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(今日のコトバ)
言葉は誰がいうかで、
大きな力を持つ。
言葉は誰がいうかで、
大きく力を失う。
言霊という言葉がある。
言葉に宿る力というか、
言葉には霊が、
言葉には不思議な力があるということ。
ただ、正確にいうと、
言葉は誰がいったか、
どこから発せられたかで、
霊も、力も変わるもの。
例えば、「愛している」といわれても、
自分が好きでもなんでもない人に
いわれたら、なんとも思わない。
反対に、
自分が好きな人からいわれたら、
こんなに素敵な気持ちに
してくれるものもない。
「バカヤロー」といわれても、
コミュニケーションがとれている人なら、
あいさつ程度にしか感じないが、
まったく知らない人、
あるいは上司にいわれたら、
こんなに怖い言葉もない。
つまり、言葉は誰がいうかで
まったく違う力を持つ。
もちろん、自分も、
誰に、どう伝えるかで、
まったく違った力を持つ。
だからこそ、
言葉は大切に使いたい。
そう思うのだ。
(今日のコトバ)
感情的になって強くなり、
感傷的になって弱くなり、
生きものは人間に成長していく。
人間には、喜怒哀楽がある。
感情で生きているのだから、
あたりまえともいえる。
そして、喜怒哀楽があるからこそ、
人間は人間らしく生きていける。
もし、喜怒哀楽がなくなったら人間は、
どんな生きものになるだろう。
少なくとも、
人間という考え方が
変わってしまうのではないか。
ロボットに近い存在に
なってしまうのではないか。
最近は、
昔の人々に比べて
喜怒哀楽が少なくなったという。
少なくなるのは時代のせいで
仕方ないかもしれないが、
まったく失ってはいけない。
人間が人間でなくなってしまう。
もちろん、喜怒哀楽が激しすぎて、
手がつけられないようでは困るが、
人間は感情の生きものだ。
喜怒哀楽があっていい。
喜怒哀楽をなくしてしまうと
息苦しくなって、
生きることがつらくなる。
人間は感情の生きものであることを
忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
挑戦は、
どこかで無謀を背負わなければならない。
リスクをとって前へ出ろ!
サッカーの試合では、得点が取れない時、
よくいわれる言葉だ。
挑戦を考えると、
この一言がよく思い浮かぶ。
危険、冒険を覚悟して標的に挑む。
何も危ないものがなければ、
挑戦ではない。
そう考えると、
人生で挑戦する場面は限られている。
だとすれば、
挑戦する時は覚悟を決めて、
リスクをとる。
そして、目標という成果を獲りにいく。
人生、挑戦しなければ、
勝ち取れないものもある。
その時、リスクという覚悟が必要。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
生きる道の先に
黄金があるのではない。
生きる道が黄金になるから
人生は素晴らしいのだ。
夢とか、希望とか、幸せとか。
目に見えないものは、
どこかのゴールで手を広げて
待っているような気がするが、
実は、そうではないと思う。
その途中、
自分が進んでいる道で
感じるものでもあるのだ。
夢だって、
夢を設定して夢中で走っている時、
もう夢のしっぽをつかんでいる。
希望だって、
希望に燃えている時は、
希望をかじっている。
幸せだって、
幸せになりたいと行動を起こす時は、
どこかで幸せに微笑まれている。
つまり、もう動きはじめた時から、
自分心が、
夢、希望、幸せを感じているのだ。
そう思うと、
目に見えないポジティブなものを
追いかけることは、
それだけで素晴らしいことになる。
人生、いいことばかりではないが、
いいことばかりではないからこそ、
夢、希望、幸せを追いかける。
そこに人生を素晴らしいものにする
道がある。
(今日のコトバ)
ビンボーくじは
ビンボーなまま終わらない。
いつかアタリくじを
ちゃんと用意してくれる。
よくビンボーくじを
引いてしまう人がいる。
人がやりたがらない仕事が
まわってきたり、
タイミングがわるくて、
ちょっと損をしたり、
人の避けたいものが
自分に集中してしまう人。
だが、そんな人がいつまでも
ビンボーくじばかりかというと、
そうでもない気がする。
少なくとも、まわりにいる人は
ビンボーくじを
請け負ってくれる人がいることで、
助かると思っている人が多々いる。
また、ビンボーと思った中に
お宝がないわけでもない。
さらにいえば、
人が避けて通りたいものを
引き受けるので人間力もついてくる。
ビンボーくじを引いたことが、
後々、自分の人生を
素晴らしいものにする。
アタリくじといっていい人生に
変わる可能性もある。
すべてがすべてではないが、
ビンボーくじもワルくない。
そう思って生きると、
人生の視界は変わっていく気がする。
(今日のコトバ)
まず、自分を極めるプロになろう!
