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(今日のコトバ)
白と黒の戦いばかりしていたら、
虹の架け橋なんてつくれやしない。
「白、黒、はっはりつけろ!」と
人はよくいう。
勝負事だと、勝ち負けがあり、
わかりやすく白星・黒星が
つくからいい。
だが、生きていると、
決して、白と黒では決着しない、
解決できないものがたくさんある。
引き分けだの、灰色裁定だの、
喧嘩両成敗だの、、、、、。
どうしても白と黒にはならない
ことばかりだ。
もっというと、
決着をつけないからこそ、
円滑に世の中が
まわっていることがある。
この先に進むために、
ここで勝敗をつけない。
むしろ、共同で作業することで
結果、すべてがいい方向へ進んだりする。
そう考えると、
人生、白でもなく、
黒でもなく生きることもありだ。
時に実力のなさ、
時に決断力のなさ、
時に優柔不断といわれても、
それも一つの生き方。
白でもなく、黒でもなく、
幸せになる生き方もあるのだ。
(今日のコトバ)
夢が叶う人は、
夢が叶うと、
夢見たときから決めていました。
立志伝中の偉人もそうだった。
自分のまわりで
頭角を現す人もそうだった。
「夢が叶ったらいいな」という
願望ではなく、夢を叶えようと思ったとき、
もう夢が叶うと信じていた。
もっというと、
夢が叶うと決めていた人が多かった。
「できれば、、、」
「いいな、、、、」
「したい、、、、」とかの
言葉で考えるのではなく、
「なる」
「できる」
「決める」という
言葉で考えていた。
その夢設定の違いが達成までの
違いになっていた。
願望のようなあやふやなものではなく、
実現するという確固たる信念。
その差が達成できるかできないかの差。
いま、自分の夢を
達成しようとしている人は、
確固たる信念があるか、
自分の心と相談してみよう。
あるとはっきりいえる人は、
達成までの困難な道も
のり越えられる可能性が高い。
まっすぐ走っていけばいいのだ。
(今日のコトバ)
人生では、
欠点、失点、減点、赤点、
たくさんあっても、
今日ここに生きている限り
満点である。
いろいろな「点」と共に
人は生きている。
決して、得点ばかりではなく、
失点もたくさんある。
もっといえば、
欠点という欠けている点もあれば、
赤点という満たない点もある。
人生、減点されていく
ゲームの要素もある。
だが、得点だけでなく、
減点もたくさんあったけど、
今日まで生きているのだ。
ちゃんと自分のポジションがあって、
生きているのだ。
それは、どんな得点よりも凄いことだし、
どんな減点も帳消しにすることでは
ないだろうか。
言葉にすれば、満点。
今日までちゃんと生きていたら、
いろいろ問題があっても満点。
そう思っていいのではないだろうか。
人生は無数の戦いに参戦する。
その戦いを続けてこれた人は、
すべての点を満たしている。
人生を生き抜いたことが
素晴らしいのだ。
(今日のコトバ)
人間は、
不可能を可能にする
プロフェッショナルです。
なぜ、人類は進化してきたかというと、
それはひとえに不可能を可能に
してきたからだ。
人類は、
もっと生きやすくするために、
英知を集めて進化してきた。
その繰り返しが、
人類がとんでもない暮らしができる
環境までつくり上げた。
つまり、人類は不可能を可能にする
プロフェッショナル。
なにかそこに生きるための課題がある時、
課題を解決しながら、
より生きやすい世界をつくり出してきた。
そう思うと、
人間の能力は無限といっていい。
あらゆる世界の不可能を可能にできる。
いま、全世界的に
新型コロナウイルス感染症が
蔓延しているが、この肺炎も、
人類の英知で薬や対処法が生み出され、
きっと、解決される。
その人類の不可能を可能にする力を
信じて生きる。
忘れてはいけないことだ。
(今日のコトバ)
口ぐせは、
出会いたかった未来へ
つれて行ってくれる。
夢や目標があって、
その夢や目標に通ずる言葉を
頻繁に使うことがある。
「(夢に向かって)、こうしたい」
「(目標に向かって)、こうするんだ」
という自分の願いを口にする。
その言葉を頻繁に使いながら、
自然に夢や目標の方向へ
進んでいる。
意識して、あるいは無意識のうちに、
行動が夢や目標に進んでいる。
まわりの人間も、
そのことを理解するから、
その方向に前進できるアシストをする。
チャンスを自分で見つけ、
まわりの人が見つけてくれる。
知らず知らずのうちに、
夢や目標を叶えるための
いい環境ができあがる。
はじまりは、自分がよく口にする言葉。
だからこそ、願いは口にすべき。
そこから、
人生が夢や希望に向う環境ができる。
口ぐせ、よく口にする言葉が
夢や目標につれて行ってくれるのだ。
(今日のコトバ)
「ありがとう」という言葉は、
優しさも、厳しさも、
嬉しさも、悲しさも、
強さも、弱さも、
みんなつめこんだ感謝の言葉なんだ。
「ありがとう」
この一言が持つ意味は大きく広い。
感謝の一言だけど、
その中にあらゆる気持ちを込められている。
