心の形が見える時

 

(今日のコトバ)

 

自分より弱い者を見た時、

人は心の形をあらわす。

 

 

 

人は

自分より明らかに弱いと

思われる相手を見ると、

本性をあらわす。

「弱いからバカにしてやろう」と、

突然、横暴になり相手を

追いつめる。

飲食店などのサービス業で

下手に出てくる人に、

異様に強く出る。

また、腕力の弱そうな者、

下請け業者の人など、

弱い人や弱いポジションの人を

虐める。

そういう状況に出会った時

思うことがある。

「人の本性が見えた」と。

それまでどんなにいい対応を

していても、

本性は人を見下す人だと

思ってしまう。

まさに、心の形が見えてしまったと

思えるのだ。

人はいろいろなバランスで

生きている。

さまざまな意味で、

強い弱いがある。

だが、その違いで

人を見下すと、

人間性がとても

嫌なものに思える。

自分でも考えてみよう。

人の弱さにつけこんでいないか。

つけこんでいたら、

そこに醜い本性が出ている。

そのことを忘れてはいけない。

 

未来を想像する楽しみ

 

(今日のコトバ)

 

人生は朽ち果てるまでの舞台。

今日の出来事はクライマックスへの

伏線でしかない。

結末はまだまだ先の話だ。

 

 

 

生きている。

さまざまな出来事と遭遇しながら

生きている。

いいこと、わるいこと、

ふつうのことがたくさんあって、

喜んだり、悲しんだりしながら

生きている。

ただ、そのすべてが結末ではない。

これからの人生、もっと大きな

クライマックスが

やってくるかもしれない。

想像を超えた人生になるかもしれない。

未来のことは、

ほんとうにわからない。

だからこそ、

ここで良くなかったからといって

悲しむことはない。

良かったらといって

有頂天になる必要もない。

結末はまだ先にある。

そう思いながら未来を想像すれば

楽しいじゃないか。

楽しいと思える未来へ

踏み出していく。

そんな人生にしたいものだ。

才能を自分の色になるまで磨け

 

(今日のコトバ)

 

人の数だけキレイな色が

用意されている。

誰もが目標にゴールした時、

そのキレイな色は自分の色になる。

 

 

 

人には、唯一無二の個性がある。

その個性を知って生きる人と

知らずに生きる人がいる。

知っている人は、

才能を武器に人生を渡っていける。

反対に、知らずに生きていくと、

せっかくの才能も武器にならずに

生きることになる。

人生という長い道のりを考えた場合、

どっちが自分にとって

有意義なものになるか。

才能を武器にした方が、

きっと、有意義になるはずだ。

そう思うと、

自分の個性である才能を見つける。

見つけるだけではなく、

その才能を磨いていく。

自分が誇れる武器になるまで磨く。

それが自分の色になる。

光り輝く自分の色になれば、

人生も同じように光り輝いていくはずだ。

普通の時間には、幸せがたくさん生息している

 

(今日のコトバ)

 

なんでもない日が

大きな顔をする時、

ほんとうの幸せが

どこにあるかを知る。

 

 

 

 

体調を壊すとよくわかる。

健康で普通に暮らしていたことが、

いかに幸せであるかということを。

何でもない普通の一日。

ただ時が流れているような一日が

自分とってどれほど幸せであるか。

そして、そのなんでもない時間が

なにかが起こると、

幸せの正体であることを知る。

人生は、さまざさまな出来事がある。

紆余曲折、山あり谷ありある。

その中で、

感動すること、

成功すること、

勝利すること、

成就することだけが

幸せだと思っていたが、

それ以上に、

普通に暮らす普通の時間は、

幸せがたくさん生息しているのだ。

いま、普通の時間が

つまらないと思っている人も、

普通の時間がどれだけ自分を

幸せにしてくれているかを考えてみよう。

数えてみると、

普通の時間は、

たくさんの幸せの複合体で

成立していることがわかる。

幸せに生きるための

礎になっていることがわかるはずだ。

勝負の場所を愛そう

 

(今日のコトバ)

 

夢を叶えて栄光を手にした場所と、

泥だらけになって泣き叫んだ場所は

同じ場所だった。

 

 

 

勝利と敗北は背中合わせ。

成功と失敗は紙一重。

そして、その夢を叶える場所も、

失意に崩れ落ちる場所も、

実は、ほとんど同じ場所。

試合であれば、

スタジアムで、フィールドで、

勝利も、敗北もある。

プレゼンも、発表も、

舞台は同じで、

成功も、失敗もある。

つまり、勝負する場所は

同じ場所ということ。

だとすると、

勝負も大切だが、

勝負する場所を愛しているかが

大切になる。

思い入れもなく、

ただ、そこに導かれた人より、

その場所を愛して、

どうしても勝負したい、

勝ちたい、成功したいと思った人の方が

いい結果になる可能性が高いはずだ。

人生は、短い。

本当の勝負も無限にあるわけではない。

その中で大切な勝負をする場所は、

自分にとってひとつの故郷になる。

そこで、結果を出すために、

勝負の場所を愛そう。

言葉を大事にすること、それは人生を大事にすること

 

