝負をしないで、

戦わないで負ける。

実は、人生でこれほど

もったいないこともない。

本来、

勝つことは難しいことが多い。

それは、相手も同じこと。

相手も苦しみながら

勝とうとしている。

だとすれば、

負ける可能性が高い戦いでも、

戦った結果勝つことが

あるかもしれない。

もっといえば、戦って、

一生懸命力を尽くした上で負ければ、

自分自身が納得できる。

グッドルーザーという言葉もある。

不戦敗にしないことは大切なのだ。

もちろん、戦争のように

戦わないことを

まず第一に考えることが

大切なこともある。

だが、人生に大事な場面において、

戦わないで逃げることは

もったいない。

勝負はやってみなければ

わからない。

とにかく戦ってみて

自分の力を試してみる。

戦うことで自分の能力が

向上することもある。

戦わなかった敗北が

ない人生にしよう。

欠点も実力

 

(今日のコトバ)

 

欠点という専門領域にも、

未来は託せる。

 

 

人には欠点がある。

誇るよりは隠したい。

劣等感を感じる自分の能力。

だが、欠点はほんとうに

前向きになれない能力だろうか。

例えば、鈍感。

少し人より感じ方が鈍いことは、

人生で欠点だろうか。

時に欠点かもしれないが、

人生を挫けず生きていくためには、

鈍感ぐらいの方が

助かることが多々ある。

例えば、不器用。

器用でないから

習得するまで時間がかかるが、

愚直に何度も同じことを

やり遂げる力は、

器用な人よりあったりする。

例えば、無口。

雄弁に語る人より

PRは下手だが、

肝心なことを

べらべら話さないという

人としての安心感がある。

その他にもたくさんあるだろう。

欠点は角度を変えれば

実力にもなる。

そう思うと、

自分の欠点も愛しい。

欠点をしっかり見つめて、

どんな能力があるか

考えてみる。

欠点の実力も

捨てたものではないはずだ。

近くの人の価値を下げない

 

(今日のコトバ)

 

遠くの誇大広告ばかり見ていると、

近くの希少価値を見失ってしまう。

 

 

 

遠くのものは良く見える。

汚いものや粗が見えなくて、

キレイに見えてしまう。

風景でも、モノでも、

そして、人でも、

遠くにあると

良く見えてしまう。

特に、人は、

ヒーローだったり、

アイドルだったり、

カリスマだったり、

遠くにいれば

憧れているだけですむものが、

近くにいれば、

汚れた部分は見えてくるし、

たいしたことがない

部分も見えてくる。

嫌いな部分が

顕著になることさえある。

だからこそ、

遠くにいる人を

憧れるのはいいが、

近くにいる人の価値を

下げてしまうことは止めよう。

しっかり見れば、

とても素晴らしい人が

たくさんいる。

ただ、汚れた部分や粗が

見えていただけかもしれない。

遠くより近くにいる人には

お世話になっている確率も高い。

そのことを忘れず、

近くにいる人を大切にする。

忘れてはいけないことだ。

劣等感に感謝

 

(今日のコトバ)

 

あなたの劣等感は、

あなたのかけがえのない

長所でもある。

 

 

隠したくなる劣等感がある。

誰にも知らたくない。

誰にも指摘されたくない。

優越感の対局にあるもの。

だが、考えてみると、

劣等感が人生で

果たす役割は大きい。

特に、

自分の中の

ハングリースピリットを

導き出すためには、

劣等感が必要になる。

自分の負っている欠けた部分は、

何か目標を見つけた時、

強い武器になる。

負い目があるから、

人より頑張る。

ねばる。

耐える。

意地を張る、、。

その行為が自分を成長させる。

そう考えると、

劣等感も愛しくなる。

もっというと、

かけがえのない自分の能力と

考えてもいい。

だからこそ、

劣等感を大切にする。

劣等感を感じれば、

自分のエネルギーに火をつける。

成長する自分になれる。

劣等感に感謝していいのだ。

 

 

一気呵成に走り出すために

 

(今日のコトバ)

 

やまない雨はない。

だが、いつやむかわからない雨が

上がるのを待つことはない。

雨の道を踏み出せ。

晴れた時、

夢にいち早くだどり着くために。

 

 

不遇の時はある。

上手くいかないことが続く。

頑張っているのだが

好転の兆しがない。

その時、自分状況をどう考えるか?

