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(今日のコトバ)
心はいろいろなところに顔を出し、
たくさん傷つく。
そして、生きるための強さを
ちょっとずつ身につける。
心の問題という。
いろいろな意味で、
心のせいにする。
見ることもできない
実態のないものが責任を負う。
ほとんどの人は、
心のせいすることに
異論を持たない。
困ったことに、
心は実態のないものだから、
本来、どうしていいか
わからないものでもある。
だが、その心も試練を乗り越えると、
少しずつであるが成長する。
否、成長した気がするのだ。
そう考えると、
人生のいろいろ場面に遭遇し、
試練をクリアすることが、
心を強くする一つの方法なのだ。
だが、間違えてはいけない。
心を壊してはいけない。
壊してしまっては、
戻すことができなくなる
かもしれない。
あくまでも心を強くするために、
試練を乗り越えることも大切。
そのことを理解しておけばいいのだ。
(今日のコトバ)
誰もあなたを見つけてくれないのは、
あなたがあなたを見失っているからだ。
人生の節目で、
「何でわかってくれないのだろう」
「何で見つけてくれないのだろう」
そう思う時がある。
「こんなにがんばっているのに」
「こんなに才能があるのに」
そう思い続けている。
だが、そんな時、
気持ちは焦っていても、
自分の行くべき道が
しっかりと見えていないことが多い。
もっというと、
自分自身を見失っている時でも
ある気がする。
結果がでないことで
焦っている。
自分が輝くというよりは、
自分が消えている状況に
陥ってしまう。
当然、まわりも輝かないものを
見つけることができない。
そう考えると、
誰も見つけてくれない時、
自分の行くべき道もがブレでいると
理解しよう。
まわりの人が見つけようないほど
自分が消えている。
だからこそ、自分の道、
自分の輝ける道を見つける。
そして、その道を歩く。
意識をそこに集中するのだ。
(今日のコトバ)
やっと大人買いができようになったのに、
大人になると子供買いで充分な自分に気づく。
ものごとにはタイミングがある。
できる時、やれる時が、
いいタイミングでやってくる人は、
生き方が上手な人なのだと思う。
例えば、
子供の時に凄い才能があったのだが、
その才能を伸ばすことをせず、
大人になったら平凡な人なった人。
大人で才能を発揮できれば、
人生はもっと有意義なものに
なったはずだ。
また、人生ずーっとお金がなくて、
欲しいものが手に入らなかったのだが、
80歳を過ぎて遺産等が入って
金持ちになった人。
せめて40歳代で金持ちになったら、
お金をもっと自由に
使えたかもしれない等。
タイミングを逸して
人生にジレンマを感じる人もいる。
ただ、人生は自分の力である程度、
軌道修正できるもの。
自分が行きたい人生の方向に
修正もできる。
もちろん運命もあるが、
生きたい方向へ修正するのも
人生の醍醐味。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
一度むすんだ絆だって、
ちゃんとむすび目を直ささないと、
すぐにほどけてしまう。
信頼関係を築くことができたとしても、
その信頼を放置したままだと、
信頼の絆はゆるんでしまう。
ましてや不義理が続くと、
信頼を失ってしまうことに
なりかねない。
もっといえば、
「可愛さ余って、憎さ100倍」
ではないが、
信頼した分、
信頼を失った時、
人は人をまったく信頼しなくなる。
信頼は生き物なのだ。
コミュニケーションをいつも大切にして、
信頼の絆をしっかりと結ぶ。
ゆるんだらしめ直す靴ひものように、
ゆるまない関係を大切にするのだ。
(今日のコトバ)
剛速球でも、
目が慣れれば絶好球になる。
最初は、目もくらむような速さだった。
だが、練習を積んでいくうちに
慣れてきて、
しっかり球をとらえることが
できるようになった。
そんな経験がある人も多いはずだ。
球の問題だけではない。
新しく何かをはじめると、
何もかも難しそうで、
できそうもない気がする。
だが、何か月、何年が経つうちに、
できるようになる。
それが人生といっていい。
慣れること。人間には
慣れていく能力が備わっている。
そこを忘れていけない。
4月になって、
人生をスタート、リセット、
リスタートした人が
たくさんいるだろう。
そして、できないことが多くて
悩んでいる人もいるだろう。
だが、それらは慣れという人間の能力が
いずれできるようにしてくれる。
焦らなくていい。
ただ、あきらめてはいけない。
続けていれば、
慣れが能力をしっかり
身に着けてくれるのだ。
(今日のコトバ)
いつも何かを探している人が、
いつか何かを見つける人。
感度というか、
アンテナというか、
何かを探すことに貪欲な人は、
何か見つける出すことが上手だ。
なぜ見つけ出せるか?
