愛する人がいる、愛してくれる人がいる

 

(今日のコトバ)

 

その場所を楽しくするには、

愛する人をつくること。

その場所で信頼されるには、

愛してくれる人をつくること。

 

 

「その場所に行きたい」

そう思う時とは、

どんな時だろう。

いろいろな要因はあるが、

いちばんはその場所に愛する人が

いることが必須条件だと思う。

愛する誰かがそこにいるから、

自然に足が向くし、

行くだけでハッピーになる。

さらに、その場所をもっと

楽しい場所にすることもできる。

それは、その場所で愛される人になること。

愛されていると、

あたりまえだが人が寄ってくる。

そして、愛されている人には

信頼が生まれる。

信頼があるから、

いろいろな相談を受けたり、

依頼を受けたりで

人生のやりがいが生まれる。

これほど人生で楽しいものはない。

つまり、

自分の生きる場所を楽しくするには、

その場所に愛する人をつくることと、

その場所で愛されること。

その二つを忘れてはいけない。

 

人生の勝負は価値観によって決まる

 

(今日のコトバ)

 

敗北とは、

勝利する前に止めること。

 

 

「人生、命果てるまで

すべてが途中経過だ。

何度負けても

ギブアップしなければ、

本当の負けになることはない」

と思えればいい。

だが、人は一度の負けでも

落ち込んでしまう。

自分にとって

大勝負だと思うと尚更だ。

場合によっては、

負けたことでその戦いを止めてしまう

人もいる。

ただ、もう一度考えて欲しい。

人生は続いていく。

まだまだ戦うチャンスはある。

もちろん、オリンピックのように人生に

一度参加できるかどうかの

勝負もあるだろう。

そこで夢見た結果がでないこともある。

それでも、人生は続いていく。

また新しい勝負が待っている。

例えば、

新しい家庭を築いて暮らすのもいい。

趣味を極めてカリスマになるのもいい。

勝負とは違っても人生の勝利になる

価値観はたくさんある。

そのどこかで勝てるかもしれない。

否、勝つことも大切だが、

夢を実現できるか、

幸せに暮らせるかが、

勝負より大事なこともある。

人の人生はそれぞれ。

人の価値観はそれぞれ。

子供の頃、

凄い実績をつくったアスリートが

プロになれず「消えた天才」と

いわれたりするが、

その後の人生を追いかけてみると、

家族とか、仕事とか、

違う価値観の勝負で成功している、

幸せになっているケースもある。

人生は、命果てるまでの勝負。

その勝負は人それぞれ。

自分が価値があると思ったものが、

勝負。

そう思うと、人生の勝負はたくさんあって、

本当に命果てるまで続いていくのだ。

夢はスケジュールをつくって目標になる

 

(今日のコトバ)

 

「いつか、きっと」には、

納期が記載されていない。

 

 

 

夢を描いた時、

誰もが「いつか、きっと」

叶えようという気持ちになる。

自分の理想に向かって、

前進しようとする。

誰でも気持ちはある。

ただ、夢を描いても、

叶える人と叶えられない人がいる。

その差は何だろう?

ひとついえるのは、

夢にスケジュールをつくる人と

つくらない人の差があるということ。

「ここまでに夢を実現する」

日時を決めて切磋琢磨する人と、

「叶ったらいいな」と漠然と

生きている人では、

おのずと結果が違ってくる。

夢を目標にして

段階を踏んで着実に進む人と、

気まぐれな人との差ともいえる。

そう考えると、

夢を描いたら、

まず、スケジュールをつくる。

そのスケジュールに従って、

いま何をするかを決めて実行する。

それこそが夢を実現するための

最大のやるべきことだと思う。

いま、夢を描いている人は、

とにかくスケジュールをつくる。

それが実現への第一歩だ。

「みんな」なんて、いない

 

(今日のコトバ)

 

みんなの意見とか、

そんなことどうでもいい。

そんなもの「みんな」という

たった一人の誰かの言い訳だ。

 

 

 

「それがみんなの意見だ」と

声を大にしていう人がいる。

自分の意見を通そうとする時、

常套句として、

「みんなの意見」という人がいる。

だが、ほんとうに「みんなの意見」

なのだろうか。

だとしたら、

みんなって何だ。

すべての人という意味なら、

間違って言葉を使っている。

すべての人の意見など、

到底調べることはできない。

多数意見という意味かといえば、

それも怪しい。

突きつめると、

自分の意見をみんなというベールで

覆っているだけのことが結構ある。

さらにいえば、

「みんなの意見」は

発した人が有利な意見になっている。

つまり、「みんなの意見」はかなりの場合、

幻想であり、

ひとりの人間の意見かもしれないのだ。

そう思うと、「みんなの意見」に

縛られる必要はない。

みんなというなら、

そのみんなの実態を証明してみろと

いえばいい。

絶対に証明は不可能。

そして、ちょっと検証してみれば、

「みんなの意見」でないことがわかる。

だからこそ、

「みんなの意見」に右往左往する必要ない。

自分の意見が正しいか正しくないか。

そこをしっかり考えればいい。

「みんなの意見」は、

誰か一人の意見。

そう思えば、

ブレずに自分の意見を伝えられる。

みんなの意見に

ダマされるな。

「難しい」より「やりたい」を大切に

 

(今日のコトバ)

 

「迷ったら難しい道を選べ」

というが、

ほんとうは難しい道なんか

選んじゃいない。

自分が行きたい道を

選んでいるだけだ。

 

 

 

 

