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(今日のコトバ)
決断だけが、
運命を自由にできる。
運命は神様が決める?
運命は誰かが届けてくれる?
他力本願で、
自分にはどうにもならないと思ってしまう。
少なからず、そういう人はいるだろう。
たしかに、運命を自由自在に操れる人を
見たことはない。
強運だとか、幸運だとか、
人より運命を引き寄せる力がある人に
出会ったことはある。
だが、そういう人でも
運命を完全にコントロール
できているかというと、
そうではない。
ある日突然、想定外の不運、悲運に
巻き込まれることもある。
ただ、誰でも運命をコントロールできる
瞬間がある。
それは、決断する時。
「こうする、こうしない」と
決断するのは自分の意志。
そして、その意志の方向に
運命を動かせる。
人間が唯一運命を自由にできる能力、
それが決断。
もし、運命を自分に引き寄せたかったら、
決断を下す。
決断を下す回数を増やして生きる。
それが一番の近道だ。
(今日のコトバ)
明日にごきげんな夢があるから、
今日をごきげんに生きられるのだ。
明日に、未来に、
叶えたい夢と希望がある。
それがなんとか実現しそうだと
思える今日は、
とてもハッピーな気持ちになれる。
夢を追いかけている途中は、
もう夢の中にいる。
あるいは、
幸せなことを考えている時は、
もう幸せになっている、、、。
つまり、
近い未来に夢や希望が叶いそうな今は、
とてもハッピーな気持ちになる。
夢の周辺にある幸せとでもいおうか。
そんな気持ちを感じながら
生きていけると、
人生はとても素晴らしいものになる。
そのためにも、
夢や希望を描くことが大切。
夢や希望があるからこそ、
人生が幸せに向かっていく。
まずは、夢や希望を描くことから
はじめよう。
(今日のコトバ)
生きてきた距離は、
心のメジャーがしっかり記録しているから
心配はいらない。
旅立つ時の地図として再び役立つ。
生きてきた時間を信じる。
簡単ようだが難しいことでもある。
漠然と過ぎてきた時間に
何の力がある?
そういわれてみると、
たいした力はない気もする。
だが、少し考えてみると、
生きてきた時間が
どれだけの力を生んでいるか
よくわかる。
まずは、自分の人生で
長く継続しているもの。
あるいは、
プロとして認められているものは、
生きるための武器になる。
人生の力として大きく役立つ。
また、あたりまえに
生活している日々の中でも、
日々起こる出来事を気持ちの血肉にして、
それを力に変えている。
生きる。
ということは、刻まれる時間の中で
力を発揮すること。
つまり、人生は、
生きた時間だけ力をつけてきた。
その力が人生のベースになる。
そう思うと、
それほど怖れることはない。
今日までの力を使って、
明日へ一歩踏み出せばいいのだ。
(今日のコトバ)
称賛されない勝利がある。
そして、絶賛される敗北がある。
勝利と敗北。
できれば勝利がいいし、
敗北は避けて通りたい。
ただ、勝利とは勝つという結果だけであって、
敗北は敗れるという結果だけともいえる。
勝利には過程があって、
正しく、美しく、壁を乗り越えた
素晴らしい結果があれば、
反則をして、汚い手を使って
手に入れた勝利もある。
同じように、
敗北にも、健闘し、人を感動させ、
美しく散った結果もある。
もちろん、研鑽なし、努力なし、
いんちきな手を使って、
敗れるにふさわしい結果もある。
どちらも、
ひとつの結果だが、
人によってさまざまな感情が生まれる。
場合によっては、
そこで敗れていた方が
良かったと思えることもある。
だからこそ、
結果だけで勝利と敗北を
判断してはいけない。
勝利にも、敗北にも、
その後の戦いがある。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
目標から目を離すから、
まっすぐ歩けなくなる。
迷ったら、目標にもう一度、目を向けろ。
どうしていいかわからない。
何をしていいかわからない。
どこへ行けばいいかわからない等。
人生の岐路では、
そんな気持ちになることもある。
わからないという気持ち。
その時、自分はどんな状況だろう。
たぶん、
目標を失っているのではないか。
わからないという気持ちは、
あるはずの目標が
なくなっている状況のことなのだ。
だからこそ、
わからないという気持ちに陥った時、
何をすべきか。
一番はじめにやる大切なことは、
目標を明確にすること。
最初の目標をもう一度思い返す。
もしくは、
新しい目標を設定し直してもいい。
目標さえしっかりと捉えられれば、
わからない気持ちは、
少しずつ消えていく。
まっすぐに歩き出せる。