(今日のコトバ)

 

言葉は、人を殺す力がある。

言葉は、人を救う力がある。

それは、言葉が

人の命のいちばん近くにいるからだ。

 

 

 

 

最初に、言葉。

最後に、言葉。

なんやかやいっても、

言葉は人が生きるための

主導権を握っている。

ただの言葉なのに、

人を殺す力を持ち、

ただの言葉なのに、

人を救う力を持つ。

人生を振り返ってみても、

言葉に傷ついて

立ち上がれないこともあれば、

言葉に勇気づけられ、

強い気持ちになったこともある。

言葉は、人生を、命を左右するほどの

力を持つ。

言葉は命の化身といってもいい。

少々おおげさでも、

文字通り心の命ずるままに

言葉は発せられる。

嘘をつく時でさえ、

心の命ずるままに言葉を発している。

だからこそ、

簡単に扱ってはいけない言葉。

言葉は命の化身だと思えば、

大事に扱える。

言葉を大事にすること。

それは人生を大事にすることなのだ。

 

 

想像の中で価値を生む

 

(今日のコトバ)

 

夢、幸せ、愛など、

目に見えないもののラインナップは、

金で買えないもののラインナップでもあった。

 

 

 

人が手に入れたいもののヒットチャートでは、

不変的に変わらないトップグループ。

「夢」「幸せ」「愛」

ほとんどの人が

このどれかを欲しいと思っている。

夢が欲しい、夢を叶えたい。

幸せが欲しい、幸せになりたい。

愛が欲しい、愛を成就したい。

そう思っている人が大半だ。

だが、この「夢」「幸せ」「愛」は、

目に見える具体的なものではない。

夢の先に、幸せの先に、愛の先に

具体的なものはあるはずだが、

そのもの自体はカタチがない。

もちろん、買えるものではないし、

金額がつけられるものでもない。

だからこそ、想像力の中で価値を生む。

「夢」「幸せ」「愛」

すべてを、あるいは、

どれかを求めて生きることは、

人生の価値を高めること。

生きることを素晴らしいことに

していく種かもしれない。

 

 

「いま」のなせる技

 

(今日のコトバ)

 

今日は、

最重要課題をかたづけるために

一番都合のいい日だ。

 

 

 

時間を一番有効に使えるのは

いつか。

それは、ほとんどの場合、

「いま」だろう。

目の前にある時間は、

自分の意志でどうにでも

使うことができる。

もちろん、予定があって、

すぐに動けない場合もある。

だが、調整すれば時間を

有効にできるのも「いま」の

なせる技だ。

そう考えると、

なるべく重要な課題、

大問題、難題は、

「いま」取り組んだ方がいい。

「いま」という時間なら

最大限のパフォーマンスができる。

時間を思いのままに使える。

最大の解決策に取り組める。

「いま」という時間を

人生の有効な技として使うこと。

生きるために大切なことだ。

 

 

 

初めての挑戦で、新しい気持ちをつくる

 

(今日のコトバ)

 

初心は年齢に宿るのではない。

気持ちに宿るのだ。

 

 

 

新しい気持ちになる時がある。

初めての挑戦になる時は、

ほぼ新しい気持ちになる。

年齢を重ねてみてわかったのだが、

初めての挑戦になると、

いくつになっても

新しい気持ちになる。

たぶん、一生、

新しい気持ちになるのだと思う。

つまり、新しい気持ちになるのに

年齢は関係ない。

気持ちに関係するのだ。

ただ、年をとると

初めての挑戦が減っていく。

そのために、

新しい気持ちになることが減るのだ。

そう思うと、

いくつになっても

初めての挑戦をすることは、

自分に新しい気持ちをつくっていける。

気持ちの若さをつくり出すことができる。

だとしたら、生きているかぎり

初めての挑戦を続けていく。

新しい気持ちで生きるために、

いちばん大切なことだと思う。

怒りの裏側には弱さがある

 

(今日のコトバ)

 

怒りの炎を消してみると、

弱さという薪がころがっていた。

 

 

 

よく怒る人がいる。

偉い人や強い人といわれる人が

わりによく怒る。

ただ、長く生きていると、

怒りの原因がわかってくる。

それは、弱さを隠すということ。

どこかに弱さがあって、

それを知られたくないから、

怒って弱さを隠す。

人に弱みを覚られたくないから、

怒って強さをアピールする。

だが、そんなことを続けていると、

まわりはもうついてこない。

怒った人は避けられるか、

放置されるかして、

人の輪から距離をとられる。

怒る。

もちろん、

人生の節目で大切な怒りもある。

ただ、むやみやたらに人を

怒ることは何の生産性もない。

みんな怒りの裏側にある

弱さを知っている。

だからこそ、

怒ることは必要最低限で

生きていきたいと思う。