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(今日のコトバ)
言葉は贈り物になる。
そして、贈った先で生き物になる。
人は日々の生活の中で、
たくさんの言葉を交わす。
挨拶の言葉、
仕事の言葉、
恋愛の言葉、
友情の言葉、
教育の言葉
たわいのない言葉、、、、、。
いろいろな言葉が人生を
行ったり来たりする。
その言葉たちは、人生においての
贈り物の一つといっていい。
自分の欲している何かが、
言葉になって届く。
いい言葉ばかりではないけれど、
自分の心に言葉は届く。
言葉という贈り物は、
その届いた先の心で、
今度は生き物として活動し始める。
心を温かくしたり、
心を寂しくしたり、
心から怒りを感じたり、
心から悲しくなったり、、、、。
言葉に力が無かったり、
言葉の意味が分かり辛かったりすると、
心に残らない贈り物になったりもする。
考えてみると、
人の一生は、
生まれてから命果てるまで、
言葉という贈り物を
もらい続けて生きる。
その贈り物を大切にする人と
大切にしない人で、
人生が大きく変わっていく。
良くもなればワルくもなる。
劇的に変えてしまうことさえある。
言葉という贈り物。
人生にとってかけがえのないこの贈り物を
大切にして生きていく。
人生を有意義にしていくために
忘れてはいけないことだと思う。
(今日のコトバ)
目標は、
立ちふさがる壁に
でっかく落書きしろ。
目標は、
明快にした方がいい。
そして、目立つところに書いて貼る。
「・・・・大学合格」
「上期予算・・・%達成」など
書いて貼ってあるのを見たことが
あると思う。
同じように自分の夢も、
自分の目につくところに、
大きく書いておく。
できれば、奇想天外な目標ではなく、
自分の努力次第で達成可能な目標を
書いて貼る。
旧くて、あたりまえだと
思うかもしれないが、
つねに目標を忘れないという意味で、
効果は抜群だ。
忘れようにも忘れられない。
いつも目標を意識できる。
目標を意識できれば、
日々の行動が目標達成に向けて
まとまっていく。
はじめの一歩かもしれないが、
この一歩を力強くアシストするのが、
目標を大きく書いて貼ること。
実践してみる価値はある。
(今日のコトバ)
最高とは、
楽しみながら記録と記憶を
更新すること。
いい人生をおくっていると
思えるのは、
どんな時だろう。
夢が叶った、
不可能が可能になった、
とても充実感を感じた等々。
いろいろある。
ただ、日常という長い期間を
過ごしていくなら、
あまりにバクチのような
人生はきつい。
できれば、
充実した時間を楽しみながら
自己ベストを更新するような
人生にしたい。
そのために必要なことは何か。
それは、自分のやりたい道を
コツコツと継続すること。
同じようなことでも、
愚直に前へ進む。
すぐにあきたり、
すぐにあきらめたら
余計にしんどくなる。
元に戻ることなく前進することが
自己ベストを更新する道と信じる。
そこに自分の人生の
記録と記憶を更新する秘訣がある。
最高といえる人生にするために、
やりたい道を歩き続ける。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
練習も、努力も、嘘をつく。
だが、嘘をつかせたのは誰だ?
自分だ!
努力は裏切らないとか、
流した汗は嘘をつかないとか、
そう信じて取り組んだ
目標はたくさんある。
だが、実際、努力が裏切ることもあれば、
流した汗が嘘をつくこともあった。
実際に目標にトライして失敗した人は、
誰でもそういう思いはあるはずだ。
ただ、努力がほんとうに努力と呼ぶに
ふさわしい努力だったか?