迷っていた気持ちが消えて、
生きる道が視界良好になっていくはずだ。
(今日のコトバ)
心はどんな状況でもついてくる。
そして、勝手なまねをする人間に、
いつも正しい道を教えてくれるのだ。
何かをはじめようとする時、
心は必ずメッセージを送ってくる。
「いまだ、行け」
「いまはまずい、止めろ」
「正しいことだ、やり続けろ」
「間違っている、やってはいけない」等々。
すべて一度は、心がメッセージをくれる。
そして、そのメッセージは、
ほぼ正しくて、
まっすぐ人生を歩むために、または、
危険を察知して回避させるために
役立っている。
だが、人間は愚かな部分があって、
心のメッセージを無視して
行動に走ることがある。
いいわるいではない。
ただ、心のメッセージを無視した時、
痛いしっぺ返しをくらうことを、
想定しておかなくてはならない。
心は、ちゃんと生きていくために、
良かれと思ったメッセージを送っている。
そこで、耳を貸すか貸さないかは、
自分次第なのだ。
(今日のコトバ)
ダイジョウブって言葉は、
ダイジョウブを確約できる人に
使ってもらいたい。
大きな病気をしたことがある。
その時、かけられた言葉で、
とても気になった言葉がある。
「ダイジョウブ」という言葉。
励ますために、ナーバスにならないために、
あまり深く考えず、まわりの人は
使っている気がした。
だが、この「ダイジョウブ」という言葉ほど、
こちらを傷つける言葉もなかった。
「そのダイジョウブって、どこに根拠がある?」
「ダイジョウブでなかったら、どうする?」
そんな気持ちになってしまうのだ。
たいしたことでない時、
「ダイジョウブ」と使うのはいいと思う。
ただ、人生を決めるような一大事の時、
簡単に使う言葉ではない。
使うなら確約ができる時だけに使うべき。
言葉には力がある。
大切に使って、
相手の力になるよう
意識したいものだ。
(今日のコトバ)
まいにち行く場所は、
小さな目標である。
会社でも、学校でも、
毎日行くところがあること。
それだけで、人生には目標ができる。
小さいかもしれないが、
平凡かもしれないが、
目標になる。
反対に考えてみるとわかる。
会社へ行けなかったら、
学校へ行けなかったら、
行くところがなかったら、、、、。
それだけで、人生はとても不安なものになる。
そう考えると、
今日、行くところがあることが
どれだけ素晴らしいことか。
そこを忘れてはいけない。
人は、行くところがあって、
人生を築いていける。
そして、行くところとは、
日々の目標になる。
生きるためのランドマークになるのだ。
(今日のコトバ)
どこに手柄があるかわからない。
ただ、その手柄をつかむのは、
いつだって人柄である。
戦術が成功する時がある。
いろいろなケースがあって、
いろいろな方法がある。
だが、この戦術を成功させるには、
能力もさることながら、
人間性が大きくものをいう。
仮に、戦術を確実に遂行できる能力があっても、
人間関係、金銭感覚、
遂行前後の処理の仕方など、
能力とはまた別の人間性がないと、
結果、失敗になることがある。
そして、その人間性がしっかりとしていれば、
意外にどんな物事を遂行するにも
上手にこなしていける。
能力は、
努力だけではどうにもならないものもある。
だが、人間性は、
人生の経験や意識から、
育成できたり、
コントロールすることもできる。
そう考えると、
人生の大事な場面で
人間性で勝負できるように、
日々の生き方から意識する。
経験を身に着けて、
あらゆる場面に対応できるようになる。
生き方次第で人間性は変えていけるのだ。
(今日のコトバ)
人は自分を誇大広告に仕上げ、
過小評価されないように
生きていく。
ただ、人は誰にでも
希少価値があることを忘れてはいけない。
見栄をはる。強がる。いきがる。
かっこをつける。雄弁になる等。
特に、初対面の人に会う時、
人は誰でも
自分以上の自分を見せようと
誇大広告をつくる。
わるいことではない。
第一印象は大切なこと。
その後の見る眼が決まってしまう。
どんな人間が固定観念が生まれてしまう。
自分を誇大広告をすることは、
その見る眼に、いい印象を与えたいという
思いからともいえる。
ただ、本来は誇大広告をつくるよりは、
本当の自分をしっかり伝えることが大切。
自分の力を正当に評価してもらって
人間関係を築いていくことが肝心。
もちろん、自分自身の力が信じられなくて、
誇大広告する人もいる。
だが、本当は人それぞれ希少価値がある。
そこをしっかり理解させる。
自分の希少価値こそが伝えるべこと。
忘れてはいけない。
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