あきらめてしまう。

休んでしまう。

動きを少なくし、

状況の好転を待つ、、。

いろいろな考え方があるだろう。

ただ、一つのやり方として、

不遇だから全力を尽くすという

やり方もあると思う。

状況がワルいから、

気持ちが乗らないのはわかる。

だが、

いずれ状況は変わる。

だとしたら、

その時のために力をつけて、

全開で走り出せる準備をする。

不遇であっても、

全力を尽くす。

手を抜かない。

状況が好転した時、

一気呵成に走り出すために、

力をつけておく。

そんなやり方も

一つの方法だ。

面白い人生はウエルカム

 

(今日のコトバ)

 

人生は、

いのちの喜怒哀楽を生む

劇場である。

 

 

長く生きれば生きるほど、

出来事の財産を積む。

喜怒哀楽という感情も

日々、積み上がる。

だから、人生は面白い。

感動や楽しいことは、

数が多ければ多いほどいい。

悲しいこと、

寂しいことだって、

振り返ると、

人生の大切な

スパイスになることもある。

もちろん、苦しみ痛みを感じ、

傷になることもある。

それでも生きていることは、

最高のエンターティンメント。

ワクワクやドキドキまで

ついてくる。

だからこそ、

少しでも長く生きたい。

願わくば、

元気な心身で暮らせる状況で。

いのちは、

面白い人生ならウエルカムだ。

地球を素晴らしい舞台にする

 

(今日のコトバ)

 

「自分」というミスキャストも

何とか生きていけるのが、

地球という舞台のいいところです。

 

 

未完成のまま大人になる。

大人になっても未完成のままで、

結局、命果てるまで完成しない。

それが人間。

この地球に生まれてきたけれど、

どう生きるのが正解かわからない。

ただ、自分の生まれた環境と選択で

人生を歩んでいく。

それが人間。

地球を舞台と考えれば、

ミスキャストである人も

たくさんいる。

それでも、

幸せと不幸を噛みしめながら、

いい人生というものに

近づけようとする。

ミスキャストでも

一生懸命演技をし、

素晴らしい舞台を

創り上げようとするように。

だから、人生は面白いともいえる。

だから、生きるに値するともいえる。

人間という生きものに

生まれてきた宿命が、

人生という舞台をつくる。

その中で精一杯生きる。

それが人間という生きものの

やるべきことなのかもしれない。

声で認めさせる

 

(今日のコトバ)

 

声は、

一人になりたくないという

気持ちの叫びである。

 

 

なぜ、声を出すのか。

それは承認欲求のためといっていい。

自分が認められたいから、

言葉を声にして発する。

承認欲求というと、

地に足が着いているようだが、

本音をいえば、

一人になりたくないという

気持ちの叫びともいえる。

声。

大声。小声。叫び声。

いろいろ声があるが、

すべては自分を理解させるもの。

そう思うと、

声を出すことは大事。

自分を認めさせるためにも、

自分を明解に表す言葉を声にする。

人生を自分の思いに

近い方向にするためには、

いちばん大切なことだ。

人間には、希望が初期設定されている

 

(今日のコトバ)

 

最後まで希望を

捨ててはいけないのではない。

最後まで希望は

あなたから離れないのだ。

 

 

 

希望。

何か目標を持った時、

その目標を照らしてくれる

灯り。

希望がある、と思うと、

モチベーション高く、

グイグイ推進できる。

反対に、希望がない、と思うと、

モチベーション低く、

やる気が失せていく。

だが、人生で希望がない時など、

本当はないのではないだろうか。

どんな状況にあっても、

希望はある。

否、希望を見つけている。

絶望の淵であっても、

そこに希望はある。

自分の人生を振り返っても、

絶望したり、喪失感があったり、

悲しかったりすることはあるが、

希望がまったなくなったことは

なかった。

希望がない、というのは、

言葉の上だけのこと。

そう思うと、

いつも希望を感じて生きていい。

前向きに生きていい。

人間という生きものは、

希望を初期設定されている。

希望。

絶対自分にあるもの。

そう信じて生きていけばいいのだ。

 

誰かの「生きる理由」になっている

 

(今日のコトバ)

 

誰かの役に立つということは、

誰かの「生きる理由」に

なるということ。

 

 

困っている誰かがいる。

救いを求めている誰かがいる。

その時、

自分が何かの役に立つ。

それは、生きることの

最高の醍醐味といっていい。

では、なぜ最高の醍醐味になるか。

いろいろな要因があるだろう。

ただ、一番の要因は、

誰かのための「生きる理由」を

つくるからではないか。

困っている人は、

困ったままでは

あきらめてしまうかもしれない。

救ってほしい人は、

救われなければ

もう終わってしまうかもしれない。

つまり、役に立ってくれる人が

いなければ、

そこで何かが終わってしまう。

役立つ人がいるから

継続していける。

そう考えると、

役立つことで誰かの

「生きていく理由」になっている。

そのことを忘れずに

生きていけば、

自分の「生きる価値」も

向上していくと思う。