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(今日のコトバ)
誠意に上手下手はない。
自分の真心を伝える。
本心で物事にあたる。
言葉にすると、誠意。
その気持ちに上手下手はない。
一生懸命やることで、
相手に思いを伝える。
どんなにかっこわるくても、
どんなに不器用でも、
一生懸命の思いは伝わる。
もちろん、個人差はあるだろう。
ただ、思いを伝えようという熱意は、
差がなく伝わるはずだ。
だとすれば、何か物事に挑戦する時、
自分の力が未熟であればあるほど、
誠意を伝えることが大切。
自分の気持ちが、
最大限に伝えるための誠意。
弱者の戦い方の一つだ。
(今日のコトバ)
グラウンドでの提案は戦術。
スタンドでの提案は野次。
「外野は黙ってろ!」と
いわれることがある。
責任者でもなく、
関係者でもない人間が、
外から、
偉そうにアレコレいわれると
腹が立つ。
現場の状況をわかっていない人間は、
好き勝手にいいたいことがいえる。
現場にいる人間は、
そこでしかわからない問題を
なんとか解決しながら
前へ進んでいる。
表面上のことだけで、
ツベコベいってほしくない。
特に、仕事関係で
あきらかに
自分のテリトリーでない時、
口をはさむことは、
できるだけ避けた方がいい。
もちろん、
いいアドバイスになることもあるが、
現場に意見を聞かれていない限りは、
中傷誹謗、
あるいは野次になってしまう。
意見をいう時、提案をする時は、
大前提として、現場の人間であること。
その意識を
忘れてはいけないと思う。
(今日のコトバ)
出会うことは、奇跡。
会うことだけでも、ちょっと奇跡。
人は、人と出会うことから奇跡を起こす。
奇跡なんて、
そんなに起こらないと思っていたけど、
年齢を重ねるごとに考えが変わった。
奇跡は、頻繁に起こる。
出会いが奇跡だと思うと、
奇跡は頻繁に起こる。
そして、
人生で起こる
ほぼすべての奇跡のきっかけが、
出会いからはじまるといっていい。
その出会いがなければ、
何も起こらない。
出会いがあったからこそ、
いまのこの人生がある。
そう思うと、
ひとつひとつの出会いが愛しくなる。
ただあいさつだけの
出会いもあるけれど、
その後の人生を考えると、
ただのあいさつだけでは
ないような気もしてくる。
人生には、
ステキな出来事がたくさんある。
奇跡はその中でも、
もっともステキなことのひとつ。
奇跡と思える出会いを大切にしたい。
(今日のコトバ)
損は、得をするための高等戦術である。
思うことがある。
損をする人は、
必ずどこかで得をする、と。
「損して得とれ」という言葉があるが、
漠然とだが損をすると、
後で得をする。
「人生はイーブン」という人もいるが、
たしかに損得だけで考えると、
そうかもしれないと思う。
さらに踏みこむと、
博打とかではなく、
仕事とか、人のためになることで、
損を引き受けると、
必ずといっていいほど、
その後、いいことが起こっている。
反対に、得することばかりに動いている人は、
どこかでまとめて損をしている。
つまり人生は、
損が損で終わらない。
その損が、
世のため、人のためになることなら、
人生にポイントが加算される。
それをどこかで還元できる時がくる。
そのことを忘れないで生きると
人生はおもしいものになると思う。
(今日のコトバ)
継続は、人生の幹を太くする。
「若い頃、何で辞めてしまったんだろう」
そう思うことがよくある。
書道、ピアノ、剣道、水泳等々。
きっと、その時は、遊びたかったり、
もっと、おもしろいことがあったりで、
習得する時間が
苦痛だったのかもしれない。
もっというと、
それらの習い事を極めれば、
凄い財産になることを
知らなかったのかもしれない。
ささいな事でいえば、
向いていなかったかもしれない。
いずれの理由にせよ、
長く続けずに辞めてしまった。
どれも人生の武器というまで
磨くことはできなかった。
だが、年を重ねてみると、
「やっておけばよかった」というものが
たくさんある。
長く続けて芸にできれば、
人生の様々な場面で身を助けてくれる。
そう思うと、長く続けたものは、
人生の武器になることが多い。
だからこそ、
長く続けているものは大切にする。
長く続けているものは、
人生に武器になるのだから。
(今日のコトバ)
知らん顔しながら、
そっと手を伸ばしてくれる人を、
味方にしたいと思う。
味方って、何だろう。
時々、考える。
自分を守ってくれる人?
そうかもしれない。
困った時に武器を貸してくれる人?