相手のがんばりに応えるために「ありがとう」
相手が不満でもういいという意味で「ありがとう」
相手と一緒に目標を達成して「ありがとう」
相手と一緒に失敗したから「ありがとう」
相手に対して虚勢を張るために「ありがとう」
相手に対して力不足を伝える「ありがとう」
感謝の気持ちをのぞいてみると、
深いところで、
様々な「ありがとう」がある。
もっというと、「ありがとう」という言葉が
すべてを包んでくれているともいえる。
人は、人によって支えられている。
そして、この支えてもらっている気持ちを
表す言葉として、
人は、「ありがとう」という
万能な言葉を持っている。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
行動を継続するんだ。
勝利も、成功も、そして奇跡も、
気になって後をついてくる。
とにかく継続する。
継続力とでもいおうか。
長く一つのことを続けていくことが、
目標を達成する確率の高い方法。
年を重ねると思うのが、
「長く続けていれば良かったな」ということ。
その道の大先生にならないまでも、
続けていれば自分の武器にできたと
思うものがいくつかある。
稽古事、趣味、研究していたもの等。
人生でもったいないと思うのは、
途中でやめてしまったものなのだ。
そして、続けている人をみて思う。
続けているからこそ、
手に入れる喜びがあることを。
勝利、成功、幸せ、奇跡などを、
時間をかけて手に入れている。
もし、いま長く続けているものがあれば、
やめてしまう前に、
一度、冷静に考えてみよう。
その後の人生の貴重な武器、
大いなる財産になる可能性がある。
人生にとって、続けることは大切なことなのだ。
(今日のコトバ)
「ありがとう」は、360°敵をつくらない。
「ありがとう」と伝えることを
一日のうちでどれぐらいやるだろう。
一回か、二回か、何十回か。
また、0回の人もいるだろう。
ただ、生きていく上で、
「ありがとう」と伝えられる場面を
多く持てることは素晴らしいことだと思う。
もっというと、
「ありがとう」といえる場面が
たくさんある人は幸せだと思う。
「ありがとう」というからには、
誰かが自分にいいことをしてくれたはず。
いいことの回数と
「ありがとう」の数は比例する。
つまり、「ありがとう」は、
いいことへの御礼なのだ。
さらにいえば、
「ありがとう」といっている限り、
敵になる人はほとんどいない。
仮に、敵のような存在でも、
「ありがとう」といわれると、
敵ではいられなくなると思う。
「ありがとう」を
自分からいう場合は、
相手の気持ちをリスペクトできるし、
「ありがとう」を
相手から伝えられると心が癒される
万能の言葉。
だからこそ、
自分の生きる領域に
「ありがとう」がたくさん行き交う
状況をつくっていく。
短い人生だから、
できるだけ気持ちよく生きていきたい。
そのためには、
「ありがとう」という万能の言葉が
たくさん行き交う状況を
つくることが大切だ。
(今日のコトバ)
希望に意志を持たせよう。
倒れず、逃げず、ひるまない
意志をつくるんだ。
3.11
もう今年で9年が経つ。
人によっては早く、
人によっては長い時間が過ぎた。
ただ、その人たちが
その人なりに復興という希望を持った。
あの状況から、
なんとか立ち直るために、
人それぞれの戦いがあった。
それは、希望という
漠然としたものだけではなく、
意志をもって強く生き抜く必要があった。
どれだけ希望を持って、
どれだけの意志が必要だったかは、
その人にしかわからない。
だが、3.11を境に、
意志をもった希望が必要だった人が
この国にたくさんいたことはたしか。
その意志を持った希望が、
この国の復興に貢献してきた。
いま、新型ウイルスで
試練に直面しているが、
意志を持った希望があれば、
日本は必ず復活する。
日本人は必ず復活する。
そう信じてやまないのだ。
(今日のコトバ)
勉強をやめない
オトナになることも大切だけど、
遊びをやめない
オトナになることは、もっと大切。
あたりまえだけれど、
オトナになると自由な時間が減る。
働く時間が人生の大半を占め、
ストレスを抱えることが多くなる。
さらには、家族のためのサービス、
働くために学ぶべきことも増え、
自由になる時間が少なくなる。
だからこそ、
自分を解放する時間が必要になる。
子どもの頃でいえば、遊ぶ時間。
自分にとって楽しい。
自分にとって癒される。
自分を発散できる等。
そんな時間を持つことが必要になる。
もっといば、子どもの頃より、
オトナになった方が、
遊びの時間が大切なのだ。
いま、仕事を含めた生活に
追われて、
ストレスを感じている人は、
遊びの時間をつくるべきだ。
時間がないと思っても、
強引にで時間をつくる。
時間は結局、意識しなければつくれない。
意識して遊びの時間をつくる。
それこそが、
ストレス時代を生き抜くには
大切なことだ。
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