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(今日のコトバ)
絆も少しゆるめておこう。
あまりきつく縛りすぎると、
お互い息苦しくなってしまう。
「強い絆で結ばれている」
そういいきれる人がいることは、
生きていく上で
大きな支えになる。
できれば、絶対いてほしい人でもある。
ただ、強い絆といっても、
あまりきつく縛ると、
結局、人間関係を壊してしまうことに
なりかねない。
相手から要求ばかりされると、
せっかくいい関係を築いていても、
ちょっと離れたくなる。
「この関係は必要ないのではないか」
と思うようにもなる。
それは相手も同じ。
こちらが要求ばかりしていると、
相手にとっても重荷になる。
そう考えると、
絆にも強弱があっていい。
ここぞという時には、
強く結びあうが、
そうでない時は、
ゆるめた関係でもいい。
いい関係とは、
強い結びつきだけではない。
時にゆるめることができる関係こそ、
ほんとうにいい関係なのだ。
(今日のコトバ)
名ばかりのヒーローよりも、
となりで一緒に戦ってくれる臆病者の方が
よっぽどヒーローだ。
ただただ偉そうな上司がいる。
優しそうなふりして、
ここぞという時に、
力になってくれない人がいる。
口だけは達者だが、
その使い道は言い訳ばかりの人もいる。
頼りたい。
助けてほしい。
手伝ってほしい、、。
そう思った時、
相談するのだが、
あまり役に立たない人たち。
ヒーローになってほしいのに、
ヒーローになってくれない人たち。
反対に、
いつも自分のまわりにいて、
それほど目立つ人ではないけれど、
ここ一番では、結構役に立つ。
困った時に側にいて、
いろいろサポートしてくれる。
そんな人もいる。
ヒーローはどこにいるかわかない。
ただ、いちばん身近で、
どこにも行かない人が、
ほんとうのヒーローだったりする。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
贈り物になると喜ばれ、
お荷物になると嫌われる。
サプライズギフトというぐらい、
突然、予想外、あるいは、欲しかったものを
もらえると嬉しい。
人生の中でも、
とびきり楽しいことの一つだ。
だが、同じギフトでも、
欲しくないものをもらったり、
好きではない人からのもらいものは、
嬉しくもないし、
むしろ、不愉快になることもある。
その時、ギフトは、
お荷物になってしまう。
これは人間関係でもいえる。
相手を喜ばせる関係は、
ギフトになるが、
相手が不愉快になる関係は、
お荷物になる。
そう考えると、
できれば、自分は相手にとっての
ギフトでありたい。
そのために、
相手の気持ちをできる限り
大切にしていく。
そう意識することで、
相手にとってのギフトになる。
そんな気持ちで生きていきたいものだ。
(今日のコトバ)
悲しい時は間違った決断をする、気をつけろ。
「自分にとっていい決断したい」
常に、誰もが思っていることだと思う。
最高の決断ではなくても、
最善の決断はしたいと思う。
ただ、自分が悲しみに暮れている時、
もっというと、
自暴自棄になっているような時、
決断をしてしまうと、
正しい選択ができなくなる。
もちろん、正常な状態で決断しても、
いい選択にならない時はある。
それでも、決断という選択を
納得いくカタチにするためには、
自分の気持ちが落ち着いている時がいい。
決断は、正常な気持ちの時に。
肝に銘じたいものだ。
(今日のコトバ)
過去に
傷つけられることがあっても、
未来に
傷つけられることはない。
やってしまったことは
どうしようもない。
いいことも、
ワルいことも、
自分の実績になる。
大きくいえば
歴史になる。
ただ、今より先こと、
つまり未来のことは、
まだ、まっさらだ。
なんの傷もついていない。
どうにでもつくり上げられる。
「未来は未来」と考えて、
前向きに考えていく。
それぐらい大事なもの。
そして、未来は通過する時に
名前を変える。
例えば、「幸福」
例えば、「幸運」
例えば、「奇跡」等。
もちろん、その反対もある。
今を生きているなら、
この先の未来を
どんな名前に書き替えていくか。
そこに集中していい。
これから自分でつくり上げられるものを
大切にしよう。
(今日のコトバ)
夢は、一生引退しない。
「年をとると、
若い時より欲はなくなる」
ほんとうにそうだと思う。
食欲ひとつをとっても、
昔のように食欲はわかない。
