ストレスを発散しながら生きる

 

(今日のコトバ)

 

不健康をするから、

精神が健康になることもあるのだ。

 

 

 

現代はストレス社会。

人と人の間に生まれる

ストレスはもちろん、

人と社会の間にもストレスが増えてきた。

自分の情報が端末に管理されて、

高速で処理しなければいけないもの。

情報を伝えるための大量の作業。

新しいテクノロジーの習得、、、、。

情報管理社会になったからこそ、

自分の管理がしんどくなる。

そこで、心と体のバランスをとるのも

難しい問題になる。

どこかでストレスを発散しなければ、

自分が行き詰ってしまう。

行き詰らないために、

ガス抜きができる状況も必要だ。

その時、健康を維持するためには

よくないこと、つまり、

不健康なことも有効な手段になる。

その不健康なことも、

自分に許してあげる。

ある医者がいっていた。

「本来はお酒は良くないけど、

ガマンするストレスをかかえるなら、

適度に飲むことをすすめる」と。

お酒だけではない。

体に良くないことも、

体を壊さない程度にやる。

散財することも、

罪にならない程度にやる。

ストレスをガマンしてばかりでは、

いつか自分がつぶれてしまう。

もっというと、

ストレスを抱え過ぎていては、

ほんとうにいい仕事はできない。

この社会で生きるために

ガマンは必要だが、

そこで生まれたストレスを

解消することも、

それ以上に大切。

そのことを忘れずに

生活のペースをつくろう。

心配ない状況をつくろう

 

(今日のコトバ)

 

希望が持てる心でいろ。

欲望が持てる体でいろ。

 

 

 

 

健康であることが一番大切。

そんなことは、わかっているが、

健康が人生に及ぼす影響は

あまりにも大きい。

人生の楽しいものを

楽しいと感じるには、

何をおいても健康であること。

夢、希望、恋愛、欲望、野望、、、、。

人生で達成したい目標がある時は、

健康であった方がいい。

もちろん、完璧な健康な人などいない。

ただ、日々暮らす上で、

何も心配ない心と体をつくる努力をする。

病気や問題は早期発見、早期治療に限る。

おかしいものを放置にしないで、

すぐに治す。

人生を楽しくするために大切なことだ。

どの道にも正解が待っている

 

(今日のコトバ)

 

道に迷ってもいい。

だが心配するな、

どの道にも正解はある。

 

 

 

 

運命のわかれ道とか、

この道を選んで正解だったとか、

人は時々いう。

ある人は「この道であの人に出会ったから、

いまの自分がある」という。

たしかに、

自分の思いとしては間違っていない。

「この道を選らばなければ、

あの人に会えなかった」のだ。

だが、長い人生を生きていると

こうもいえる。

どの道を進んでも正解はあると。

自分が選ばなかったもう一つの道で、

自分の想像よりいい結果を

出している人もいる。

また、

自分の選らばなかった道に進んで、

予想外の人生になったが、

幸せそうに暮らしている。

もちろん、自分の選んだ道が

良くない選択になった人もいる。

つまり、どの道を選んでも、

成功もあれば失敗もある。

要は、自分が達成感があるか。

満足感があるか。

達成感、満足感があれば、

自分の進んだ道はすべて正解。

だから、

いま歩いている道も正解になると

信じるて生きるのだ。

夢への行程表をつくる

 

(今日のコトバ)

 

夢のために、

現在地と目的地の交通網を発達させよう。

 

 

 

達成したい夢がある。

そのために何をするか。

まず、いま自分のいる場所が

夢とどのぐらい離れているか。

いまいる場所を把握する必要がある。

把握しないと、

どのぐらい努力をすればいいかわからない。

何をどうしていいかわからなくもある。

さらには、夢の到達点がどこであるか。

漠然としていないか。

遠過ぎて見えなくはないか。

到達点がどこであるかわかれば、

そのための行程表がつくれる。

夢に近づいていく道程がわかってくる。

もちろん、夢が大き過ぎて、

簡単にたどり着けないこともある。

ただ、近づいていくことで、

夢の道筋が見えてくる。

すべては、いまいる場所から

夢の到達点まで近づいていくこと。

そのために、行程表をつくり

着実に進んでいく。

その道の途中で教えてもらったものを

どんどんその先に進むために反映する。

そこに夢達成の物語が現実化する

答えが見つかるはずだ。

人生は積み上げていくもの

 

(今日のコトバ)

 

「これまで」を大切にした人に、

「これから」が大切にしてくれる。

 

 

 

人生は、積み重ねの部分が大きい。

準備もなく、突然何かが成就したり、

何もしなくて幸運が紛れ込むことは

ほぼない。

仮にあったとしても、

幸運のようなものは、

一瞬で過ぎていき、

人生に根ずくことはない。

反対、何事も長きにわたって

積み上げたものは、

人生を裏切ることが

ほぼない。

これまで積み上げたものが、

これからの人生の財産になる。

あたりまえのようだが、

行動として、

この理屈がわからない人が多い。

突然何かできる。

ただ運頼みだけ。

努力を回避する。

長期間のスパンで考えない等々。

積み上げることから、

ほど遠い生き方をする。

それでは希望通りの人生にはならない。

いつも不満をかかえて生きることになる。

だからこそ、誰もがわかっている

「人生は積み上げていくもの」を

心のどこかに張り付けておくべきだ。

人生は一度きり。

上手くいくこと、いかないこと、

どちらもたくさんある。

その中で少しでも、

上手くいくことを増やしたい、

これからの未来を希望通りにしたいと

思うなら、

積み重ねていくことを

忘れてはいけない。

そこに、これからの希望を叶える

財産であり燃料があるのだから。

人はほめられたい生き物

 