よく有名人が

「迷ったら難しい道を選ぶ」という。

常に困難な道を選んで、

自分が力をつけてきた

といわんばかりに

「難しい道を選ぶ」という。

だが、ほんとうにそうだろうか。

「難しい道を選ぶ」といった人たちの

選んだのは、

「難しい」より「やりたい」という

気持ちを大切にして

行動したのではないかと

思ってしまう。

もちろん、「難しい道」であったことは

確かだと思う。

ただ、「難しい」だけで選択など

絶対していない。

自分のやりたいことに

つながる道を選んでいるはずだ。

世の中は、言葉に惑わされる。

本質を見抜かないで行動すると、

まったく違う結論に達してしまう。

だからこそ、

「難しい道を選ぶ」という言葉は、

自分の中で消化してから行動すべき。

一度きりの人生、

自分のやりたいことを大切にすべきだ。

「人のために」のストロングポイント

 

(今日のコトバ)

 

得意分野を持つということは、

そこで強みを発揮するだけでなく、

誰かの不得意分野を

引き受けることもできるということ。

 

 

 

自分の得意分野がある。

人より秀でて力を発揮できる。

まわりの人からも評価される。

自分のストロングポイントだ。

ただ、このストロングポイントを

自分のためにだけに使っていては、

あまりにももったいない。

不得意で分野で困っている人、

ウィークポイントをつかれて

困っている人などに、

自分のストロングポイントで

支えてあげる。

そこまでできて、

自分の得意分野、

ストロングポイントの

意味を成す。

ひとりよがりで、

自分勝手にストロングポイントを

使っているのでは、

実は、あまり役に立ってはいない。

もし、いま、

人より秀でたストロングポイントを

持っているなら、

人のために、

人の支えになるために

使ってみよう。

そこで喜ばれることが

どれだけ人生を豊かにするか。

きっと、人生の幸せをより多く

感じられるはずだ。

今日、気持ちよく生きるために

 

(今日のコトバ)

 

気持ちよく生きるって、

「今」を悲しませる

過去を持たないこと、

「今」を苦しませる

未来を持たないこと。

 

 

 

今日を気持ちよく生きるって、

大切なこと。

では、どうすれば気持ちよく生きれるか。

たくさんの要素があると思う。

今日の東京のように雨が降るだけで、

気持ちよくなくなることもある。

一言ではいえないことかもしれない。

だが、大きな意味で気持ちよく生きる

基準はあると思う。

それは、今日を生きるために、

昨日までの悲しいことがないこと。

悲しいことがないのは難しくても、

限りなく悲しまないように

生きること。

また、今日を生きるために、

明日への苦しみがないこと。

苦しいことがないのは難しくても、

限りなく苦しまないように

生きること。

そこを意識して人生の毎日を組み立てる。

毎日、少しずつでいい。

意識して今日のために生きると、

気持ちよく生きることができる。

人生の今日という日が、

いい時間になっていくはずだ。

自分に誠実であること

 

(今日のコトバ)

 

反省の色って、どんな色だろう。

誰も答えなんていえないのだから、

自分の色で反省すればいいんだ。

 

 

 

「あいつ、反省の色がない!」と

時々、怒られている人がいる。

たぶん、態度に怒られている感が

でていなくて、怒っている相手を

さらに、怒らせてしまっているのだ。

ただ、怒られている感を態度で示すのは

難しい。

感情が顔に出にくい人もいるし、

顔では怒られている感を

出していても、

実際には何とも思っていない人もいる。

だとしたら、

自分のままでいいから、

しっかり反省すればいい。

自分のままで誠実であれ。

自分に誠実であれ。

そこを間違えなければいい。

自分は自分以外の人間になれない。

だからこそ、

自分に誠実であることが

大切なのだ。

 

ライバルほど成長させてくれる目標はない

 

(今日のコトバ)

 

追いつけ追い越せもいいけれど、

人はライバルと並走している時が

いちばん成長している。

 

 

 

人は目標に向かって

邁進する。

目標として追い越すことを考える。

ライバルとして勝つことを考える。

その時の自分の成長ほど

劇的なものはない。

目標が人という明解なものになると、

余計なことを考えず、

ライバルに勝つことだけを

考えれば良くなる。

素直に自分が前進していける。

これほど成長に適した環境もない。

いま、自分が成長できていないと

思ったら、ライバルをつくれ。

そこに成長の芽がある。

そして、まずは追いつくことを考えろ。

まっしぐらに追いつくことだけを考えろ。

そのライバルが強ければ、

簡単に追い抜くことはできない。

それでもいいから、

とにかく喰いついていく。

その意欲が自分を大きく成長させていく。

「目標となるライバルをつくる」

それこそが成長において

もっとも大事なのだ。

後悔が復活への気持ちに火をつける

 

(今日のコトバ)

 

やるだけやって負けた。

それでも残った後悔は、

必ず進化の糧になる。

その後悔は、

その後の人生を後悔させない。

 

 

 

「反省いいが、後悔はいけない」

などという人がいる。

本当にそうだろうか。

人生を振り返ってみると、

猛烈に後悔したことが、

その後の人生の燃料になることが

とても多かった。

もちろん、「あれをしとけば良かった」

「どうしてこうできなかったのか」など

すべてが済んだ後で、足りなかったものを

考えてしまうことはある。

落ち込んで立ち上がれなくなることもある。

だが、時間が経つと「これではいけない」

「もう一度挑戦するんだ」と、

後悔が大きければ大きいほど、

情熱が湧き上がる。

決して、

後悔がワルいことではないと思える。

そして、後悔の後の復活するための

活動が反省というなら、

反省もしている。

ただ、反省の前に

後悔をしたことが大事。

後悔が復活への気持ちに火をつける。

そのことを忘れてはいけない。