それ以外のいろいろな欲の量も、
少しずつ減っている気がする。
ただ、だからといって、
夢が無くなっているかというと、
そうでもない。
子供の頃のような壮大な夢ではないが、
それでも夢はちゃんと持っている。
年相応の夢を持っている。
「楽しんで暮らすために」
「健康に生きるために」
「完結させたいものために」
「家族のために」等。
夢としては現実的かもしれないが、
「こうなったら幸せだ」と
思う未来はある。
だから、人間なのかもしれない。
人間という生きものは、
他の生きものと違って、
笑ったり、
泣いたりできることがあるという。
それと同じように、
夢を見続ける生きものも、
もしかすると人間だけかもしれない。
そう思うと、人生、
いつまでも夢を追っていい気がするのだ。
(今日のコトバ)
ささいなこと。
ちいさいこと。
こまかいこと。
人間が見ているものは、
大きいことなんかじゃない。
いいことも、
ワルいことも、
最初はささいなことだったり、
小さいことだったり、
細かいことだったりする。
そこを見逃したり、
そこを避けて通ったりすると、
後々、大きい問題になったりする。
突然、大きな問題が
身に降りかかったと思うことがあるが、
ほんとうは、その前に、
ささいな芽のようなものが必ずあったのだ。
また、大きな夢だって、
小さな達成の集合体だし、
幸福だって、
一つ一つ確かめてみると、
小さなことの集積だったりする。
つまり、ささいなことや
小さなことが、
人生の方向性を決めている。
だからこそ、
日頃、生きている場面で出会う
ささいなことや小さいことを
大事にする。
そのことを忘れないことが、
間違いない道へ進むことにつながるのだ。
(今日のコトバ)
敗北した点差を忘れるな。
これからその点差を超えることが
未来になる。
敗北した時、
いろいろな気持ちが渦巻く。
決して、前向きな気持ちではなく、
「もうあきらめてしまいたい」という
気持ちが大きくなることもある。
ただ、敗北したということは、
相手との差がわかったということ。
勝てない理由は何かと
考えていくうちに、
勝つためのヒントが見つかることもある。
実は、そこに
人生の未来がある。
もっといえば、
相手との距離=人生の目標に
なることもある。
そう考えると、
敗北することは、
未来を見つけること適している。
悔しさや辛さなどあるかもしれない。
だが、それ以上に未来が
見つかる可能性がある。
自分の考え方次第で
未来は見つかるのだ。
(今日のコトバ)
色眼鏡をかけてしまうと、
人を見る視力が落ちてしまう。
人を見る。
簡単なようで、
こんな難しいこともない。
「あの人は、こういう人だ」と
思い込んでしまうと、
それが間違った判断でも、
なかなか修正できない。
また、誰かから聞いた人物評を真に受けると、
その人の固定概念ができあがってしまう。
あやふやな基準の評価が、
そのまま自分の評価になってしまう。
ほんとうに人を見るには、
これではいけない。
少なくても自分として
正しい判断を下すなら、
直接その人とコミュニケーションを
とってみる。
じっくり腹を割って話してみる。
一緒に行動してみる。
付き合いが深くなると、
まったく違った人物評になる人は
たくさんいる。
少なくても、
先入観ではなく、
自分の眼で見て、
自分でコミュニケーションをとって
相手を判断する。
人を正しく見るために
自分の眼で見ることは大切なことだ。
(今日のコトバ)
昨日、先生に心配されたけれど大丈夫。
今日の私は、昨日よりずっと強くなっている。
人は、毎日、
生きる時間を更新している。
一日一日と記録を塗り替えている。
それに伴い、経験も毎日積み上がっていく。
昨日より今日は、少し賢くなっている。
過去できなかったからといって、
現在できないとは限らない。
技術の進化したこともあるだろう。
精神の強くなったこともあるだろう。
もっといえば、
年齢を重ねると、
知恵が生まれてくる。
その知恵で人生の荒波を乗り越える。
もちろん、
嵐のような荒波で、
乗り越えられないこともある。
ただ、知恵というからには、
自分一人ではなく、
たくさんの人脈を駆使してもいい。
引き出しが増えているのだ。
そのことを意識して荒波も乗り越える。
毎日、生きる時間を更新して、
経験値も増えている。
自分にはその財産がある。
生きるために忘れてはいけない。
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