(今日のコトバ)

 

誰かが「良くできました」と

いってくれない日は、

自分で「良くできました」と

いってあげよう。

 

 

 

どれだけがんばっても、

誰からもほめられない時もある。

特に、大人になれば、

そんなことは多々ある。

人は、ほめられることを

無上の喜びとする生き物。

「良くやった」

「素晴らしかった」

「最高だ」等々。

誰かにほめてもらいたい。

誰かにほめてもらって、

一日を終わりたい。

ただ、誰もほめてくれない、

見えづらいがんばりもある。

自分以外はわからないというのは

いい過ぎだが、

その行動を見ている

まわりの人もほめてくれない。

そんな時は、

自分で自分を

思いっきりほめてあげよう。

ご褒美を自分で与えてもいい。

散財してもいいじゃないか。

気持ちがいいこともいいじゃないか。

自分で自分をほめることが大切。

そのことで、自分の人生か

良い方向に行っていることを確認する。

人生にとって必要なことだ。

転んだ後に、足りないものを知る

 

(今日のコトバ)

 

転ぶ。倒れる。傷つく。

だから気づくのだ、

足りないものが何であるかを。

 

 

 

失敗した記憶があるから、

大切なことに気づく。

後悔もするし、反省もする。

いろいろな気持ちがあふれる。

つらい気持ち。

うまくいかないジレンマ。

どうしようもない劣等感。

そこで考える。

つらさを乗り越える方法。

うまくいくためのメソッド。

どうにかしようとするモチベーション。

失敗して

痛い目にあった記憶があるから、

どうすれば失敗しないかを考える。

そうして、人は成長していく。

今日の夜中、サッカー日本代表は、

ワールドカップで予選突破の大一番がかかる。

ここまで、日本代表は、

転び、倒れ、傷つきながら、

立ち上がってきた。

勝つために足りない何かに

気づいたように思う。

人として、チームとしての成長を見せ、

最高の結果を出して欲しい。

そして、厳しい人生の乗り越え方の

お手本を見せて欲しいと思う。

 

 

 

外面も自分

 

(今日のコトバ)

 

外出着を着た建て前の自分、

裸のままの本音の自分、

どちらも自分の姿であることを

忘れてはいけない。

 

 

 

他人は、人間のことを外面で評価する。

親友や恋人などの特別な関係の人は、

素顔を知って付き合ってくれるかもしれない。

だが、会社の付き合い、学校の付き合い、

取引先の付き合いなどの、

公で付き合う人は、

外面しか知らない。

内面がいい人であることなんて

関係ない。

外面でその人間は評価される。

と考えると、

外面も自分なのだ。

オンとオフとか、

公と私とか、

裏と表とか、

人の顔も様々だ。

その顔がどちらも自分として

評価される。

そのことを忘れてはいけない。

 

 

意地は孤独でできている

 

(今日のコトバ)

 

そんなに意地をはらなくていい。

意地の半分は孤独でできているのだから。

 

 

 

人生のさまざま場面で、

人は意地をはる。

特に、意見が合わない場合に

意地をはるのだが、

その意地をはる時の

深さにはいろいろある。

ちょっとした

気持ちの行き違いもあれば、

本気で相手が嫌いになって

意地をはる場合もある。

日々の暮らしのなかで、

ささいなことで意地をはる場合は、

すぐに解決できるかもしれない。

ただ、本気で意地をはると、

取り返しのつかないことに

なることもある。

さらに、意地の原因を探ると、

自分の孤独にいきつく。

意地をはったから孤独なのか。

孤独だから意地をはったのか。

どちらが先かわかない。

ただ、意地の多くは

孤独で占められている。

そう思うと、意地を張り過ぎると、

気持ちは孤独でいっぱいになる。

わざわざ

自ら孤独になることもないと思うなら、

意地を無理してはらなくていい。

人生、孤独の時間を

無理につくることはないのだ。

他力が魅力を感じる自力になる

 

(今日のコトバ)

 

他力だって、自力を持った者に味方する。

 

 

 

人の力を借りたい時がある。

大きな目標であれば、

どうしても一人では達成できない。

自分以外の力を借りて、

なんとか目標に近づきたい。

その時、人は力を貸してくれるか。

いろいろな人がいるから、

多少、力を貸してくれる人もいるだろう。

だが、最大限の力、求めている力を

他人から貸してもらおうとしたら、

自分自身にもそれ相応の力が

なければならない。

力は、力を知る。

いい意味でも、ワルい意味でも、

力ある力は、力ある力を求める。

他力だって、

自力のある人につながりたがる。

そう考えると、

大きな目標達成のために

優れた他力のサポートを仰ぎたいなら、

自分の自力も強化する。

他力が魅力を感じる自力になる。

そのことが一番大切なのだ。