答えは明快。
いつも何かを探しているから。
簡単に何かを
探しているからと書いたが、
実は、これが難しい。
好奇心を持って、
自分の意識を働かせていないと、
何かを探すことはできない。
しらけていたり、
あきらめていたり、
なまけていたりすると、
何かを探すことはできない。
そう考えると、
好奇心を持ち続けて
何かを探し続けることも力仕事だ。
でも、その力仕事を続けると、
何かを見つけることができる。
力仕事が何かを見つけるという感覚を
磨いていく。
だからこそ、
何かを探し、
何かを見つけるために、
好奇心を持ち続けるという
力仕事をやってみるのもワルくない。
(今日のコトバ)
この声を届けなければいけない場所がある。
その場所にこの声を届けろ。
主張はしっかりしたい。
心で思っていても、相手はわからない。
ただ、日本人は特に
言葉にしなくてもわかって
欲しいという気持ちがある。
「空気を読めよ」という言葉もある。
だが、心とか、空気とか、
目に見えないものを
理解するのは難しい。
伝えたいことは、しっかり伝える。
言葉にして伝える。
コミュニケーションの基本は、
そこにある。
照れたり、遠慮したり、
欺いたりしないで、
正しく言葉で伝える。
大切なことだ。
(今日のコトバ)
忙殺の中だけ目覚める天才がいる。
締め切り間際に、
思わぬアイデアがひらめく。
忙しい時ほど、
段取りが良くなる。
休みなく仕事している時の方が
作業スピードが圧倒的に速い等、、、。
働き方改革が叫ばれる今、
忙しいという言葉もは、
追放されるかもしれないが、
確かに、忙しいと人間の頭の回転は
良くなるようだ。
動いている状態といおうか。
加速がついている状態といおうか。
忙しい時にやったことが、
平常時にできない。
忙しいから生まれた力がある。
たぶん、忙しさの力は、
誰にでも備わっているもの。
その力を利用しない手はない。
新しいものつくりたい、
自分を超えたものを生んでみたいと
思った時、
MAXで忙しくしてみる。
一つの有効な手段だ。
(今日のコトバ)
見るべき所が高ければ、
意識はその高さに設定される。
「目標は高い方がいい」
昔、先生はそういった。
特に、小学校の頃の先生は、
みないっていたように思う。
それから数十年生きて、
まわりを見渡してみると、
それはほぼ間違いではない気がする。
例えば、大きな仕事を成し遂げた人は、
持ち続けた目標が
高いものだったことが多い。
「目標を達成するんだ」という
意識の高さが人生を
牽引しているといってもいい。
そう考えると、
目標は高い所に設定していい。
ただ、高いという言葉は
漠然としているから、
身の丈から判断して、
なんとか捉えられる目標、
困難だけど自分なら達成できる目標を
追い続ける。
人生、目標を達成しながら生きれるほど
素晴らしいことはない。
それが高い目標であるなら、
人生がどれほど楽しいことになるか。
想像しながら生きていく。
ステキなことだと思う。
(今日のコトバ)
あの人のせいにしているうちは、
あなたのお陰になりません。
言い訳をするために、
誰かに責任を押しつけてしまう。
何か自分に不利益がこうむりそうだと、
誰かのせいにして逃げてしまう。
どこかで、そんなことをした記憶が
誰にもあるはずだ。
危機管理という意味で、
時に責任転嫁しなければならない
時もある。
だが、たいがいにおいて、
責任転嫁をするということは、
自分の価値を下げることになる。
ただ、その場しのぎで
責任を回避しただけだけ
かもしれないが、
かわりに信頼という大きなものを
失ってしまうこともある。
もっといえば、
責任回避を重ねるたびに、
信頼は少しずつ失っていく。
人は、
責任をまっとうするところから
信頼を得る。
そして、
責任をまっとうするところから
人に感謝される。
責任が持つ力は、
信頼につながっている。
そのことを忘れてはいけない。
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