昔から顔認証で人を信用してきた

 

(今日のコトバ)

 

心の扉を開けることができるのは、

有史以来、顔認証でした。

 

 

 

何か物事を進めようとして、

相手とコミュニケーションを

とりたいと思うと、

やっぱりフェイス・トゥ・フェイスが基本。

どれだけ、メールやSNSの時代になっても、

最後に信用するには、

相手の顔を見ることが大切。

長く生きていれば、

言葉だけでは判断できないこともある。

仮に「できる」といっても、

無理そうだと思うこともあれば、

「できない」といっても、

絶対にできそうだと思うこともある。

それは、顔を見ているからだ。

もっといえば、「大丈夫」といっても、

大丈夫ではないと思うことなんて、

誰の人生でもあったと思う。

そう思うと、

どんな時代になっても、

顔を見て判断することはなくならない。

世の中のセキュリティは

顔認証が増えてきたが、

人間は昔から顔認証を信用してきた。

そう思うのだ。

 

明日があるという気持ち

 

(今日のコトバ)

 

きっと、

あしたの朝は追い風が迎えてくれる。

 

 

 

暑いけど、冷たい風が吹いている。

感染症で時代に逆風が吹いている。

しんどい毎日も続いてる。

思い通りにいかない日もある。

ただ、そんな人にも同じ条件のものがある。

明日が来るということ。

まだ手あかのつかない未来があるということ。

もっというと、そこに希望という

素晴らしい気持ちも含まれる。

明日がある。

ただそれだけで得られる気持ちを

大切にする。

生きるていく上で大変なことを、

気持ちで乗り越える

人生にとってとても大切なことだ。

夢は発表していい

 

(今日のコトバ)

 

夢は、無口であってはならない。

 

 

人は、夢を見る。

大きな夢、小さな夢、いろいろある。

人によっては、

誰にもいわずに密かに夢見ることもある。

ただ、夢というものは一人では完結しない。

たくさんの人の力を借りながら実現する。

そう考えると、

夢は発表していい。

もちろん、手を借りたくない人に

伝える必要はないかもしれないが、

それでも夢の看板を立てて、

それに向かって前進していることを

伝える必要がある。

人の手の力を借りるためにも、

自分の意志の強さを認知させるためにも、

夢は発表していい。

夢実現までの可能性が高まり、

夢実現までの時間が短縮できる。

人生にとって大切なことだと思う。

過去のために使う時間を減らせ

 

(今日のコトバ)

 

昨日に足を引っ張られる今日ではいけない。

明日に手を引っ張られる今日であればいい。

 

 

 

昨日、過去に残された問題で、

今日一日が終わってしまう。

仕事の現場ではよくあることだ。

ミスしたり、報連相ができていなかったり、

トラブルがあったり、、。

過去の件で今日の時間を使い果たしてしまう。

生きている上で、

とてももったいないことだ。

もちろん、不可抗力で

過去の処理をしなければならない時もある。

自分の問題ではなくて、

チームの人間の問題で

時間を使わなければならない時がある。

ただ、できれば、そんな時間を減らしたい。

そして、できるだけ今日するべき仕事をして、

明日、未来のために時間を使いたい。

そのために、回避すべきは、

ミス、報連相、トラブルなどがないように

慎重に作業を進める。

そこがきっちりするだけで、

過去のために使う時間を減らせる。

意識を持って取り組めば、

誰にでもできるはずだ。

続けることは、それは長所を創り出すこと

 

(今日のコトバ)

 

一本の道をずっと走っていれば、

それは遠くまで行けるに決まっています。

 

 

 

長く一つのことを続けていく。

言葉にすると簡単だが、

やってできるかというと、

なかなかできるものはない。

自分の人生でも、

他人の人生でも、

いくつあるか数えるほどだ。

ただ、長く続けたものは、

必ず自分の武器になる。

場合によっては、

生まれつきの才能と別に、

時間をかけた自分の才能になる。

何か一つでも、

長く続けて、

人より秀でることができるものがあれば、

それは人生を有意義にする。

だからこそ、

もし、人生を懸けて

挑戦しようと思うものがあるなら、

続けていくことが大切。

生まれつきではないが、

自分の長所として人生を

輝かせてくれる。

続けること。

それは自分の長所を創り出すことなのだ。

チャンスの多い肯定的な人生を生きる

 

(今日のコトバ)

 

肯定とは、

これから行く道に

光をあてることです。

 

 

 

とにかく肯定的な人。

とにかく否定的な人。

どちらもまわり見受けられるタイプだ。

その二つのタイプを観察していると、

感じることがある。

肯定的な人はラッキーな感じがする。

否定的な人はアンラッキーな感じがする。

少なくとも、肯定的な人は、

何事も前向きに取り組む。

作業は早く進み、楽しんでるようにも見える。

また、肯定的だから、相談されることも多い。

チャンスが多く訪れているような気もする。

反対に、否定的な人は、

何をも拒んでしまうので、

相談もされなくなり、

チャンスもまわってこない気がする。

どういう人生を生きるかは、

自分の意志次第。

チャンスが多い人生を望むか。

そうでない人生を望むか。

もし、チャンスが多い人生を望みたいなら、

肯定的な人生を生きてみる。

試してみる価値はあると思う。

 

