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(今日のコトバ)
仕事をしていないと、
自分の中のワル者が産声を上げる。
何もしないと、
怠け者の虫が騒ぐ。
同じように、
仕事をしないと、
何をしていいかわからなくなる。
ぼーっとした一日を過ごし、
生産性のない時間が過ぎる。
だが、仕事をして稼がなくては、
生きていけない。
ただ、怠け者の状態になると、
働かなくて金儲けを考える。
自動的に、あるいは、
何もしなくて
収入になることを求め始める。
当然、そんなうまい話はなく、
手を染めるのはわるいことになる。
仕事をきっちりしていれば、
あまりわるいことは考えない。
もちろん、わるい道へ進むことも少ない。
そう思うと、
働くことを続けることは、
人間をわるい方へ行かせないための
最高の機関なのかもしれない。
人生で働くことは、
大きな比重を占める。
最大の比重の人も多い。
つまり、人がわるいことをしないために、
仕事があるともいえるのだ。
(今日のコトバ)
恵まれないからと横を向いていたら、
恵まれたときに前を向けない。
ひねくれてしまうと、やっかいだ。
「自分だけが損をしている」
「自分以外の人ばかりがいい思いをしている」
「どうせオレなんて」等。
時々、そう思うことがある。
だが、人生の経験値から考えてみると、
ひねくれてそっぽを向いていると、
ほぼ確実にチャンスは逃げていく。
ひねくれてしまっているから、
目の前の状況を直視できない。
チャンスがあるはずなどないと、
最初からあきらめてしまうのだ。
反対に、少々損な役回りの人も、
何事にもポジティブに受け入れる人は、
チャンスを見事に捉える。
それは、ポジティブだから
いいことも、わるいことも受け入れる。
その中に、当然、チャンスも含まれる。
どういう考え生きるかは、
人それぞれ自由だ。
ただ、チャンスに恵まれたければ、
出来事にそっぽを向くのではなく、
ポジティブに対応する。
いちばん大切なことだ。
(今日のコトバ)
チャンスは未完成のままやってきて、
完成させてくれる人に舞い降りる。
「チャンスがきた!」
「チャンスを逃した!」などと人はいう。
人生のいろいろな場面で、
チャンスと思える時がある。
大きなチャンス、
小さなチャンスあるけれど、
何回も、何十回も、
自分の人生にチャンスが
訪れたことはあるだろう。
ただ、そのチャンスを
しっかり自分のものにできたのは、
ほんの一握りしかないのではないか。
もしかすると、人によっては
チャンスをほぼものにした人も
いるかもしれないが、
たいがいの人は
チャンスを一握りしかものにできない。
では、どういう時に
チャンスがものにできるのか。
一言でいってしまえば、
準備ができている人に
チャンスは舞い降りる。
不意にチャンスがきたり、
あきらかな準備不足では、
チャンスも素通りするし、
仮に舞い降りても、
上手に捉えることはできない。
だからこそ、
ほんとうに
自分のものにしたい
チャンスを待っているなら
準備は怠らない。
チャンスを捉えるに
ふさわしい自分でいる。
いちばん困るのは、
チャンスがきているのに自分に
実力がないこと。
これほど悲しいものはない。
自分の人生を有意義にするためには、
チャンスを捉えていくことが大切。
そのために準備をつねにしておくのだ。
(今日のコトバ)
前座は、ハングリー、ジェラシー、
そして、ドリーム持参のこと。
誰でも修行時代はある。
最初から完璧にできることはない。
ましてや、才能や芸の領域なると、
尚更、修行期間が長くなる。
そして、
この修行をどう自分のものにするかで、
その後の自分の成長に差が出てくる。
漠然と時間を潰しだけの修行になるか。
技術は習得したいものの、
その先の目標が見えずにいるか。
きちんと目標をもって、目標から逆算して、
自分を追い込んでいくか。
人それぞれ、様々なパターンがあるだろう。
ただ、その意識と行動で
大きく成長度合いが違ってくる。
そこに、目標という明確な夢があり、
達成しなければならないという
ハングリー精神があり、
ライバルに対する嫉妬心もある。
そこを意識しながら切磋琢磨する。
そこに、成長の源がある。
修行が自分の人生を成長させ、
大いに役立つものになる秘訣があるのだ。
(今日のコトバ)
自分というミスキャストにも、
舞台をつくってくれるのが、
世の中のいいところです。
人には、人それぞれいいところがある。
大声でいえるいいところもあれば、
小声でつぶやくいいいところもある。
ただ、そのいいところを
どこかで、誰かがすくってあげないと、
いいことだかわからない。
自分しかわからないいいところは、
まわりでは何の役にも立たない。
だが、世の中という環境には、
