命の時間

 

(今日のコトバ)

 

 

時間は、命が使った音を刻んでいる。

 

 

 

人は、時間の中で生きている。

大切な時間。

ムダな時間。

愛しい時間。

くだらない時間。

楽しい時間。

つらい時間、、、、、。

様々な時間がある。

その時間は、

すべて生きる時間。

もっといえば、

命の時間ともいえる。

一秒、

一分、

一時間、

一カ月、、、。

命が時間を使っているのだ。

そう思うと、

やっぱりどんな時間も貴重。

命の時間だと思えば、

大切に使わずにはいられない。

いま、時間をいいかげんに

使っていると思う人は、

命の時間だと思って生きてみよう。

いいかげんな時間が、

少し貴重なものに思えてくる。

もっと時間を大切にして

生きていけるはずだ。

恥とは、自分を裏切ること

 

(今日のコトバ)

 

恥をかくことは、

恥ずかしいことじゃない。

恥ずかしいこととは、

自分を裏切ることだ。

 

 

 

人生を振り返ってみれば、

恥ずかしいことでいっぱいだ。

「なんで、あんなことしたのだろう」

「なんで、あんなにかっこワルいことを

したのだろう」

そんなことが思い浮かぶ。

だが、ほんとうに恥ずかしいこととは何か。

年をとるとよく考える。

それは、かっこワルいことなんではなく、

いちばんの恥は、自分を裏切ること。

もっというと、

自分の良心に背くことをすること。

それこそが恥だと思う。

若い頃、恥だと思ったかっこワルいことは、

生きるために、成長するために必要な

大切なことだった。

決して、恥ではなかったのだ。

そう思うと、

できれば、ほんとうの恥を

かかないで生きようと思う。

自分を裏切らないで生きようと思う。

恥ずかしいことは、

いくらあってもいい。

自分を裏切ることだけはしないで

生きようと思う。

平凡力

 

(今日のコトバ)

 

いつでも平凡でいられる。

これほど非凡な人はいない。

 

 

いつも平凡でいられる。

もっというと、

いつも不動でいられる。

そんな人を誰でも一人は知っているだろう。

その人を見て、どう思うか。

どんな状況でも、

慌てず、ブレず。

冷静に生きている。

つまり、

どんな状況でも平凡な精神状態で

いられる人は、

本当は特別に非凡な人なのだ。

おそらく、不安なこともある。

あわてることもある。

辛いこともある。

だが、それらを表の顔に出さない。

人として、

こんな凄い人はいないと思う。

それと同じように、

平凡な生活をどんな状況でも

つくれる人は、やっぱり凄い。

生活の中にある困難な状況を

すべてまとめて平凡にしてしまう。

そんな平凡にしてしまう力、

平凡力を持っている人を

尊敬する。

そして、自分のまわりに平凡力を

持っている人がいると、

自分も揺れすぎる人生にならずに

生きていける。

そんな気がするのだ。

 

「才能」を「習慣」が追い抜いていく

 

(今日のコトバ)

 

絶対王者「才能」に

勝つことのできる必殺技がある。

「習慣」は、

「才能」を連打で倒すことができる

必殺技なのだ。

 

 

 

「才能」はわかりやすい。

あきらかに他より秀でていて、

素晴らしいと思わせる力がある。

「才能」があるといわれると、

その段階で競争できない、

完敗だと思ってしまう。

だが、神様は

「才能」がある者だけを

優遇するわけではない。

「才能」に対抗しうる人間の力も

平等に評価する。

それは「習慣」の力。

毎日毎日、同じように力を発揮し、

最初は「才能」との差が大きく開いているが、

何年か、何十年かすると、

「才能」を「習慣」が凌駕することがある。

地道かもしれない。

かっこよくないかもしれない。

だが、長く人生を生きていると、

「才能」を「習慣」が追い抜く状況に

何度も遭遇する。

だからこそ、

「才能」に恵まれなくても

戦い方はある。

目標を立てて「習慣」をつくり、

継続する。

「才能」に勝つ一つの戦術なのだ。

得たものの力で生きる

 

(今日のコトバ)

 

失ったものもあるけれど、

それ以上に手に入れたものがあるから、

あなたは、いま、ここに生きているのだ。

 

 

 

 

生きていると、

失うなうものはある。

物質だけでなく、

人をはじめとする生きものとの関係等、

失うことがある。

失ったばかりは、

辛いと思う。

立ち上がれないと思うこともある。

だが、失うものもあるが、

それ以上に

得るものもたくさんあったはずだ。

日々の暮らしの中で、

物質的なものもそうだし、

出会いが新しい人間との関係を

構築していく。

また、新しい目標という

生きるモチベーションも生まれる。

失ったものは、

得たもので埋める。

さらには、積み上げる。

そして、失った辛さを少しずつ消しながら

生きていく。

いま、ここに生きていられるのは、

得たものの力が大きい。

そして、その得たものの力が、

これからの未来をつくっていく。

そのことを心のどこかで刻んでおこう。

「努力」を評価してあげる

 