そう問われると、
自分自身の努力に疑問符がついたりする。
特に、目標の設定が高ければ高いほど、
努力も精進しなければならない。
その精進すべき努力を自分がしただろかと
自問すると、
目標を達成しなかった時、
自分は自信がなかったりする。
だからこそ、せっかく努力したなら、
その努力を報いるためにも
目標を達成する。
自分が目標達成するための努力を
すべてする。
全力で精進する。
そこまでやって努力は努力として
成立するのだ。
ソフトバンクの王会長が選手時代、
「努力は必ず報われる。
もし報われない努力があるならば、
それはまだ努力と呼べない」という
名言を残した。
その通りなのかもしれない。
努力に費やしたすべてに報いるために
目標を達成し、努力が実を結んだという
結末を迎えるようにしよう。
(今日のコトバ)
あの人に「どう思われているか」で
生きていると、
自分が小さくなっていく。
あの人に「何をしてあげるか」で
生きていると、
自分が大きくなっていく。
人の眼とか、人の気持ちは、
気になるものだ。
気にしないように思っていても、
知らず知らずのうちに気にしている。
その時、
自分の気持ちをどう持っていくか。
人の眼を気にしてばかりいると、
自分の生き方が
制限されている気がするし、
小さくなる気もする。
では、どうやって
人の眼に対すればいいのか。
気にしてばかりするのは
精神的によくないから、
いっそのこと、
自分から何かをしてあげれば
いいのではないだろうか。
「能動的に動く」
眼の気になる人に、
気持ちの気になる人に、
何かをしてあげる。
そのことによって、
自分自身がポジティブになる。
自分の領域が広がる。
場合によっては、
新しい世界が広がるかもしれない。
気にしているより、
ポジティブに。
自分の気持ちを大切に生きていこう。
(今日のコトバ)
ミスはちゃんと
自分のせいにしましょう。
他人のせいにしたら、
自分のマイナスが残ってしまう。
人生のあらゆる場面において
ミスはつきものだ。
何かの仕事をすれば、
ミスする確率は上がる。
当然、ミスを防止しようするが、
どうしても避けられないこともある。
その時、
ミスの当事者が自分である場合、
自分はどう行動するだろう。
ミスをしたのだから、
まず謝罪をする。
あれこれ手配をして、
ミスした状況を改善するよう動く。
あたりまえの行動だ。
だが、時として、
ミスを誰かのせいしたり、
当事者でないフリをしたり、
何もしないで
逃げようとする時がある。
そうなると、
ミスはいつまでも
自分のまわりにとどまってしまう。
誰かのせいにしても、
問題は解決せず、犯人捜しがはじまり、
自分のまわりをウロウロする。
また、当事者でないフリをしても、
問題は自分から離れようとしない。
自分で起こしたミスは、
自分のマイナスでもある。
責任転嫁をしてる間は、
自分のマイナスはいつまでも
自分に残ってしまうのだ。
だからこそ、
自分のミスは、まず、
自分で申告する。
誰かのせいではなく、
自分の範疇でミスしたことを
伝え謝罪する。
すべてはそこから始まる。
そして、できれば、
可及的すみやかに
ミスの原因を究明し
対応策を考える。
そして行動する。
そこができないと、
ミスはいつまでも自分の
マイナスのまま。
仮にその場は逃げ切れても、
いずれまた、自分にミスのつけが
戻ってくる。
ミスを放置してはいけないのだ。
(今日のコトバ)
「ありがとう」が
「あいしてる」の手をつかんで
心に届く。
一言で「ありがとう」といっても、
「ありがとう」にはいろいろな
気持ちがこもる。
助けてもらった時の気持ち、
仕事をしてもらった時の気持ち、
悲しい気持ちを支えてもらった時の気持ち、
楽しさを提供してもらった時の気持ち等々。
感謝する時、
「ありがとう」という言葉が使われる。
その時、
ただあいさつのように、
それこそ言葉だけで「ありがとう」を
伝えることもある。
だが、「ありがとう」という言葉には、
とても重要な役割を持っていることを
忘れてはいないだろうか。
「ありがとう」には、
「私を愛してくれて、ありがとう」という
言葉の前の気持ちも込められているのだ。
「私を愛してくれて」というと
少し重いような気もするが、