そうかもしれない。
敵に向かって一緒に戦ってくれる人?
そうかもしれない。
ただ、平時に味方ということをを
鮮明に現わして、
まわりで騒がれるのは、
ちょっと引く。
かといって、
敵か味方かわからない態度でいる人も
判断に困る。
理想をいえば、
ある程度の距離を置きながら、
ここぞという時にだけ
手を差し伸べてくれる人こそ、
本当の味方だと思える。
そういった味方がいる人、
いない人、いるだろう。
ただ、人生の荒波を越えていくには、
味方が絶対に必要。
その時、
理想的に自分の味方になってくれる人が
いることは、人生の成功にも結び付く。
だからこそ、自分の理想の味方をつくる。
大切なことだと思う。
(今日のコトバ)
「あした、やろう」は、
未来に一つ荷物をふやしている。
今日怠けてしまった。
面倒臭いことは明日にしよう。
時に、そんな気持ちになることがある。
人によっては、
いつもいつもそう思うこともあるだろう。
ただ、明日に今日の作業を先延ばしすると、
明日の作業がその分多くなる。
もっというと、
明日できる作業が少なくなる。
その後も、
じょじょに一日の作業が少なくなり、
怠けた一日になっていく。
その一日をどう考えるか?
怠けてよしとするなら仕方ない。
カラダの調子がよくなくて、
ペースを落とすこともあるだろう。
ただ、もっと時間を有効活用したいと
思っている人にとっては、
明日への先延ばしが、
積もり積もって怠慢のサイクルになる。
もし、いま、時間をもっと有効に
活用したいと思っているなら、
明日への先延ばし禁止からはじめよう。
明日を有効に使うために、
今日できることを今日やってしまう。
そこが時間を有効に使う第一歩だ。
(今日のコトバ)
人柄の先に、手柄がある。
すべては人柄にある。
そんな気がする。
どんなに才能があっても、
どんなに努力をしても、
望んだものが
手に入れられない人がいる。
だが、人柄の素晴らしい人は、
幸運を引き寄せてしまう。
「人から嫌われない、つまり、
愛される」という人柄は、
まわりの人から、
いいものを届けられる。
「いい人だから、お願いしよう」となる。
「きっと、しっかり
やってくれるから頼もう」となる。
いい依頼が循環するのだ。
もちろん、
面倒くさいものを押し付けてしまう人も
いるかもしれないが、
その場合、押し付けた人に
問題があるとわかってしまう。
日々の人柄の信頼があるから、
変なものを押し付けると、
押し付けた人の問題になるのだ。
そう思うと、
人柄で信頼を得ることが、
どれだけ大切かがわかる。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
影響は、発想の燃料庫である。
「発想は、記憶だ」と
ある映画監督がいった。
確かに、発想する時、
自分の頭にないものが
出てくるとは思わない。
ヒラメキ的な部分もあるので、
すべてが記憶ではないが、
それでも記憶の部分が多い。
では、記憶とは何か。
それは、生きている中で受けた
影響ではないだろうか。
人からでも、書物からでも、
テレビからでも、
生きている時間に
自分がかかわったもので
どう自分が反応したか。
その反応のひとつが発想となる。
となると、
どんどん影響を受ける環境に身を置く、
どんどん出会う、
どんどんでかけることが大切。
著名なアーティストやクリエーターも、
影響を受信できる環境に敏感だ。
面白いものには、すぐに飛びつく人が多い。
そう思うと、
影響されるところに
自ら飛びこむことは、
豊かな発想の礎になる。
もし、発想こ豊かな人生にしたかったら、
影響を受ける環境へ飛びこむ。
大切なことだ。
(今日のコトバ)
行きたかった未来が今日なんだ。
そして、この先、
行きたい未来があることを幸せという。
今日起こることにワクワクしている。
今日という日が楽しい。
今日生きていることが有難いと思う。
そういう気持ちになれれば、
人生はうまくいっている。
さらに、
この先にワクワクするような
目標があれば、
人生は最高といっていい。
誰と比較するのでもなく、
今日が、未来が、
ワクワクする状況にあるなら、
生きてきた人生は
間違っていない。
どうせ生きるなら、
できるだけ
そんな状況の人生を送りたい。
少なくとも、
生きるどこかに
ワクワクする部分を
もちたいものだ。
それには、目標を叶える、
叶えた後にご褒美をもらう、
簡単だけど、目標に向かって走り、
叶えたら称賛される
サイクルがあるといい。
それが、いきがいにもつながる。
素晴らしい人生を生む。
今日、そして、未来が幸せになるために、
目標、達成、そして、称賛が大切なのだ。
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