(今日のコトバ)

 

陽のあたらない「努力」だから、

「努力」に声援をおくれ。

そして、「努力」に拍手をおくれ。

 

 

 

なかなか評価されないものがある。

勝利した時、

成功した時、

一瞬評価されるもの。

「努力」

本当は、まわりにいる人は、

その「努力」をしている姿を

見ていて、陰日向なくがんばっている人は

評価されている。

だが、それも結果がついてこないと、

「がんばってるんだけどね」と

「努力」も小さくなってしまう。

だが、待てよ、せめて、自分だけでも

「努力」を評価してあげてもいいのではないか。

「努力」した自分をほめてあげたり、

「努力」自体を評価してあげたり、

「よくやった」と慰労してあげる。

なんとなく、「努力」は裏方的、

縁の下の力持ち的に考えられるが、

本当は、「努力」したことは、

それだけで評価に値する。

そのことを忘れてはいけない。

 

未来は、これからをつくることができる

 

(今日のコトバ)

 

未来なら運命に偉そうな顔をされず、

自分でつくっていける。

 

 

 

過去は変えることができない。

自慢したい過去も、

隠したい過去も変えることはできない。

現在もコントロールはできても、

まったく白紙から変えることはできない。

白紙から変えたいと思ったら、

未来しかない。

そんなことはわかっている。

だが、日々の生活に追われていると、

未来が白紙であることを忘れてしまう。

だからこそ、

一度、立ち止まってみて未来の価値を

考えてみたい。

未来なら、設計できる。

未来なら、自由にできる。

未来なら、運命を変えられる、、、。

未来は、これからつくることができるのだ。

未来。

これから先の人生を素晴らしいものに

変えられる時間。

そのことを意識すれば、

未来の価値はもっと上がる。

生きる中で、

未来というこれからの時間を

大切にするのだ。

幸せは、そこはかとなく醸し出る

 

(今日のコトバ)

 

しあわせに生きることが、

いちばんオシャレだ。

 

 

 

なんだかんだいっても、

幸せに生きている人が

いちばんステキだ。

はた目から見ても、

自分自身も幸せだと思える。

そんな人生がおくれたら最高だ。

もちろん、はた目から見て幸せそうでも、

実際は違うこともあるし、

自分自身がどこで幸せの

線引きをするかにも違う。

ただ、そこにいて、

幸せな人はわかる。

やっぱりどこかに

幸せオーラのようなものがある。

そのオーラの中に幸せの本質が

あるように思える。

幸せは目に見えないものだから、

断定はできない。

だが、どこかに幸せがあるとするなら、

そこはかなく醸し出すものの中に

幸せはある。

幸せを満喫している人は、

そこはかとなく醸し出す。

そう思えてしまうのだ。

点差は、目標と未来になる

 

(今日のコトバ)

 

敵に負けた点差に未来がある。

点差をつめて、

点差を超えたところに未来がある。

 

 

 

負ける。

点差をつけられて、

負けてしまう。

悔しい。

点差が現実を突きつけてくる。

才能の差、

実力の差、

運の差のすべてが、

点差となって現れる。

悔しい。

だが、この点差からくる悔しさは、

考えようによっては目標になるし、

未来になるともいえる。

「この点差を縮めるために、

努力する」

そう思えれば、

これほどわかりやすい目標も未来もない。

戦いの後の点差を必ず

次のテーマにする。

どう点差を詰めていくか。

どう点差を逆転していくか。

そこに向けて切磋琢磨する。

それこそが目標と未来になる。

そう思うと、

負けて点差がつくことも、

人生の目標設定という意味では、

いいものだと思う。

人間は、しんどい人生を笑って生きる

 

(今日のコトバ)

 

人間は笑いがなければ、

これだけしんどい人生を

生き抜くことはできなかった。

 

 

 

笑う生きものは人間だけという。

きっと、人間には、

いろいろな気持ちがあって、

笑いがなければ生き抜けなかったのだろう。

悲しみ、怒り、寂しさ、苦しさ、

人間にとってしんどい気持ちはたくさんある。

その気持ちに対して、

笑いという一撃でリラックスさせる。

もし、笑いがなかったらと考えると、

ちょっとゾッとする。

簡単に考えている笑いも、

として大切なもの。

自分のまわりで笑わせてくれる人、

テレビで笑わせてくれる人、

自ら笑いをつくる人、

みんなみんな生きていくために

貴重なのだ。

いま、生きることがしんどい人は、

まず、笑える環境を探せ、つくれ。

とにかく笑って、笑って、笑う。

そこにしんどさから逃れる道がある。

人間は、

しんどい人生を生き抜くために

笑いをつくったのだ。