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(今日のコトバ)
一言で変わる。
一歩で変わる。
一撃で変わる。
人は、一瞬で変われるのだ。
人は、
一瞬で変われる武器を持っている。
言葉を伝えることで変われる。
一歩踏み出すことで変われる。
攻めることで変われる、、、、。
自分の行動で一瞬をコントロールできる。
これが、他人をコントロールしようとすると
難しい。
自分でないから、相手の行動待ち。
動いてくれなければ、
何も解決しないこともある。
だが、自分だったら、
かなりの部分行動で解決できる。
この武器を使わない手はない。
人生は短い。
待っていたら、
それだけ時間をロスすることもある。
だとしたら、
自分で動けばいい。
多くの場合が一瞬で変わる。
人生を、時間を有効に使うために、
一瞬で変われる武器を使うのだ。
(今日のコトバ)
人間に生まれてきたんだ、
一生分の幸せを使い果たして
生きていこうじゃないか。
幸せの数、
幸せの分量などわからない。
ただ、極論すると人生は
幸せと不幸せで構成されている。
そう考えると、
いかに幸せの数を増やして生きるかが
人生の課題になるともいえる。
となると、やり方、方法はともかく、
貪欲に幸せをつかみにいくことが先決。
幸せの前で遠慮したり、
幸せの前から逃げたり、
幸せでないと不貞腐ったりすることは
意味がない。
幸せとあらば
全部いただくぐらいの気持ちでいい。
人生は、どうしても避けられない試練がある。
その時、幸せをたくさん装備して
乗り越える。
人生のいろいろな場所、時間で使える幸せ。
人生のいろいろな場面で感じる幸せ。
人生を楽しいと思わせてくれる幸せ、、、。
それらの幸せで、
試練や不幸せを乗り越える。
幸せ収集家ぐらいの気持ちで生きていこう。
(今日のコトバ)
1%の可能性だって、
全力を1%に懸ければ、
1%は100%になる。
「99%ダメ」とか、
「確率は1%もない」とか。
絶体絶命、
絶対無理な時に、
数字で表そうとする。
だが、この%に何の根拠もない。
もっといえば、77%を99%と
いっているかもしれないし、
6%を1%と表しているかもしない。
最近の言葉ではエビデンスというものが
本当にあるかというと、
極端な数字の場合、
なんとなくの
イメージでしかないことが多い。
だとしたら、仮に、確率が1%しかないと
いわれているのなら、
その1%に全力を傾けてみる。
確率1%を疑ってみて
全力という100%の力を投入する。
結果はどうなるか。
それこそエビデンスをとってみたいが、
確率1%なんてことはないような気がする。
ただ、可能性が低いというだけ。
だとしたら、全力でその%を変えてみる。
それこそが
人生の大きな醍醐味ではないだろうか。
(今日のコトバ)
才能がある者より、
センスがある者より、
努力をする者より、
その上の者がいる。
人気のある者である。
人には様々な能力がある。
才能、センス、努力、、、、、。
細分化すれば数えきれないほどあるだろう。
ただ、それらの能力を超越して
No.1に輝くものがある。
それは、人気があるということ。
人気で頂点に立つの難しい。
才能があればいいかというと、
それだけではない。
センスがあればいいかというと、
それだけではない。
努力できればいいかというと、
それだけではない。
反対に、才能がなくても、
センスがなくても、
努力する力が足りなくても、
人気があることはある。
人柄とか、
ルックスとかとかも加味される。
もっというと、
時代を捉える能力も必要。
言葉にすると、
人間の総合力とでもいおうか。
ただ、人気があるということは、
生きる上で、
頂点の力を持つこともできる。
人気。
人間の能力の難しさを
もっとも象徴するものだと思う。
(今日のコトバ)
「平凡」な暮らしの中では、
「特別」が欲しかったけど、
「特別」な暮らしの中では、
「平凡」が欲しくなった。
人間は、ないものねだりする生きもの。
欲しいものが手に入ると、
手に入ってないものを求めはじめる。
人生においても同じことがいえる。
平和で平凡な暮らしをしていると、
刺激のある特別な時間が欲しくなる。
平凡に生きていると、
そんな思いで生きることが多くなる。
だが、いまのコロナ禍のような
特別な時間の中で生きると、
平凡な時間を過ごしたくなる。
否、平凡な時間こそが
幸せの源泉ではないかと思いはじめる。
生きていると、どちらの気持ちにもなる。
どちらかが正解ということはない。
ただ、平凡な時間であっても、
特別な時間であっても、
幸せはある。
そのことを理解して生きていければ、