すべてはハンディキャップマッチ

 

(今日のコトバ)

 

スタートが同じでも、

階級が同じでも、

0対0で始まっても、

すべての試合はハンディキャップマッチ。

同じ努力で、同じ結果は得られない。

 

 

 

世界中のアスリートの祭典が終わった。

どの競技も世界最高峰の戦いが見られ、

大きな感動をよんだ。

素晴らしいことだ。

ただ、いつも思うことがある。

どの競技も最終的に

ハンディキャップのないものはない。

ルールという縛りの中で、

ハンディキャップをうやむやにしている。

例えばね柔道・レスリングに

体重の階級があるのに、

バレーボール、バスケットボールには

身長別にはならない。

せめて、

175㎝以下、185㎝、200㎝位つくってもいい。

陸上でもカラダの大きさで

カテゴリーを考えてもいい。

もっといえば、国によっては環境的に

コンディションを

つくれない国もあるだろう。

細かくいえば、キリがない。

ただ、世界は、人間は、

それを受け入れている。

すべてはハンディキャップマッチなのだ。

それは、人生においてもいえる。

就職試験にいっても、

実地試験ではトップなのに、

面接で落ちたり、

親の力が働いたり、

まだまだ差別があったり、、。

やっぱりハンディキャップマッチ。

だからこそ、人は強くなろうとする。

スキルアップを考えて、

行動力を駆使して、人脈を増やして、

ハンディキャップを埋めようとする。

その意識がある人とない人で、

人生は大きく変わる。

人生を有意義なものにしたいなら、

ハンディキャップマッチをどうクリアするか。

考えながら生きてみていい。

短い人生を自分の思い描く世界にするために、

とても大事なことだと思う。

 

会話の前に人を判断しない

 

(今日のコトバ)

 

第一印象とは、

まだ真実に慣れていない

風景のことです。

 

 

人の出会いは、

第一印象が肝心だ。

そこで誤解すると、

人として正しい判断が

できなくなってしまう。

第一印象を変えて、

人として正しい評価をして

見つめるまでに時間がかかる。

もちろん、人として正しい判断は

簡単には下せない。

だが、少なくても間違っていないぐらいの

人の判断は下したい。

そのためには、何が必要か。

それには、コミュニケーションをとること。

できるだけ会話をすればいい。

長い時間会話ができれば、

人柄や能力などがわかってくる。

そうすれば、あまり人としての判断を

間違えなくなる。

SNS、メールなどで本当の会話が

少なくなっている。

だからこそ、

会話を増やしてコミュニケーションをとる。

その前の第一印象で人を判断しない。

そのことを肝に銘じておこと思う。

希望と幸福はなくならない

 

(今日のコトバ)

 

絶望や失望が束になっても、

希望に勝てやしない。

不幸や不運が徒党を組んでも、

幸福に勝てやしない。

 

 

人は、絶望や不幸を感じることがある。

いいことがなかったり、

思った結果ができなかったり、

ワルいことが続いたりすると、

気分がいいわけがない。

ただ、そんな気持ちの中でも、

人は希望を持っている。

幸福に包まれている。

絶望だと思っても、

次に何かを考えた時、

希望は生まれている。

不幸だと思っても、

自分のまわりをよく見ると、

幸福がいくつもある。

つまり、希望と幸福はなくならない。

人は生きるために、

希望と幸福は必需品なのだ。

そう思うと、

自分にはいつも希望と幸福がついていると

信じて生きていける。

少しだけ安心して生きていける。

希望と幸福を常に意識して生きていこう。

「誰かのために」何か役立った時、幸せを感じる

 

(今日のコトバ)

 

幸せは、

「あの人のために」の報酬である。

 

 

簡単に幸せになるというけれど、

どうすれば幸せになれるか

わからないことも多い。

幸せになるということが、

100%誰にでも簡単にできるなら、

幸せという言葉が、

これほど尊いものにはならないだろう。

では、どうすれば幸せになれるか。

これば自分だけの考えだが、

「誰かのために」と行動した時、

幸せが近づいてくる。

そして、誰かがほんとうに喜んでくれると、

自分も幸せになれる。

そう思えてならない。

「誰かのために」というからには、

相手がいることだから、

簡単に幸せになれる保証はない。

誰かという相手が、

何も感じてくれないこともあるし、

大きなお世話と

思ってしまうこともあるだろう。

だから、幸せはちょっと手間取る。

だけど、それでも、

「誰かのために」何か役立った時、

幸せを感じる。

それだけは間違いないように思う。