そんな自分のいいところを
すくってくれる場所がある。
大部分が働く場所だったりするが、
それ以外にも趣味の場だったり、
ボランティアだったり、
スポーツだったり、、、、、。
探せばどこか必ずいいところがある。
そして、世の中という劇場が
そのいいところに
スポットライトをあててくれる。
そう思うと、
世の中もわるいばかりではない。
生きている以上、
世の中はちゃんと
得意な舞台を用意してくれている。
ステキな環境の提供者なのだ。
(今日のコトバ)
自分の眼で見ろ。そして、相手の眼で考えろ。
とかく一人よがりの考え方に
なりがちで生きている。
自分という頭で生きているのだから、
あたまえといえばあたりまえだ。
だが、長く生きていると、
一人よがりでは
何も解決しないことがある。
では、その時、どう解決していくか。
それは、相手の気持ちになって考えること。
もっといえば、
相手の立場になって解決策を
考えることができれば、
いい方法が思いつく。
相手がしたいことを理解すれば、
自分の方法を、その方向へシフトする。
もちろん、根幹にかかわる部分、
譲れない部分を変える必要はない。
ただ、相手目線の考えも自分の中で消化する。
それだけで、自分の前にある課題が
随分、解決できる。
何か課題が立ち上がった時、
相手目線の考えを
一考することも意識しよう。
(今日のコトバ)
転んで、擦りむき、傷ついて、
最高傑作になっていく。
自分の最高を更新するには、
試練を越えなければならない。
転ぶこともあるだろう。
倒れることもあるだろう。
傷つくことだって、たくさんあるはずだ。
だが、それらが自分を最高にしていく
礎だとしたら、
苦しことも乗り越えられる。
オリンピックに出場する
アスリートだとわかりやすい。
金メダルで最高の結果を出すのに、
どれだけの痛み、
どれだけの犠牲を払っただろう。
密着ドキュメントを見ればよくわかる。
ほとんど、苦しみ、痛み、悲しみの連続。
ただ、金メダルを獲るという目標のために、
すべてを犠牲にしている。
もちろん、オリンピック選手ほどの
高い目標でないにしても、
最高の結果のためには、
犠牲はついてまわるのだ。
いま、目標に向かって
しんどい思いをしている人も、
それが最高へのステップだとしたら
ガマンできるはず。
最高への犠牲は、
いつか実を結ぶ。
そう信じて生きるのだ。
(今日のコトバ)
若さは、命果てるまで生まれつづける。
何かをはじめる時、
そこに若さが生まれる。
となると、
若さが生まれるのは、
いくつになっても起こること。
年齢を重ねてからはじめたって、
自分の内から若さは生み出せるのだ。
「スタートするのに、遅いことはない」
といわれることがある。
正確にいうと、正しくはない気もするが、
考える角度によると、
間違えともいえない。
否、正しいと自分が思えば、
正しいといいきっていい。
要は、自分が
新しいことをはじめるのなら、
いつでも若くなれる。
そう思うと、
生きることも楽しくなる。
年齢を重ねることも
楽しくなるはずだ。
(今日のコトバ)
半信半疑は、真実一路に勝てない。
何かを疑ってかかると、
気持ちが動くまでに時間がかかる。
いいのか、わるいのか。
できれば、いい方を、
間違ってない方を選びたい。
その気持ちが前進する
速度を遅くする。
反対に、
まぎれもない気持ちで行動していると、
無駄なく、一直線に前進できる。
当然、速度も速くなる。
どちらがいいかではない。
その状況、その場面で、
判断が違うことがあるだろう。
ただ、ここ一番勝負する時に、
半信半疑は速度を遅くする。
速度の戦いになった時、
真実一路には負けてしまう。
速く前進したい時には、
忘れてはいけないことだ。
(今日のコトバ)
休むという大事な仕事を
怠ってはいけません。
ちゃんと休む。
言葉ではわかっていても、
なかなかできないことがある。
「仕事が忙しくて休日返上」
「休んでいるのだが、考え事が多くて
気が休まらない」
「遊び過ぎて、疲れがたまり過ぎた」等。
休みを行使できなかった人は
たくさんいると思う。
たまたま今週だけ休めないとかなら
体調もなんとかなるが、
あまりにも休めない状況が続くと、
必ず勤続疲労を起こす。
その起こし方が、
個々人の弱いところに出る。
心であったり、体であったり。
腰であったり、肩であったり。
ウィークポイントに出てしまう。
当然、弱いところにまた負荷をかければ、
痛む。酷くなると
慢性化することもある。
そうならないためにも休みはある。
休みとは
メンテナンスに使うという意味でもあるだ。
自分の心、自分の体と相談して、
いい休みをとる。
長い人生には大切なことだ。
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