自分の強みはどこだ。
自分の長所を活かして生きているか。
そう自問した時、
100%自分を活かして
生きていると答えられる人は、
素晴らしい人生を
過ごしているといっていい。
自分の強みで生きていける。
世の中に自分の強みを発揮できる。
言葉にすると簡単だが、
強みで生きることは簡単ではない。
まず、自分の強みを理解しているか。
その強みが人生を牽引する力があるか。
極論すれば、自分の強みで食べていけるか。
そこを検証すると、
大声で自分の強みで生きていると
いえない人もいるだろう。
ただ、自分の強みを
活かさず生きることは
結構しんどい。
例えば、口下手なのに
営業職を選んだり、
計算が苦手なのに
経理部になったりすれば、
その仕事がつらくなる可能性が高い。
だからこそ、自分の強みが何かを知って
社会に足を踏み出す。
自分の強みを理解して
生きることが大切だ。
(今日のコトバ)
愛情は押しつけるものではない。
振り向いた時に、
無条件でそばにいてくれるものだ。
愛情。
その加減が難しい。
愛しているから、
優しくするのはわかる。
この優しさもどこまでが優しさなのか。
しつこくかまったり、
必要以上に注目したり、
みさかえなくスキンシップをしたり、、、。
愛情という優しさを具体的に現わすと、
かなり押しつけがましいことになる。
わかりやすく愛情を
理解してもらうには、
目に見えた方がいいかもしれないが、
少し引いてみると、
かなり押しつけがましいし、
場合によっては見苦しい。
ほんとうは、愛があって、
愛情があるなら、
押しつけたり、
披露することなどしなくてもいい。
ただ、そばにいてあげるだけでいい。
そして、何か相手に問題が起こった時、
そっと手を伸ばしてあげればいい。
愛情とは、決して相手に押しつけて、
相手を遠ざけるものではない。
ほどぼとの加減が大切なのだ。
(今日のコトバ)
あのころ見上げた星より、
いまここで見た星の方が近くに見えたら、
これまでの人生はいい方へ動いているのだ。
夢を見た。
あのころ、
こんなことを実現したいという夢を見た。
その夢に、いま近づいているか。
遠ざかっているか。
もし、近づいている、
あるいは実現したなら、
それほどワルい人生ではない
のではないか。
そう思うのだ。
人生は、
夢という目標に前進している時が、
いちばん躍動する。
そう考えると、
夢を追いかけている時間が
長く続いていて、
さらに、その夢が近づている。
人生、そんな楽しいものはない。
時間のある時、
少しだけ考えてみるといい。
あのころの夢は、
いま自分に近づいているか。
近づいていれば、
人生は楽しい、
そして、
素晴らしいものになっているはずだ。
(今日のコトバ)
人は思うほどあなたの容姿を見ていない。
人は思うよりあなたの行動を見ている。
自意識過剰の人がいる。
否、人は大なり小なり、
自意識過剰かもしれない。
ただ、その自意識過剰の時、
なんとなく自分の顔や体に
注目が集まっていると思っている。
ほんとうにそうだろうか。
よっぽっど個性的でないと、
容姿に注目はしていない
のではないのだろうか。
容姿より、人の行動、
何をするかを
注目しているような気がする。
そして、何をするかで、
人は好きになったり、
嫌いになったりする
のではないだろうか。
もちろん、容姿もあるが、
いちばんは行動が大切。
そうやって生きてみると、
一つ一つの行動が愛しく、
大切になっていくはずだ。
(今日のコトバ)
出来ることは、
出来ないことを出来るようにするための
基礎体力になる。
「得手を伸ばす」という。
長所をより磨ていて、
より長所を強いものにする。
また、長所を磨くことによって、
短所を補う。
さらにいうと、長所のいいところを借りて、
出来ない部分にチャレンジする。
やり方はさまざまだが、
長所、得手で、
自分の未開の部分を開拓していく。
実は、それがいちばん効率的。
まったくできないもの、
基礎を何も知らないもの、
不得手なものから、
出来るようになるのは、
長い道程が必要となる。
そこを自分の長所、得手からはじめる。
否、得手と結びつけてはじめる。
それだけで、少し出来ないことが
難しくなくなる。
難しくなくなるということは、
出来ることに近づくこと。
ちょっと進歩したといってもいい。
自信も生まれる。
まずは、長所、得手から考える。
ここからはじめてみよう。
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