人生の幸福度はもっと上がると思う。
(今日のコトバ)
「その気」が「やる気」を連れてきて、
「やる気」が「勇気」の手を引っ張って、
「勇気」が「本気」で勝負する。
人生は気持ちの問題だ。
ます゛、その気になれるかという
最初の問題がある。
その気になると、
その気はやる気という
情熱を持った気持ちに変わる。
やる気になると、やる気は
自分の人生の方向性を決めていく。
やりたいことに前進する気持ちが、
人生の行くべき場所を明解にする。
そこで、やる気は足りないものが何かを探す。
探すのは勇気。もっというと、
後は勇気が出れば、
行くべき場所へ飛び込んでいける。
そして、勇気が飛び込むことができた時、
本気という魂になる。
人生のすべては気持ちの問題。
気持ちはその時々で変化していく。
変わっていく気持ちを、
どう自分のものにしていくか。
それが生き方につながる。
上手につなげられる人は、
人生を自分のものにできる。
そう思うのだ。
(今日のコトバ)
夢の道を走り続ける。
希望は必ず迎えにきてくれる。
人は、夢がなければ生きていけない
生きものだ。
では、なぜ、夢がなければ
生きられないのか。
それは、夢があると目の前に希望が
生れる。
もっと、何かをしようという意欲が出てくる。
自動的に前向きに生きることが
できるからのような気がする。
夢には大きい小さいがあるが、
そのすべてにもれなく希望がついてくる。
人生を素晴らしいものに彩ってくれる。
そう思うと、もっと、
夢を持つことの意義を考えて
生きるべき。
夢に向かっている人生は、
自分をいい方向に向けてくれる。
そのために、夢があるといっていい。
夢。
人生にとって、
最高のギフトなのだ。
(今日のコトバ)
今日に次回はない。
初日で千秋楽。
全力で生きるのに
不足のない舞台なのだ。
今日という日は、たった一日しかない。
誰もがわかっている。
だが、その価値を存分に使って
生きる人は、
それほど多くないように見える。
一日をだらしなく過ごす人。
ルーティンワークに身を任せている人。
誰かに押し付けられたことを
こなすだけの人。
ただ忙しいだけで時間が過ぎる人、、、。
目的を持って、目的に近づくために
邁進しているという人ばかりではない。
だが、人生は一度きり。
自分の理想とする生き方ができた方が
楽しいに決まっている。
そのためには、目的を持って、
目的を達成する人生がいいはずだ。
そう考えると、
今日という一日にも目的を持たせる。
今日の目的達成が人生の
目的達成になる。
そんな人生にしていくのも、
人生を有意義に生きる方法だ。
(今日のコトバ)
やさしい嘘があるのは、
きっと、つらい真実があるからだ。
真実を伝えることが難しい場面がある。
なぜか。
それは、真実を伝えることで、
相手が傷つくと思うからだ。
そこで、人間が編み出したのが、
やさしい嘘。
編み出したというのは
正確ではないかもしれないが、
人間の知恵の傑作といっていい。
仮に、やさしい嘘がなかったら、
病名をどう伝えればいいのだろう。
仮に、やさしい嘘がなかったら、
愛の答えをどう伝えればいいのだろう。
仮に、やさしい嘘がなかったら、
人事評価をどう伝えればいいのだろう、、、。
すべて、真実を伝えればいいという人もいる。
結局、真実を伝えることになることもある。
だが、真実を伝えるにもやさしい嘘を
混ぜながら伝えることで、
少し心が落ち着くこともある。
やさしい嘘。
嘘であるには違いないが、
誰かのことを思ってつく嘘は、
人生を生きていくために大切なもの。
うまく使っていきたいものだ。
(今日のコトバ)
持ってる人は、
最後まで「運」を持っている人。
「あいつ、持ってるな」と
いうことがある。
何を持っているのだろうかと思う。
自分のまわりで考えた時、
ひとつの答えに突き当たる。
それは、「運」を持っている、と。
もっというと幸運な人ともいえる。
では、なぜ「運」を持っていて、
幸運なのだろうか。
それも、ひとつの答えが浮かぶ。
何事も前向きに取り組む人。
前向きに取り組む人が、
「運」を持っている。
「運」をコントロールしている。
結果、幸運な状況をつくる。
自分まわりの
漠然としたマーケティングだが、
結構間違いないと思っている。
だからこそ、
自分も前向きに取り組むように
努力しているつもりだ。
ただ、つもりぐらいでは、
足らないのかもしれない。
本気で前向きに生きる。
それぐらいの意識が必要。
長い人生。
幸運な人生を生きたかったら、
何事も前向きに取り組む。
ひとつの核心だ。
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