よく考えてみれば、
自分に多かれ少なかれ愛がなければ、
何かをしてくれることはない。
それは、「好き」より
「愛している」に近いと思う。
もちろん、仕事を遂行してもらって、
お金で割りきれる「ありがとう」もある。
だが、それでも「ありがとう」が
行き交う関係が続いているのなら、
「愛している」の気持ちが
芽生えていくはずだ。
人と人との関係で
情が話題になることが少なくなった。
だからこそ、「ありがとう」には、
「愛している」の気持ちがこもっている。
そう思って生きていきたいものだ。
(今日のコトバ)
決心したら荷物はいらない。
まずは、列車に飛び乗れ。
タイミングを逃す。
これほどもったいないことはない。
人生のさまざまな場面で
タイミングを逃したと
後悔することがある。
「準備ができていなかった」
「遠慮してしまった」
「じっくり考え過ぎてしまった」等。
絶対にやるべきだと思っていても、
ちょっと悩んでいる間に、
タイミングを逃し、
チャンスが去っていってしまう。
誰にでも経験があるはずだ。
そして、この時の後悔しない方法も、
誰もがわかっている。
目の前にあるチャンスには、
自分がどんな状態であっても
飛び込むこと。
とにかくチャンスには飛び乗る。
ほんとうは準備完了の状態で
乗る方がいいに決まっている。
だが、準備が完了していることなど
ありえない。
どこかで足りないものがあって、
不安をかかえている。
考えてみれば、どれだけ準備しても
不安はついてまわる。
だとしたら、
いま目の前にある
チャンスという列車に飛び乗る。
グッドタイミングは、
何度の訪れない。
一度きりかもれない。
この列車に乗れなければ、
チャンスは訪れないかもしれないのだ。
そこで待ちの姿勢ではいけない。
勇気をもって一歩踏み出す。
チャンスという列車に乗ってから、
不安は解消すればいい。
とにかく、勇気をもって
飛び乗ることだけを考えよう。
(今日のコトバ)
耳が痛い話をするガイドに、
人生の道案内をさせなさい。
自分にとって
耳の痛い話をする人がいる。
その瞬間は、
腹が立ち頭にくる。
「何いっているんだ」と思うことも多い。
だが、時間が経って振り返ってみると、
「なかなか的を得たこといっていた」と
思うようになる。
むしろ、腹が立ったのは、
正しいことストレートにいわれたから
だったりする。
ほとんどの人は
人間関係を壊さないように、
あたりさわりのないことしかいわない。
仲が良くなると、
その気持ちがより大きくなる。
仮に間違った方向に進んでも、
何もいわないことも多くなる。
そんな中で、
耳の痛いことをいっくれる
存在は、貴重でありがたい。
付き合い方、いい方はある。
だが、それでも本人にとって、
グサッと耳の痛い言葉を
伝えてくる人は、
遠ざかるより
近くにいてもらった方がいい。
必ずどこかに自分にとって
戒めになることをいっている。
生きていく上で、
大切なアドバイザーだと思えば、
こちらも素直に話を聞ける。
人生には様々な道が用意されている。
楽で優しそうな道を知らず知らずのうちに
選んでしまう時、
「そっちの道は間違っている」と
いってくれる人がいることは、
自分を危ない道から遠ざけるためにも
必要なのだ。
(今日のコトバ)
今日の1時間は、
昨日の24時間より
価値を生むことがある。
どんなに素晴らしい
パフォーマンスをしても、
昨日になってしまえば、
もうそれ以上のものに
することはできない。
過去になってしまったものを、
「あの時は、凄かった」と
振り返ることはできても、
それは過去のこと。
現在進行形ではない。
もっというと、
現在なら
過去を超えるパフォーマンスが
できるかもしれない。
過去の経験が土台になり、
現在はその上のものを
つくり上げられるはずだ。
過去を超えられる現在。
そう考えると、
現在に生きるということは、
大きく成長できるということ。
「もっと成長したい」と
思ったら、
過去に引きずられずに、
現在を大切にする。
現在のパフォーマンスは、
人生のスキルを懸けて発揮できる。
現在を全力で生きるのだ。
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